「主?」
「ぅわ…っ」
台所をこっそり覗き見ていた女審神者は背後から声を掛けられて、飛び上がるように驚いた。
「み、光忠」
悪戯が見つかって怯える子どものような顔だ。
顔面蒼白な主と台所とを交互に見た光忠は肩を落としながら笑う。
「駄目だよ、主」
「ま、まだ未遂だもの」
「なら良し」
「殺生な!」
「夕飯は食べただろう?」
確かに夕飯は食べた。
違いない。
ゆっくりと頷くと、満面の笑みが返って来た。
恐ろしいまでに美しい笑顔を見た女審神者は、口先を尖らせると抗議する。
「でもね、光忠。人には小腹が空いてどうにも寝れないというときがあって…」
「主、太ったよね?」
中傷を負った。
動けなくなった女審神者を見た光忠は慌てて「ごめん」を付け足したが、時はもうすでに遅い。
「……何故それを?」
始めは今剣の一言だった。
『さいきん、あるじさまにぎゅーっとすると、まえよりもっともーっとやわらかいんです』
極めつけは薬研で、彼はめがねのふちを深刻そうな顔もちのまま持ち上げて、
『大将が俺っちの体調管理からことごとく逃げるんだが?』
と、くれば体重増加説はますます信憑性を得る訳で、
事の次第を神妙な顔で聞いていた女審神者はどうりでここ最近、ヘルシーメニューだったのかと合点がいった。
まだ刀たちの数が十分でなかった頃。
出陣させると本丸に残る刀は乏しく、内番のほとんどを女審神者が切り盛りしていた。
思い返せばあの頃はまだ馬もいなかったし、畑も小さくてすんでいたから出来ていた事なのだが、
掃除や料理から始まり一日の運動量は半端じゃなくて、元々ふくよかだった体系が心なしかシュッとしていたと思う。
ところがこの光忠が来て料理を受け継いでくれた頃には、だんだん本丸に顕現する刀も増えて、雑務のほとんどを彼らが担ってくれている状態だ。
事務作業ばかりの今、体重を減らせるとするならば食事療法くらいしかないのは分かる。
つらつらと考えた女審神者は、でもね、と言い訳がましく光忠を見上げた。
「確かに皆が来た頃は今よりやせてたけど、この本丸に入ったばかりの頃は今よりもうちょっとふっくらしてたのよ」
「うん。加州清光から聞いたよ」
「だからまだ伸びしろは十分あるの」
「…伸びしろって」
光忠が笑う。
「それに皆戦いに出て帰って来てるのに、わたしに合わせてヘルシー料理なんて可愛そうだし! もう少し食べ応えが欲しいし!」
「うん、本心は後者だね」
のらりくらりとかわされて女審神者はどんどんヒートアップしていく。
「光忠に料理教えたのわたしなんだから、発言の権限はあると思います!」
「まあ…それに関して否定はしないけど」
「でしょう!?」
といきまく女審神者は、身を乗り出して光忠との距離が随分と縮まっている事に気付いていないらしい。
そんな彼女を見下ろす光忠はどこか余裕の表情で、気に食わない彼女は膨れ面で光忠を睨みつける。
「だーかーらー」
「よっと」
「わ」
腕をとられると簡単に前につんのめって、女審神者は簡単に光忠の胸に納まった。
「ぎゃ」と潰れた声をあげた彼女が抵抗する間もなく、その腰に手を回した光忠は「うーん」と一人ごちる。
「伸びしろね」
「ちょっと、光忠! 離しなさい! 光忠!」
ようやくパッと手を離した彼は、悪びれもなく笑顔のまま。
悔しいのか恥ずかしいのかよく分からない感情で耳まで真っ赤になった女審神者が力任せに光忠の腹を殴りつけたが、
日頃の鍛えなのか刀剣男子ゆえなのかちっとも痛くはなさそうだ。
「確かめたんだよ」
「確かめるって……アンタはわたしの腰周りのサイズなんか知らないでしょーが!」
「うん、そうだね」
潔く両手を挙げたまま。
光忠は女審神者に目線で台所をしめし、
「春雨スープ、いるかい?」
と尋ねた。
食べ物で機嫌を取るのはこの主には一番の策である。
未だ怒りの静まらない女審神者だが、
しばしの間をあけて至極不本意そうに「いる」と頷いた。
「じゃあ作るから、待っててよ」
「…手伝う」
「そう? じゃあ、この間主が買って来てくれた春雨がそこの戸棚にあるから取って戻して欲しいな」
「分かった」
「二人分ね」
「光忠も食べるの?」
「作るだけってのは寂しいからね」
「確かに」
「まあ、僕が作ったのを美味しそうに食べる主見るのも好きなんだけど」
「……ありがとう」
褒められたのか、よく分からないままお礼を言うと、「どういたしまして」と朗らかな笑みが返って来た。
この男、ただでさえ顔の作りが整っているというのに笑顔の使い分けまでお手の物と来ている。
暖かな笑みを向けられたらいつまでもふてくされている自分が器が小さく見えて、女審神者はため息を一つつくと、気を取り直して光忠の横に立った。
「どっちの鍋でする?」
「こっち、もう一つで春雨戻すわ」
「そう? ならそっちは任せようかな」
「うん、光忠はスープをお願い」
「って言っても、僕の味は主の味なんだけれどね」
「自分の料理が一番口に馴染んでるのからいいの」
「主、食べ物にはうるさいから」
「食は基本」
「食い意地がはってる、じゃなくて?」
女審神者が肘鉄を食らわせると、包丁を握ったばかりの光忠は「危ないって」と苦笑した。
「厚たちが、また主の料理食べたいって」
「そっか。しばらくご無沙汰だもんね。今度政府からお給料入ったら、またパーティーしようか」
「うん、それはいいね」
政府からの給料で、
女審神者は時折食材や調味料を持ち込んでくる。
そうして『異国の料理シリーズ』と言う食事会を開くのだ。
その時ばかりは女審神者が料理長で、サポートが光忠。
最近ではすっかりご無沙汰になっていたことを思い出して、彼女は頷いた。
「次は、グリーンカレーにしよう」
食材を切った光忠が、沸いた鍋に入れていく。
手際よく味付けをする光忠を横目に見ながらはるさめの水気が終わる頃には、すっかりスープは出来上がっていた。
「そういわれれば、光忠と台所に立つのも久し振りね」
「最初の頃は、いつも主が居たけれどね」
「任せきりで悪かったね、光忠」
「うん、たまに主が居てくれると……僕も張り合いがあるかな」
「ふぅん」
はるさめを鍋に投入すると、ぐつぐつと煮えていく。
お腹すいたなあ、とぼんやり見ている女審神者。
傍らに立つ光忠はどこまでも柔らかな表情で、その事に気付いた彼女が視線を持ち上げると、彼はにっこりと微笑んだ。
「何?」
「味見する?」
「じゃあ」
少し呑むと、
淡い出汁の香りが口いっぱいに広がって、女審神者はにんまりと口角を持ち上げる。
「美味しい」
「そう?」
「光忠も味見する? でもまあ、もうすぐに食べるし…!?」
見上げた光忠の顔が近い。
女審神者が慌てて距離を取るも遅かった。
唇を柔らかなものが包んで、一瞬の間に離れていく。
目を白黒させている彼女の前でぺろりと唇をなめた光忠は「美味しい」と頷いた。
「……光忠。自分が何してるか分かってる?」
「もちろん」
鍋をかまどから放して、
女審神者は赤い頬を湯気に当てられたせいにしようとスープをよそいながら「一応聞くけど」と重い口を開いた。
「何?」
「どっからどこまで、計算してたの?」
「…だいたい、最初から最後まで、かな」
女審神者が台所に忍び込もうとしたとき、丁度良く出くわしたのも、おおよそちょこちょこ偵察に来ていたのだろう。
短刀たちは「主構って、遊んで」と素直にじゃれついてくるが、
主より図体のでかい太刀や大太刀が「構って」と言ってくることはなく、ようするにまあ、光忠なりの「構って」だと解釈すればいいだけの話かもしれないのだが。
女審神者はスープをよそい終わると、
「あのさあ」
と、光忠におわんを差し出した。
「顔、早く湯気で温めて誤魔化したほうがいいよ」
「……主、そういう所は上手だよね」
「誰かが言ってた。年を取るという事は、誤魔化すことが上手くなるんだって」
「真っ赤なのは隠せてないよ」
「わたしのは湯気と言い張ればすむの。光忠のは?」
「………湯気…じゃない…かな」
まだ頑張るか。
女審神者は小さく息を吐くと、ぽそりと言った。
「赤くなるくらいなら、最初からここまで思い切ったことしなけりゃいいのに」
「想像した時点では、もっとかっこよくなるはずだったんだけど」
「そういう光忠は嫌いじゃない」
「主ってほんと性格悪いよね」
「個性豊かな男子たちと生活してると、そうなるのよ」
ふふん、と女審神者笑って、光忠に箸を渡す。
揃っていただきますを言うと春雨スープに口をつけた。
「……主、次はいつ台所に来る?」
「明日。またちょっかいかけられたらかなわないから」
「大丈夫。次はもっとかっこよくするから」
「次はないっつーの」
「あるよ」
「ない」
「あるって」
「「うん、美味しい」」
*+*+*
構って欲しい光忠。