三日月に手を引かれ本丸へと戻って来た女審神者は息つく間もなく、木から降って来た薬研と小夜に驚いた。
「へ?」
ロープを持った二人に問答無用で簀巻きにされる。
傾いだ身体を支えた薬研は、ふぅと一仕事終えたような息をつくと、女審神者を見上げた。
「よぉ。大将。随分と愉快な事に首を突っ込んだみたいだな」
顔は笑っているが、目が全然笑っていない。
むしろ怒気しか感じない薬研に女審神者は口端を引きつらせた。
「えーっと、小夜ちゃん?」
他言無用だとは言わなかった。
言わなかったが、小夜が口軽く話す所も想像出来なくて、
女審神者が困ったような視線を向ける。
その先に居た小夜が三日月を見たので釣られて視線を向ければ、
まるで花が咲くようににこにこと微笑む三日月と目が合った。
「……どういう事ですかね? 三日月丸さん」
「何、ちょっと灸を据えようと思ってだな」
「さっきの何か含んだ物言いはこの事を指していたんですかね」
「そうだな。小夜に入れ知恵したのも俺だ」
「えぇぇええ…」
さすが亀の甲より年の功。
一番痛い所を的確に突いて来る。
女審神者が小夜に視線を戻すと、小さな手でロープの端をぎゅっと握っている小夜は、何かを言いたそうに口を開いた。
「…」
「小夜ちゃん、あの」
「ぼくは」
「……」
「ぼくは、…そんな事の為に、主に着物を選ぶのは嫌だ」
「…小夜ちゃん…」
「だから反省して、主」
真っ直ぐに見据えられる。
釣り目な彼の、くるくるとした瞳に映る女審神者が揺れた。
捨てられた子犬のような小夜を抱きしめたくも動けない。
申し訳ない気持ちで胸が一杯になった女審神者が「小夜ちゃん、本当にごめん」と言おうとする前に、小夜は続けて口を開いた。
「だけど宗三兄さんが――反省だけなら、猿でも出来るって」
「……」
しなやかに美しく、主に手厳しい刀の名前が出て来て、女審神者は若干嫌な予感を覚える。
末っ子である小夜を目に入れても痛くない程可愛がっている宗三のこと。
小夜を困らせたとなれば、怒り心頭な姿はゆうに想像ついて、固唾を呑む女審神者を、小夜は静かに見上げた。
「とことん反省して。謝るのはそれから」
「……小夜ちゃん、宗三に似てきたね」
「兄弟だからね」
こくりと小夜が頷く。
薬研を見ると、彼は大げさに肩をすくめてみせた。
小夜との間を仲介する気はないらしい。
孤立無援な事を心細く感じている女審神者。
そんな彼女の傍らで、おもむろに小夜が後ろを振り向いた。
安定だ。
憮然としている彼の姿を見た途端、女審神者は心臓がひっくり返る。
眉間に皺を寄せている安定は簀巻きにされている女審神者に大股で詰め寄ってくるなり、勢いよく頭突きを食らわせた。
「イ――ッ!」
「主の馬鹿!」
目の前でチカチカ光る星。
安定の声が遠くに聞こえて、
目の前がぐわんぐわんと歪んだ。
「小夜ちゃん…これは、一体…」
「宗三兄さんがこうも言ってたんだ。
そう言うときは、相手が一番嫌がる事をすればいいんですよ、って」
「宗三ァァアアァァアア!」
この場に居ないのに感じさせる宗三のしたたかな悪意。
女審神者が悲痛な声を上げる傍らで、安定は淡々と口を開いた。
「主。ぼくに言ったよね?
うちの子はうちの子だって。
ぼくの他は無いって。
どうして他の大和守のためにそんな危ない事をするの」
「危ない事って、そんな」
「危ない事だよ。もしそれ、政府に苦情なんて上げて、審神者を続けられなくなったらとか思わなかったんだね」
「…安定…」
一つ一つの言葉が重しになったように胸を押しつぶす。
困って、逃げるように視線を逸らした先に三日月が居て、
相も変わらずのんびりとした笑みを浮かべる三日月を見た時、ふと、先ほどの会話が脳裏を過ぎった。
話せばよかったのだと。
たどり着いた結論に背中を押さるように、女審神者は結んだ唇をゆっくりと解いた。
「…安定が。
安定がもし池田屋で大和守のように沖田総司に手を伸ばしたら、どうしようって思ったの。十分ありえるって思った。
止める事は出来ないって思ったの。
だってもしわたしも、目の前にどうしようもなく好きな人が居て、手を伸ばせるんだったら、絶対に手を伸ばしたいと思うと思う。
刀だった頃とは違って、伸ばせる手が今の安定にはあるんだもの。
付喪神になって、人の身体に似たものを手に入れて。
歴史を狂わそうとする人たちからわたしたちの時間を守るために戦ってくれてる。
そんな両手を、好きな人の為に伸ばすのは駄目だなんてわたし言いたくない。
歴史改変を肯定している訳じゃない。
でも、責める筋合いはわたしたちにきっとない。
そう思ったら…居てもたってもいられなくなったの」
ぶつけられた頭が痛い。
安定の額も赤く染まっていて、
それを見ていると、ズキズキと痛むのが頭なのか心なのか分からなくなってきた。
下唇を噛み締める。
「主は、その大和守に正当性があるとして、ぼくに同じことをしてもいいって言うの?」
安定の問いかけに、女審神者は首を横に振る。
首を振り続ける彼女を見つめる安定は、ふと目元を緩めた。
息を抜くように笑うと、女審神者に手を伸ばす。
少し冷たい指先は赤く腫れた女審神者の額をかすめて、前髪に触れた。
「ねぇ、主」
「……なに」
「確かにぼくが今、沖田くんに手を伸ばせば届くと思う。主が言うように、もしかしたら…手を伸ばしてしまう時があるかも知れないって、ぼくも思うよ」
「…うん」
「だから、こっちの手をいつも主に握っていて欲しいんだ。絶対離さないで。信じていて欲しい。
そしたら、ぼくがもし迷って沖田くんに手を伸ばそうとしても――届かないよね。
沖田くんに手を伸ばせない理由が、
時間を守る為に戦っているからとか、
その為に在るからとか、
そう言う理由より……主が握ってるからの方がずっと良い気がする」
「やすさだ」
「だから主も難しいこと考えないで、ただぼくが向こうに行かないように、一生懸命握っててくれると嬉しいんだけどな」
「………安定ぁ」
安定は少し笑うと、女審神者の頭を撫ぜた。
「はいはい。泣きたいなら泣いたら? 酷い顔だよ、主」
「その言葉が酷いぃ」
「主の顔の方が酷いよ。なあ、薬研?」
「ああ。そうだな」
「普通に頷かれたぁー。小夜ちゃぁん」
「主。泣かない方がいい。化粧が崩れて、もっとひどい顔になるから」
「それはどっちにしても酷いって事?」
「はっはっは」
三日月が笑う。
女審神者がうう、と涙声で唸っていると、奥から足音が二つ聞こえて来た。
見ると、清光と宗三が揃って立っている。
宗三は小夜と薬研を見、縛られている女審神者から安定にと、流れるように視線を向けると、深く息を吐いた。
「その様子では、どうやら終わったようですね」
「…ご心配をおかけしました」
「主」
「分かってます。もう二度と小夜ちゃんを困らせません」
「分かってるならいいです」
すぐさま答えた女審神者に宗三はゆるりと頷いた。
「ところで、今加州清光と話をしていたのですが。その例の本丸の大和守。一度うちで預かると言う手があるかと」
「そーそ。政府も俺達の見分けはつかないだろ? 刀解したって事にして、しばらくうちで預かっとけばいいんじゃない?
ほとぼり冷めたら、鍛刀した風に戻れば分かんないと思うんだよねぇ」
宗三と清光のアイデアに、女審神者は目からうろこと瞬いた。
「……なるほど。そんな事、考えもつかなかった」
「抗議上げに行くよりよっぽど現実的だと思わない?」
「止めておあげなさい。加州。耳に痛いに決まってます」
「最初から俺らに相談しておけばよかったのにねー、宗三」
「チクチク来るの止めて貰えますか、お二方」
確実に急所を突こうとしてくる二振りに女審神者がげんなりとした声をあげる。
すっかり弱った女審神者を満足気に見た宗三は桃色の袖に隠れて笑うと、緩やかに踵を返した。
「そうと決まればそちらの本丸に文でも出しますか。
準備しましょう。お小夜、行きますよ」
「うん」
「待って小夜ちゃん。これ解いていって」
女審神者が声をあげると、
小夜はぱちりと瞬いた。首を傾げると、小さく笑う。
「初詣」
「初詣?」
「その着物で、初詣に行くなら解くよ」
「小夜ちゃん、初詣行きたいの?」
「別に」
「えー」
「着物が勿体ないからね」
ぽつりと落とすように言った彼に、
女審神者は胸がきゅんと狭くなると、被せるように口を開いた。
「行く! 小夜ちゃんと初詣行く!」
「だから、ぼくは行かなくていいんだ」
「主と初詣? 俺も行きたい!」
「だが、俺達が大将と出歩く為には、大将、顔を隠さなきゃだろう? 着物に眼鏡や帽子はあわねぇしな。どうすんだ?」
「ようは顔が隠れればいいんだし、化粧してれば、分かんないんじゃないかな。いつも化粧気ないし、歴史改変主義者たちも絶対に結びつかないと思う」
「安定、今日は一段と切れ味がいいね…」
「羽子板とやらがあっただろう? あれに負けた時のように、顔に墨を塗ってみるのはどうだ? 正月らしく、紛れるだろう」
「負けてないのに塗るの!?」
「どうせ負けるんですから。大差ありませんよ」
「確かに、勝てる気はしないけれどもよ…」
女審神者はふ、と皮肉めいた笑みを浮かべると、呟いた。
「ホント、話題に事欠かないね。この本丸は」
「それを言う権利は主にはないと思う」
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「遠征中にそんな事が。それで、その大和守はどうなったんです?」
「それがな、小狐丸。文を出したと同時に、刀解命令が取り下げられたと連絡が入った」
「よほど貴方の脅しが怖かったと見えますね」
「なに、付喪神の意を思い出させただけだよ」
「そうですか」
「ところで小狐丸」
「なんです?」
「皆が心を貰うと言っていた意味。ようやく分かった。
付喪神に囲まれていながら、良くも悪くもああ人間臭く生きられてはな。こちらもうつると言うもの」
「……」
「気が付かない方が良かったと言う顔だな」
「嫌な予感は当たりますか」
「さあ? どうであろうな」
「………本当に貴方は食えませんね」