「兼定」
「よぉ」
床に座り込んだまま、片手を挙げた和泉守兼定に女審神者も手を挙げて答えた。挨拶のように口を開く。
「国広が探してたよ」
「知ってる」
「また何か余計な事言ったの?」
「言われたんだよ」
「言ったくせに」
「…」
兼定の相棒兼助手を名乗っている堀川国広は、この一振りを、砂糖菓子をはちみつにつけたように甘やかしている。
手をかけられようで言えば、女審神者もなかなか過保護に愛されていると思うが、元々ともに土方歳三の刀だったというだけあって、あうんの呼吸の彼らは、お互い考えていることも分かるらしい。近さは審神者と刀の比ではない。
常日頃から「兼さん」「兼さん」と慕う国広に、時折胸焼けを起こすらしい兼定が憎まれ口ついでに言わなくても言い事まで口走って、自暴自棄に陥る事はよくある事。
女審神者が後ろ手に襖を閉めると、兼定は「あーあ」と口先を尖らせた。
「つい言っちまうんだよなあ」
「後悔先に立たずだね。別にいいじゃん? 国広が怒る訳でもないし」
感情豊かな兼定を相手にしているからか、堀川国広の懐はものすごく広い。
悪態をついたとて、兼定の独り相撲で終わる事は目に見えていて、女審神者はたいした事も無さ気にのんびりと笑った。
「相変わらず、兼定は手入れ部屋の使い方を間違ってるね」
「……いいだろぉ。別に、他いねぇんだからよ」
「ま、それもそうだけれど」
手入れ部屋の奥にある小部屋は、手入れに使う資材置き場だ。
女審神者しか使用しないその部屋は、普段彼女自身が掃除しているのもあり、出入りする刀はほとんど居ない。
もしくは唯一と言っていいのが、この和泉守兼定だ。
初めて彼がこの部屋に居るのを見つけた際は、臆病な女審神者は腹の底から驚いたものだったが、今となっては見慣れた光景。
女審神者は兼定を横眼で見ながら、手近な椅子を引き寄せると座った。
「――それより」
「ん?」
「……アンタも、ここに居るって事は何かあったンじゃねぇのか?」
「…ほぅ」
「なんだよ、その相槌は」
「嫌、伊達に居座ってるだけないな、と思って」
「褒めてねぇよな?」
「どちらかと言うと褒めてるけど」
「…なら、いいけどよ」
いいんだ、と女審神者は胸の内で呟いた。
「兼定は、褒められるの好きだよね」
「貶されるよりマシだろ」
「いや、わたしも好きなんだけれどさ。なんていうか、国広がものすごく褒め上手な真髄はここにあるよなあ、って思って」
「国広が?」
「そうそう。兼定だけにならともかく、わたしのこともとても褒めてくれるんだけれど、それがなんていうか、こっちが恥ずかしくなるくらいの直球で…」
「ふぅん」
「こないだもね、現世に出かけた夜、芋ジャーで歩いてたら国広に会ってね。ものすんごい笑顔で、主さんはやっぱりその服が一番似合いますね、って言われたの。
一瞬ね、冗談かと思ったんだ。
そしたら、僕はやっぱり見慣れたその服が好きだなぁってはにかんで、ほっぺたかくんだよ。
何これ天使が居るわ、って思ってさ」
「……」
「え? 何その真顔。芋ジャー褒められて喜ぶなって事!?」
「言ってねぇだろ!」
「…なら、いいけど」
口先を尖らせた女審神者が、椅子を前や後ろに揺らす。
ギィギィと金の音がする動きをぼんやりと眺めていた兼定は、それで? と、小首を傾げた。
つややかな黒髪が、まるで絹のようにさらりと前に流れる。
「何が?」
「話、逸らしたろ。今」
「えー、バレてた?」
「嫌、普通にバレるだろ。そこは」
「兼定のそういう所、兄貴分出るよねぇ」
「嫌そうに言うんじゃねぇって」
元々この部屋は、女審神者が雲隠れしたいときの逃げ場であった。
考え事をしたい時。
一人になりたい時。
資材整理にかこつけて小一時間程引きこもるのが常だったのが、こうして兼定もこの部屋を使うようになって、時折顔を合わせる事が増えると、
不思議と一人で悶々と考え込んでいたあれこれが、兼定とああだこうだと話している内に楽になったりする事に気付いて、悪い時間でもないように思い始めた。
それでも話始めるまで口は重たい。
女審神者がごにょごにょと言いよどんでいると、片膝を立てて座っている兼定は、勝気な笑みを浮かべた。
「っつっても、アンタが悩む事なんて、大抵あれだろ?
親か、俺たちか。ま、俺たちっつっても、加州や燭台切辺りだな」
「…分かりやすくて悪かったわね」
「わかり難いよりマシだろ」
「へぇへぇ、前者ですよ」
「いつもの奴か?」
「そうそう。野菜取りに来いってさ」
毎度のごとく、箱入りの野菜を目の前にぶら下げて来る親に、内心うんざりしつつ、つい出向いてしまう自分にもっとうんざりする。
女審神者が苦いものを噛んだような顔をすると、兼定は後ろ頭に手を添えて天井を仰いだ。
「そんなに嫌なら、帰らなきゃいいだけだろ」
「…うぅぅん。なんと言うか。まあ、野菜がありがたいってのも単純にあるんだけれどね。うちほら、大所帯だし。
でも、そういいつつ何処かで、良い子ちゃんしていたい自分が居るだけのような気もしてさ」
「良い子ねぇ、俺にはわかんねぇなあ」
「そういうもん?」
「刀使う奴に、良い奴なんていねぇだろ」
「土方歳三は?」
「あの人を賞賛するに相応しい言葉は山ほどあるけどな。良い子ってのはにあわねぇ」
「鬼の副長だしね」
「まぁな」
「親の気持ちも、分からなくはないんだよ? 何の仕事してるかも言わない。住所も言わない。連絡は携帯しか取れないってなるとねー。
そうも思っていくけどさ、結局最終的に落ち着く場所は、結婚がどうちゃらじゃない?
面倒臭くてたまらなくなるんだよ」
「ははっ。アンタに男か、想像つかねぇな」
「でしょ?」
「間違いなく、闇討ちされるだろうぜ」
「なんか、それは想像ついて怖い」
「目星はたくさんいるだろうが。…………ま、加州で決まりだな」
「やっても無い事を清光に決めないの」
「あいつならやりかねねぇよ」
「…思わなくもないけれど」
考えたら、ぞっとした。
女審神者が己の体を抱くのを見て、兼定は笑う。
「まぁ、あれだな」
「何?」
「次会った時でもさ、言ってやンな。愛されてますってよ」
「はぁ?」
「親としちゃ、愛されてるに越した事はないだろ」
「紹介出来ないから、不倫と思われたりして」
「それでも愛されてますって、胸張って言ってやりゃぁいいだろ。いくら親でも、男と女の惚れた腫れたに、結局口出せないのが世の常なんだからよ」
「兼定らしいね」
「それだけは、胸張って言えンじゃねぇのか? 仕事が言えなかろぉと、住んでる場所いえなかろうと、愛されてる自信はあるだろ?」
切れ長の瞳が、小意地悪そうに細くなる。
女審神者はそんな彼の表情を憎らしそうに見たあと、小さく呟いた。
「ある」
「だろ? だいたいアンタは、色々難しく考えすぎなんだっての」
「世の中が皆兼定だったら、生き易いのにね」
「馬鹿にしてんのか?」
「してないよ。
…あ、でもそしたら国広が大変か…」
「馬鹿にしてンだろーが!」
「ちょっとだけ」
にやりと笑うと、深いため息が返って来た。
「どいつもこいつも」
「お兄ちゃんは大変だねぇ」
「あぁ?」
「この間、清光と安定の喧嘩も大変だったでしょ」
「あれなー…あいつら、いつもつるんでる癖に、ホンットしょうもない事で揉めやがって…」
「まあ、その点はあの二人も兼定と国広には言われたくないだろうけれど。あの二人の喧嘩は激しいからねー」
「こないだなんてよ。部屋のもん全部ひっくり返してやがって」
「知ってる知ってる。片付け手伝ったもん。清光のマニキュアが畳の目に入り込んでて、歌仙が悲鳴あげてた。なんとか除光液で落ちたけどね」
清光と安定は、手が出るは物が飛ぶはと、普段の穏やかさとはほど遠い喧嘩をする。
短刀が気付くと、大抵燭台切や長谷部に泣き付いて止まるのだが、
事この兼定が見つけて止めに入ると、見事に事が大きくなって収拾がつかなくなる。
それでも口を出さずにいられないのが、この和泉守兼定と言う一振りだ。
女審神者は瞳を伏せると、穏やかに笑う。
「あの二人は、なんやかんや言っても、兼定に甘えてんのよ」
「どこがだよ」
「売り言葉を買い言葉で乗ってくれる素直な所。色んな胸のもやもやを、収集できなくすることで誤魔化してるのよ。そういう所は兼定じゃないとしてあげられないし」
「そんなにどーにもなんねぇものなのかねえ」
「ならないでしょ。そんなもんだって」
「そういう所は大人だな、アンタ」
「まぁ、なかなか生きてますからね!」
「俺たちに比べると、こんなちっせぇガキだけどな」
右手の親指と人差し指の間は、マッチより小さい。
その隙間を見た女審神者は、ぐぬぬ、と唸った。
「もうちょっとあるよ。これくらい」
「いんや。これくらいだな」
「嫌々、そんなそんな」
女審神者が僅かに開いた隙間を、すぐさま兼定が詰める。それを繰り返す最中、彼女は不意に噴出した。
「なンだよ」
「落ち込んだの、吹っ飛んだ。ありがと」
「別にいーけどよ」
「兼定は? またなんで国広と喧嘩したの?」
「俺は別にたいした事じゃねぇって」
「えー、いいじゃん。お礼に聞かせてよ」
「どーせいつもの喧嘩だよ」
「また憎まれ口叩いたの?」
「そんな感じだな。ま、此処でたら国広も普通だろ。むしろ機嫌は良くなってンな、絶対」
「兼定が戻ったらね」
「…ま、そんなとこだ。じゃあ、俺は戻るぜ」
「あ、うん。わたしももう少ししたら出る」
「あんま皆に心配かけんなよ」
「了解した」
ひらりと手を振った兼定が立ち上がって踵を返す。
女審神者に見送られて手入れ部屋を出た兼定は、入り口のすぐ傍に立っていた国広と目があった。
「おー、国広」
「主さん、どうだった?」
「いつものアレだよ」
「実家から?」
「そ」
「この世の終わりみたいな顔してたからね。心配しちゃった」
「どぉせ一番に気付くんだからよ、お前が本人に聞けばいいだろ」
「そういう懐に入るのは、兼さんの方が上手なの」
「脇差の癖に」
「いえてるね」
にっこりと堀川国広は笑う。
「それよりお前、アイツ褒めまくってるんだって?」
「ああ、主さんに聞いたの?」
「いくらなんでも芋ジャー褒めるってのはよ」
「だって、僕一番好きだよ? 僕たちの主さんって感じだよね!」
「……そんなこと、思ってねぇくせに」
「兼さんだって。同じでしょう?」
上目遣いに見上げられて、兼定は眉間に皺を寄せた。
これだから、相棒は性質が悪い。
ぷぃ、とそっぽを向いた兼定は、そういえば、と口を開いた。
「主に男が出来たらって話になったんだけどよ」
「えー、何その話」
「闇討ちするのは、ぜってぇお前だよな」
兼定の言葉に、堀川は鮮やかな弧を唇に描く。
「それ、主さんに言った?」
「言ってねぇよ。誰がンな怖い事言うかって。あまりに現実味があって恐怖にしかなんねぇだろ。とりあえず、加州の名前出しといた」
「さすが兼さんだね!」
ぐ、と親指を立てる潔さに、兼定は口元を引きつらせる。
そうしてため息を一つ零すと、堀川の頭を上から撫ぜた。
「つーか、アイツが落ち込むたびに俺らが喧嘩してる事になるけどよぉ。それって、俺の印象下がらねぇか? お前のばっかり上がってる気がすんだよなぁ…」
「気のせいだよ! 兼さん!」
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闇討ち、暗殺、お手の物。
「気のせいだよ! 兼さん!」
「……そういう事は二回言わない方がいいぜ、国広」
「えへへへ」
本当に喧嘩してて堀川を怒らせたら、母親どころの恐怖じゃない。色んな意味で。
兼定談。