ドリーム小説
「あれぇ、ちゃんじゃない」
ネクタイを緩めながら居間に入って来た佐藤に、は湯呑みを持つ手を挙げた。
「やっほー、佐藤さん。今日は早いね、お疲れ様」
「そっちこそ早い時間の割にすっかり出来上がっちゃって」
のんびりと笑いながら、腰を下ろした佐藤。
は盆に乗っている空の湯呑みに手を伸ばすと、なみなみに酒を注いで佐藤の前に置いた。
「まずは、かけつけ一杯」
「ありがとう」
四人の湯呑みがカツンと音を立ててぶつかる。
大きな一口で喉を潤した佐藤は、ぷはぁ、と空気が抜けるような声を上げた。
「夕方からの酒は上手いなぁ」
「昼からの酒はもっと上手いがな」
「それな」
深瀬の言葉にしみじみと頷く。
そんな彼女を横眼で見て、それにしても、と佐藤は目を細めるような仕草をした。
「相変わらず人間とは思えない神々しさだね、ちゃん」
「あ、やっぱり? 一応戻って来てすぐ、ここの風呂に入ったんだけど」
くんくんと鼻を動かすに、「臭って分かるのか」と深瀬が尋ねると、彼女は首を横に振った。
「いや、全然分かんない」
「今回は長い事出て来なかったのもあるんだろうけれど、それじゃぁ、低級な奴らは中てられるだろうなぁ」
「近々買い物行こうと思ってるんだ」
「うーん。夜は止めておいた方がいいかも知れないねぇ」
「やっぱり? でもさぁ、帰って来る分は構わないんだけれど、明るいうちに帰るなんて、なんか箱入り娘みたいじゃない?」
「箱入り娘が何言ってるんだか」
あっけらかんと黎明が口を挟んで、不満気な表情を一変したは、照れたように笑う。
「ですよね」
「聞いてよ、夕士くん」
茶でつまみを食べながら、話を聞きかじっていた夕士は、思い出したように突然話題を振られて驚いた。見ると、佐藤の瞳が涙で滲んでいる。
「こうやってちゃんが飲みに降りて来る分はいいんだけれどさ。彼女、そのまま寝落ちするじゃない?
それを僕が彼女の部屋に連れて戻ったりするんだけれど、彼女の刀たちときたら、そりゃぁもうおっかなくておっかなくて」
思い出したように、佐藤が背筋を震わせる。
「そう言や、古本屋もンな事言ってたな」
「ああ。剣呑な刀たちに囲まれて土下座したって話しだね。古本屋の場合は、半ば武勇伝のように変換してる節もあるねぇ」
「これだけ生きてて、神様に睨まれるってのは初めてだったなぁ」
「そりゃ佐藤さん、希少な経験じゃないか」
「とはいえ、なかなか肝が冷えるからね。その役目は、龍さんか明くんに任せようと思ってさ」
佐藤がふん、と鼻から息を吐く。
龍の名前が出て来る事に不思議は無かったが、そこに明が連なるのか。
夕士の視線を受けた明は、酒を呑むと口角を僅かに持ち上げた。
「俺から見りゃ、だたの人間にしか見えねぇしな」
「龍さんは全く平気そうだしね」
「むしろ楽しんでる」
さすがです、と言わんばかりに頷く黎明と佐藤。
その龍が戻って来る前に一本開けると宣言した酒は、すでに三分の一しか残って居ない。
はその残り少ない一升瓶の蓋を開けると、へこへこと佐藤に頭を下げながら、傾けた。
「その節は申し訳ない。刀によりけりなんだけれど、当たりが悪いのとか居るからね。慣れれば可愛いくらいなんだけれど」
「その――刀って言うか、付喪神って言うか…何体位居るんスか?」
何気なく尋ねた夕士。
は宙を仰ぐと、人差し指を立て、薬指を立て、顔を降ろした。
「うちの本丸には…五十振りくらい?」
「五十!?」
「しかもこれが、全員男」
「男だけ!?」
「審神者の間では、刀剣男子って呼んでるんだけれど」
「刀剣、男子…刀の、付喪神…」
「うん。時間遡行軍と戦ってくれてるの。わたしは主に、部隊の編成を考えたり、資材の管理をしたり、帳簿の管理をしたり?」
漫画だな、と夕士は頷く。
刀剣男子と、それを率いる女。
頭の中で色々と巡らせた夕士は、声を潜めた。
「その、刀って、男なんスよね」
「うん、そうだよ」
「人と変わらないなら、その、すっげぇ野暮なんスけど、好きになったりとかは…」
「話は聞くねぇ」
「やっぱり!」
「まぁ、夕士くん…会ってないからピンと来ないだろうけれど。刀剣男子って、皆揃いも揃って見目麗しいの。イケメンって言うの?
おかげですっかり目が肥えちゃって、そんじょそこらの現世の男見ても、胸もときめかないのが女審神者の現状なのよ」
しみじみと、茶を飲むように酒をすする。
「おまけに出逢いが無い! 触れ合うのは、刀か政府の下っ端くらいだし…そんなこんなしてる内に、あの顔で惚れたとか腫れたとか言われりゃ…」
「ちゃん、腫れたはマズイ」
冷静な佐藤のツッコミに一度口を噤んだは、何事もなかったかのように言い直した。
「そんなこんなしてる内に、あの顔で好きだとか言われたらねぇ」
ふ、との声音が低くなる。
なんだか、意味深だ。
夕士が瞬く間に、黎明がからかうような声を上げた。
「その様子じゃ、さてはちゃんも言われたクチだ」
「ん!? 嫌、うーん」
腕を組んで、首を捻る。
眉間に皺を寄せて、唇を結ぶと、頬をかいた。
「どうなんだろうねぇ。良くも悪くも、女は一人だから、あまり真に受けないようにはしてる…かな」
「そう言うもんスか?」
「わたしはそりゃ、選ぼうと思えば選べるかも知れないけれど、向こうから見りゃ、他に女は居ない訳じゃん? 比べる対象が無いんじゃ、なんか、真に受けるのも申し訳ないと言うか」
「真に受けるのが怖いの間違いだろ、そりゃ」
「言うよね、明くん。その通りだよ!」
声高に言いながら、親指を立てるに、呆れた目を向ける明。
漫画や小説で言えば、逆ハーレムと言う奴だ。だれもが一度は夢見るそれにも、案外気苦労は多いらしい。
へー、と間の抜けた相槌を打っていると、は笑った。
「それにさ、審神者を職業に選ぶと、どうしても現世とは縁が遠くなっちゃうものでね。
審神者なんて職業、親にも友達にも言えないから、付き合いなくなっちゃうって言う人も多いし…。
その中ではわたしは幸せかな、寿荘に来て、こうして近い世界観を持つ人にも囲まれて、受け入れて貰ったからね。当分は二足のわらじを楽しむつもり」
くぃっと手を動かして、酒を呑む仕草をする。やっぱりそっちか。花より団子、と言う言葉が脳裏を過る。
「まあ、話を聞いていると、君たち審神者は…何と言うか、神への供物と言うべきなのかも知れないね」
「そう思ってる子も中には居るみたいだね。審神者になるには、ある程度の素質が居るのも事実だし…。
でも、わたしは結構自分の人生、好きだよ。そりゃぁ審神者じゃなかったらって、数える事の方が簡単なんだろうけれどさ。
刀たち皆、わたしの家族だと思ってるし、家族だと思ってくれてるし、こうして息抜きの場があるし」
自分は幸せだと、何の気なしに言ってみせる姿が、夕士には少し面を食らった。
確かに寿荘に来て、考え方が変わった。居心地も良い。そんな全てを幸せだと言う表現が出来る事に、今更ながらに気付く。
「…幸せ、か」
「うん、ご飯もお酒も美味しいし、幸せだよねー」
「いやいや。確かにおっかない刀だなぁとは思うけれど、君の心を分けた付喪神だ。確かに悪い子なんて居ないだろうね」
佐藤の言葉に、は至極嬉しそうに「ありがとう!」と声をあげて、残りの酒を、四人均等に分け合った。
最後の一杯をもれなく乾杯して、黎明は次の酒を物色しようと腰を浮かす。
その時、
「みんなー、ご飯の用意が出来たわよー」
と、秋音が呼ぶ声が響いて、大人四人は一斉に立ち上がった。
「るり子ちゃんのご飯、久し振り!」
小走りで駆けてく。
遅れて立った夕士が、その背を見ながら歩いていると、アパートから雑音が消えた。ひっそりとした玄関に、黒い影が浮かぶ。
「あ、龍さんだ」
「やあ、」
「ちょうどご飯が出来たみたいですよ」
軽い足取りで食卓についたから、黎明へと目を移す龍の瞳に、一升瓶が掲げられた。一本線のような唇が、ニヒルに持ち上がる。
「一本開けちゃったんだよね、これが」
「……それは…あの様子では潰れるのも早いかな」
「がどぶろく持って来てるらしいぜ」
「どぶろく? ひゃぁ、それはまた渋いねぇ」
佐藤が笑いながら、の隣を一つ開けて席についた。
黎明はひょこひょこと龍に近づくと、ほんのりと赤く染まった頬を近づける。
「龍さん、恋敵が居るみたいだよぉ」
その声が聞こえた夕士が呆気に取られる前で、たいして驚く風でもなく、龍は笑った。
「それは大変だ。頑張らなくちゃだね」
一席開けられた所に、慣れたように龍が腰かける。
黎明はどぶろくを手に席へとついて、廊下に取り残された夕士は、唖然としたまま深瀬を見上げた。
「そう言う事なんスか?」
「ま、そう言うこったな」
それからは、飲むは喰うはの大宴会だ。いつにも増して賑やかな中心には、からからと笑うが居る。
そうして夜も更けていき、夕士が風呂から戻って来た時には、は居間の隅でまるまっていた。
「夕士くん、戻って来たね」
龍は湯呑みを置くと、首を傾げる。
「を送って行くけれど、君もついて来るかな?」
「え…!」
「何事も経験、だろう」
お茶目にそう言う龍だが、相手は佐藤を震え上がらせ、古本屋を土下座させた刀の付喪神。多少腰が引ける。
かといって、正直興味があるのも事実。
しばしの間迷った夕士は、決意を込めて頷いた。
「ついて行きます! 龍さん!」
「よ、夕士くん、それでこそ男だねぇ」
手を叩く黎明に、しんみりと頷く佐藤。
「トラウマにならなきゃいいけどねぇ」
戦々恐々とする夕士を笑って、龍はを起こした。
寝ぼけ眼のに「部屋へ戻るよ」と言うと、彼女は居間の面々に手を振る。
「また近い内、来るね」
「おやすみなさい、さん」
「うん、おやすみ、秋音ちゃん。るり子ちゃんとまり子ちゃんにもよろしく」
立っていても今にも寝そうだ。
あれほどの隈をこしらえていたのだ。飲んでなくても眠いに決まっている。
一歩一歩とおぼつかない足取りで歩くの両側に立って、二階まで上がると、龍は古びた扉をノックした。了承もなしに開ける。
「龍さ…!」
「大丈夫だよ。この屋敷は広いからね。声を掛けないと、なかなか気づいて貰えないんだ」
夕士の目に広がったのは、広い玄関から続く、長い廊下だった。
とても妖怪アパートの一室とは思えない景色。繋いでいる、と言う言葉の意味がようやく分かる夕士の傍らで、龍は声をあげた。
「おーい。誰かいるかな」
「はいはい、と」
玄関に近い襖が開いて出て来たのは、白い服を来た男だ。真っ白な髪に、色白の肌。瞬いた瞳にを映した彼は、息を吐くように笑った。
「こりゃまた、うちの主は見事に酔いつぶれたもんだ」
「お願い出来るかな?」
「ああ、もちろん」
歩いて来た男は、を覗き込む。
「おーい、君、起きてるか?」
「鶴丸?」
「そうそう。君の鶴丸だ。全く君と来たら、その酔い方、ここに長谷部や光坊がいれば卒倒してるぞ」
「三徹明けではしゃいだら、回った」
「見れば分かる」
鶴丸と呼ばれた男が笑う。
そうしての腕を肩に回すと、龍と夕士に目を向けた。
「すまなかったな。えーっと、君は確か…龍、だったかな。話しは聞いた事がある。で、君は?」
「夕士くん、と言うんだ」
夕士が答えるより先に、龍が答えた。
そう言えば、神に姓名を教えてはならないと言う話を小説か何かで呼んだ覚えがある。隠されるのだったか。
今更ながら夕士は、この男が――神なのか、と思った。
見れば見る程普通の男にしか見えない。
鶴丸はなるほど、と言うと、改めて声をあげた。
「うちの主が世話を掛けたな。龍、夕士」
「あ、いえ」
「構わないよ」
そう思えば、聞いていたより、随分温和な対応だ。
今日は当たりが良かったのだろう。
ホッと胸をなでおろしていると、鶴丸は困ったような声をあげてを覗き込んだ。
「君、その様子で部屋まで歩けるのか?」
「……歩けないかも。太郎呼んで来て」
「…君はいつも太郎太刀を呼ぶけどな。君の前に居る俺が太刀だって事、忘れてないか? そりゃ大太刀には負けるが、君一人くらいなら、余裕で抱えられるぞ」
「やだよ。鶴丸、なんか折れそう。細いし」
「ほぅ」
鶴丸の声が低くなる。
「それ」
「――ッ!」
掛け声と共に、は鶴丸に抱えられた。
息を呑んだが、今にも眠りそうだった目をカッと開く。その口をサッと塞いだ手つきは、慣れたものだった。
「ぎ――!」
「おっと。あまり大声を出さないでくれ、長谷部が来たら面倒だ」
「鶴丸、アンタねぇ!」
「いやいや、良い驚きだ」
「ちょ、ま、ほ、ごめんって! 歩ける! もう歩けるから!」
「君の刀がそうやすやすと折れる等と言った罰だな」
「ごめんって! ホントごめんって!」
断末魔のような声をあげるは、そこにまだ龍と夕士が居る事に気付いて、泡を食ったように手を伸ばした。
「た、助けて龍さん、夕士くん…!」
そんなを抱えた鶴丸はどこ吹く風で、龍と夕士に手を挙げる。
「うちの主と、また遊んでやってくれ」
「のぉぉおおお!」
軽々と歩いて行く鶴丸。
その腕の中で、今にも羞恥で死にそうな声をあげる。
ぽかんと口を開けていた夕士の前で、龍が扉を閉めると、そこはいつも通りの寿荘。通称、妖怪アパートの錆びた風景だった。
「…やられたね。次ぎは私も抱えて連れて戻るかな」
呑気だ。
非日常が日常になったと思えば、その日常から更に非日常な出来事が起こった。
狐にでもつままれた気分の夕士には、龍の言葉が間の抜けたものにすら感じる。
「…龍さん、さんって、ものすごい人なんじゃ…?」
「ものすごい人なんていないよ、夕士くん」
そう言って、龍は笑う。
結ばれた髪が宙を舞って、彼は穏やかに目を細めた。
「皆それぞれ、自分の人生を歩いているだけさ。君もも、ただの人間だよ。それ以上も以下もない」
それもそうか、と夕士は思う。
それぞれが歩む人生の一つを歩きながら、が幸せだと言う事が、改めて眩しく思えた。
「…さんって、可愛い人ッスね」
「おや。夕士くんも名乗りを上げると言う話かな」
「と、とんでもないス!」
御免こうむります、とは言えない夕士が口籠り、龍は声をあげて笑った。
「今日も本当に…幸せな夜、かな」
*+*+*+
相方が「惚れた腫れた」の腫れたの意味を調べたら、決して下ネタではない事が発覚。
書きなおそうかと思いましたが、下ネタ気に入っているので当分このままで楽しみます。
本当は、赤くなる様を揶揄するような意味だそうです。