ドリーム小説

夕刻。
橙色の光が斜めに差し込む縁側。
疲れた身体を投げ出すように横になっている夕士の傍らで、
「漫画や小説のような人生ねぇ」
緑茶を手に暖かな息を吐いた一色黎明は、らくがきのような顔に笑顔を浮かべると顔を向けた。
「まあ、龍さんやなんかもそうなんだろうけれど。一番で言えば、ちゃんじゃないかなあ」
さん?」
「そっかぁ、夕士くんはまださんに会った事が無いんだ」
盥に水を張った中にスイカが一個。溢れんばかりの氷と共に沈められている。
見るからに重そうなそれを軽々と持って来た秋音が日陰を選んで置くと、どこからともなくクリとシロが姿を見せた。くるくるとした瞳でスイカを覗き込んでいる。
「もしかして、アパートの住人スか?」
出戻りの身とはいえ、そこそこの期間は住んでいる夕士。骨董屋や古本屋ですら会った事があると言うのに、未だ姿を見て居ない住人が居ると言うのか。
驚く夕士に秋音はからりと声をあげて笑った。
「無理もないわ。時折さんが部屋から出て来たとしても、お昼間だし。夕食に参加する事なんて、めったにないもの」
「…引きこもり…?」
「いやいや。仕事柄って言うのかねぇ。ほとんど缶詰みたいなものだから」
「はぁ」
思い返せば、漫画や小説のような人生――と言うくだりから出て来た名前の人である。
夕士が継いで訊ねようとしたのを察した秋音は、人差し指を唇に添えると、茶目っ気たっぷりにウインクを飛ばした。
「聞きたい事は夕士くん、本人に聞いてみるといいよ。今日、さん夕食参加だそうだから」
「へぇ。そうなのかい? って事はあれだ」
「そう。龍さんも帰って来ると思うのー!」
秋音の声がワントーン高くなる。
嬉しそうに両手を叩く秋音と、黎明を交互に見た夕士。
「龍さんと、仲がいいんスか?」
「仲が良い…と言うか」
むふふ、と秋音と黎明が顔を合わせて意味深な笑みを浮かべる。
一向に状況が見えない夕士がますます深く首を傾げていると、不意にさわ、とアパート内の空気が変わった。
闇も近くなってくるこの時間は、アパートの住人も活気を出す頃合いである。
先ほどから至る所から感じていた気配や物音が水を打ったように静かになる瞬間。
こんな空気を醸し出す事が出来るのは、数いる十人の中でもただ一人。
「龍さ――!」
んだ、と言おうとした夕士の口は、居間に現れた姿を見て固まった。

見た事も無い女が一人、立って居る。
恰好は整っているのに、妙にくたびれているように見えた。風貌だろうか。隈が濃い。色が白い。
夕士と目があった女は「あ」と掠れた声をあげると、一歩を踏み出した。その身体が大きく右に傾く。
さん!?」
「あらまあ」
驚いた声を上げる秋音と、のんびりとした黎明の声を遮るように、バタンと派手な音を立てて女は居間に突っ伏した。

「疲れた…」


そのままダイイングメッセージでも書き始めそうな勢いである。
唖然とする夕士を他所に、時間を取り戻したような秋音が食堂へと駆けて行った。
「る、るり子さん、お水――!」
腰を浮かせた黎明は、とてとてとに歩み寄ると、肩を叩く。
「大丈夫かい、ちゃん」
「一色さん、おひさ」
「お久し振り。今回はまた、随分と長い事忙しかったみたいだね」
「忙殺されるかと思った」
突っ伏した中から、はははは、と壊れた人形のような笑い声が聞こえて来た。怖すぎる。
固まったままの夕士を置いて、秋音は持って来た水をに差し出すと、身を起こした女はきゅーっと一気に飲み干した。
「砂糖水だー!」
「元気でました?」
「出た出た。あとこれにガソリン入れれば完璧…。あ、差し入れに持って来たのがあったんだった」
四つん這いのまま部屋を出て行った女は、よいしょと言う掛け声の後に戻って来た。両手に紙袋。一杯に野菜が詰め込まれている。
「光忠から預かって来たの。朝どれ野菜」
「わー! たくさん」
「あと、大きな声では言えない自家製酒」
「どぶろくかぁ」
浮き足立つ黎明に、小脇に抱えた一升瓶を差し出した女は苦笑いした。
「うちの刀達が飲む奴だから、えげつない度数なんだけど」
「へぇ、ちゃんは飲んだのかい?」
「一口飲んで沈んだ」
「わお。それは楽しみだ。るり子ちゃんに、これにあうつまみを用意して貰わなきゃだね」
一升瓶を受け取った黎明が、軽い足取りで居間を跡にする。
その姿を見送った女は、改めて夕士に目を向けた。

「君が夕士くん?」
「え、あ、はい」
「龍さんから話は聞いてるよ。あの古本屋の後輩なんだってね」
くすりと笑った女は、手を差し出す。
「わたしは。ここの住人です。よろしくね」
初めて目にしたインパクトが強すぎたからか、こうして笑っていると、本当に普通の人である。どこかの道ですれ違っていても不思議じゃない。
こんな人が――漫画や小説のような人生を送っているとは到底想像がつかなくて、
手を取る事も忘れて夕士が呆けていると、秋音が笑った。

「今丁度さんの話をしてたんですよ」
「わたしの?」
「そう、漫画や小説みたいな人生だって」
秋音の声で我に返った夕士は、慌てての手を取った。深々と頭を下げる。
「稲葉夕士ッス!」
「よろしくね」
「よろしくお願いしまス!」
「いやぁ、若い子はいいねぇ」
「またさん、そんな年でもないのに」
からからと笑う秋音に釣られて、も大口を開けて笑った。

「うちではホラ、家長のわたしが一番年下だから。年下が居る空間って言うのが何とも乙なのよ。ウチの薬研なんて、毎年お年玉くれるのよ。わたしに」
「薬研さんが? おかしい!」
「あ、そう言えば、今度薬屋来る時に声かけて貰ってもいい? なんか、薬研が色々聞いてみたいって言ってたから、居たら連れて出て来たいの」
「分かりました。メールで大丈夫ですか?」
「大丈夫。いつもありがとう、秋音ちゃん」
「いえいえ、わたしこそ! さんチの野菜ってば、ホントに美味しいから、ご飯進んじゃって進んじゃって」
「嬉しいなぁ。皆に言っておく」
にこにこと笑う彼女の口から次々と出て来る名前は、どれも聞き覚えがない。
同じアパートに住んでいるとは思えない会話に呆然としていると、そんな夕士に気付いたは、慌てて付け加えた。
「ごめんね。話についていけないよね」
「あ! いえ、えっと、さんは…ここが別荘…、って訳じゃないんスよね?」
妖怪アパートが別荘、と言うのは何とも考えにくい所だが、言葉の端々から推察するに、どうも本宅は別にありそうな匂いがする。
訊ねた夕士には緩く首を振ると、二階を指差した。
「れっきとしたここの住人、なんだけど…」
「なんだけど?」
「大家さんのご厚意で、ウチの家に繋いで貰ってるの」
「家に、繋ぐ?」
ますます意味が分からない。
要領を得ない話に頭を捻る夕士に、どう説明したものかと頭を抱える
二人して唸っていると、一升瓶を手に黎明が戻って来た。

ちゃんの職業は、ちょっと特殊でねぇ」
「あ、そうか。そこから説明すればいいのか」
「相変わらず説明が下手だね、君は」
「いやはや」
頭をかく
黎明はを指差すと、線で描かれたような唇をにんまりと持ち上げた。
「この子ね、歴史を護ってるの」
「…はあ」
「時間遡行軍って言う軍を率いてる歴史修正主義者から、ぼくたちの時間を護ってくれてる、それはそれはありがたーい方なんだよ」
「一色さん、全然分かりません」
ぴしゃりと言うと、黎明は「だよねぇ」と間の抜けた声をあげた。
笑いながら、適当な場所に腰を下ろす。

「たとえば夕士くん、本能寺の変で、織田信長が討たれてなかったら、時代はどうなっていただろう」
「どう…って」
「もしかしたら今頃、日本はもっと領土を広げていたかもしれないね」
「…」
「そう言うもし、を現実にしようと思えば出来る力を持った人間が居るんだよ。これが、歴史修正主義者。ようするに、都合の良い方に歴史を変えちゃえって言う人たちだね」
「そう言う人間に対して政府が作ったのが、審神者と呼ばれる、刀の付喪神を率いて戦う軍勢なの。わたしはそのうちの一人」
自身を指差して、は笑う。
「彼らに合わせて神域に近い場所で生活しててね。大家さんに頼んで、無理やり入り口をアパートの扉に繋げて貰ってるの。ほら、郵便とか来るじゃない? 住所はいるのよぉ」
意外と普通な理由だった。郵便って。
「刀の、付喪神…」
「色々いるよ。えーっと、新撰組とか分かる?」
「分かります!」
「近藤勇の虎鉄とかね、土方歳三の刀とか、沖田総悟とか…黒田家の日本号とか、ううん。さっき話しに出た薬研は、それこそ織田信長の懐刀だったの」
「…その、刀の、付喪神…スか?」
「そうそう。見た目は普通の人なんだけどね」
「一度光忠さん来た時は、びっくりしちゃった。すごくカッコいいのよー!」
「秋音ちゃんがそう言ってくれたって、その日は始終上機嫌だったよ」
本当に漫画か小説の話だ。
そう思って聞くと、何となく話しの輪郭が見えて来て、夕士は頷く。

「つまり、異次元扉」
「そーいうこった」
突然割入って来た第三の声に顔を上げると、画家こと深瀬明が立って居た。
くるりと振り返ったが手を挙げると、その手に深瀬が手を打ち付ける。パン、と渇いた音が鳴り響いた。
「おひさ」
「久しぶりだな」
「シガー元気?」
「ああ」
画家の片手には皿。
モズクとゴーヤのかき揚げが乗っている。
湯気を立てるそれを見下ろしたは、ひょこっと身体を浮かせた。
「つまみ!」
「出来次第、持って来るってよ」
「るり子ちゃん、ありがとう――! 愛してるー!」
台所に向かって叫ぶ
机に料理が乗ると同時に、黎明がドンと一升瓶を乗せた。
「どぶろく! と、行きたい所だけれど、いきなりちゃんが沈んだら困るからね。まずは日本酒」
「やったー!」
「お猪口いります?」
「ンなこじゃれたもんじゃなくて構わねェよ。コップで十分」
「でもさすがにさんまでコップじゃ…」
「秋音ちゃん、湯呑みでもいいよ」
ドヤ顔で首を巡らせたに苦笑して、秋音が居間を出て行く。
その背中と、先ほどの話はどこへやら、もはや頭の中は酒とつまみでいっぱいな大人三人を見た夕士は、肩を竦めた。

「…結局、飲み会か」

「まあまあ夕士くん、夜は長いんだしさ、面白い話は後にとっといた方がいいよぉ」
「そうそう。まだまだ面白い事はたくさんあるぜ」
「あ、ちゃん。龍さんには帰る連絡はしたのかい?」
「うん、メールはしたけど」
「じゃあ、龍さんが帰って来る前に」
「とりあえず一本開けるか」