白い刺客3
尚香に抗議をするつもりで出向いたのに、まんまとまた贈り物を受け取ってしまった。
は小箱を開けると、眩いばかりに石が散りばめられた髪飾りに眩暈を起こして、視線を逸らした。
「…どうしよう、これも高そうだ…」
服と言い、髪飾りと言い、全部でいくら位するのかには皆目見当もつかない。
こんな贈り物を貰った覚えのないは、浮き立つ所か、肝が冷えるばかりだ。
「弱ったなあ」
趙雲の気持ちが迷惑な訳ではない。
ただ、どうしていいのかが分からないのだ。
からしてみれば、趙雲は花形の花形。
オープニングでかっこよく舞って戦う白馬の彼から烈々アプローチなんて、夢以外あり得ない。
あり得ない事があり得ても、正直困る。
趙 子龍の嫁になった自分なんて、想像もつかない。
そう思ったから精一杯断ったのに、好きになれるかなれないかを考えて欲しいなんて、許容範囲を超えていた。
「それにしても…派手だなあ…」
城から貰っている給料の大半は、食糧と服飾品に使っている。
贔屓にする衣類の店を決めて、金を払う代わりにこういう服を縫って欲しいと頼んで、
なるだけ現代に近い恰好をするのが、ここに来てからののポリシーと言うか、気持ちの落としどころだった。
味も素っ気もなくていい。
動きやすいし、それ以上に気持ちが楽。
薄い上に男物に似ていてはしたないと、陸遜に小言を貰う事は多いけれど、
ひらひらキラキラした服はとてもには敷居が高すぎて、着られない。
皆の瞳に映っているのは、が追及して悩みに悩んで作った武将エディッターだ。劣る方ではないと思う。
でも、中身は。
長年付き合って来た自分の見目が、どうあってもちらついてしまう。
身の丈に合った格好を。故郷に似た格好を。そう思っているうちに、こういう物は一切身に着けなくなった。
「元はと言えば、郭嘉が提案したんだよなあ…」
――なるほど。なら、貴方が着たい服を着ればいい。
魏に登城する前も後も、生活費は一切合切郭嘉が工面してくれた。
おかげでは郭嘉が発病した時の為の医者を捜す資金にしたり、
治療費の工面にしたり、と、小銭をためる事が出来たのだ。
呉に下って、衣類を自分で手配する事になった今、その出費は割と大きかったであろうことに気付く。
(まあ、いつも不思議と金は持ってたけどね、郭嘉は)
日々が豪遊だった郭嘉の経済面など、心配するには及ばなかったのかもしれない。
でも、つくづく酔狂な人だったと思う。
この世界の人間じゃない。
たわごと共取れる言葉をあたり前に信じ、穏やかに面倒を見てくれた人。
「そう言えば…」
は立ち上がると、椅子を置き、上にのぼって書棚の上にある木箱を下ろした。
「郭嘉がくれた髪飾りも好きなんだけれど…この服には合わないよねぇ…」
開けて、両方見比べる。
華やかさには欠けるが、上品な藍色。
曹丕誕生のお披露目会の折、どうしても着飾らなくてはいけなくて、
着飾ったものの、郭嘉に揶揄されて不貞腐れていると、機嫌を取るように贈られた。
――あぁ。やっぱり貴方はその方が似合うね。
うん、でも、似合うのを見せるのも癪だから、これは持って置くといい。
そう言って、お披露目会は用意された派手派手しい髪飾りを付けられた。
たぶんあれは郭嘉の冗談のつもりだったのだろう。
けれど、が見た目道理ではない事を知っているのは二人だけだったから、
魏の武将たちには普通に受け入れて褒められたのは、珍しく計算違いをしたに違いない。
「それにしても…、これも一度もつけてないのか…」
ううん、とは唸る。
魏から亡命の際、これだけはと思って持っては来たけれど、
普段つけるには恰好があまりに緩くて似合わないし、書棚の上に置いたきりにしていた。
はくるりと髪を後ろで巻くと、髪飾りをさしてみる。
「おぉ〜。さすが、センスが良い…。でも、やっぱ服と色が違いすぎるか…」
服は緑。髪留めは藍。
合わない。
次に、髪飾りをさしたまま、趙雲に貰った髪飾りも通してみた。
「やっぱ重いなあ〜…」
肩が凝る気がする。
髪飾り位、好きなのをつけても罰は当たらない気がするけれど。
今から髪飾りを買いに行くまではないし…やっぱり多少色が違っても、郭嘉に貰ったのをつけて行くか…。
「殿」
「はい?」
あ、とは瞬いた。
思い切り物思いに耽っていて、反射的に返事をしてしまった。
髪飾りをはずそうとする前に扉が開いて、入って来た陸遜の目は当然、いつもなら飾り気がないはずの髪へと向かう。
「それは…?」
「あ、ああ。明日の宴会の服に合わせて欲しいって、尚香様に頂いたの」
尚香に貰ったと言う事は、趙雲に貰ったと言う事。
皆まで言わずとも分かったらしく、陸遜の瞳が細くなって行く。
「もう一つは、郭嘉殿からですか?」
「え!?」
「藍色ですから」
「……ま、まあ…」
小さく頷く。
静まり返った部屋の空気がとにかく居心地悪くて、は咄嗟に言い訳がましく口を開いてしまった。
「服と合うようにって、頂いたんだけれど、大きいし、重たいし。
考えていたら、以前貰ったのを思い出して引っ張り出したのよ。だけどやっぱり色が合わないかなって。
どちらがいいかなあ、なんて考えてたの。
どっちが似合うと思う? 陸遜」
訊いては、速攻で後悔した。
陸遜の背後に獄炎が見えたからである。
「い、いいいいいや、ど、どれも一緒だよね!? ごめんね! 変な事聞いてっ」
(怖ェェエエェェエェェエエエ――――――ッ!!!!)
火もないのに、熱くもないのに、噴き出すように嫌な汗が出て来る。
は挙動不審に髪飾りへと手を伸ばすと、髪に引っかかるのを構わず、半ば力づくではずした。
「仕事中にごめんなさい」
投げ入れるように箱にしまって蓋をし、足元に置くと、は改まったように陸遜に手を伸ばす。
「書簡? だよね? もー、言ってくれたら、わたしが取りに行くのに。ほら、陸遜は忙しいんだからさ!」
「…」
「……」
「………」
無言、怖い。
「……似合う、似合わないと、訊いてわたしが答えられるとお思いですか?」
やがて地を這うような声で尋ねられて、は力いっぱい首を横に振った。
「答える必要はないと思います!」
被せる勢いで答えたと言うのに、陸遜はギラギラと瞳を光らせたまま、大股での方へと歩いて来る。
その形相があまりにおっかなくて、は半ば泣きべそで平謝りを始めた。
「本当にすいません。マジでごめんなさい。仕事します、すみませ…っ」
「行きますよ」
「へ? どこに?」
「いいから」
無理やり立たされて、は腕を取られると、強引に引っ張られていく。
「ちょっと待って陸遜、そんなことしてる暇ないんじゃ…!?」
「そんなに悩んで仕事も手につかないのでしたら、選択肢を増やして差し上げます」
「はぁ!?」
ちょっと待って。
それはどういう嫌がらせ!?
抗議の声も、突っかかって出て来ない勢いでは馬に乗せられた。
そのまま陸遜が後ろに跨って手綱を握るものだから、の心臓は爆発したように大きく跳ねる。
「ま、あたし、自分で…乗る!!」
魏延か。
自分でツッコミを入れながらも、両を囲むように手を回されては身じろぎも出来ない。
(何だこの拷問!? 死ぬ、死ぬ…っ! 陸遜に殺される!)
馬が走るのはそう長い時間ではなかったけれど、
の心臓は脈打ち過ぎて、城下町に着く頃はくたびれ切っているように思えた。
手早く馬を繋いだ陸遜は、呼吸と動悸を整えているの手を取って再び歩き出す。
そうして装飾品店の入り口をくぐると、言葉もなく、品を物色し始めた。
「…あのぉ…陸遜?」
「……」
「店の人、すっごい顔で見てるけど…」
無言のカップル。
傍から見れば怪しいに違いない。
そんなの言葉もまるきり無視されて、何分経ったのか。
ようやく陸遜は言葉を発した。
「これにしましょう」
「これにしましょうって…ぇ? ちょっと待って陸遜、お金ならわたしが…って、財布ないのか…」
アッと言う間に連れて来られたから、財布を持ち出す余裕など無かった。
呆けている間に支払を済まされて、は慌てて口を開く。
「帰ったら払うから!」
「何故です?」
「だ、だってほら…、ちょうど買いに行こうかなぁって思ってたし…」
面倒だから止めようとも思ってたけれど。
余計な事は言わないが得策だ。
店から出た陸遜の手は、ようやくから離れた。
ここに来てようやく陸遜の手の内にある髪飾りを見せて貰えて、は思わず、わあ、と声を上げる。
「何これ、可愛い」
控えめに散りばめられた宝石。
淵は緑で、内側は鮮やかな紅。
が呆けたような顔で見惚れていると、陸遜は少し笑った。
「これを贈らせて頂けますか? 」
呼び捨てにされて、うっかりまた心臓が騒ぐ。
「うぇ!? い、いや…でも……」
「貰って頂けますか。嬉しいです」
まだ何も答えてない。
と、言うか、端から答えなど求められていなかったらしい。
が金魚のように口をパクパクと動かしているうちに、陸遜はの髪に髪飾りをさすと、満面の笑みを浮かべた。
「私が選んだものが一番似合いますよ」