ドリーム小説

窓の外が騒がしくなって、は読んでいた本を閉じると、首を巡らせた。
「ユーリ・ローウェル―――ッ!」
腹の底から叫ぶ声はルブランの声か、下町の雑音に紛れて聞こえて来る。
閉じた本を棚に直して、溜息と共に出た声は、自分でも思いのほか寂しそうで少し笑えた。
「潮時か…」
ユーリがエステルを連れて帝都を逃げ出せば、騎士団はユーリの部屋を抑えに勇み足でやって来るだろう。
その折間抜けにもが鉢会えば、あれやこれやと身に覚えのない罪状を並べ連ねて、ユーリの代わりに牢屋へ突っ込まれる可能性も十分あり得る。
変にユーリとの仲を勘ぐられても厄介だ。
ただの居候に、以下の価値も以上の価値もない。
と、言うのを事実を知っているのはユーリと、ラピードだけで、下町の人間も、突然ユーリが同棲を始めたとまことしやかに噂をしているらしいし、騎士団に誤解されても仕方ないのも事実。

面倒くさい自分の経緯を思い出したは、半笑いすると、目元を緩めた。
この笑い方、最近ユーリに似て来た気がする。

「ま、ユーリは人情家だからねぇ。知れば知るほど、旅が始まるにはもってこいの事情かな」
のんびりと言って、は窓の外から下町の広場を見下ろした。
ユーリはこの場所から下町を眺めるのが好きで、暇さえあれば、ここから騒がしい町を見ていた気がする。
「ヴェスぺリアの旅立ちか…まさか、見る羽目になるとは思わなかったけれど」
町の人間から盛大に見送られるユーリを見て、ここを去るのも悪くない。
は頬杖をつくと、見慣れた黒髪の男を遠く見つめる。
「いやはや。神様見習いが間違った時は、マジで恨んだものだったけどねぇ」

呟いて、瞳を伏せた。
君の生き方に僕の試験の結果が掛かってる、と軽い口調で告げられて、ディスティニーの世界に落とされた時はリオンに会える喜びやら不安やらで胸が潰れそうになったものだけれど、
目が覚めたら何故か目の前にあったラピードの顔に、の心臓は潰れる所か止まった。
神様見習いが落とす世界を間違えた事に気付くまで数十秒後の、憤怒。
ようやく落とされたのがユーリの部屋だと気が付いたのは、警戒して鞘に手を乗せているユーリの姿が見えたからで、
冷や水を浴びるように冷静になるや否や、住居不法侵入罪でユーリに斬りかかられたものの、
しどろもどろに記憶が無い、何故ここに居るのか分からない、と馬鹿みたいな説明を繰り返して、何故だか許して貰えたのは今でも記憶に新しい。
それどころか、知り合いが見つかるまで住めばいいんじゃねぇの?と、呑気に言われ、
それ以来、ユーリ宅の家事や、彼の仕事の手伝いを時折する事でこの部屋に置いて貰っている。
そんな日々が心地よくて、温かかったなんて、最後まで言う気は起きなかったけれど。
「さよならなんて、手紙で十分だわね」
ユーリが部屋に置いていた数少ない本。
字が読める事に気付いて、楽しくなって読んでいると、ユーリがどこからか本を持って帰って来るようになった。
少しづつ増えて来た本は、今や本棚にずらりと並んでいて、その中に埋もれている、最初からあった本には心ばかりか気持ちを綴った手紙を挟めている。
いつか、もし目に触れたなら。
嘘をついていてごめんなさいと、ありがとう、さようならが伝わるように。
「ばあさんの入れ歯を探してくれ!」
「きゃ〜! 騎士様、カッコいい!」
ルブランに群れを成す下町の人々。
埋もれるルブランが、ユーリの名前を叫んで、ユーリが逃げるように背を向ける。

その背には、小さく声を掛けた。
「いってらっしゃい。ユーリ」
出掛ける時のいってらっしゃい。
最初は変な顔をしていたユーリも、次第にいってきますと苦笑いするようになって、おかえりなさいと言えば、ただいまと返って来る。
水道魔道器が壊れているという話が来るまで、指折り数えた日々。
「楽しい時間をありがとう」
笑顔で締めくくって、は潔く背中を向けた。
神様見習いがを元の世界に戻してくれるまで、もしくは元々落ちる予定だったディスティニーの世界に連れて行ってくれるまで、どこかでのんびり過ごして行こう。
ユーリと過ごした時間程、穏やかなものではないかも知れないが。
それならそれで、ユーリを思い返しながら、彼が救う世界を見ているのも悪くはない。
「読みかけの本だけ持って行くかな。せっかくユーリが持って帰って来てくれたものだし」
すでに準備を終えていたリュックサックに本だけ詰めて、は扉に手を掛けた。その時。

!」
ユーリの声が窓の外から聞こえて来る。
呆気に取られたが瞬いている間にも、もう一度呼ばれた名前。
「おい、!」
我に返って弾けるように床を蹴ったは、今しがた見ていた窓から首を出して見下ろした。
「ユ――!? 何してンの!?」
「説明は後だ! 逃げンぞ!」
来い、と手招かれる。
来いと言われても、窓から飛び降りる訳にもいかないし、ドアから出るには、あまりにもルブランとユーリの距離が近すぎる。
ユーリとドアに視線を巡らせて、は再びユーリに視線を戻す。
うっかりユーリが捕まったりしたものなら、世界は救われないのだ。
は震えあがると、首を横に振った。
「いいいいい、いい! わたしはいいから、逃げて、ユーリ!」
「置いて逃げれるなら、とっくに逃げてるんだよ! さっさと来い!」
「来いって…」
「飛ぶんだよ!」
「飛ぶ!?」
ここから!?と、は目を丸くした。
そりゃぁ神様見習いが手を加えた身体だから剣も振れるし、飛び降りるなんて造作もない事なのかも知れない。
それでもこんな高さから飛び降りた事のないは恐怖に身体が縫いとめられる。
踏み出せない一歩に泡を食っていると、人ごみをかきわけようとしていたルブランがユーリに気付いた。
「ユーリ・ローウェル! そこを動くなよ!」
「…動くなよって言われて、動かない馬鹿がどこに居るんだっての」
呆れたようにユーリは言って、肩をすくめる。両手を伸ばした。
「ほら、。受け止めてやっから」
「受け止めるって…い、いや、そっちの方がもっと怖い! 自分で着地するから、そこ退いて!」
そんなお姫様な扱いを、本物のお姫様の前でされてみろ。どんな辱めだ。
は女は度胸だと言い聞かせると、きゅっと唇を結ぶ。
「ぇぇええぇえええぇい!」
助走をつけて、窓枠を飛び越えた。身体が下に落ちていく。
ところが退いてと言ったユーリがの落下地点に居て、両手を広げているものだから、はぎゃぁと悲鳴を上げた。
「ちょ、話が違う…! どいてってば!」
わたわたと手足を動かしながら、抵抗もむなしく、ただ落ちるしかないは半ば無理やりユーリの腕に納まった。
あまりの羞恥に声が出なくなる。顔を隠して声にならない悲鳴をあげていると、ユーリが「お前なあ」と低く声を上げた。
「もうちょっと落ち方考えろっての! 普通尻から落ちるだろ! 足から落ちんなよ」
「無茶言わないでよ! 着地するつもりだったんだから!」
「まあ話は後だ。馬鹿じゃねぇ俺は、走って逃げるに限る…ってな」
冗談交じりに言うユーリの腕の中で、は真剣な声を上げる。
「私も馬鹿じゃないから、自分で歩ける! 走れるから!」
「黙ってろ! バカ! 舌噛むぞ」
言われては、反射的に押し黙ってしまった。
を抱えたまま走りだしたユーリは、人ごみを抜けながら駆けて行く。
途中すれ違った男が、
「さっさと行けよ、ユーリ!」
と茶々を入れると、間髪入れずにユーリは答えた。
「嫁さん置いて行く訳にはいかねぇだろ!」
そりゃそうだな、と声が笑っている。
は黙ったままギョッと目を見開くと、口を半開きにした。
「よ…め!? いつから!?」
「いつからって、下町じゃ俺の嫁って評判だぜ。物好きな女だってな」
からりと笑ったユーリに、は二度三度と瞬いて、やがて燃えるように頬を耳を赤くした。
「性質の悪い冗談を…!」
睨むと、ユーリは目を細めて笑った。
一つ一つの仕草が女のよりも美しいくせに、男らしい体躯に、覗く鎖骨が眩しい。
恥ずかしくなったが逃げるように目を逸らすと、ユーリは小さく笑った。

「言ってろ。今に冗談なんかじゃ片付けられなくしてやるよ」



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リオンの話を書き初めて割と初期から、間違ってヴェスペリアに落ちた主人公と、一緒に暮らすユーリ、
帝都から逃げる時のこのシーンがずっとあって、いつか書きたいなと思ってて、ようやく書けました。
続きを書く元気は無いけれど! すごく満足! 良かった!

居候と思ってるのは本人だけ。と言う話。