うぎゃぁぁああぁああ
と、断末魔に似た悲鳴が本丸中に響き渡って、
その声から女審神者だとすぐに想像がついた光忠と清光が転がるように声が聞こえた方角へと駆けて来ると、女審神者が使う厠の前に何故か立っている鶴丸と視線が絡んだ。
「あ、あはは」
乾いた笑い声。
鶴丸と厠を見比べた後、光忠は腹の底から深いため息を吐いた。

「……今度はまた、何をしたんだい?」
「嫌ぁ、ちょーっと主を驚かそうと思ってだな…」
「まさか、厠から出て来る所を脅かしたんじゃないよね!?」
清光に詰め寄られて出たのは、困ったような笑い。
それを是と取った光忠は、頭痛の種を抑えるようにこめかみに手を伸ばした。

「鶴さん。何度言えば分かるんだい。主は…」
「超が付くほどの怖がりなの! それを何を考えたらそんな事できる訳!?」
「ちょっとした出来心でだな…」
「出来心でしていい悪戯じゃないって」
「……面目ない。どうにも身体が動いてしまった」
「………最悪じゃん。あるじー、俺だよ。清光。もう出て来て大丈夫だよー」

厠からは、うんともすんとも答えが返ってこない。
清光の呼びかけを引きついだ光忠は、厠のドアを叩いた。
「主?」
「…出ない」
ぽそっと、帰って来た返事をかろうじて聞き取った光忠が「え?」と尋ね返すと、爆発したような怒声が厠の奥から聞こえて来た。


「ぜっっっっっったいここから出ない!!!!!!!!!!」


「――何事ですか?」
「主に何があった!?」

「宗三。長谷部」
すっかり滅入った顔付きのまま、光忠が首を巡らせる。
清光がかくかくしかじかと説明すると、すぐさま怒りで身体を震わせた長谷部とは対象的に、宗三はやんわりとため息を零した。

「……また、面倒なことを」
「悪かったって」
「その台詞は聞き飽きた! 今日という今日は許さんからな! 鶴丸っ」
「別に長谷部には何もしてないだろう?」
「主の怒りは俺の怒り」
「…どういう理屈ですか、それは」

意外と言葉を返したのは宗三である。
彼は桃色の着物の袖でそっと口元を押さえると、しばし宙を仰いだ。
そして、光忠の横に並ぶと、こんこん、と控えめに扉を叩く。
「主。ずっと出て来ないなんて真似が、貴方に出来るわけないでしょう?」
「…おい、宗三…」
「宗三さん、これ以上主拗ねさせるような事言わない方がいいんじゃない?」
「大丈夫ですよ」
ぼそぼそと抗議の声をあげる長谷部と清光に、宗三は流れるような視線を向けて返すと、何一つ返って来ない扉を再び叩いた。

「変に意地を張っても仕方ないでしょう?
それよりも、出て来てこの鶴丸を煮るなり焼くなり刀解なりしたらいいじゃないですか。

いつまでもそんな所に篭って、ご飯など食べようとしてごらんなさい。
厠には菌がうじゃうじゃいて、
貴方はそれも一緒に食べることになるんで――」

宗三の言葉が終わらないうちに、厠の扉はスパーンと景気の良い音を上げて横に開いた。中に居るのは相変わらず憤怒の顔をした女審神者だが、とりあえず天岩戸は開いたわけである。
光忠と清光が「おお」と歓声を上げる傍らで、
女審神者は宗三を睨みつけ、奥に居る鶴丸を睨み据えると、眉根を釣り上げた。


「鶴丸は、一切主に近寄ることを禁じます!!!!!!!!!!!!」

言って、ぷぃっとそっぽを向いて歩いていく女審神者は、光忠も清光も長谷部も通り越して、どすどすと廊下を踏み鳴らしながら部屋へと戻っていった。


「……ねぇ、宗三くん」
「なんでしょう?」
「これって出ては来たけれど、火に油を注いだだけなんじゃ…?」
「出て来ないよりマシでしょう」
「いや、まあ、そうなんだけれどね…?」

なんだろう、この釈然としない感覚。
光忠がこれから先を思いやって複雑な心中をしている傍らで、
宗三はあっさりと「ではぼくはこれで」と言うと、あっさりと自室へ引き上げていった。





「……それにしても、あんなに怒った主は初めてみたよ」
光忠の言葉に、清光は「ん?」と言うと、言葉を返す。
「正確に言うと二回目かな。なぁ、鳴狐」
「そうでございますねぇ」
お供の狐がのんびりと相槌を打つ。
あのあと、鶴丸を含めた四人が呆然と立ち尽くしていると、
遅ればせながら駆けつけて来た鳴狐の肩上に居たお供の狐が
「皆さん、そろってどうしたんです?」と首を傾げたのだ。

清光の言葉にこくりと頷いた鳴狐が、ぽそりと呟く。
「二回目だね」
「一体誰が何をして…」
「山姥切国広」
「山姥切だと!?」
思いもよらない名前だ。
長谷部が驚きに目を剥いた傍らで、光忠も心底意外そうな声をあげた。

「へぇ、また何で…」
「嫌、何でって言うか…」
清光が頬をかく。
「山姥切ってさ、ほら、口癖じゃん」
「写し、かい?」
「そうそう。んで、ああいう性格だから、この本丸に来たばっかりの頃は結構無茶して傷負って帰って来ることも多かったんだよね。それで写し写しって言ってたからその、主が…」
「写し写しうるさいんじゃぼけぇぇえ、と、それは見事な頭突きでしたなあ…」
「頭突き!?」
「そう、頭突き。
山姥切も痛い。わたしも痛い。写しだろうとそうじゃなかろうと、痛いもんは痛いんだから、無茶して帰って来るな、と」
「軽傷が見事に中傷になりましたな、鳴狐」
「……そう」
その場に居合わせたらしい清光と鳴狐の視線が、どこか遠い。
よっぽどの騒ぎだったのだろうというのは話の内容で想像がついて、光忠と長谷部が苦いものを噛んだような面構えをしていると、ふいに清光が「あ」と声を上げた。

「どうしました? 加州殿」
「嫌…そういえば、似てるな、っと思ってさ」
「似てる?」
光忠が聞き返す。
すると、清光が答える前に、鳴狐がこくりと頷いた。
「似てる」

二人の視線が、ついと床を滑って鶴丸へと向かった。
自分が火種にも関わらず、どこか他人事のような態で聞いていた鶴丸が、ぱちりと瞬く。
「俺か?」
「鶴丸さん、戦闘の時無茶しすぎ」
「必ず手入れ部屋に入りますからなあ」
「……そうだっけかな」
「主、そういうの嫌いだからねぇ」
「だが俺たちは刀だろう? 戦うのが存在意義で、折れたら消える。それだけじゃないか」
「それだけって思える主なら、山姥切は頭突きされてないと思うけど?」
「…それもそうか」
妙に納得いった風に、鶴丸は頷いた。
「人間の考え方は分からんなあ」
どこまでも能天気な男だ。

腕を頭の後ろにやって、宙を仰いだ鶴丸に、光忠は苦笑を返す。
「そりゃあ、ぼくたちは刀だからね。唯一人間の主が考えることなんて、絶対に分からないだろうけど。そこで、人間と刀を分ける必要はあるのかい?」
「ん?」
「だからそういう所だって言ってんのー。
人間と刀の前に、俺たちは家族だろ。
今の絶対主に聞かれたら頭突きじゃない? 鶴丸さん」
「頭突きは痛そうだ」
「それと同じだろう。主は怖いものが苦手だ。それをあえてするのは、痛いことと代わりがないのではないか?」
長谷部に尋ねられて、鶴丸はしばしの間黙った。

「それを楽しそうに何度もされたら…」
「怒るよね」

「――分かったよ。俺が悪かったって」

「俺たちに謝ってもしょうがないだろう」
「だな。でもなあ、近づくなって言われたからなあ」
「そもそも言われるようなことをしたのは鶴さんでしょ」
「それだよなあ」

「……それでも、謝らないより、謝った方がいい」
「さすが鳴狐! わたくしめもその方が良いと思いまする」

鶴丸はううん、と唸ると、困ったなといいながら歩き出した。

「なんか良い手はないものか」
「そうやってすぐ手段を考えるから悪戯ばっかり思いつくんだって」
「たまには素直に謝ったらどうだい?」
「今度主を泣かせてみろ。絶対に許さんからな」
「いってらっしゃいませ、鶴丸殿」

四人に見送られて、鶴丸はゆらりと歩き出した。
途中歌仙の部屋と庭によって、そのあと主の部屋へと足を向ける。
ぼんやりと灯りの灯る襖へ手を伸ばしたまま固まっていると、
す、と扉が音もなく開いた。

「わ」
「……思ったより、早かったですね」

顔を出したのは宗三だ。
自室に戻ったかと思いきや、主の傍についていたらしい。
彼は静かに鶴丸を見つめたのち、くるりと後ろを振り返った。

「ぼくは戻りますよ」
「ええー、一人怖い」
「代わりが来たから大丈夫でしょう」
「代わりって…」

ひょぃと顔を覗かせた女審神者は、鶴丸を見るなり、下唇を突き出した。

「宗三が良い」
「あいにくと、ぼくは見てるだけの方が得意なものですから」
「ちょ、宗三…マジで帰るの!?」
「マジと言うやつです。あとは勝手にしてください」

優しいのか冷たいのか――否、それも含めて宗三と言う男なのか、彼は鶴丸を二度見ることはなく、すぃと横を通り抜けて部屋を出て行った。
取り残された女審神者は、あからさまに鶴丸を警戒している。

「…立ち入り禁止」
「なあ主」
「入ったら噛み殺す」
「分かった分かった。こっからでいいから」
ぐる、と獣の真似をしているのか、歯をむき出しにした女審神者に、
思わず馬を宥めるようにどうどう、と手を翳すと、彼女はふん、と息を吐いた。

「何?」
「いやその、すまなかった」
「……反省は今までも腐るほど聞いた」
「もうしない。約束しよう」
「信用出来ない」
「家族が嫌がる事はしない」
「…」
「だから、家族を信じてくれないか?」

機嫌を取るように女審神者を見つめると、
彼女は鶴丸を横目で見たまま、重いため息を吐いた。

「また、随分と良い謝罪文句を覚えて来たのね。
いいわ。分かった。信じる――入って来るのも許す」

ようやく入室の許可を得て、鶴丸は部屋へと入る。
「寒いから閉めてね」
といわれて扉を閉めると、彼が懐から取り出したものに、女審神者は瞬いた。

「何それ?」
「歌仙から借りて来た。筆と朱色の染料だ」
「またなんで」
「ここに、朱色を塗って欲しい」
鶴丸が親指で示したのは、左胸。

「まあ、人間みたいに心臓があるかは謎だが。分かりやすくていいだろう?」
「いや、だからなんで――」
「俺は刀だからな。折れれば消える。それだけだ」
「…」
「衣装は白一色でいいんだ。戦場で染まって、鶴らしくなるだろう?」
「……鶴丸…あのさ」
「だが、主はそれが気に食わないんだろう?」

言われて、女審神者は歯にものが挟まったような顔で鶴丸を見つめた。
しばしの間押し黙ったのち、重く口を開く。

「気に食わない、といわれると少し語弊はあるけれど。
鶴丸が驚かすのが好きなのも分かってる。でも、わたしはそういうのが苦手。
それと一緒よ。
鶴丸の考え方は尊重するつもりだけれど、死に急ぐ戦い方はして欲しくない。驚かせて驚かないと心が死んでしまう貴方と同じで、貴方が折れれば、わたしの心は死ぬわ。それをちゃんと分かっていて欲しいだけなの」

「…」
「……鶴丸?」
「聞いてるさ。ちょっと自分に驚いているだけで」
「どういう意味?」
「嫌、君ともう少し早く、こうして話しておけばよかったなと思った自分に、少し驚いているんだ」
「それはわたしも同じね。嫌だという伝え方を間違った。今ならそう思うわ」

鶴丸は、筆と朱色の染料を改めて差し出した。
いまだに何に使うのか要領を得ない女審神者が鶴丸を見上げると、彼はにやりと笑う。

「さあ、ひとおもいに染めてくれ」
「だから何で」
「君が描いて俺が鶴になれば、もう戦場で赤く染まる必要はないだろう?」
「………」

きょとん、と女審神者は瞬いた。
ややあって、
「――また、突拍子もないこと考え付くのね。鶴丸の驚かせ方が性質悪いのも、こういう所に関係してるんだろうけれど」
と、感心したような声を上げる。

「まあ、そこがいい所なのも、分かってるんだけれどね」
しみじみとそう言った彼女は、机から墨摺りを取り出すと、朱色の染料を流しいれた。歌仙のものだという太い筆を浸して、鶴丸に負けず劣らずの笑顔を見せる。

「じゃあ、遠慮なく」
女審神者はえいやと言う掛け声と共に、鶴丸の左胸に朱色をぶちまけた。
あまりにも勢いよすぎて、鶴丸の顔にも朱色が飛ぶ。
それどころか畳と女審神者まで若干汚れて、彼女は「げ」と声をあげた。

「やば!」
「なるほど。君が不器用だと言う皆の意見がようやく分かったな」
「……考えがいつも足りないのよね」
「予測しうる事だけじゃ、人生は詰まらない。
君のそういう後先考えない所が、俺はなかなか気に入ってるのさ。

まあ、悪戯は無しにするとして。
ちょっとばかし朱色の被害は大きかったが、これは、君が描いた鶴からの恩返しだ」

懐に再び手を忍ばせた鶴丸は、中から赤い花を一輪取り出した。
差し出された女審神者は筆を持ったまま固まって、
しばらくしてぷ、と噴出す声が聞こえたかと思うと、
彼女は腹を抱えて笑い出す。

「何ソレ! 驚いた!」
「だろう?」
「うんうん。全部考えてたの?」
「もちろん。加州清光には手段を考えるなといわれたんだが、どうにも俺はこれが性分でね。こういう驚きなら、君も気に入るだろう?」
「誉を上げる」
「おっと!こりゃ驚きだねぇ」
にんまり笑った鶴丸の手から、赤い花を受け取った女審神者。
彼女がいたく気に入った様子で花を眺めているのを見て、
鶴丸は目を細めると、小さく呟いた。

「なるほど。確かにこりゃ驚きだ」


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筆を返しに行ったら、使い方が悪いと歌仙に叱られました。