「誉百回達成おめでとう、清光」


かしこまって正座する女審神者の前で、
戦装束のまま座している清光は、はにかむように微笑んだ。

切れ長な猫目が弧を描くように細くなって、頬に朱色が差す。
少し恥ずかしそうに小首を傾げた彼は、小さく頷いた。
「……ありがと。主」

初期刀である清光が、誉を百回得たのは昨日のこと。

賛辞される清光よりも、女審神者の方が緊張しているのはいささか情けない。
緊張に呑まれぬよう、しゃんと背筋を伸ばすと、改まって咳払いを一つ。
「清光。労いと、感謝の気持ち、それからこれから先の戦でまた頑張って貰いたい気持ちを込めて、お祝いを用意したいなと思ってるんだけれど」
「お祝い? 何でもいいの?」
「わたしが用意できるものなら」

「お祝い、ね」

清光は宙を仰ぐ。
そのまましばらく考え込む素振りをみせて、女審神者に視線を戻した彼は笑みを浮かべた。
美しい唇が綺麗に持ち上がる様は、何とも色っぽい。
その笑顔に、何故だか背筋が寒くなるのを感じた女審神者は固まった。二回瞬く。
「…清光?」
「何でもいいんだよね?」
「可能な範囲なら…」



「じゃあ、俺に主の爪塗らせてくれない?」



「………へ?」

たっぷりと数十秒の間の後。
女審神者は、面を食らったような顔で首を傾げた。
嫌な予感がてんで的外れだったことで虚を突かれたのと、
もっと「あれが欲しい」や「これが欲しい」など言って貰えると期待していた気持ちが交差して、複雑な思いが込み上げてくる。

女審神者は身を乗り出すと、まくしたてるように言葉を繋げた。

「そんなのでいいの? もっとほら、欲しいものとかないの? 新しい爪の紅とか、靴とか、髪留めとか。
清光が知ってる通り、万年資源も資金も不足してる本丸だけれど、こういう時を想定してちょっとは貯蓄してるんだよ?
全然遠慮なんてしないで、言ってくれて構わないよ」
思いつく限りを並べてみたものの、当の清光はあまりピンと来ないよう。
のんびりと言葉を返して来る。
「んー、いるものって言われてもなあ」
「今すぐ決めなくてもいいよ。思い浮かんだ時に言ってくれて、全然…」
「うん。それでもやっぱり、爪塗る方がいいかな、俺」
「えー」
「えー、って主。何でもいいって言ったじゃん」
「言ったけど、言っただけに拍子抜けしたみたいな」
「あ、手じゃなくて足の爪ね」

さらりと言った清光に、女審神者は食いつくように驚いた。


「今足って言った!?」
「そ、足」

頷いた清光。
女審神者は即座に首を横に振った。
あまりの速さに、風を切る音が聞こえて来る気がする。
「む、無理むりムリむり無理。そんなこっ恥ずかしい事、絶対無理!」
「贈り物買うより、経済的じゃん」
「懐は痛まなくても、心が居た堪れないよ! むしろ懐が痛む方を希望します」
切実に述べる女審神者。
清光はふぅん、と言って口角を持ち上げると、下から見上げるように声を出した。
「言っても俺、付喪神なんだけどなぁ。 約束破るの、まずいと思うよ?」

ずぃと身を乗り出して来た清光の猫目が、弓なりに細くなる。
くるくるとした黒目に映った女審神者は次第に血の気を失くした顔付きになると、たじろぐように逃げ腰になった。

あわあわと唇が震えている。
「い、いや。用意出来るものはって、ちゃんと前置きしたし」
「出来るものじゃん」
「…」
「約束、破るの?」
しょんぼりと肩を落とされようものなら、目に入れても痛くない清光のこと。
可愛さに負けてつい頷いてしまいそうだが、今日の彼はいつになく勝気だ。
押されては負けると、女審神者は語気を強めた。
「清光は、約束破られるのと、わたしの心臓が口から飛び出るのを見るのだったら、どっちがいいのさ!?」
すると彼は余裕な態でゆるりと微笑む。
「心臓が飛び出たら、俺が戻すから問題ないんじゃない?」
「どうやって!?」
「俺、川の下の子だからさ。意外にそういうのも詳しいよ?」
「確実に嘘じゃん、それ!」
「嘘かどうか試してみる? 主」
訊かれて、女審神者は真顔で断った。
「怖いから止めとく」

「えー」
口先を尖らせた清光は、戦装束の内ポケットにおもむろに手を忍ばせる。
取り出されたのは紅いマニキュアで、
女審神者は目を見開いて驚いた。
「じゃぁま、はじめよっか」
「何故そこにすでに持ってるの!?」
「俺の嗜み。いつか主に塗りたかったんだよねー」
「せめて、手は!?」
「それじゃあ普通じゃん? どうせなら、誉っぽくしたいし」
「ちょ、ま、言いながら近づいて来るの禁止!」
「だーめ」
逃げようとしていた足首を掴まれた女審神者は、問答無用で靴下を剥がされた。途端に外気に触れた足がひんやりと冷たくなったが、対して顔は火を噴くように熱くなっていく。
女審神者はあまりの恥ずかしさに両手で顔を覆うと、悲鳴をあげた。

「マジで無理。恥ずかしい。嫌ぁあああぁあ」
「終わるまで動かないでよ」
「口から出る、口から出る、口から出る」
「出てもいいから、動かない」
「にゅぁおぁおぁあああ」
「どういう悲鳴? それ」

はは、と笑い声をあげながら、清光が丁寧な動きでマニキュアを塗っていく。
次第に紅く染まって行く爪先を見る余裕もなく、ああ、だの、うう、だの、呻き声をあげる女審神者はあっけなく抵抗を防がれた。反対側の足も取られる。
一分が十分のように感じる長い時間。
心臓の音が嫌に大きくて、女審神者は身体を石のように強張らせたまま目を覆っていた。


「終わったよー、主」
「………死ぬかと思った」
「ほら、なかなかいい出来栄えじゃない?」
清光が示す足の爪は、彼の指先の色と同じ紅。
並べられると、まるで同じ人間の爪のよう。
なんとも言えない恥ずかしさが込み上げてきて、女審神者はくらりと後ろに倒れそうになるのを寸での所で堪えた。
ガスが抜けるような音をたてて、顔が真っ赤に染まって行く。
そんな彼女を見て、清光はいたく満足気に微笑んだ。

「ねぇ、主?」
「……」
花が零れるような笑顔のまま。
清光はつぅと指先で女審神者の足に触れる。
触られた瞬間、足先が燃えるように熱くなるのを感じて、
女審神者は金魚のように口を開いたり閉じたり繰り返した。
「主が誰と話しててもさ。皆が見えないここは、俺の色なんだね」
「………ぅぁ」
「誉のお祝い、すごく嬉しい。主、ありがと」


完全勝利。
にんまりと笑う清光に、
敗北の二文字が浮んだ女審神者は、茹蛸になった顔をうつむかせた。

ややあって、やっと呼吸が出来るようになると、言葉を紡ぐ。

「今のは駄目だ。やばい」
「染められちゃった?」
「爪だけじゃなくってか」
「ホント、そのまま全部俺の色になればいいんだけどねー」

「今日の所は、それ以上勘弁してください」
「続きは誉二百回達成の時ね」
「…」
「返事はー?」
「……お、おう…」
「よろしい」