「どうした、小夜。そんなに慌てて」

ぱたぱたと足音を立てて廊下を走る小夜の後ろ背に声を掛けると、振り返った彼は珍しく血相を変えて慌てていた。
三日月の姿を目に映すなり、すがるように着物を握り締める。
「三日月」
ただならぬ様子に、三日月の精悍な顔が険しくなった。
「何があった?」
「主が…」
「主が?」
小夜は口を開けたまま、言葉が喉元につかえた様子で、ごほ、と咳を零す。
そのままこほこほと咽る彼の小さな背を撫でてやると、
小夜はそれどころではないと言わんばかりに三日月の腕を取って、引っ張った。
「僕は大丈夫だから。とにかく主を止めて、三日月」
「止める?」
「うん。もう時間遡行の時計に向かってる頃だと思うんだ」
「どこへ行く?」
「政府。抗議に行くって、聞かないんだ」
「抗議。また、なにやら物騒な響きだな」
小夜が神妙な面持ちで頷く。
三日月の手を引きながら歩き出した彼は、いつになく早口にまくしたてた。

「朝、華やかな着物を見繕って着せて欲しいって頼まれたんだ。
新年の挨拶にでも行くのかと思って着せたんだけれど。そしたら、政府に抗議に行くから、気合いも入れて髪も結って欲しいって。
止めるけれど、全然聞いて貰えなくて」
「内容は聞いたのか?」

三日月が問うと、小夜はしばし迷った素振りを見せて、頷く。

「――うん。大和守の耳は入らないようにって、念を押されたけれど」
「大和守の?」
「どこかの本丸の大和守が、池田屋に出陣して、その…」
言いにくそうに、小夜が口籠った。
「なるほど」
大和守と池田屋といえば、皆まで言わずとも察しが着くというもの。 三日月が緩やかに相槌を打つと、小夜はきゅ、と眉間に皺を寄せた。
「たいした騒ぎにもならなくて済んだから、その本丸の審神者も報告書に書かずに政府に上げたみたいなんだ。
なのに、どこからかその話が漏れて、政府の耳に入ったみたいで…」
「……刀解の命が出た、と、そんな所か」
「うん。審神者同士の間で話が広まって、政府に抗議が殺到しているって主が言ってた。主も直接抗議に行くんだって聞かないんだ」
「一人で、か?」
「うん。せめてお供を付けて欲しいってお願いしたんだ。
政府だからって絶対に安全な訳じゃない。
主に手が届く所に一振りは置いておいて欲しいって、でも、皆には出来るだけ聞かせたくない、の一点張りで…」

そうか、と三日月は声を潜めた。

「小夜の言葉を聞かぬか。なら、――縛って簀巻きにし、床にでも転がすしかあるまいな」
小夜も大きく頷く。
「うん。多分、それくらいしないと、言い出したあの人は止まらない」
「あい分かった。なら、そうしよう。小夜、縄を持って来てくれるか?」
三日月に頼まれた小夜は、その旨をくみ取ると困った様子で言い淀んだ。
「でも、三日月、一人じゃ…」
「問題ない」
言い切った三日月。
「あとはそうだな――灸を据える為に、何振りか巻き込むのもよいな」
のんびりと三日月が言葉を繋ぐ。
小夜は首を巡らせて三日月を見上げた。
幾度か瞬く。
やがて穏やかな彼の顔にほだされたように、眉間の皺を緩め、口元に僅かな微笑を浮かべと小夜は微かに微笑んだ。
「分かった。……三日月に任せる」
「ああ。任されよう」
三日月の手を離した小夜が、納屋へ向かって駆けていく。
その背を見送った三日月は、時間遡行の時計が置いてある方角へ首を巡らせると、大きく一歩を踏み出した。
ずんずんと歩みを進めていく。
やがて遡行の時計が見えてくると、時計はすでに政府へと行き先を示していた。


「やはり遅かったか。まったく、話題に欠かぬ主だな」






「だーかーら! 納得いかないんです!」
女審神者は両手で机をはじくと、ずいと身を乗り出した。
「そんな一方的な決定、あんまりです!」

未来政府へと足を運ぶと、受付にはすでに多数の審神者の姿があった。刀剣男子たちの姿もある。
最初は、女審神者をこの道へスカウトした役人に抗議をしようと思っていた女審神者だったが、
あれよあれよと言う間に血気盛んな審神者と男子たちの大所帯の中にのみこまれてしまい、そろって苦情担当者の下へ連れて行かれてしまった。
大勢で口を揃えるのは趣味でないし、今のところは黙って聞いておいて、
あとでもう一度受付に戻る算段を立てていた女審神者。
だが、明らかにこちらの意見が右から左のお役所仕事な対応に血がのぼって、
いつの間に一番先頭に出ていた彼女は、目頭を釣り上げた。

「わたしたちは、意思を伝えられない刀に囲まれて生きているんじゃありません。
彼らが一振り一振り意志を持ってる以上、刀剣男子だって間違います!
たった一度の間違いで刀解なんて、彼らは、そんな私たちから見て都合の良い道具じゃないんです!」
「おっしゃる事は分かります」
「分かってないから、取り下げてないんでしょう!?」
「ですが――」
女審神者のあまりの気迫にたじろぐ役人。
息巻いた彼女が更に詰め寄ろうとしたとき、不意に目元を塞がれた。
「うちの主がすまんな」
頭上から降って来た声に、女審神者は暗闇の中で瞬き二回。角を削られたように、素っ頓狂な声をあげる。
「三日月?」
「…」
「三日月丸?」
「ああ」
「何故ここに?」
「小夜に泣き付かれてな。連れ戻しに来た」
言うと、彼は女審神者の目元から手を離した。
視界に、場に不釣り合いな程穏やかに微笑む三日月が映る。
彼は役人ににっこりと笑むと、
「では、暇しよう」
と、女審神者の手を引いた。着物の裾がふわりと舞う。

「ちょ、ま、三日月丸。まだ話は終わってないんだけれど…」
「ああ。そうだったな」
まごつく審神者に、
三日月は思い出したように足を止めた。そうして首だけで後ろを振り返る。
顔は笑顔のまま。
しかし声音は、いつもよりも幾らか低い。
「もしその大和守を刀解させた場合、我らの本丸はすとらいくを起こすぞ」
「三日月丸…ストライキの間違いでは?」
「そうだ、そうだ。ははは。じじぃは最近の言葉に疎くてな」
「政府にストライクしたら、まずいんじゃ…」
「どうだろうな。これだけの本丸の刀剣男子が集まれば……不可能ではないかも知れん。なあ?」
意味深に微笑んだ三日月。
その場に居た審神者や刀剣男子の顔が明るくなる一方で、役人の顔から血の気が引いていく。
三日月は「はっはっは」と声をあげて笑うと、目元を弓なりに細めた。

「お主たちがいくら道理を述べても、所詮人の世の話。相手にしておるのが付喪神という事、忘れぬ方がよいであろうなぁ」

再び歩き出した三日月に問答無用で部屋から連れ出された女審神者は、
歩幅の広い彼について行かねばならないので、必然的に小走りになった。
すると遅れて気付いたのか、三日月はゆるりと小さく足を踏み出す。
歩を進める速さも遅くなり、ようやく乱れた息を整える事が出来た女審神者は、三日月の背中を見上げた。
「あの、三日月丸」
「何だ?」
「いつからあの場所に居たの?」
問うと、三日月は宙を仰ぐ。
「言うべきか迷うが。俺も、意思を伝えなくてはならないからな」
「……ようするに、最初からね」

罰が悪そうに女審神者が言うと、三日月は愉快そうに笑った。

「聞かれたく無かったか?」
「そうね。少なくとも…うちの本丸の刀には聞かせたくなかったかな」
「そうか」
ゆるやかに三日月は頷く。
「だが、それを決めるのもまた、一方的な話だな」
「どういう意味?」
「主と俺たちは家族、なのだろう?」
「うん」
「ならば、対等であるべきだ。そうだろう?」
だんだんと、三日月が言わんとせん事が分かってきて、
女審神者は言葉を濁した。
必死に止める小夜の言葉を聞かずに歩いて行った自分の姿が脳裏を過る。

女審神者は瞳を揺らすと、俯いた。小声で呟く。
「小夜ちゃんに謝る」
「それがいい。随分心配していたからな」
「…三日月もありがとう」
「……」
「三日月丸もありがとう」
「ああ」
頷いて、三日月は笑った。
「主」
「何?」
「今日俺は、主をちょっとだけ見直した」
「…」
「皆が花よ蝶よと過保護だからな。何も知らぬ娘かと思っていたが…、時期尚早だったようだ。何、女は怒ると怖いと訊く。俺も気をつけなければな」
そこでいったん口を閉じて、三日月は何やら思案するそぶりを見せた。
ややあって、言葉を続ける。
「だが主。強くあろうとするならなおの事。己が向ける矛の先を間違わないよう気を付けねばなるまい」
「矛の先?」
「刀だけが人を傷つける訳ではないと言う事だよ。
言葉もまた立派な凶器と成り得る。特に大義名分とやらが在る時こそな。
俺たち刀と違って、主は人だ。人は矛を向ける先を選べる。矛先を理解して向けねばならぬ責任がある」
「……抗議に来たのは考えなしだったって言いたいの?」
「一概にそうも言っていない。言っただろう? 俺は主を見直した、と」
「三日月の言う事は、いつも両方取れるから難しい」
「真実などと言うものは、どこにあるか知れないものからな。それくらいが丁度いい」
「その台詞聞いたら、きっとコナン君は泣くね」
「こなん?」
「何でもない。…まあ、それが出来れば良いと、わたしも思う」
「そうだな」
「安定が――」
「ん?」
「うちの安定がね、もし池田屋に行った時。
その本丸の大和守みたいに、沖田総司に手を伸ばしたらどうしようって、考えたんだ」
「ああ」
「そしたらね。なんか、しょうがないかも知れないなって思ったの」
「……」
「わたしたちの時代を護る。その為に、皆が顕現して戦ってくれている。
本当だったら安定も、ずっと思い出の中で沖田総司を思えた訳じゃない?
でも、時間遡行軍が来るたびに、時間を遡行して、そのたびに血を吐く沖田総司を思い返さなくちゃいけない。
清光だってそう。戻るたびに、沖田総司を護る半ばで折れる自分を思い出さなきゃいけない。
そんな想いを抱きながら戦っているのに、
大好きな人がそこにいて、
手を伸ばすのは規則違反です、なんて、わたしには言えない。
そう思ったら、居ても立ってもいられなくなったの」

女審神者は、込み上げてくる想いの居たたまれなさに、鼻を啜った。
空いている方の手で目元を強く擦る。
赤くなった瞳は、擦ったからか。
ちらりと横眼で見た三日月は、何事も無かったかのように見て見ぬ振りをした。

「審神者のわたしがそれじゃあ、ダメなのも分かってる。だから、聞かれたくなかったのかも知れない」

女審神者の言葉に、三日月は静かに「そうか」と相槌を打つ。
「正しくあると言うのは、難しいな」
「…うん」
「主は頑張っていると、皆知っている。故の過保護だ。ようやく理解がついた。あと、後先考えない所もあるな。鶴丸が笑ってそう言っていたのを思い出した」
「……仰る通りで…。そう言えば、鶴丸とも話したんだった。最初から、話せばよかったんだねって」
「そうだな。ほら、何という? 人の世の言葉があるだろう。三人寄れば…」
「文殊の知恵?」
「それだ。文殊とやらの知恵を借りる術も思い浮かぶのではないか?」
「ちょっと違うけれど、まあ、そんな感じかな」
審神者が苦笑する。
三日月は彼女に首を巡らせると、その薄い唇に、暖かな微笑を浮かべた。
あっけらかんと声を上げる。


「さて、帰るとするかー」
「小夜ちゃん、心配してるだろうね」
「心配ぐらいで済めばいいがな」
「ん? どういう意味?」
「まあ、簀巻きになったら、また俺と話をしよう。主と話をするのは、どうやら嫌いではないようだ」


「だから、何の話?」


「帰ってからの、お楽しみだな」

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続きます。