ドリーム小説
「猛獣や珍獣じゃないんだから、そんなに張り付いてなくても大丈夫だってば」
アパートの階段を下りる間もぴったり張り付いてくる長谷部。その脇を小突くと、宗三は憂うような息を吐いた。
「獣の類の方が、言葉が通じないだけ許せるというものです」
「……宗三、どう言う意味かな?」
「何も言わずに一人で走って行く貴方よりマシです、とでも言うべきでしたか?」
「ぐぐっ」
噛みついたことを後悔する。
――神様だろうと、人だろうと、口があるなら話せばいいのさ。
手入れを許されたを待ち受けていたのは怒り狂った刀たちだった。玄関で五十振り以上が待ち受ける恐怖ったらない。
――主。僕、前にも言ったよね。他所の刀の為に無茶しないでって。
家の敷居を跨ぐだけにも随分と骨を折って、
――ねーちゃんは愛されてるな!
一緒に玄関で立たされたというのに、このてんやわんやをまとめたてつしの懐の大きさに感服したものだ。
笑って、話して、時々怒って。
まるで人のように時間を重ねて、共に生きている。
戦場から戻って来る彼らを待つ日々をあたり前だと思っていた訳ではないけれど、刀だと言うことを再確認させられた気になって、どうにもあれ以降気分が浮かない。
大晦日だし、気分転換でもしよう。
そう思ったのに、我が家のツンデレ代表選手である宗三を連れて来たのは間違いだったかもしれない。
押し黙って歩いていると、きっちり防寒服を着こんだ夕士に出くわした。クリを抱く長谷、足元を駆け回るシロがわんと声を上げる。
「どうしたの、そんな恰好で」
「大家さんが滝の横に、大雪原に通じる穴を掘ったらしくて。これから長谷たちと行くんスけど、さんもどうですか?」
「大雪原!? え、行きたい! ちょっと待って、コート取って来るから!」
本丸にも雪は積るが、さすがは大雪原というだけある。見渡す限りの銀世界だ。
一歩踏み出すと足が埋まって、あやうく転びそうになった身体を両脇から支えられたは口端を引き攣らせる。
「……貴方、酒を飲みに来たんでしょう?」
「確かに。でも」
は雪玉を投げて遊ぶクリに目を細めた。
「クリは元気になったねぇ」
「コラ、待てクリ!」
「逃げるぞ、クリ!」
「わんっ」
雪道を転がるように駆けて行く三人と一匹。は両手を擦り合わせると、めげずに一歩踏み出した。
「身体はガソリンが欲しいけど。何だか心はほっこりするよ」
ざっくざっくと雪道を進んで行く。
時折躓きながら、支えられながら歩いていると、すでに見えなくなっていた夕士の声が響いて来た。
「なんだ、コレ!?」
面白いものを見つけたらしい。駆け足で進んで行くと、夕士や長谷の背中。そしてその先に見渡す限り無数のかまくらが見えて、は目を丸くする。
「かまくら?」
『時のかまくらにございます』
頭上から降って来た声に顔を上げると、十五センチほどの小人と目があった。
「あの、コイツ、プチなんですけどヒエロゾイコンって言う魔道書で…」
『愚者にございます、さま』
うやうやしく腰を折った愚者はかまくらを仰ぎ見た。
『大晦日から新年一月一日の朝日が昇る前まで現れる、それはそれは不思議なかまくらでございます。中に入れば、過去や未来を見る事が出来るとか』
「へぇ」
マジマジ見ていると、下から袖を引かれた。
「え、クリ、行くの?」
こくんと頷くクリ。
クリの手を引いて歩きながら、はうんと首を傾げる。
「過去や未来ってのも眉唾だけど、迂闊に入って大丈夫なものかしら。やめといた方がいいんじゃあ」
かまくらのひとつを覗きこんでいる夕士と長谷。
ここは年長者として一応止めるべきかしらとかまくらを横眼に見ていると、脇腹をどんと突き飛ばされて、は頭からかまくらに突っ込んだ。
「ちょ、クリ!」
クリが笑っている。こんな悪戯まで出来るようになって、と思う一方、血相を変えて駆けて来る長谷部と宗三が怖い。
「主!」
「いやそんな心配しなくて、も」
出掛けた言葉を飲み込んだは、次の瞬間、見慣れた景色が広がっている事に眼を見開いた。
「ここ…?」
「古いですね」
「全く、貴方と言う人は」
「うわ!」
いつの間にか長谷部と宗三が居る。目を白黒させたはあんぐりと口を開いた。
「って事は、ここ…本当にかまくらの中? でもどう見ても本丸、よね」
造りは本丸そのものだ。けれど、木も瓦も古く褪せている。まるで人気を感じない。違和感ばかりの本丸を見渡したは、縁側に老婆が腰かけているのを見止めた。
「ね、あれ」
草場の影に隠れて進んで行く。
三人で顔を覗かせると、老婆は「あら」と声を上げた。
「龍さん、お久し振りですね」
「ああ。元気かな? 」
「元気じゃありませんよ。龍さんの事だから、それを知ってて来たんじゃないですか?」
言って、老婆はちょっと肩をすくめてみせる。
「それにしても龍さんったら、初めて会った頃と全然変わらないんだもの。なんだかちょっと妬けちゃうわ」
「君に会うからはりきってしまってね」
「またまた」
隣に腰を下ろした龍は、が知る彼とまるで同じ姿――だが、と呼ばれた女性の顔はしわくちゃ。身体も一回りは小さい。
「ちょっと待って下さいね。今お茶を…って、わたしが淹れないといけないんだったわ。ちょっと待ってて下さいますか?」
「いや、お茶は飲めないから遠慮しておくよ。それにしても…君の最後に、刀を立ち合わせなくて本当にいいのかい?」
中座しかけた腰を下ろして、老婆は湯呑みを握った。ふふっと声を上げて笑う。
「そうですね。悩んだんですよ。でも、きっと泣いちゃうでしょう? わたし、悲しくて悲しくてたまらないと思うの。
こんなにいっぱいの時間を一緒にいたというのに、我がままな自分が恥ずかしくなっちゃって…だからね、先に眠って貰ったの」
それにね、とくるくるとした瞳で龍を見上げる。
「なんだか龍さんが来る気がしたのよ。不思議ですね」
「君が刀を仕舞ってしまう気がしてね。……なんて。本当は今度こそ君と一緒に死にたくて、この日を待っていただけなんだけれど」
「龍さんったら、もう少し若い頃に言ってくれても良かったんですよ」
「ははは。君の宝物たちは始終おっかなかったからな」
「そうですねぇ」
笑った瞳から、ぽろりと涙が零れ落ちる。愛おしそうに眺めた龍は、白髪交じりの頭を撫ぜた。
「大丈夫だよ。また会える」
「……そうかしら」
「ああ。現にこうして、私は君と会えた。だから君も、また愛しい刀たちと会えるさ」
「ありがとう」
「さあ、お手をどうぞ。お嬢様」
「お嬢様なんて」
「私にとっては…あの頃からずっと、君は変わらずお嬢様だよ」
老婆が龍の手を取る――ように見えたのに、彼女の身体は縁側へと崩れ落ちた。龍はまるでそこに老婆が居るように大切に抱きしめて、
「君がずっと好きだった」
落とすように呟き、首を巡らせる。
草場の影に居るに向かって微笑んだ。
「そんな時間が、幸せだったんだ」
「――!?」
どさっと上から雪が落ちて来て、はまるで夢から覚めたような気持ちになった。辺りを見回すと、夕士たちもかまくらに潰されている。
「なに、今の…わたし?」
きょとんと瞬いたは、両腕を掴まれて驚いた。
「あれは主ではありません」
「ええ、違いますとも」
「え、ちょ、どこ行くの、まさか…」