「本丸に幽霊?」
布団を敷いていた手を止めて尋ねた清光に、安定はこくりと頷いた。
「うん、五虎退が見たとか」
「……その話、主にしたりしてないよね?」
「主? いたよ」

あっさりと言った安定に、
清光は頭を抱える事で応える。
「あーあ」
「なんで?」
「主、怖い話駄目なんだよ」
「えー? 普通に聞いてたけど」
「内心気が気じゃなかったんじゃない? あの人、意外とポーカーフェイスだから」
曲者ばかりの刀剣男子たちに囲まれてると、自然とそうなるの。
か弱い人の子でありながら、のらりくらりとかわしていく女審神者は、ああ見えて肝が据わっている。
ところが彼女はホラーな話にまるで免疫がなく、
まだ刀が多く顕現してなかった頃の本丸で一度幽霊出没騒動が起こったときは、
それこそトイレにも風呂にも行きたがらなくなって、清光と鳴狐はかなり骨を折ったのだ。

その時のことを、宙を仰いで思い返していた清光は、
ややあって、重いため息をついた。
枕を置くと、「ちょっと出てくる」と襖に手をかける。

「主のとこ? こんな時間に?」
「あの人のことだから、多分寝れなくなっておきてると思うし。先寝てていいから」
「下心あるんじゃない?」
「無いよ! ばーか!」
うっすらと朱に染まった頬を見られぬうちに、清光は襖を閉めた。
なにやらニヤケ顔の安定が見えた気がしたが、放っておくことにする。
廊下を歩くと、冷たい床が足元から冷たくしていく。
清光は寝巻きだ。
何か上に羽織ってくるものを持ってくればよかった、と、思ったとき、
うう、と廊下の奥から何か呻き声のようなものが聞こえてきて、一瞬心臓が冷えた。

「――?」
耳を澄ますと、今から清光が向かう方角から、確かに低い唸り声が聞こえる。

「まさかね」
妙に明るい口調になったのは、決しておびえているからなどではない。
自分に言い聞かせて、清光は真っ暗な廊下の先を、瞳を凝らして見た。


「……主?」
「………清光?」

暗がりを猫背で歩いていたのは、紛うことない清光の主で、
清光が小走りに駆け寄ると、彼女は真っ青になった唇を震わせていた。
「良かった、物音がしたから、まさかと…」
「幽霊が物音立てるわけないじゃん」
「そうよね。うん、分かってはいるんだけど」
「って言うか、怖がりなのになんでこんな時間に出歩いてるわけ?」
「一人は心細かったから…。青江に…」
「にっかり青江?」
「そう。酒でも献上して、一緒に居てもらおうかと思って」
にっかり青江なら、いざとなっても幽霊相手に護ってくれるだろうと、女審神者は本気で思っているらしい。
彼女が秘蔵酒として隠していた樽造りの古酒がその証拠だ。
清光は腹の底からため息を吐いた。
「主、見えないじゃん? 見えるにっかり青江と一緒に居たら、余計怖くなるだけなんじゃない?」
「……そ」
「そ?」
「そこまで考えてなかった…」
「駄目だこりゃ」
あっけらかんと、清光は笑った。
彼女の手を取ると、ひんやりと冷たい。
「もー、こんな時間に出歩くから」
「だって、部屋一人、怖い」
「子どもじゃないんだから」
「いい歳してたって、怖いものは怖い!」
駄々っ子状態だ。
こうなると、かたくなになる女審神者であることを良くよく知っている清光は、
彼女の樽酒を受け取って小脇に抱えると、その手を取って彼女が来たほうへと歩き出した。

「時間遡行軍とは戦えて、幽霊は駄目なわけー?」
「見えないから怖い」
「言ってることめちゃくちゃだし」
「こうなったら、酒に飲まれて寝るしかないと思うの」
「その発想が怖いから」
「幽霊より?」
「幽霊より。だから来たの」
「全部筒抜けと言う事で」
「なんでにっかり青江なわけー? 俺が良かった」
「だから護ってくれると思って…」
「俺だって、何が来たって主のこと護るよ」
「幽霊でも?」
「幽霊でも」
「――そしたら清光、にっかり清光になるね」
「…そういうつまらない冗談言えるなら、ちょっとは落ち着いたんじゃない?」
「おっしゃるとおりで」

女審神者の部屋にたどりつくと、彼女は真っ暗な室内に、多少ためらう素振りを見せた。
しかたなしに清光は先に部屋へ入り、灯りをともす。
「はい。どうぞ」
「ありがと。呑む?」
感謝の意を表しているのか、手のひらで清光の脇にある樽酒を示した女審神者に、
清光は首を横に振った。
「のまなーい」
「なんで?」
「前も主、怖いの紛らわそうとして酒飲んで、トイレ近くなって騒いだじゃん」
「な! そんな事をまだ憶えてたの!?」
「主のことはぜーんぶ憶えておく主義なの。俺」
「死ぬまで言われるってこと?」
「死ぬまで傍に置いてくれるならね」
「じゃあ言われるじゃん」
「そういうこと。ほら、布団入る」
「やだー! 寝たら、清光部屋戻るんだ! トイレにおきたら、また一人!」
「当たり前!」
「おぉぉぉぉおおにぃぃいいいいいいいい!」
「それそんなに伸ばすとこ?」
すでに酔ってるんじゃないだろうかと思わせる彼女は、
布団の上で、恨めしそうに清光を見つめる。

「そんな顔してもだーめ」
「わたしだって憶えてるもの! 清光しかまだ本丸に居なかったとき! 一緒に寝てくれた!」
「はぁああ!?」
つまりなんだ。一緒に寝ろと言っているのか。
まるまると瞳を開いた清光は、大またで歩みを進めると、布団の上に座る女審神者の頬を、容赦なく両側へ引っ張った。

「いひゃい」
「どっちが鬼ぃ?」
「清光」
「主じゃん!」
「なんでー!」
「どういう意味か分かってないからだろー!」
「だって一緒に寝たことあるし!」
「今と昔は違うの」
「どこが!」
「俺の気持ち!」

清光と顔を突き合わせていた女審神者は、ここにきてはたと目を瞬かせた。
二回三回と瞬いて、清光を見つめる。
「ん?」
あげく、聞こえてない振りをした。
そのあまりのお粗末さに、清光は頬を握る手につい力が篭る。
「此処に来て誤魔化すとか、ホント下手だよね」
「いやいや。そんな事はないよ。こう見えて、曲者そろいの刀剣男子たちの中で常日頃鍛えられているからね、わたし」
「うん、俺安定に言ったこと訂正しなきゃ」
「なにを?」
「主はポーカーフェイスだって」
「似合いの台詞じゃん」
「どこが」
「どこだろう?」
「もういいよ。話逸らしてなかったことにするつもりでしょ」
「……バレてたか」
ふ、と笑った審神者は、力を篭めた手で抓り上げられたことに、すぐさま抗議の声を上げた。
「痛い!」
「ごめんなさいは?」
「ごめんなさいぃぃ」
「よし」
ようやく手を離してもらえて、女審神者は両の頬を摩る。
「…この歳になって、こんな辱めを受けるとは…」
「何いってんのー? 主がいくつになったって、俺たちの方が年上じゃん? 子どもだよ」
「その言葉、短刀に言われたらガチで凹むかも」
「薬研あたりなら言うんじゃない?」
「言いそう」
肩を落とした女審神者は、布団にもぐりこんだ。

「いーよーだ。寝るから」
「最初からそうしてればいいのに」
「出来ないから青江のところ行こうとしたんじゃん!」
「だーかーら」
「ぎゃ!」
枕の両側に手を突かれて、横になっている女審神者を逆側から覗き込む清光は、
寝巻きの裾から鎖骨が見えている。
陶器のように白く、美しい男の鎖骨は、見るからに目に毒で、
女審神者は潰れたような声をあげると、両の目を覆った。
しかし力任せに外されて、泡食う彼女の瞳には、清光の綺麗な顔。
「そういうときは、俺でしょ?」
「だ、だって…」
「だって?」
「清光、一緒寝てくれないなら…」
「にっかり青江と一緒に寝るんだ」
「いや、違うけど。違うけど!」
「はい、黙って」

反射的に口を噤んでしまったことを、女審神者は激しく後悔した。
瞳に映る清光が、だんだんと近づいてくる。
抵抗しようにも両の腕を取られたままの女審神者は、
鼻先がこすれ、暖かな清光の吐息が頬を撫ぜたことに目を回した。
「ちょ、清光…っ、それ以上は…!」
「ねぇ、主?」
「なんでしょう!?」
「幽霊とどっちが怖い?」
「清光です!!」
「分かればよろしい」
あっさりと離れた彼に、女審神者は今にも飛び出そうな心臓を抑えるように胸に手をあてる。
そんな彼女に首を巡らせて、清光はふてくされたように唇を尖らせた。
「いっとくけど。俺じゃなかったら、主はとっくに剥がされてること、分かってる?」
「はが…!?」
「俺が我慢強い子でよかったねぇー、主」
「……う、うん?」
「これに懲りたら、うっかり他の刀の所に行かないこと! すぐ俺の所に来ること! いーい!? 分かった!?」
「は、はい」
人差し指を突きつけられて、女審神者は頷いた。
「分かりました」
「よろしい」

清光はふん、と息を吐くと、襖に手をかけた。
待っておいてかないでとすがる度胸は、もう女審神者の中に微塵も残っていない。

「……おやすみなさい、清光」
「おやすみぃ」

ひらりと手を振る清光を見送った女審神者は布団にくるまり、
一方部屋を出た清光は、
「安定」
と、声をあげた。

寝巻きの上にもこもこと着込んでいる安定は、手に持っていた分厚い羽織を清光に差し出す。

「はい。上着と靴下。それに、湯たんぽ」
「なんで?」
「今から明け方まで庭先で耐久するんじゃないの?」
「……」
「やっぱり」

お見通しと言う事か。
素直に受け取ると、安定は「じゃじゃーん」と懐から酒を取り出した。

「呑む?」
「のーむ」
ゆらりと揺れた清光は、
駆け寄ると、安定の胸元に飛び込んだ。

「安定――! 俺超頑張ったんだけどぉ!」
「はいはい。お疲れ様」

泣きそうな勢いの清光の背を撫でながら、
安定は真っ暗な主の部屋を見て、苦笑を浮かべた。

「ほんと、皆大変だねぇ」


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傍から見てると楽しい事に気付いた安定。