「次の定例会だけど」
と、女審神者は一同に会する朝に帳面を手にしながら口を開いた。

「付き添い人は、安定にお願いしようと思うの」
「……え?」

一番驚いたのは、名指しされた安定本人だ。
ぽかんと口を開けている彼の横で、清光が不満そうに頬を膨らます。
「えー、主。何で俺じゃないの?」
「何でって」
「こら加州。主の決めた事に意を唱えるなど…」
「長谷部だって不服でしょ?」
「それは…」
「はいはい。もうそこまで」
目に見えて不毛な争いに突入しそうな口火を、女審神者は手を打って遮った。

月に一度行われる定例会では、
同じエリアに本丸を構える審神者が政府を交えて一同に会合する。
定例会に付き添いとして参加出来る刀剣男子は一人と定められており、
大抵は初期刀である清光か、一番刀を自負する長谷部。時折、光忠などを連れて出るのだが、

突然の指名に、大和守安定は動かない。
そんな安定に審神者は困ったような笑みを一つ向けて、帳面のページをめくった。
「それから今日の一番部隊だけれど……」


大和守安定は、新撰組沖田総司の刀だ。
同じく沖田総司の刀である加州清光は、女審神者が最初に手にした刀であったこともあり一番距離が近い。
そういう意味合いで言うと、割かと早めに顕現したこの安定とは着かず離れずの一定の距離感を保ったまま。
距離感で言うのなら一番遠いかも知れない、と女審神者は思う。

現に、彼の沖田総司に対する強い感情にどう向き合っていいのか分からないのだ。



「えー、主、またその恰好で行くのー?」
「しょうがないでしょう。これが一番安心するんだから」
「俺が選んだ服が絶対可愛いのに!」
「定例会に可愛さは必要ないの」
白の着物に、灰色の袴。黒い羽織を引っ掻けた女審神者は清光に首を巡らせた。


「でも、服装に決まりはないじゃん」
「ないけど…清光が選んだ服は着れないよ。さすがに」
「ぶーぶー!」
「文句を言ってもダメです」
ぴしゃりと言うと、清光は不貞腐れた顔のまま目隠しの布を手に取った。
まるにさ、と書かれた布を後ろ頭に結んでもらっていながら、女審神者は笑った。

「清光はずーっと不服そうだね」
「そりゃそうじゃん。何で安定なんだよ」
「何故って……清光が一番分かってるんじゃない?」

問うと、清光は黙り込んだ。
重いため息が後ろから女審神者の髪を撫ぜる。

「あいつは……扱い辛いよ」
「うん、初めてあった時本人が言ってたものね」
「沖田君への思い入れが強すぎるんだよね」
「しょっちゅう言い合ってるもんね」
女審神者は笑う。
清光と安定の言い合いは下手すれば殴り合いに発展しかねなくて、始まるたびに短刀が光忠や長谷部の所に泣きついている。
もちろん女審神者の耳にも入ってくるのだが、
大抵喧嘩の内容が「沖田くん」と「主」なので、入るに入りづらい。
どうしようかと迷っていると、日本酒を抱えた次郎太刀がふらりと部屋に入って来て、
「放っておきましょ」
と、猪口を差し出してくれていたものだ。

『置いておいていいものかな、次郎』
『主は、掛ける言葉があるの?』
『ない』
『ないうちは止めておくのがイ、チ、バ、ン。そのうち掛けたい言葉が見つかったら、向き合ってあげなさい』

なるほど次郎太刀の言葉に説得力を感じて、
今まで何度か本丸を挙げての大騒動になったときも、
女審神者は部屋で静かに事の成り行きを見守って来た。

今でも、掛ける言葉が見つかったのかと聞かれれば模索中なのだが、
次郎の言葉を借りるのであれば、向き合いたい時に向き合うのが一番なのだと思う。
女審神者は、ぎゅ、と袴の上で拳を握りしめた。

「頑張る」
「頑張るって、主…」
「――入ります」

襖の向こうから安定の声が割入って来て、清光と女審神者は唇を結んだ。
音を立てずに開いた襖の奥に居る安定は相も変わらず無表情だ。
部屋にいる清光をちらりと見ると、そっぽを向くようにして女審神者を見る。

「大和守安定。準備が出来ました」
「ありがとう。付き人、よろしくお願いします」
「……はい」
「じゃあ清光。本丸を頼むね」
「…分かった……」

清光の瞳が値踏みするように安定を見つめる。
普段は一番気の合う友人なくせに、事「沖田くん」と「主」が加わるだけで意固地になってしまう二人だ。
女審神者は目隠しを持ち上げて仏頂面の二人を交互に眺めると、肩をすくめた。

「行きましょうか。安定」

定例会の日時や場所は、審神者のみに伝えられるトップシークレットだ。
当日まで付き人の刀剣男子にすら言ってはならない決まりになっている。
日時へ飛ぶと、そこからは馬での移動で、
乗馬とは縁のない生活を送って来た女審神者は安定の後ろに乗っての移動となる。
馬の脚が動くたび、明日は腰痛だなと考えていると、「あのさ」と、安定が口を開いた。

「どうして僕なの?」
「まあ、安定が一番そう思うよね」
「うん。今まで清光ばかりだったのに」
「……うん」

うん、としか言えない。
変に言い訳がましくなるのも違う気がして、女審神者は素直に答えた。

「どう接していいのか、イマイチよく分からなくて」
「…」
「でもそれは安定も同じなのかなあ、とわたしは勝手に思ってるんだけれど…」

返事は返って来ない。
これを是と取るのか否と取るのか、
探ろうとして止めた女審神者は眉間に皺を寄せた。

あまり策を用いるのは得意な方ではない。
今回付き人作戦も、結果安定の防御を硬くしただけのように思える。


「わたしが…全面的に、悪かったと思うの」


言ってしまうとスッとした。
だけれど、投げかけられた安定にはどうにも上手く伝わらなかったらしく、返って来たのは怪訝そうな声。

「は?」
「いや、なんというか…清光が、あんな感じで割とすんなりわたしを受け入れてくれたから…どこかで安定にもそれを期待して、甘えていたんだと思うの。

安定が、清光とちょこちょこ起こすいざこざもどう対処していいのか分からなくて、事の成り行きを見てるので精一杯だったし、
だから良い悪いの話で言うのなら、
わたしがもっと、安定の事をちゃんと見るべきだったと思う」

安定は黙々と馬の手綱を引いている。

「上手くは出来ないかもしれないけれど、ちゃんと安定を見るって約束する」

その背に、女審神者は声を掛け続けた。

「刀が主を選べないのは分かってる。
わたしは沖田総司にはなれない。絶対に。それも分かってる。
でも、わたしは貴方の主だから、
認めて貰えなくても主だから、
だから、安定もわたしの事をちゃんと見て欲しい。
上手く出来なくてもいいから、ちゃんと見ててほしい」

捲し立てると彼は、しばらくして口を開いた。

「主だって、刀を選べないのは一緒でしょ」
「…へ?」
「扱い辛い。主がそう思ってるの、分かってる」
「安定…」
ああ、と女審神者は胸の内にストンと居場所を見つけた事に気付いた。
伸ばした手で安定の装束を掴むと、零すように笑う。

「何?」
「――嫌、清光と良く似てるんだなあ、って今初めて気付いた」
「……」
「ごめん。もっと早く、ちゃんと話して見ておけば…こんな簡単な事すぐに気が付いたのに」

清光は、素直に愛されたいと言う。
可愛いと聞き、可愛いと答えれば、花が咲くように喜びを返す。

それが全てじゃない。

主と呼んでくれることがそもそもの答えであることに何故今まで気付かなかったのだろうと、女審神者は目隠しの奥で瞳を細めた。



「ねぇ、安定。
安定が最初に顕現された時の言葉…覚えてる?」
「扱いにくいけどって奴?」
「そうそう。扱いにくいけど、いい剣のつもり」
「うん」
「安定は、とてもいい刀ね。一番大事なその事に気付くのが遅れて本当にごめんなさい」
「…」
「沖田総司にはなれないけれど、あなたのいい主になれるよう、わたしも頑張るね」


安定はしゃんと背を伸ばしたまま、進む方向だけ見ている。
彼が今何を考えているか、女審神者には知る由もない。
だけれど、ややあって返って来たのは、不満気な声だった。

「沖田くんには、誰もなれないよ」

以前ならちょっと身構えていたその台詞に、
女審神者は緩やかに言葉を返した。
「あら、わたしにだって誰もなれないの。もちろん、安定にも」
「ぼくは……他にも…」
「居ないよ。
どの本丸の審神者も、大抵同じことを言うんじゃなかしら?

うちの子は、かけがえのないみんなうちの子。
他なんてないの。

だから安定は、貴方の中にある沖田くんへの想いを存分に追いかけたらいいと思うわ。
わたしでよければいつでも話を聞かせて」

随分と長い時間を掛けて、ようやく安定はぽつりと言葉を落とす。

「…………分かった」

こくりと頷いた安定に女審神者は満面の笑みを浮かべた。
やり遂げた気持ちにうんと背伸びをすると、腰が痛くて、つい前かがみになる。

「わ」
「あ、ごめんごめん、どうにも乗馬は慣れなくて…いたた…」
「主」
「ん?」
「ぼくも主の事、今一つ分かった」
「何?」
「……なんで皆が、定例会の付き人をやりたがるのか」
「なんで?」
「言わない。清光に怒られそうだから」
「えー」
「それよりも、ちゃんと背筋伸ばして。よけい腰に負担がかかるよ」
「無理だよー、それでなくても、今日は緊迫してていつも以上に伸ばしてたから…いたた、もう限界。ちょっと背中貸しておいて」

誠の文字に額を預けて、女審神者は瞳を伏せた。

「って言うか主、定例会って何時からなの?」
「十一時」
「絶対遅刻じゃん! なんでもっと早く言わないの?」
「途中からもう無理かなぁって。でも、定例会より安定との話の方が大事だし」
「ちょ、主、ちゃんと捕まって! 背筋伸ばして! 馬急がせるから」
「無理、腰が…ぎゃあああ」
「主、耳元でうるさい」

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間に合いませんでした。