おぼろ月が沈んでいく。
皆が寝静まった本丸は足音一つよく響くもので、ふと聞こえて来た足音に面をあげた。
首を巡らせると、障子に映る影に口元が綻ぶ。

「――薬研?」

女審神者が影に向かって声を掛けると、「ああ」と言う返事が返って来た。
入って来たのは、年始早々長時間の遠征に出向いていた薬研で、彼は出掛けるときと変わらぬ姿のまま。
内心胸をなでおろした女審神者に緩やかな笑み返した。
「ただいま、大将」
「おかえりなさい」
「寒いな」
「ホントね。負傷者は?」
「いねぇよ」
「そっか」
「もう皆、布団に入っちまったんじゃねぇか?」
「早いなぁ」
「布団の中が幸せな季節だからな」
「いえてるね」
女審神者はにんまりと笑うと、薬研を手招いた。
机の下から取り出した日本酒の瓶を持ち上げると、首を横に傾げる。

「布団もいいけど、酒もどう?」
「いいね。一杯貰うかな」
「寝酒にね」
「こう夜も更けると、猪口はまどろっこしいな。湯のみでも持ってくるか? 大将」
「もうここにある」
お盆に乗った湯のみが二つ。
ほくほくと微笑む女審神者と湯のみをかわるがわるに見た薬研は小さく笑った。

「本当に大将は、食に対して貪欲だよな」
「誠実と言っていただきたい」
「これがホントの、ものはいいようって奴か」
相槌を打った薬研を、女審神者はじろりと横眼で見る。
「薬研、まだ酒はわたしの手元にある事を分かっているかね?」
「お? まだ下手に出とかねぇとな」
「分かってるならよろしい」
女審神者は湯のみを酒で満たすと、薬研に渡した。
自分の湯のみにも酒を注ぐ。
と、とと、と言う音を耳にしながら、女審神者はほぅと熱いため息を吐いた。

「酒の美味しい季節だね」
「酒はいつも上手いだろ」
「呑まれるほどにね」
「まったくだ」
身を乗り出した二人は乾杯した。
酒に唇を濡らした薬研は、うん、と頷いて微笑む。
「上手いな。この酒」
「正月用の寝酒に隠しておいたの」
「大将の箪笥は食べ物ばっかりだからな」
「何で知ってるの!?」
「燭台切が嘆いてたぜ。食の改善しても、それ以外に常備食がありすぎるってよ」
「非常食だよ」
「非常の意味分かってるか? 大将」
「わたしの世界は常に、わたしの主観を中心として動いていると思うの」
「良くも悪くも正論だな」
「年々、口が回るようになっていく気がする」
ぼそっと呟いた言葉に、薬研が笑う。
片膝を立てて、酒をなめるように呑む仕草は、見目に反して相当様になっている。
――もっとも、審神者の何倍もの時間を生きてきた刀相手にそう思うのも変な話なのだろうが。

薬研は揺れる酒の水面に目を落とすと、目元を緩ませた。悪戯を思いついた子どものような顔で審神者を見上げる。
「ちなみに大将。今は非常事態じゃねぇのか?」
「非常事態宣言の許可を出します」
「よっし」
「何がいい?」
「何でもいい」
「了解」
立ち上がった女審神者は襖の中から袋菓子をいくつか取り出した。薬研に見せると、彼はその中の一つを指差す。
残りは箪笥に戻して、女審神者は小躍りしながら湯のみの前へと戻った。

「はいはい、っと」
「酒飲むときは、こう言う塩っ辛いモンが上手いんだよな」
「わたしは甘いものでもイケる口ですよ」
「糖分に糖分はマズいだろ。特に大将の場合はよ」
「なんだとー! 美味しいものが脂肪と糖で出来ている世の中が悪い!」
「これまた夜中が美味いんだよな」
「罪悪感がね」
「相まって美味くなる、だろ?」
「仰る通りで」
女審神者は薄ら笑いを浮かべた。思い当たる節が多いらしい。

薬研は瞳を細めるように笑って、
そうだ、と声をあげた。

「どうしたの?」
「うっかり酒で忘れるとこだった」
「戦績の報告は呑みながらでもいいけど?」
「それはな」
「今回は怪我人も居ないしね」
「大成功って奴だ」
「さすが薬研」
「任せろ」
懐から包み紙を取り出した薬研は、女審神者に手渡す。

「何これ?」
「土産」
「え? 何かこれ、いつもの土産と種類が違うような…?」

土産は何がいい?と、聞いて出かけていく薬研は、
必ず土産を持って帰って来てくれる。
大抵は、見つけた綺麗な石や、今ではあまり見ることのない花。珍しい木の実などを土産話と共に持ち帰って来るのだが、今日手元にあるのは上等そうにくるまれたもの。
瞬いた女審神者に、薬研は「買った」と言葉を返した。

「買った!?」
「ああ。ま、お年玉だな」
「お年玉って、わたしが薬研に上げるものなんじゃ…?」
「うちの家で一番年下は大将だろ」
「嫌、まあ、そうなんだけど」
おずおずと包み紙を見下ろす。

「もしかして、皆が上げたお年玉がこれに化けた訳じゃないよね…?」
そしたらものすごく申し訳ない気持ちになる。おそるおそる尋ねた女審神者に、薬研はあっさりと首を振った。
「いや? 俺っちの懐から」
「な、なら良かった…一期一振他の笑顔を真正面から見れなくなる所だったよ」
「大将はそういうの気にしそうだからな。わざわざしねぇって」
「さすが正統派男前」
「こりゃまた、偉く豪勢な褒められ方をしたもんだな」
開けていいぜ、と言われて、改めて包み紙に目を落とす。まるまるとした瞳で見下ろしていた女審神者は「もしかして」と薬研を見上げた。

「浮世絵の包み紙!?」
「そうそう。大将、一度見てみたいって言ってたろ?」
「すっごい」
「遠征先が江戸だったからな」
「あんなちょっとした話を良く憶えてたねー」
以前何の気なしに、江戸って本当に浮世絵で陶器を包んでたってホントかなあ、見てみたいなあ、と話した事があったが、
ちょっとした話の種が実物に育つとは夢にも思ってなかった女審神者は開いた口が塞がらない。
ものすごく丁寧な手つきで開いた女審神者は、包み紙の浮世絵を伸ばして眺め、中に包まれた漆喰の湯呑みを手に取ると、ぽかんとした顔のまま見つめた。

「これ、高くなかったの?」
「そこそこな」
「薬研の懐大丈夫?」
「お年玉用に貯めてたからな」
「すっげぇ、堅実」
「全部お菓子に代わる大将とは違うだろ?」
「失敬な! ちゃんと貯めてお年玉上げたじゃん! 気持ちだけだけど」
「ああ。ありがとな」
「普通にお礼言われた」
「お年玉袋も取ってるぜ」
「あ、ありがとう」
ご丁寧に言われて、女審神者は頭を下げる。
薬研は酒に蒸気した頬を朱に染めて、ゆるく微笑んだ。

「ま、自室用にでも使ってくれや」
「喜んで。ありがとう、薬研」
「どう致しまして」

「――そういう話で言うとね、わたしも薬研に貰ったもの、全部取ってるよ」
女審神者は言うと、湯のみを机に置いて箪笥へと走った。
奥から箱を取り出すと、中を開く。
「ほら。花はね、歌仙に習って押し花にしたの。ラミネート加工は現代でしてもらったんだけど。石も木の実も、全部あるよ。
あ、このノートはね、その時薬研がしてくれた話を思い出せるように書いてるんだー」
「意外とマメなんだな、大将」
「大事な思い出だからねぇ」
女審神者はのんびりと笑った。

「わたしはさ、ここで唯一人間じゃない?
みんなはずーっと変わらないのに、年取っていくからさ。

こう言うのたくさん集めておくの。
わたしがここに居るって言う、証みたいなものかな」

「…証、ねぇ」
審神者の言葉に薬研は宙を仰ぐと、酒に口を付ける。


「大将が人間で、俺っちたちが刀だってのは、一生埋めようの無いもんだが…。一個勘違いしてるぜ。大将が死んだら、俺っちたちも死ぬんだ」
「薬研たちも?」
「少なくとも、今大将の目の前に居る薬研藤四郎、うちの本丸の刀共は死ぬって話だが…」
「付喪神なのに?」
「付喪神だからだよ。大将の心貰って存在してンだ。死ぬようなモンだろ」
「そういうものなのかなあ」
女審神者が零すと、薬研はゆっくりと頷いた。
「ま、俺っちが今人間に近いのは、大将が居てこそだからな。空っぽを生きてるとは言えねぇだろうし。かといって本当に死ぬ訳でもねぇが…仮にこの人みてぇな姿形が変わらないとしても、まあ…あれだな。刀に戻るって表現が正しいのかもな」
「そうやって考えると、残す方も残される方も同じなのかな?」
「主観は腐っても主観だからな。比べようがねぇよ」
そう言って、薬研はふ、と微笑した。
女審神者も緩く微笑む。
「そうやって考えていくと――口があるのは、ありがたいね」
「だな。酒も上手いし」
「話も楽しい」
「共感するってのは、こういう事を言うのかもな」

相槌を打って、どちらからとも無く湯のみを近づけた。かつんとぶつけて、一口飲む。

「なあ、大将」
「ん?」
「身体大事に長生きしてくれよ」
「もちろん」
「それ以外の事からは、俺っちが護ってやるからさ」
「頼りにしてる」
「ああ。任せとけ。

惚れた女を護れるのは、惚れた男だけだからな」


さらりと言った薬研の言葉に、女審神者が面を食らったように瞬く。
じわじわと頬が熱くなるのを感じてうつむいた彼女に、薬研は喉を鳴らすようにして笑った。

「大将は以外とこういう直球なのに弱いのか。良い勉強したな」
「……うるさいなぁ。まだまだ心は乙女なのー! 仕方ないでしょー!」
「別にからかった訳じゃねぇって」



そう言って薬研は口角を緩めた。
細くなっていく瞳に、りんごみたいな女審神者が映る。


「その代り大将が死ぬ時は、俺っちの心も一緒に連れてってくれ」
「うぉう」
「約束な」
「………しょ、承知いたした」

容量を超えたのか、朱に染まったままぐるぐると目を回しだした女審神者に薬研は噴き出すように笑った。

「ホント、大将は可愛いな」
「もうお腹いっぱいなんで、止めて貰ってもいいですか、薬研」
「了解。また今度な」
「…う、うん…?」



*+*+*+*+
「薬研兄さん」
「どうした前田?」
「綺麗な湯呑みですね。初めて見ました」
「ああ、これな」
「薬研のそれねー、触れない方がいいと思うよ。前田」
「……何だよ、乱」
「………主とお揃いでしょ」
「まあな。俺っちがやったもんだからな」
「何気に薬研って、ガツガツ行くよね」
「当たり前だろ。そういい子ばっかりしてられねぇしな」
「ねー、前田。触れない方がいいでしょ?」
「大将には内緒だぜ? 前田」
「…わ…分かりました…」

本丸に面倒くさい事がある事を知った前田。