白い刺客6
「今日一日……ホンット長かった…」
今なら躓いただけで地面に沈み込む自信がある。
は背中を丸め、おぼつかない足取りで一歩一歩と、かろうじて前に進んでいた。
甘寧と凌統がうっかりの酒好きをバラしてくれたものだから、
当初はノンアル接待モードの予定だったのに、一緒に杯を傾ける事となった。
それでも孫権(との交換条件)の手前、接待モードをおろそかにする訳にもいかず、これが酒のみにはキツイ。
杯だけ進んで、中途半端に酔う。
――殿は、本当に酒が強くていらっしゃる。
かくいう趙雲も、同じ杯だけ呑んだのにまったく変わった様子を見せなかった。
もっとも、は呑んだ酒の味もわからなかったし、呑んだ気にもなれずに、ただただ精一杯だっただけなのだが。
「足が…スースーする…」
酒の味が分からなかったことの原因の半分は、着なれぬこの薄着に違いない。
スカートなんて、いつぶりか。
それこそ曹丕様お披露目会以来かもしれない。
よくこんな頼りない生地で、女性陣は華麗に戦をするものだ。
と、言えば絶対に「じゃあも試してみればいいじゃない」と、二の句を継ぐ間もなく着せられて出陣させられるに決まってる。
口は災いの元。
言わぬが吉。
特に姫様の前では。
そんな姫様が趙雲の名の下に選んだ服は、上々の評判だった。
――普通じゃねぇか。
むしろ何をそんなに嫌がっていたのかと真顔で甘寧に聞かれたが、胸の内にあるモヤモヤを吐露出来るはずもなく、
一呼吸置いて、渋々「ありがとう」と言ったあと、奥歯を噛んだ事を甘寧は知る由もないであろう。
皆が見てるのは、丹精込めて悩みに悩み作った武将エディッター。
似合わないはずなどないのである。
元の姿がちらつくにとっては苦行なだけ。
裾がひらひらする度に、胸元を風が通る度に、酒が一気に抜けて行く。
酔っているはずなのに素面のようで、はげんなりと頭を抱えた。
「まあ…趙雲殿が喜んでくれたのだけが幸いだったな…」
結局髪飾りも、趙雲がくれたのをさした。
あんな真っ直ぐに口説かれた後に、違う髪飾りをつけて出席する度胸がにあるはずもなく。
これにもまあ、大層喜んで貰えて、
――お似合いです。殿。
と、あからさまに照れられた時は憤死するかと思ったけれど。
そんな二人を見守る、ニヤニヤとした視線からもようやく解放されて、
なんとなく陸遜に貰った髪飾りに付け替えたあとは、すっかり気が抜けてしまった。
「とにかく終わった。今日は終わった…」
劉備たちは宛がわれた屋敷へ。孫権は今頃自室で二次会でもしているだろう。
あの人も大層酒好きで酒癖が悪いから、接待酒は肩身が狭かったに違いない。今からが本番と言った所か。
甘寧と凌統もそちらに参加しているだろうけれど、
は今からまた皆でワイワイ飲む気にもなれなくて、
女中から酒とつまみを分けて貰ったあと、着替えるのも億劫で、ひとり馬小屋まで歩いている。
とにかく今は城が息苦しい。
ゆっくり外で酒呑んで、考えたい。
「お出かけしようか」
馬に声をかけて、手綱を引く。
「問題は、この服で馬に乗れるかだな」
ブツブツ呟きながら裾を手繰り上げていると、
「………殿?」
と、後ろから怪訝そうな声が聞こえた。
振り返った彼女は、暗闇の中立っている赤い服を着た青年を見た途端、眉間に皺を寄せる。
「げ」
「げ、とはまた、随分な挨拶ですね」
「…陸遜、こんな時間に何してるの?」
「それはこちらの台詞です」
キッパリと返された。
は「ですよね」と渇いた笑いを浮かべる。
このタイミングで陸遜に会うとは、ついてないにも程がある。
まあそう素直に表情に出せる訳もなく、は笑顔を取り繕うと、服の裾をなおした。
「孫権様の二次会は?」
「一杯だけおつきあいさせて頂きましたよ。
ですが、明日は劉備殿が呉の城下町を見てみたいとのことですので、早めに抜けて、馬の様子を見ようかと」
「なんか、仕掛ける気?」
「冗談はよして下さい。今は国交も危うい時期…、孫呉で何かあっては、全面戦争になりかねません。
一番様子の良い馬を見繕わなければ」
なるほど。
はしみじみと頷いた。
「真面目だよねぇ、陸遜って。意外と」
「貴方は初対面を裏切らず単純ですね」
「…褒めてる?」
「まさか」
にっこりと笑顔を返された。
容赦なく打ち出される嫌味に心が折れる。
それでなくても今日はほとほと弱り切っていて、これから先陸遜の相手をする体力など残っているはずがない。
「もうやめてあげて。のライフはゼロよ…」
「…?」
「何でもないの。独り言。ちょっと疲れてるから、その話は今度ね…」
ひらひらと手を振って、は裾を持ち上げる作業に戻った。
そうこうしていたら、仮が付いても女性の手前、居心地悪くて立ち去るに違いない。
そう踏んでの事だったが、陸遜は引き下がる所か大きなため息を吐く。
遠慮を知らない盛大なため息に、無視する事も出来ずには顔を上げた。
「…何よ」
「鳥頭ですね」
「はぁ!?」
「前回約束しましたよね? わたしと」
「……約束?」
「真夜中に酔って歩くのは止める、と」
――これからは、真夜中に酔ってふらふら歩くのはよして下さい。
つい先日言われた台詞と共に、間近にあった陸遜の顔を思い出した。
心臓が潰れるかと思った。
「…ぁ…」
「思い出して頂けましたか?」
は一瞬気後れしたが、ここで負けてはいけない。姿勢を正す。
「確かに約束した。でも、今日は見逃して」
負けると言うか、開き直るしかないのだけれど。
「ちょっと城の外で考え事がしたいの。そんな遅い時間には戻らないし…気を付ける」
「気を付けるって…そんな恰好で、武器も持たないでですか?」
「…ごもっともで…」
勝てる要素が見つからない。
でも、諦めるのもちょっとキツイ。
とにかく外で大きく呼吸がしたくてしょうがないに、悪魔が囁いた。
このまま馬に乗って逃げればいいんじゃねぇ?
と。
後日大変な目にあうのは目に見えているが、今日のを甘やかしたいなら、それしかない。
悪魔の意見は瞬く間に採用された。
「あ!!」
「――と言ってわたしが視線を逸らすなんてことは…」
「ありませんよねぇ」
悪魔、即敗北。
は諦めた。とりあえず一旦馬を返して立ち去ろう。着替えて武器持って、もう一度出直そう。
今は歩くのも億劫だが、仕方ない。
あからさまに肩を落として、馬の手綱を引いたを、
陸遜の呆れた視線が追いかけて来る。
「…貴方は、本当にどうしてそう鈍いのか…」
「陸遜ぐらい察しが良かったら、私は今頃軍師をしてるよ」
「まあ、確かにそうですね。並みを期待しても仕方ない事はもう十分知ってますし」
「並みですらないと!?」
「まあ私も、いささか変化球過ぎる嫌いはあります」
「…聞いてないな」
とりあえず馬をかえそう。
が引いていた手綱を不意に取った陸遜は、華やかに馬へと跨った。
「へ?」
「ご一緒します」
「え!? い、いや嫌々! それはさすがに…」
手を差し伸べられる。
が全力で首を横に振っていると、陸遜は隠す事なく、とてもめんどくさそうな顔をした。
の腕を取ると、口を開く。
「ほら、裾上げないと、破れますよ」
「うぇ、それは困る…」
裾を持ち上げたと同時に、あれよあれよと馬に乗せられた。
陸遜が後ろに乗るのはこれで二度目か。心臓は慣れたが、顔が途端に熱くなって、は俯く。
「行きますよ」
「う。うん」
「――わたしも、趙雲殿に負ける訳には行きませんからね」
「へ?」
「何でもありません。酒を落とさないでくださいね」