「今日の三軍の隊長は宗三にお願いします。メンバーは…」
「………あの、主、ちょっといいかい?」
帳面から顔を上げた女審神者は、
曇った顔でこちらを見ている光忠と瞳があった。
よくよく見渡せば、清光や長谷部と言った何振りかが、
皆光忠と似たりよったりな表情でこちらを見ている。

残りの大多数は、何とも言えない表情か、笑いをかみ殺すように唇の端を震わせていて、女審神者はふぅ、とため息をつくと、肩を落とした。
「しょうがないでしょう。動けないんだから、ねぇ、太郎太刀」
「……致し方ありませんね」
太郎太刀が海よりも深い息を吐く。
そんな彼に背負われている女審神者は、
「それじゃあ引き続き――」
と、何事もなかったかのように言葉を続けようとして、清光に全力で止められた。


「ちょ、主!? 肝心の説明が何もないんだけどっ」
「動けないって言ったじゃん」
「だーかーら、その理由!」
「理由?」
女審神者は、ぴくりと眉根を浮かす。
唇をきゅっと音を立てるようにして結んだ女審神者は、流れるように視線を逸らした。
「言いたくない」
「言いたくないだって!?」
光忠が声を上げる。
途端にけん制しあうような視線が刀たちの間で繰り広げられて火花を吹き、
それらをのんびりと見回した青江が、微笑と共に口を開いた。

「ぼくが言うのもなんだけど。ただの腰痛じゃないかい? ほら、昨日まで頑張って雑巾がけに勤しんでいたじゃないか」
「青江〜、言わないでよ〜」
「変な誤解を生むよりマシだろう?」
「誤解?」
「主が抜け駆けした誰かに剥がされた、とかね」
剥がされ…!?
ぼん、と煙が上がるように首から頭の天辺までを真っ赤に染めた女審神者は、火を噴くような声をあげる。
「な………っ! なんでたかが腰痛でそんな話になるの!?」
「たかが腰痛なんだから、早く理由を言えばいい話なんだよ」
「だって恥ずかしいじゃん! 雑巾がけで腰痛なんて!! しかも、一期一振に手伝って貰ったのに!」
うわぁん、と女審神者は帳面で顔を覆って声をあげた。
すぐ耳元に彼女が居る太郎太刀が、若干眉間に皺を寄せる。

「――それは分かりましたが、何故太郎太刀なのですか?」
低い声の長谷部は、まず自分を呼んで貰えなかった事は酷く不服そうだ。
そんな彼に答えたのは、いまだ火照った顔を持て余している女審神者ではなく、彼女を背負っている太郎太刀だ。

「呼ばれたわけではありません。廊下を歩いていましたら、虫のように這っている主に遭遇しただけのこと」
「……トイレに行こうと思ったの」
「あまりに見ていられませんでしたので、背負いましたところ」
「味を占めて、つい」
ふふふ、と女審神者が照れたように笑う。
それに異を唱えたのは、小狐丸だ。

「ぬしさまを抱えるのは、この小狐の役目なはず…! いつもは重いなどと焦らして、抱えさせて下さいませんのに…ッ」
「焦らしてないよ。心からの本心だよ」
「加えてそのような色気のない背負われ方! お姫様抱っこにいたしましょう!」
「お姫様抱っこされながら、皆の前に立つ勇気はわたしにはないよ?」
「恨めしい!」
「羨ましい、の間違いでは?」
「あながち間違ってないと思う」
安定の言葉に、顔を覆っていた小狐丸が頷く。
どうやら間違っていないらしい言葉を向けられた太郎太刀は、首を僅かに後ろに巡らせた。

「私は変わっても差し支えありませんが」
「太郎でお願いします」
「そうですか」
つぅ、と前を向く太郎太刀。

弟の次郎太刀とは違い、普段からあまり感情の変化を見せない太郎太刀は、端的に締め括った。
「――と、いう訳です」


「……なんで俺、朝主の部屋の近くに居なかったんだろ…」
「右に同じだよ、加州くん」
「俺が一番の懐刀なはずが…」
「鳴狐! 落ち込んではなりません!」

ずぅん、と陰を背負う四振りに、女審神者は首を横に振って答えた。
「皆には、サイズ的に申し訳なくて頼みません。これは、太郎だから頼んだの。さあ、脱線したらキリがないでしょう。続きを読みます」
つらつらと部隊編成を述べて、今日の近侍を太郎太刀にお願いすることを述べると、女審神者は薬研に首を巡らせた。

「最後になりましたが。薬研、湿布をお願いします!!!!」
「了解」

苦笑を零した薬研が、ひらりと手を振る。
そうして皆が解散した後、一期一振が前へと歩み出た。
「主」
「ん? どうしたの?」
「申し訳ありません。やはりあの時わたしが、主が負けた際の罰ゲームは無しにすべきだと、言うべきでした」
「いやいや。わたしが変に負けん気を起こしたのがそもそも問題であって――」
「そうそう。いち兄気にすんなって。俺っちが即効性抜群の湿布を用意してやるからよ」

生真面目な兄をねぎらうように背中を叩いた薬研に、女審神者は少々不安気な眼差しを向ける。

「飲み薬じゃないからあれだけれど、くれぐれも変な冒険しないでね…? 薬研」
「それは約束できねぇな」
「えー」
「反省必須だろう? 素直に手伝いを受けときゃ良かったんだ」
「……だって、約束したし…」
「それで一日抱えられてちゃ世話ねぇって。なあ? 太郎太刀」
「私には、何とも」

廊下の雑巾がけの際、
薬研を筆頭として、かわるがわる手伝いを申し出てくれたのだが、大見得切った手前、やり遂げる事に意固地になってしまって、断り続けたのは他でもない女審神者だ。

ぐぬ、と唸った女審神者は、目の前の太郎太刀に謝った。

「ごめんね、太郎太刀」
「構いません。これも勤めの一つを思えば」
「本当に――こんな勤めで申し訳ない。一期一振も、もう本当に気にしなくて大丈夫だから。次からは、お言葉に甘えて罰ゲームは無しにしてもらうようにするね」
「ご自愛ください」
「ありがとう」
「あとで湿布持ってくからな」
「ありがと、薬研」
「……動いてよろしいですか?」
「よろしいです。太郎太刀。お願い致します」
「では」

のそりと太郎太刀が動き始める。
じゃあね、と二振りに手を振った女審神者が太郎太刀の肩に手を乗せると、彼は静かに問うて来た。
大きな図体をしていながら、音も無く廊下を歩くなどの所作が美しいのは、やはり彼が神剣ゆえだろう。

「現世は不便ですね」
「人の身はって事?」
「ええ」
「そうだねぇー、たかが雑巾がけでこのような事態になるとは…」
「それもですが…」
「ん?」
「同じ刀なはずなのに、まるで人の子のようだと思いまして」
「ああ。清光たちのこと?」
「それに、次郎太刀も。まあ、あれは私よりもずっと現世に近い。染まりやすいのもあるのでしょうが」
「そうだねー、次郎は馴染むの早かったよね。一番に来た大太刀だったって言うのもあるだろうけれど、厚へのジャイアントスウィングが、飲み事恒例行事になるのにそう時間もかからなかったし……」
酔っ払うと、どちらからともなく近づいて、振り回される厚。
一度次郎太刀が五虎退相手にした際は、見事なまでに吹っ飛ばされて行って、女審神者の酒は見事に冷めた。が、五虎退自身はとても楽しそうだったのも憶えている。


念のため、それ以来は厚専用テーマパークと化しているが。
「そうれ」「あっはっはっは」とぐるぐる回る二人が脳裏に過ぎった女審神者は、のんびりと微笑んだ。

「大太刀は長い事来なかったからね。敵は強くなるばかりで、戦力の乏しさにカツカツだった頃に来た次郎と太郎は、それこそ両手離しで歓迎しましたよ」
「次郎が良く、酔うとその話をしますよ。主が泣いて喜んだと」
「太郎の時は、次郎がすでに酔っ払っててね」
「ええ。泣いて喜ばれましたね。……次郎に」
主の真似だと、酔っ払った次郎が泣いて喜んだものだから、肝心の女審神者は完璧にタイミングを奪われて、ほうけた面で太郎に向き合っていたのは記憶に新しい。

「次郎が感情おおらかな分、太郎はますます冷静に見えるよね」
「あまり現世の出来事に、思う所がありませんので」
「そういうもの?」
「人に使われる事がありませんでしたからね。愛着が沸き様もありません」
「この本丸にも?」
「……」

聞かれて、太郎太刀は少し黙った。
ややあって、答える。
「無くもない、といった所でしょうか」
「まあまあ、そんくらいあれば十分だよ」
「そういうものですか」
「そういうものじゃない?」
「――貴方のことですから、」
「?」
「熱く、説かれるかと思いましたが」
太郎太刀の言葉に、女審神者は瞬いた。
「わたしって、そんな熱血キャラだっけ…?」
「時折、そう言った話を耳にします」
「まあねー、皆と話すの好きだからね、わたし。
話込んじゃって、語りだしちゃって、熱くなりすぎて迷走したりするよね。
まあだからって、わたしの価値観を押し付けるつもりはないというか、必要はないと思うし」

それでも熱血かな?
どうやら熱血と言う言葉が腑に落ちないらしく呟いた女審神者に、太郎太刀は声を掛けた。
「皆貴方の刀なのに?」
「だからだよ。私は間違う生き物だから。皆わたしの考え一辺倒だったら、なんか間違い起きたときに、誰も歯止め役が居ないでしょ?
だから、太郎のそういう冷静なものの見方はありがたいよ」
真っ直ぐと背筋を伸ばして歩く太郎太刀の背中で、女審神者は小さく微笑んだ。
審神者の部屋にたどり着くその手前で、不意に
「主」
と、前田の声がして、太郎太刀はゆっくりと振り返る。

「どうしたの? 前田」
「主から以前頂いた凧が、木に引っかかってしまいました」
「あれま。上の方?」
「愛染が登ってみたのですが、枝の先の方で…」
「一応見に行ってみようか。 ――って言っても、行くのは太郎だけれど。いい? 太郎太刀」
「構いませんよ」

こっちです、と言う前田の声に連れられて、
女審神者と太郎太刀が木へと向かうと、愛染と小夜が木を見上げていた首を巡らせた。
「…主」
「ああ、そこ?」
なるほど木の先端に凧が引っかかっている。
女審神者はふむ、と言うと、太郎太刀を見下ろした。
「わたしと太郎太刀なら、取れそうじゃない?」
「そうですね。寄ってみましょう」
「お願いします」
太郎太刀が木に歩み寄ると、女審神者は手を伸ばした。そして
「う」
くぐもった声を上げる。

「主、腰、大丈夫か?」
「だ、大丈夫だよ! 愛染、ちょっとグキッてなっただけで…!」
「それは大丈夫って言わないと思う」
「違いない」
あはは、と笑って、腰に片手を添えた女審神者はゆっくりと背を伸ばした。なるべく大きく刺激を与えないように緩慢な動作で凧を外しにかかる。

「よいしょ、と」
「ありがとうございます! 主!」
「いえいえ。はい、どうぞ」
前田に凧を手渡すと、花が咲くような笑みが返って来た。

再び自室への岐路についた女審神者は、太郎太刀に目を落とす。

「ねぇ、太郎」
「何でしょう?」
「太郎は、人が使うには大きすぎるかもしれないけれど、
人の身を借りた太郎の大きい両手は、きっとたくさんの刀たちの助けになると思うの。

皆には届かないものが、太郎には届くだろうし。
もし太郎にも届かなければ、わたしが一緒に手を伸ばしたらいいなって。
だって今のは、わたしと太郎太刀二人分の手があって、初めて出来たことじゃない?」
「…」
「それで今みたいに前田や愛染や、小夜ちゃんが笑ってくれたら、わたしはとても嬉しいなと思って」
「嬉しい、ですか」
「そう。現世なんて、難しい言葉で言ったら重たくなるけれど、ようするに今って事でしょう?
太郎太刀の今は、ここにある訳だから。太郎が無くもない程度でもここを好きで居てくれるのを、わたしは嬉しいなと思うよ。

太郎が居てくれて、助かる事の方が本当に多いからね」

そう言って、女審神者はにんまりと笑った。

「何よりわたしは、太郎と呑む酒が美味しくて好きよ」

呑みすぎて次の日死ぬけど、
ぼそっと付け加えた女審神者に、太郎は微かな笑みを浮かべた。

そうこうしているうちに一日も暮れ、夕飯を食べ終わった主を部屋へと背負って帰った太郎太刀が自室へ戻ると、毎夜恒例の部屋呑みが繰り広げられていた。
「あら、兄貴。おかえりなさーい」
「……おや、これは…」
「お邪魔してまーす」
いつもと違うのは、そこに清光、光忠、一期一振に薬研。小狐丸に鳴狐。長谷部、そして一番手前にいた青江が、やんわりと微笑んだ。

「やあ、一日ご苦労だったね。主に当てにしてもらえなかったとふて腐れている連中を連れて来たんだ。
どうせなら、今日一日の主の話を肴に呑んで笑った方が有意義だろう?」
「有意義、ですか」
「邪魔だったかい?」
「いいえ。構いません」
太郎が座ると、次郎が猪口を差し出してくる。
受け取ると、反対側に陣取っていた清光が徳利を傾けた。

「で? どうだった?」
「今日一日の主ですか?」
「嫌、それじゃなくて…」
「廊下を這う主、かな」
光忠が、口端を緩めるように笑う。

太郎太刀は宙に視線を向けると、「そうですね」と首を少し横に傾いだ。

「芋虫にしては、ぎこちない動き、とでもいいましょうか」
「うわああああ! 見たかったなぁああああ!」
途端にバッと両手で顔を覆った清光が、感極まった様子で下を向く。
「なにそれ絶対可愛いじゃん。超絶可愛いじゃん。俺もう、それでご飯三倍くらい行けそうな気がするんですけど!」
「おお。鳴狐! 鳴狐は五杯行けると…!?」
「………稲荷にしたら」
「なるほど。稲荷換算ですか、ならわたしは…」
「稲荷換算って、何だそりゃ」
「統一しないと計れないだろう」
「長谷部も計るんだ」
「賑やかですな」
「あら、一期一振空じゃない」
「ああ、すみません」
「皆、猪口に酒入ってるー?」
「入ってるぜ」

「なら、兄貴、お疲れ様」

次郎の声を皮切りに、お疲れーと声があがる。
くぃっと猪口を飲むと、皆そろって「ぅああ」と声を上げた。

「今日も美味いねー、酒は!」
「次郎太刀はいつでも美味いんじゃないかい?」
「ちげぇねぇ」
「まあねー」

ふふん、と次郎が鼻を鳴らす。
その横で、静かに猪口を傾けていた太郎が微かに口を開いた。

「美味い」


「……ちょ、兄貴、今美味いって言った!?」
「珍しいね。太郎太刀が酒の感想を述べるなんて」
「そうですか?」
「ははぁーん。さては兄貴、主と何かあったんじゃなぁいぃぃい?」

「主と!?」
「ちょっとその話、詳しく聞かせて欲しいんだけどッ!?」

「………特にありませんでしたが」

言って、太郎は酒を眺めた。
ゆるりと揺れる琥珀色の酒に、目元を緩ませる。


 ――わたしは、太郎と飲む酒は美味しくて好きだしね。


「嫌いではない味だと、思っただけですよ」

*+*+*+*+*+*
「ほらあ、やっぱりあったんじゃなぁい」
「なんですか次郎。もう絡み酒ですか」

抱っこにこだわっていたのは小狐丸と長谷部。他はどちらかというと、這う審神者を愛でたかった感じ。