ドリーム小説
つかの間の休息はものの二日程度で、そのあとはまた、怒涛のような忙しさに追われた。
出撃、遠征、報告書の作成、内番の振り分け、雑務、出撃、内番の手伝い、演練、出撃、報告書。
息をするのも忘れそうな日々の中で、龍と話した地獄堂の事など、頭からすっかり抜け落ちていただったが、
一か月半程過ぎて、ようやくまた遡行軍の動きが落ち着いて来ると、薬研の顔を見るなり思い出したのであった。
龍から貰って作ったお守り袋と、財布を手に、ちょっと出て来るような振りをして、電車を乗り継ぎ向かった先は上院。
道行く人に尋ね尋ねて辿り着いた極楽堂は、大きく右に傾いた、今にも崩れ落ちそうな古い建物だった。
今のご時世、こんな店がまだ存在しているとは。
蔦と苔で覆われたそれを興味深々に眺める。
やっと動いて扉に手をかけると、立てつけの悪い扉はガタガタ揺らしてようやく開いた。
「ごめんください」
おそるおそる声をかける。
内臓が飛び出た人体模型と目があった。
ホルマリン漬けの瓶が立ち並ぶ薄暗い店は、なるほど極楽堂ならぬ、地獄堂である。
「あのぉ…」
「審神者か」
声がした方へ首を巡らせると、人形だと思っていたのが店のオヤジだったようで、は少し驚いた。
「どうしてお分かりに?」
「ひひひ。人の身から溢れる神気。審神者以外におるまい」
オヤジの手に抱かれた猫まで、ひひひ、と笑う。
これは確かに不気味だ。
は愛想笑いを浮かべると、痛み止めを一ついただけますか、と財布を取り出した。
薬研を連れて来る前に偵察を、と思って来たのだが、こんなに不気味ならば、素直に誰か付いて来て貰えばよかったなと今更思う。
小銭を渡す間も、薬を貰う間もドキドキして、ようやく店を出ようとした時、明るい声が響いた。
「審神者って何?」
突然聞こえた子どもの声に、は驚いて薬を落とす。
見ると、店の奥ののれんから、子どもがひょっこり顔を出していた。
ふわふわ頭の少年は、を見ながら首を傾げる。
「審神者? って、何だ、椎名」
ふわふわ頭に乗せるようにして、ツンツン頭の少年が顔を出した。
「…知らない」
今度は下から、濡れたような黒髪の男の子。
まるでだんご三兄弟のように並んだ子どもの顔に呆気に取られていると、オヤジがひひひ、と笑った。
「審神者とは、歴史を護る者よ」
「……歴史を」
「護る?」
「どうやって?」
バ、と開いたのれんの奥から、もつれるようにして転がり出て来る子どもたち。
すっかり帰るタイミングを逃したは、あっという間に三人に囲まれた。純粋な瞳で見上げられて、やましい事もないのに、ちょっとたじろいでしまう。
「えっと…この子たちは…」
「お姉さん、蒼龍と知り合い?」
無愛想に尋ねられて、これまたは驚いた。
「知り合い、だけど…どうして…」
「おねーさんから、ソーちゃんの匂いがする」
くんくんと、ふわふわ頭の男の子が犬のように鼻を動かす傍らで、ツンツン頭の少年がずいと顔を近づける。
「するかぁ?」
「匂い、と言うか、気配じゃない? 蒼龍の何か、持ってるんだよ」
「髪の毛、護りか」
ひひ、とオヤジが笑った。
「え、ソーちゃんの髪の毛って、お守りになるの?」
「強い術者の髪はな」
「じゃぁ、俺らの髪もかよ!? オヤジ!」
「強い術者と言っただろうが。お前たちの髪を全部足したとて、蒼龍の髪一本にも及ばんわい」
「へぇ、やっぱりソーちゃんってすごいんだぁ」
ガラス玉のような瞳が尊敬で輝く。
ここまで来てようやく、は龍が言っていた本当に恐ろしいもの、と言うのが彼ら三人なのではないかと思えて来た。
お守りも効かない、と言うのは人だから。
無邪気な子どもたちに囲まれている龍の姿と言うのは何とも想像し難くて、は少し笑った。
「もしかして、貴方たちも術者なのかな?」
「うん。おねーさんの、審神者って何?」
「歴史を護るって、どうやんだ?」
「語り継ぐ、なんてオチはいらないけど」
三者三様に動く口はめまぐるしい。
が拾おうとした薬を拾ってくれたのは、黒い髪の男の子だった。
「はい」
「ありがとう――えっと」
「椎名。椎名祐介」
「俺、金森てつしってんだ」
「俺、新島良次」
「わたしは。よろしくね」
審神者って言うのは、とは順を追って説明した。
歴史修正主義者と呼ばれる者が居る事。彼らが率いる時間遡行軍から、歴史を護っている事。刀剣男子と呼ばれる、の大切な家族の話。
一通り話終えると、先ほど蒼龍に向けられていた尊敬の眼差しが、今度は痛いほどの輝きを帯びてを映した。
「すっげぇええええ!」
「刀!? 刀が人になるの!? どうやって!?」
「付喪神だよ、リョーチン」
「つくもがみ」
「ようするに、何百年って生きて、神になった物って事」
「じゃぁ、あの山茶花も…」
「山茶花は、花の精。付喪神って呼ばれるのは櫛とか、鏡とか、そう言うものが長い年月をかけて命を宿した事を言うんだよ」
すらすらと、椎名が口を動かす。
小学生とは思えない言葉の羅列に、はただ頷くしかなかった。
「歴史を変えて、なんの得があるんだ?」
「さぁ。得なんて人それぞれだろうけれど、俺達にとってすぐ身近な不都合なら思いつくよ」
「どんなだ?」
「その修正主義者のせいで、てっちゃんの先祖が殺されちゃったら、ここにいるてっちゃんは消えちゃうんじゃない?」
「な…!」
「じゃあ、俺らがここに居るのは、おねーさんのおかげ!?」
「い、いや、そこまで飛躍しなくてもいいんだけれど」
馬を宥めるように、どうどう、とは手を動かす。
血気盛んな子どもたちは頬を朱色に染めると、の腕を掴んだ。
「ねーちゃん、上院は初めて!?」
「あげてんかのコロッケ、食べた事ある!?」
「上院は初めてだし、食べた事もないよ」
「じゃあ、喰いに行こうぜ!」
「それから案内するよ!」
「え、あ、でも…」
「おねーさんが護ってる町、見て行ってよ!」
なんだか、ヒーローショーの気分である。
キラキラ輝く子ども達に見つめられたら、遠慮のしようが無い。ぐ、と言葉に詰まるに、椎名がダメ押しした。
「諦めた方がいいよ。この二人、こうなったら手が付けられないから」
「お前たち」
やんややんやと騒ぐ子どもたちに、水を注すような声をオヤジが上げる。
「イラズの森には近づけるなよ」
「…どうして?」
「その娘が持つ神気は、人の身には余るものだ。妖が喰ったら、百年は長生き出来るだろうて」
「分かった」
みなまで言わずとも、椎名が頷く。
よく分からないような顔をしている二人だが、椎名が分かれば問題ないと思ったのか、すぐさまの背中を押した。
「行こうぜ!」
「あ、うん。お邪魔しました」
オヤジはひひひと笑うだけ。
それに猫の笑い声も加わって、見送られたは子どもたち三人の間に立つと、歩きはじめた。
てつしと良次が変わる変わると、上院の話、地獄堂の話、今まで体験した話、学校の話などを聞かせてくれる。
椎名はもっぱら不足部分の説明係りで、ぽつぽつとした口調で的確な補足説明した。
吸血鬼と戦った話まで聞くと、は唖然と呟くしかない。
「龍さん、そんな事があったんだ。全然知らなかった…。それにしても、すごいね。三人とも」
ヴェレッドに、ヴァチカン非公式特務隊オーグレス。バルドイードと言う吸血鬼に、ミッタンと言う男の身体を借りて立ち向かった事。
次から次に出て来るびっくり箱のような話は、とても小学生が体験するようなものではない。
尊敬するような、心配するような目を向けたに、良次は丸い瞳を細めて笑った。
「おねーさんの話も、すごいなあ」
いやいや、君たちの方がよっぽどだよ、と思うけれど、
こういう素直な尊敬の仕方を出来るのが、子どもの美徳だと思う。
「ねーちゃんは、仕事だから戦うのか?」
こういう質問も、実に率直な言葉で、は思わず笑ってしまった。
「そうだねぇ。最初はそうだったかも…。でも、今は違うかなぁ」
「どう違うの?」
「皆がね、戦うからかな」
「…」
「前の主を助けたかったりとか、自分の本体を…焼失してしまったりとか、変えたい歴史はあると思うの。
そんな色んな事を抱えて、それでも歴史を護る為に戦う刀たちを見てると、やる気が出るよ。強くならなきゃって、居心地いの良い場所を、護り続けなくちゃって」
脳裏を過る刀たち。
一振り一振りの顔を浮かべながら、は瞳を伏せた。
「出来る事は全部したいなって、思える刀たちに会えた事は、わたしの人生の幸せだと思うの。
だから審神者を仕事に出来て、幸せかな」
目を開けると、を見上げている椎名と目があう。
黒曜石のような瞳で静かに見据えられている事に首を傾げると、彼はす、と視線を前へ向けた。
「どうしたんだ? 椎名」
その様子を不思議に思ったのは、だけでは無かったらしい。
何気なく尋ねたてつしを横眼で見て、椎名はちょっと肩を竦めた。
「分からない」
「なんだそりゃ」
「でもなんか、思い出しそうだったんだけれどな」
「思い出す?」
「……まぁ、いいか。てっちゃん、あげてんか、見えて来たよ」
「よっしゃー! 俺、デラックスー!」
「エビグラタンかな」
「あ、エビグラタンおいしそうね。わたしもそれにしようかな」
小走りで駆けていくてつしに、良次が続く。と椎名の分まですでに注文していた二人に、は財布を出した。
「案内のお礼に、奢りましょう」
「やったー!」
「サンキュー!」
両手を叩く二人に、あげたてのコロッケが来る。
はふはふ言いながら食べると、中から溶け出て来るグラタンに、は目を剥いた。
「美味しい!」
「だろー?」
すぐさま持ち帰りが出来るのかを聞きに戻った。
出来れば冷凍が望ましい。
数も多い事を告げると、予約ならと言う返答が返って来た。
「じゃあ、明日また来ます」
しっかり予約注文をして戻ると、子ども三人はすでにコロッケを平らげていた。
「じゃあ、上院案内開始だな!」
「よろしくお願いします」
それからは、日が暮れるまで上院の街を歩いた。
場所だけでなく、神社では牧原と言う男を紹介してもらい、彼が集めた骨董の数々を見せて貰ったりだとか、
駐在所でお茶を出して貰った際は、ミッタンこと、三田村警察官を紹介され、先ほどの吸血鬼と戦った話を思い出して、なんだか聖地巡礼をしたような気分になった。
そうして町が暮れる頃には、てつしの兄だと言う竜也とも偶然会い、彼らは竜也と共に家路につく事となる。大手を振る三人に、も手を振った。
「じゃーな! ねーちゃん!」
「また遊ぼうね!!」
「またね」
くたくたな足を擦りながら、三人と別れたは、思い出したように携帯を見た。
「…あ」
そこには、ちょっと出て来ると言って出掛けたを心配する文字の羅列が、目も痛い程に連なっていて、
チカチカとした目を瞑ったは、何事も無かったかのように携帯をポケットに直す。
「……これは…」
また正座の予感がした。