闇雲に走っていた女審神者は腕を掴まれた。
「なっ」
そのまま引き寄せられると、どこぞの部屋に引っ張り込まれる。
「…こ、小狐丸…」
にんまりと笑っている彼は、
思ったとおりに女審神者を釣り上げて満足気だ。
「ぬしさま。ようやくお手元に」
悪戯に髪を梳く手は、どこまでも優しい。
だが、その奥に見え隠れするのはどう見ても野生の獣そのもので、
女審神者は冷や汗が流れるのを感じると、あわただしく口を開いた。
「と、とりあえず落ち着こう。小狐丸」
「小狐は落ち着いております、ぬしさま」
胡坐をかいている小狐丸の上に乗せられて抱きすくめられる。
小狐丸という名は謙遜です、と言うだけあって、
意外とすんなり収まっている自分に、女審神者は少々驚いてしまった。
直ぐ目の前にあるのは、小狐丸の分厚い胸板。
肌蹴たその部分がまず目に入って、女審神者の脳内で、身の危険を知らせるアラームが響き渡る。
「いや、も、ど、どうしよ」
「落ち着いてください、ぬしさま」
「落ち着けるわけないでしょ」
「呪いを解くだけでございます」
「呪いかけた本人が解くなんて、とんだ茶番劇だよ!?」
「ここは一つ、狐に化かされたという事で…」
小狐丸の瞳が、弓のように細くなる。
「口付けを」
小狐丸の顔が近づいてきて、
女審神者はおっかなびっくり、ぎゅうと瞳を瞑った。
おそれていた感触は唇に訪れない。
その代わり、おもむろに腕を持ち上げられたかと思うと、指先に柔らかな感触が落ちてきた。
女審神者はぽかんと口を半開く。
「…へ? もしかして、手とかでも解けるの?」
「まさか」
「…ですよね」
「すぐに終わらせてしまっては、もったいなくございます」
次は手首に。腕に。
今度は逆の指先に。
色んなところからちゅ、と音が聞こえるたび、女審神者の心拍数は上がっていく。
「も、小狐丸、ひとおもいに…!」
異様に飛び跳ねる心臓。
「ぬしさま。顔が真っ赤ですよ」
「あ、当たり前でしょ。こんな恥ずかしいことされて、平然でいられるものですか!」
「耳と、頬と」
ちゅ、ちゅ、と。
息が詰まって死にそうで、女審神者は小狐丸からとっさに逃げようとするけれど、身動き一つ取れない。
「瞼と、額と――」
「こぎつねまる、も…いい加減に…」
「唇と」
怒ろうと思って瞳を開けた瞬間に、
口角に親指が触れた。
直ぐ目の前にある小狐丸の顔が、妖艶な笑みを浮かべて、
氷のように固まった女審神者の唇に、ちゅ、と唇が触れた。
ゆっくりともったいぶって離れていく小狐丸の瞳に、
茹でタコのようになった女審神者が映っている。
彼は嗚呼、と一人呟くと、見るも鮮やかに微笑んだ。
「本当にぬしさまは、かわいらしくていらっしゃる」