白い刺客5
思った以上にハードル高いわぁ。
は劉備と趙雲に宛がわれた屋敷に向かいながらため息を吐いた。
自室に戻るやいなや、どこからともなく現れた尚香。
「またったら、そんな恰好で!」
と、練師と二人がかりに抑えつけられて、戦装束に着替えさせられた。
言うに、そのいつもの恰好じゃああまりに締まらないとの事。
戦装束の方がまだマシだと息巻く尚香に、
戦に行くんじゃないんですから…。
と、げんなりとしたが呟くと、尚香はあっさりと頷いた。
「何言ってるの。戦に行くのよ!」
「えー、荷が重いですよぉ。もう尚香様か練師様が行って下さいよ」
「あら? それじゃあ意味ないでしょう?」
笑顔で首を傾げる練師、怖い。
陸遜もそうだけれど、美人の凄みは迫力が半端じゃない。
陸遜と培って来た関係性の中で美人に逆らえなくされているはすぐさま、「ごめんなさい」と素直に謝った。
尚香も孫権も趙雲派だから、練師も当然そちら側。
逆らわない方が賢明だ。
間に置かれたは肩身を狭くする。
「何やかんや言って、練師様は恋愛結婚じゃないですか」
尚香の女中だった練師に恋をした孫権が、ひたすらに口説いて口説いて頑張って来たのをは傍で見て来た。
袖に振られてもめげなくて、ようやく結婚までこぎ付けた時の孫権の浮かれようは君主として目も当てられない程。
基本的に「リア充、爆発しろ」精神のですら、なんだか温かくも切ない気持ちになって、孫権さまおめでとうございます、と真摯に手を合わせた記憶がある。
あの時の孫権は、感激のあまり後光が差していて、なんだか大仏様のようであった。
の言葉に、練師は瞳を細める。
「そうね。でも、だって、趙雲殿の想いに応えたらそうなるじゃない?」
「…………ですよね」
恋愛結婚がいいなあ、なんて言う茶番は許されなかった。
は出掛っていた言葉を全て呑みこむ。
「それに、恋愛結婚する気がないから、今まで来てるんでしょう?」
「…ごもっともです」
さすが姫様、止めも的確。
言い訳を並べられなくなったはふぅ、と息を吐くと、
「結婚ですねぇ〜」
と、しみじみ呟いた。
「結婚するのが怖いと言うより……、腰を落ち着ける覚悟を決めるのが怖いんですよねぇ」
一緒に居たい相手を作る。
それは、元の世界に戻れるとなった時――絶対にの後ろ髪を引っ張る。
ここで生きて行くと決意する程、好きな人が出来たとしたらなら…。
それぐらいの覚悟じゃないと、結婚なんてあり得ないと当然のように思って生きて来た。
「好きな人かあ…」
考え込むを、尚香と練師が見つめる。
練師は、その長いまつげに彩られた瞳を瞬かせると、ふわりと花が咲くようにして微笑んだ。
「好きな人が居るのは素敵な事よ? 」
「………まあ、うん。そうですよね」
「帰る場所があるのも、護る場所があるのも、幸せな事だわ」
「……」
「私たちは、それがにあればいいなと思ってるの。
仮にまあ…趙雲殿じゃなかったとしても、作る気持ちは持っていて欲しいのよ、にね」
「…練師さま…」
「そーよ。まあ、賭けもあるし、趙雲殿で落ち着いてくれれば一番いいんだけれどね」
さらりと言った尚香の言葉に引っかかりを覚えたは、くるりと後ろを振り返った。
「賭け?」
「そう。あたしは趙雲殿に賭けてるのよね。練師は?」
「ふふ。内緒です」
「え〜。圧倒的に陸遜に賭けてる人間が多いのよね。甘寧とか、凌統とか。太史慈も。
大穴で趙雲殿がいけば…結構な収入になるんだけれど」
「でも、趙雲殿には、尚香様や孫権様。劉備様と賭けてらっしゃるから。なかなか大金が動くって話ですよ?」
「確かに劉備さま。結構賭けてたかも…願掛けとか言って」
「でしょう? だから、陸遜殿に賭けても大きいかも」
「ってことは練師、陸遜に賭けてるの!?」
「ふふふ。内緒です」
「…………絶対これ、恋愛結婚じゃないですよね?」
色んな人の欲望が渦巻いている気がする。
が頬を引き攣らせていると、尚香は気を取り直したように、「さあさあ」と明るい声を出した。
「これで完璧! 趙雲殿をよろしくね、」
よろしくの意味合いが大きすぎる。
趙雲を迎えに行くと、満面の笑みの劉備から「趙雲を頼む、殿」と言われた。
一国の主ですら、賭けに夢中なのか。それとも趙雲の身を想っての事なのか。 ――両方か。両方であって欲しい。と、は握られた手に目を落としながら思った。
城を回る最中。
すれ違う人から人への視線に、は胃が痛くなる。
「すまなかった、殿」
控え目に声を上げた趙雲に、は慌てて彼に視線を向けた。
「――え? 何がですか?」
「…嫌、わたしもこれほどの騒ぎになるとは…」
肩を落とす趙雲に、の方が申し訳なくなってくる。
どちらかと言えば悪いのは、大人気ない周りの人間たちだ。
直球にそうとも言えず、は出来るだけ穏やかに見えるよう、笑みを繕った。
「それを言えば私もそうです。
しがない一部将の身で、婚姻話が上がって来るのも驚きましたが…これだけ城を巻き込んだ話になるとは…。
趙雲殿がそれだけ素晴らしい猛将と言う事ですね」
「そんなことはない。きっと殿が好かれておられるのだ」
「いえいえ、そんなことは」
なんだか褒め合って、恥ずかしい。
照れていると、「おー」と威勢の良い声が聞こえて、は首を巡らせた。甘寧と凌統だ。
が居ない時に二人でそろっていると言う事は珍しい。
なんだか嫌な予感がしたは、愛想笑いで手を振ってそのまま跡にしようとしたのに、
いつになく俊敏な凌統に距離を詰められて捕まった。
「――趙雲殿、でしたっけ? 俺は凌統って言います。まあ、こいつのダチです」
「甘寧だ」
しかも趙雲に挨拶までされては、おざなりに出来ない。
「存じている。趙 子龍と申す」
キッチリと頭を下げた趙雲に、凌統は笑った。
「嫌々。見れば見る程、にはもったいない真面目なお人だね」
「…どういう意味よ」
「後でバレちゃあコイツが可愛そうでしてね。先に言っとくと、超が付く程無類の酒好きで」
「俺らは飲み仲間なんですよ」
「ちょっと!!」
別に印象が悪くなるのどうのを言うつもりはないが、
が真面目に考えようとしているのに、水を注すのは止めて欲しい。
声をあげたの傍らで、趙雲はさわやかに微笑んだ。
「そうでござったか。やはり、戦場での姿ばかりでは分からないものだな」
趙雲は目尻を下げて笑う。
「では、今夜はぜひ共に飲みたいものだ」
笑顔が、眩しい。
そう思ったのはだけじゃなく、どうやら目の前の二人もそうだったようで、
「なるほど。本当に真面目なお人のようだ」
と、凌統は言うと、甘寧の肩を叩いた。
「俺達も、もちろん歓迎会は参加させてもらいます。またご挨拶させて頂きますよ」
と言って、あっさり引き上げて行った。
「……一体、何しに話かけて来たんだ?」
素に戻った顔でが呟くのを聞いて、趙雲は微笑む。
「殿は、やはり好かれておられるな」
「え!? 今のがですか!?」
どう考えても、あれはの印象ダウンを狙った発言に思えたが。
「遠巻きに見られるより、良かったのでは?」
「…ま、まあ…」
「それに、横槍を入れに来たと言うよりは…単純に私を値踏みに来た様に思えた。良い友人に恵まれてますな」
「趙雲殿がそういうのであれば…そうなのかな?」
良い友人かは置いておいて、が気が小さいのを知っている二人なら、
物見遊山に声を掛けに来たと言うのは十分にあり得る。
「殿」
「はい? どうかしましたか?」
呼ばれて、見上げたは、真摯な瞳に射抜かれていた事に驚いた。
「確かに私は、殿の事を多くは知らない。
だが、何を知る事も、嬉しい事だと思っている。
呉に来た理由は――気付いている事とは思うが…。
よければ私の気持ち、前向きに考えてはいただけないだろうか?」
「は…はぃ…そのつもりでは…います…」
ものすごく、恥ずかしい。
あまりの直球に耳まで熱くなるのを感じて、は隠すように俯いた。
「そもそも…、その、どうしてそこまで?
確かに、長坂の戦いには参加しました。ですが、ここまで想って頂けるようなことをした覚えはありません」
「民を逃がす為に、わたしの名を語って武将を気絶させたであろう?」
「!?、な、何故それを…」
「あの時丁度、逃げ遅れている民が居ると聞いて向かっていた」
――大変です。ちょ、ちょちょちょ、ちょ趙雲が来ましたぁあああ!!
と、叫んだは、民に剣を振り上げている上司の後ろ頭を、思い切り殴りつけたのである。
無事に民を逃がせたのはいいものの、
他の人は趙雲と信じて疑わなかったそれを、郭嘉にだけは気付かれた。
貴方って人は、と、珍しく二時間程かけて説教されたのを今でもよく覚えている。
言ってしまえば黒歴史。と郭嘉とその民以外知っていると言う事実に、 は寒気を覚えた。
「…その説は…勝手に名を語ってすみませんでした…」
「構わない。他にも、殿に助けて頂いたと言う声を聴いた。本当に感謝している」
頭を下げられて、は慌てるばかりだ。
「そんな。あの戦で――武器を持たぬ者が討たれるのは嫌だと思っただけです」
「そんな貴方だからこそ、嫁に迎えるなら殿がいいと」
趙雲の言葉に、ははたと瞬いた。
「…もしかして、趙雲殿…」
「はい」
「まだ夫人、いらっしゃらないんですか…?」
おそるおそる聞くと、苦笑のあと、頷かれた。
は舌を噛む勢いで驚き、目を回す。
「だ、だ、だって最初が長坂ですよね!? それで、赤壁の前に文を頂いて…っ!
え、え? その間ずっと、今まで、その…」
「お恥ずかしい」
「いや、お恥ずかしいって言うか…! なんか、すみませんっ」
は何度も謝る。
謝るのは違う気がしなくもないが、何より居たたまれない。
「劉備様も、そろそろ身を固めよと声を掛けて下さる。
今回の殿との成り行きによっては…そろそろ、覚悟を決めなくてはなりません」
「…趙雲殿…」
「諦め悪くも、その前にもう一度、殿に会いたいと殿に…。
それがこのような事態を招いてしまった。本当に申し訳ござらん」
だが、
と、趙雲は一度言葉を区切った。
「殿、もう一度。私に機会を頂きたい。」
真摯に考えねばと、尚香に言われて思ってはいたが…。
確かにこれは、蜀に行くと三国跨ぐから、とか、
結婚する気あんまりないから、とかの台詞で断っていいレベルの想いではなさそうだ。
がそろそろと頷くと、趙雲は整った顔立ちに、見るも鮮やかに微笑んだ。
そのあまりに綺麗な笑顔に、は冷たい汗が流れるのを感じる。
(やばい。
マジで身の振り方を真面目に考える時が来たかもしれない…。)