「四時間か!」
「よじかん、ですか」
「四時間…ですか」

「うん。もうすぐ経つんだけれどね」

小狐丸の銀色の髪に櫛を通しながら、女審神者はゆっくりと頷いた。
その横で、団子を食す岩融と今剣は、溶けるような橙色の夕日を見上げている。
「こぎつねまる、ですかね」
「小狐は一振りで十分ですよ、主さま」
「…そんな事言われても」
「二振りも来れば、文字通り化かしあいになるだろうな」
「あんまり楽しい絵面じゃなさそうね、それは」
「あいだにはさまれて、あるじさまはかわいそうですね」
「ちょっと待っていまつるちゃん。色々諦めるのが早すぎるから。もしかして、もしかしたらと言う可能性も…あるじゃない?」
「みかづきですね」
「うんそう」
女審神者は真顔で頷いた。
今剣はそんな彼女をつぃと見ると、流れるように視線を逸らす。
「…ないとおもいます」
「ないだろうなあ」
「難しいでしょうね」
三者三様に口を開いた三条の刀たちにキッパリと切り捨てられ、女審神者は思わず心臓を押さえた。
ぽろりと手から櫛が落ちる。その気配を察して素早く手を伸ばした小狐丸は、櫛を掴むとほっと息を吐いた。

「あれは――鍛刀されるのは、よほど難しいと聞きますからね。まあ、同じく四時間かかる小狐が言うのもなんな話ですが」
「万が一に手に入れたとて…」
「あまりのうつくしさに、こころをうばわれてしまうさにわもいるとききます。なかには、さにわをつづけることができなくなったものもいると」
岩融の膝の上に収まったまま、今剣は女審神者を見上げる。
瞼にひかれた紅い色。
くりくりとした二つの眼が女審神者を見据え、ややあって、彼は小さく笑った。

「まあ、あるじさまがうばわれるとはおもえませんが」
「それはどういう意味かな? いまつるちゃん」
「びてきかんかくのもんだいです」
「えぇえええぇぇ」
「万年芋ジャーだからな!」
「ちょっとこの二振り、そろうと切れ味半端ないんですけど!?」
ねー、と顔を見合す岩融と今剣。
女審神者はショックに打ち震えたあと、ごにょごにょと言葉を濁した。

「ちょっと位夢見てもいいじゃない? 三日月宗近が来て、石切丸が来れば、ついにうちの本丸に三条の刀が揃うんだよ?」
「きょうだいがふえるのは、いいことです」
「でしょ? だから、ちょっと夢見てもいいの!」
「みかづきがきたひには、ほんまるはたいへんそうですね」
「まあ、大騒動になるだろうね」
「かしゅうきよみつと、しょくだいきりがなくかもしれません」
「――最近みんな、何かとあの二振りの名前出すよね?」
「なみだぐましいどりょくがみえるからです」
「今剣、小狐はどうだ?」
「こぎつねは………よくにしたがってるだけですね」
「よく分かりますね、今剣」
「小狐丸。たぶんそれ、褒められてない」
にんまりと笑う小狐丸に言うが、まんざらでもない様子だ。
彼は女審神者に櫛を手渡すと、再び始まった櫛入れに瞳を細める。

「こちらから見れば、人間は欲を抑える事を憶えてしまって、可愛そうにも思えますよ。人間だって、元を辿れば獣。もっと欲に素直に生きた方が得な造りをしているはずですが」
「小狐丸が言うと、なんか説得力があるよね」
「主さまも、はやくこちらへ来られるとよいのに」
「なんかいますごく怖い誘いを受けてるんですが…」
「そういう意味合いで言えば、まあ、三日月に陶酔し人生を呑まれる方が、小狐には、よほど人間らしいようにも思えます」
「これで気が合うからな。三日月と小狐丸は」
「そうですね。嫌いではありませんよ」
相槌を打った小狐丸に、今剣が首を傾げる。

「いしきりまるも、なかなかきませんね」
「神剣が一振り増えれば、太郎と次郎の仕事も減るでしょうが」
「特にあれは祓いが得意だからな」
「え? 何の話?」
「――こちらの話ですよ」
小狐丸を覗き込んだ女審神者に、彼は目を細めて笑みを返した。
今剣はぱたぱたと足を動かすと、そうですねぇ、とのんびり言葉を続ける。

「みんな、このほんまるがだいすきだというはなしですね」
「そうなの?」
「家を護るのは家族の務め!」
「そう我らに教え込んだのは、主さまですからね」
「あるじさまのいうとおり、そうやってかんがえるとたのしくなってきました。みかづきもいしきりまるも、はやくくるといいですね」
「そうだねぇ」

彼女が頷くと、最後の団子を二つまとめて口に頬張った岩融が、豪快に口を動かしながら首を傾げる。
「――そろそろではないのか? 主よ」
「そうだね。行ってみようか」

立ち上がった女審神者から櫛を受け取り、大切に胸元に仕舞いこんだ小狐丸も立ち上がった。岩融に今剣も腰をあげて、彼女は三振りを従えたまま、のんびりと鍛刀の部屋へ向かう。
「あるじさまはいがいとよゆうですね」
「こう言う時、はしゃいだほうが落ち込みそうじゃない? こう、期待はしませんけど的な空気を醸し出していたほうが、嬉しい事が起こりそう、みたいな」
「それは小狐だとハズレという意味ですか? 主さま」
「え!? い、嫌そんなことないよ!?」
「構いませんよ。小狐がもう一振り来ては、小狐が困ります。即、連結致しましょう」
「じぶんにようしゃがないですね」
「早く顕現した物勝ちですよ」
「小狐丸よ、三日月だったらどうする?」
「そうですね。主さまが魅入られないよう、まずはそっと目を塞ぎますか」
「だいじょうぶですよ、こぎつねまる」
「今剣は言い切るな」
「このなかでは、ぼくがいちばんはじめにけんげんしたんです。あるじさまのことは、いーっちばん、よくわかってるんですよ?」
「なるほどな」
「それを言われては――ですね」
小さな胸をえへんと張った今剣に、岩融と小狐丸の目元が緩む。
やはり兄弟と言うのは刀剣男子たちにも大きいようで、
日頃から血気盛んな岩融と小狐丸の穏やかな雰囲気に、女審神者も自然と笑みが零れた。

「さて、と」
「丁度いいころあいですね」
「あけてみましょう!」

いの一番に今剣が障子に手をかける。
どきどきを楽しむ間も与えず、彼はいっそ清々しい勢いでスパーンと障子を開いた。
女審神者と、小狐丸、岩融が中を覗きこむように身を乗り出す。
「これは」
と、小狐丸が瞳を見開いたと同時に、ふわりと人の姿が刀から現われた。

「――小狐丸か、久しいな」
「…」
「……」
「なにをやっているんですか? ふたりとも」
「咄嗟にですね」
「釣られてな!」

右目を小狐丸。左目を岩融にふさがれた女審神者は、真っ暗な世界で瞬いた。
「その声は…」
「見るに、彼女が主か」
「み、三日月丸…!?」
驚愕の声をあげた女審神者は、
すぐさま両手で自分の唇を押さえた。
目も口も見えなくなった女審神者が、ぽつりと呟く声が聞こえる。

「間違えた」

「まちがえたんですね」
「だって、さっきから小狐丸とか石切丸とか言うから」
「あとはほんまるもでましたしね」
「……うん」

「はっはっは。なるほど、愉快な主だ。三日月丸。良い名だな」
「す、すいません申し訳ない天下五剣に対して…」
「よきかな、よきかな」
「…」
「……ところで、いつになったら顔を見せて貰えるのか」
小首を傾げた三日月に、小狐丸は眉間に皺を寄せた。

「本当は、見せたくないのですが」
「相変わらずだな、小狐丸」
「さきほど、みかづきにみいられたものたちのはなしをしていたのですよ」
「なるほど。それで主に俺を見せぬのか。しかしまあ、いつまでも目を塞いでおくわけにもいくまい」
「…仕方がないですね…」

渋々と小狐丸が手を離す。
すると、岩融は愉快そうに声をあげて笑い、また手を離した。
ようやく広がった世界の中心に居る三日月宗近に、女審神者はおおう、と間の抜けた声をあげる。

「どうですか? あるじさま?」
「イケメンですね」
「ほら、こぎつねまる。いわとおし。このくらいのものですよ」
「どちらかと言うと、すごくイケメンだよね」
「そしてこれがそのうちここちよくかんじるようになると、へたしたら、こうなりますからね。いわとおし」

今剣が小狐丸を指差す傍で、
女審神者は腰を曲げると、深く頭を下げた。

「はじめまして、三日月。わたしが不肖ながら、この本丸の主をしております」
返事がない。
面をあげると、三日月宗近はにこにこと微笑んだまま。
「あの、三日月?」
「…」
やはりない。
首を傾げると、彼もまた、笑顔のまま小首を傾げる。
「えーっと?」
どうしろと?
固まった女審神者に、三日月宗近は瞳を細めると、妖艶な笑みを浮かべた。
「嫌、な。先ほど頂いた名は、確か違ったように憶えているが」
「根に持つ程ですか!?」
「なに。気に入っただけだよ」
「ほ、ホントですか…それって」
「嘘をついても仕方あるまい」
三日月を見つめること数十秒。
あいも変わらず微笑んでいる彼が、本当に呼び名が気に入ったのか定かではないが、念のため、女審神者はおそるおそると声をあげた。

「三日月」
「…」
「三日月丸」
「よろしく頼む」

返事が来た。
さすが天下五剣。登場の仕方から度肝を抜く。
自らが呼び間違えたことなど棚に上げて女審神者が肝を冷やしていると、三日月は藍色の着物の袖で、口元を隠した。そうして、笑う。

「なるほど。それは素か」
「へ?」
「小狐丸」
「…なんですか?」
「どうにも俺は、愉快な所に顕現したようだな」
「貴方がそう感じるなら、そうなんでしょうね」
対する小狐丸は不愉快そうだ。
そんな小狐丸と三日月を見て、岩融はにぃっと口端を持ち上げる。

「面白いな、今剣よ」
「けんげんされてすぐにきづくとは、さすがてんかごけんですね」
「なに、今剣よ。そう褒めるでない。伊達に長生きはしていない、と言うだけの話だな」
のんびりと三日月が答えた。
頭上を飛び交う会話のやりとりに女審神者は、一人置いていかれたまま。

「…小狐丸、何の話?」
ようやく勇気を出して首を巡らせると、先ほど毛艶を整えて貰っていた時とは天と地ほどの機嫌の落差で、小狐丸は声を低くした。
「主さまは、お気になさらず」
「…?」
「小狐丸よ。名を貰ってないからと、そう目くじらを立てずとも良いではないか」
「……相変わらず、食えませんね」
「じじぃだからな」
くすくすと、鈴の音が鳴るように三日月が笑う。
「貴方の事は嫌いではありませんが…主さまをたぶらかすのは、止めて頂きたい」
「たぶらかすのは、お主の方が得意であろう?」
「どうだか」
「えーっと、だから…」
「主よ」
「ぅあ、はい!」
唐突に呼ばれて、女審神者は挙動不審にきょろきょろと見回していた背筋を伸ばした。直立不動で三日月を見る。

「何でしょう…?」
「永遠に満ちる事のない三日月を、満月にしようとするのは、おろかなことだと思わないか?」
「え?」
「神を名で縛ろうとするのも、同じこと」
とつとつと、三日月が口にする言葉を女審神者は聞いていた。
彼はゆっくりと歩みを進めると、ポカンと口を開いたままの女審神者に目線を合わせるように、腰を低くする。

その瞳に浮かぶ三日月が、あまりの妖しさに背筋を寒くして、
女審神者はどことなく感じる薄ら寒さに、身体を固くした。
そんな彼女を真っ直ぐと見据えながら、天下五剣、三日月宗近はさも美しく微笑む。

「主がこの三日月丸にくれる答え、楽しみにしているよ」


*+*+*+*+*+
「小狐丸。そう怒らずともよいであろう」
「あの一件から、小狐は三日月を嫌いになりましたので」
「あれは主に危機感を与えようとしたまでのこと。神を相手にするのに、無知は言い訳にはならないからな」
「なら――そう教えれば良かっただけの事。名を貰う必要などなかったはずです」
「ふむ」
「…なんですか?」
「やきもち、と言うやつか」
「えー、そうですよ。そうですが何か? 顕現されてすぐの貴方が、ちゃっかり主さまに名前を頂くなど、この小狐。一生根に持ちます」
「なぜ名を貰ったか、か…ふむ」
「…」
「なんとなく、だな。興味が沸いた」
「……………それが一番怖い事を、貴方はまだ知らないだけですよ」
「それは楽しみだ」