本丸には流行りと言うものがある。
大概は女子高生のようにパッと話題に華が咲いて、すぐに収束するのが常なのだが。
「ねぇ〜、あるじさん。ボク、これの続きが読みたいんだけれど」
「……乱、主は今執務中だぞ」
「構わないよ、長谷部。ちょうど休憩しようと思っていた所だし」
「……でしたらお茶をお持ちいたしましょう」
「ありがとう、長谷部。よろしくね」
これでもかと深くおじぎした長谷部が部屋を後にする。
女審神者は乱が差し出した本を受け取ると、後ろの本棚を振り返った。
「さて、続きはあるかな、っと」
立ち上がって本棚を覗き込む。
ない。
女審神者は一冊のノートを引っ張り出した。
「誰かが借りていってるみたいだね。ちょっと待って、見てみよう」
ぺらぺらとページをめくる手を止めて、
「光忠だなあ」
と言うと、乱は残念そうに肩を落とした。
「そっかぁ」
「でも昨日持ち出しているみたいだから、光忠に訊いてごらん。もしかしたらもう読み終わっているかもしれないよ」
「そっかぁ!」
「でも借りる時は」
「貸出簿に名前を書くのを忘れずに…でしょ?」
「そうそう」
女審神者が主として構えるこの本丸には現在何十人もの刀剣男子が住んでいるのだが、
風邪のように流行りが過ぎていく中で、何故だか漫画ブームだけは廃れる事なく長きにわたり続いている。
しかも女漫画の方がウケが良い。
乱が今読み進めているのも、若い頃に買ったキラキラの少女漫画だ。
「面白いよね〜、それ」
乱の言葉に、女審神者は頷く。
「うん、面白いね。歳を取ると、どうにもキラキラしているだけの漫画って倦厭してしまいがちなんだけれど、
昔読んで好きだったやつとかは、未だに読んでも面白いと思っちゃうから不思議だね」
「あるじさんははどの子が好き?」
「わたしはそうだなぁー…」
二人で漫画を真ん中において、覗き込みながらページをめくる。
乱はすぐさま、花トーンの中でアップに描かれた男の子を指差した。
「ボクはね、この人!」
「そうなの?」
「うん、いち兄に似てると思わない?」
「一期一振に?」
未だ顕現されない一期一振は、粟田口の子たちにとっての待望だ。
最近では焦れてしょうがない様子なので彼ら自身に鍛刀を頼むようにしているのだが、それでもなかなか来ない。
以前演練で見た一期一振の姿を思い描いた女審神者は、うん、と相槌を打った。
「似てるかも。なんかこう、花がぶわーって感じが」
「でしょでしょ? 特にこのほら、ぶんかさいってやつで」
「あー、王子様するんだっけ?」
「そう! 王子様! これとかもう本当にいち兄だよぉ!」
本と一緒に踊る勢いだ。
目を輝かせる乱に、女審神者は小さく微笑む。
「粟田口は皆、一期一振が大好きだね」
「うん、だいすき! あー、ヤキモチ妬いちゃぁ駄目だよ? あるじさん。あるじさんの事ももちろん好きだからね」
「あはは。ありがとう」
女審神者が声をあげて笑うと、乱はそうだと両手を打った。
「いち兄が王子様なら、あるじさんがお姫様だね」
「わたしが? いやいや、お姫様なんて歳でもないし、柄でもないよ。それなら乱が絶対似合うし」
「もちろんボクに似合う服だけど。お姫様はやっぱりあるじさんじゃなきゃ!」
「そう?」
「うん! いち兄が王子様で、あるじさんがお姫様……お似合いだろうなぁ…」
ほわほわと微笑む乱の脳内には、おそらく女審神者がいるのだろうが。
ドレスなんて絶対に似合わないし、想像だけでキツイ。
あまりに痛々しい絵面に言葉が見つからないでいると、乱はピタリと動きを止めた。
「あ」
「ん? どうしたの?」
「嫌……今言った事、薬研には内緒にしててね」
「何で?」
「いや…うん、いち兄とあるじさんをボクは応援したいけれど、
薬研の気持ちを考えるとビミョーって言うか…」
「まあなんやかんやで、薬研は頑張り屋さんだからね。
一期一振に一番会いたいのも、実は薬研かも知れないね」
「え!? あ、うん。そーそー! そーだよね!」
乱は急にそそくさと立ち上がった。
「あ、そうだ。もし光忠が本を返しに来たら、直接乱の所に持っていかせるからね」
「ありがとー、あるじさん!」
「お茶は一緒に飲まない?」
「うん。これ以上余計な事言わないうちに戻ろうかなぁ」
「そうなの? わかった」
じゃあね、と乱が手を振る。
部屋を出た所で「あ」と乱は手を叩いた。
「光忠さん!」
「こんにちわ、乱くん」
「ちょうど良かった! 漫画の続き、ボク借りてもいい?」
「もちろん。帳簿に名前は」
「書いて来る! さるじさん!」
「はいはい。どうぞ」
乱は名前を書いて、すぐさま光忠の元へ走った。
漫画を受け取ると、瞳を輝かせたまま女審神者を振り返る。
「じゃあボク、これ借りてくね!」
「うん、どうぞ」
乱が去ると、光忠はひょいと襖から顔を覗かせた。
「長谷部くんは?」
「今、お茶を用意に行ってるよ」
「そっか」
「光忠は?」
「今夕飯の下ごしらえが一段落ついたとこ、かな」
「お疲れ様」
「うん、主も」
「入る?」
「じゃあちょっとだけ」
光忠は畳に座ると、女審神者の手にある漫画を見て少し笑った。
「本当は声を掛けようか迷ったんだけどね。なんていうんだっけ…ほら、じょしかい? みたいだったから」
「うーん、不適切なのに適切に聞こえる不思議」
「乱くんだからね」
「乱だからねぇ…」
のんびり笑って、
女審神者は先ほど乱が一期一振に似ていると絶賛していた絵に視線を落とす。
「ねぇ主、主はそういう子がタイプなのかい?」
「…まさか、光忠まで女子トークする気?」
「うん、まあ、参考にね」
「好みか好みじゃないかと聞かれると……まあ、好きだけれど」
「好きなんだ」
「王子様は永遠の憧れなんですー、いくつになってもちょっと夢見る気持ちは大事なんですー!」
「そういう意味じゃなくて」
「じゃあどういう意味よ」
「単純に主の好みのタイプが一期一振かどうかをハッキリさせておかなきゃ、後々困りそうだからさ」
言われて、女審神者はゆっくりと光忠を見た。
相変わらず、色白の頬がほんのりと朱に染まっている。
恥ずかしいなら言わなければいいのに言わないと気が済まないのが、燭台切光忠と言う一振りなのだ。
女審神者は息を吐くと、
「別に、王子様が好みだからって、一期一振が好みとは限らないでしょう」
「確率は上がるよね」
「まず一期一振が出る確率を上げて欲しいわ。粟田口の子たち、最近見てられないよ。そもそも、好みとかタイプとか…好き、とかさ…。
審神者と刀の間であるって言う話を聞かなくもないけれど、恋愛って、想像つかなくない?」
「ぼくは付くから話してるんだよ」
そう素直に返されると、立場が悪い。
女審神者は言葉を濁すと、咳払いを一つ零した。
「そっか。そうね。それもそう。
でもほら。周りにわたししか居ない訳じゃん?
しょうがないし、これから先もそうなんだけど。
でも演練とかした時にさ、他の女審神者とか時々見てみ?
口元しか見えないけれど可愛い人も、綺麗な人も結構多いよ。
とにかく、わたししか居ないのにそれで好きってのも……うん」
言っていて、女審神者は不安に駆られた。
光忠の気持ちをないがしろにしている訳ではなく、
あくまで、女審神者と刀の恋愛は受け入れがたいと言う持論を述べているつもりである。
ちらりと見ると、光忠は静かに女審神者を見ている。
ややあって、光忠は零すように口を開いた。
「そう言う意味で言うならぼくたちはずっと小さい世界で生きて来たよね。刀を使う人間しか知らないんだから」
「……うん」
「こうして顕現して、戦うようになってもそうだ。ぼくは主し、人間を知らない。主の言うとおりだと思う」
「そうね」
頷いた女審神者の手に、おもむろに伸びてきた光忠の手が重なった。
ぎゅっと上から握られて、心臓が不覚にも飛び跳ねる。
「それでも、主はぼくが見た人間の中で一番温かい。
柄をずっと握って来た誰の手よりも温かい。
理由はそれじゃダメなのかい?」
訊ねられて、女審神者は咄嗟に答えが出なかった。
口を噤んだ彼女に対して、光忠は静かに笑みを浮かべる。
「まずはご飯。食が基本だって言ってさ。
ぼくが料理に興味があるって言ったら、辛抱強く教えてくれたよね」
「……包丁の使い方はぴか一だけど」
「そう、味を知らなかったから」
刀剣だった彼らは、顕現して初めて味を知る。
だからこそ女審神者は「本丸の味」にとてもこだわりがあった。
うちの味を知る子はうち。例え造られた時代が違おうと、以前の持ち主が違おうと、どういう間柄だろうと、この味を知っている限りは家族だと彼女は顕現する刀たちを相手に何度も言って来た。
「ぼくはそういう主の考え方が大好きだし、そういう考え方の主をとても愛おしく思うよ」
「……光忠…」
女審神者が小さく呟く。
ここに来て光忠は見るも鮮やかな笑みを浮かべた。
蜂蜜の瞳を細めて、薄い唇に弧を描く。
「小さい世界で生きてるのは、主なんじゃないかな」
「は?」
「審神者と刀剣。恋愛している人間もいるんだろう?」
鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしたあと、女審神者は二三度瞬いた。
「本当に光忠は口が回るね」
「そうかな?」
「うん、惚れた腫れたにしてもそうだけれど。一体どこからそういう感情や言葉を仕入れてくるのか……」
女審神者は言葉を詰まらせた。
華やかな少女漫画の表紙と目があう。
まさか、と言うより先に光忠が頷いた。
「そのまさかだよ、主」
氷のように固まって動かなくなった女審神者を愉快そうに見つめる光忠。
思えば少女漫画を持ち込んで以来、この手の話題が増えた気がする。
彼らに少女漫画は思わずウケた理由もようやく理解が出来た。
日常が戦いの彼らは、戦う少年漫画を読むよりも、人間性だったり感情だったりを強く描く少女漫画の方が新鮮だったに違いない。
その事に思考が追い付いた女審神者が頭を抱えると、光忠は彼女の耳元に唇を寄せそっと囁いた。
「ぼくたちを人間に近づけたのは主なんだからさ。ちゃんと責任取らなきゃだめだよ」
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長谷部は茶葉から摘みに行っているに違いありません。