「へぇ、いち兄。定例会行くのか」
障子にもたれかかりながら、腕を組んだ薬研が感心気な声を上げる。
その視線を身に受けながら、己を腰に差した一期一振は穏やかに微笑んだ。
「ああ」
「すると、あれだな」
意味ありげな笑みを含む薬研。
どうかしたのか、と一期一振が尋ねようとするのを片手で制して、薬研は廊下の足音へと首を巡らせた。
「すぐに分かるって」
近くなって来る足音に顔を向けると、薬研の奥から鶴丸が顔を覗かせる。その後ろからは清光。
珍しい組み合わせに驚いた一期一振が瞬いていると、二振りはにんまりと微笑んだ。
「やあ」
「もう準備出来たんだ。早いね、一期一振」
「鶴丸殿に、加州殿。いかがなされた」

一期一振りが尋ねると、鶴丸は含み笑いを返す。
「またまた、知らない振りが上手いな一期一振」
益々意味を計りかねる。
一期一振が盛大に首を傾げる姿を見た薬研は、鶴丸を仰ぐと、目尻を下げた。
「嫌々。いち兄はどうも本当に知らないらしい」


「薬研、一体何の話だ?」
「まあ、この本丸の流行りと言うかなあ」
薬研は言いながら、苦笑を零す。
「そもそもは大将がやらかしてくれた訳だが」
「主が?」
主と言えば、彼女もまた、定例会の準備をしているに違いない。
清光がここに居るとするならば、彼女の支度を手伝っているのは小夜か。
一期一振の視線の先に居る清光は、「そうそう」と口先を尖らせた。

「主がさぁー、事もあろうことか、間違えたんだよね」
「間違えた?」
「そ。まぁ、一瞬目を離した俺も悪かったんだけどさ。隣に居る加州清光を俺だと思ったみたいで」
話を聞くに、清光がふと気を取られて足を止めた隙に、女審神者は少し先に進んだそうだ。
そして、たまたま隣に居た他所の本丸の加州清光に「ねぇ清光」と話しかけた。
もっとも彼女は首を巡らせた加州清光が他所の刀だと言う事にすぐに気付いたらしく、
少し後ろから見ていた清光の前で岩のように固まったあと、四苦八苦と取り繕って、背後に清光を見つけるなり逃げて駆けて来たそうだが。


「まあ、それは何と言うか…」
一期一振は言葉を濁す。
女審神者のことだ、おそらく他愛のない話をしようと思い、何気無く話掛けたのだろう。
そこに居たのが、たまたま違う本丸の加州清光だったと言うだけで、
これが大和守や歌仙と言った違う刀だったなら、ただの人間違いで済む間違いなのである。
事の次第は簡潔で、清光も気を害していると言う口ぶりではない。
ただまあ、面白くは無かっただろう、と一期一振は思う。

刀間違い。
女審神者の隣に居たのが加州清光だったからこそ、話はややこしくなるのだ。

自身と同じ姿を持つ物が存在している。
彼女は自分たちの持ち主だ。
そう言う状況が、ただの間違いと言う話を捻じれさせる。

つらつらと考える一期一振に、清光は「まあさ」と声を上げた。
「一期一振が考えてる通りなんだけれど、主が思いのほか気にしちゃってさぁ」

「まあ、そうでしょうな」
一期一振の連結失敗でさえ、必要以上に気にして謝っていた。
しょげ込んでいる彼女がゆうに想像つく。

一期一振が頷くと、清光は鶴丸を指差した。
「そんで俺、鶴丸さんに相談したんだよね」
「鶴丸殿に…ですか?」
「なんだ一期一振。そのすごく不安そうな瞳は」
「いえ、他意はないのですが…」
「じゃあ何があるんだ?」
「それで良かったのだろうか…と…、少し」
「思い切りあるじゃないか」
鶴丸は気分を悪くする所か、笑い飛ばした。


「まー、ほら。俺達が思いつく事ってさ、せいぜい主に気にしないでって言う事くらいじゃん?
だけど、鶴丸さんなら違う切り口を見つけられる気がしてさ」
「なんせ、我が本丸が誇るビックリ箱だからな」
薬研が言うと、鶴丸はその呼称を気に入っているらしく、何度も大きく頷く。

「で、俺は考えた」

どんな話の流れになるのか、少し不安になる。

「そして、運よくその時、俺が定例会に付き添う事となった訳だ」

つくづく女審神者はツイていない。

一期一振が静かに聞くのを、話に飲まれたと思ったのか、鶴丸は声高に言った。
「他の鶴丸をもあっと驚かせるには、あの服の出番だと」
「…あの服、とは…」
「あの服だよ、いち兄」
薬研が息を吐くように笑う。
鶴丸が言うあの服、とは、女審神者が鶴丸の服に絵具を塗ったものの事だろう。
その服で進軍しようとする鶴丸に、止めてくれと、泣いてすがっていた女審神者を思い出した一期一振は、呆れて息をついた。
「それで、主は?」
「それがまあ、何も言わなくてな」
「はあ」
「もちろんそれで定例会にも出たぜ」
「…それで」
「終わりだ」
「終わりとは…」
「他の鶴丸には羨ましがられたぜ!」
「そう言う話ではなく」
「その事を主に言うと、嬉しそうでな」

そこまで言って、鶴丸は少し笑った。
思わぬ話の流れに、一期一振が虚を突かれていると、清光が口を開く。
「まあ主はさ。
始めは多分、自分が話しかけるのを間違えたから、目立つ印をつけたんだろうって思って、何も言わなかったんだと思うんだよねぇ」
「――だが、他の鶴丸には好評だったって訳だ。主に印を貰えるってのは、嬉しい事だろ」
「……宗三殿が聞けば、気を悪くしそうですが」
「ま、身体に印を掘る訳じゃない」
軽く言って、鶴丸は薬研を斜めに見た。
「な」
「まあな。まあそれで結果、定例会に行く時は、主に何か印を貰うってのが流行り始めた訳だ」
「印を…」
そうして最初の話に戻る訳である。
納得が言った一期一振が頷いていると、部屋に入って来た清光は、一期一振の背中を押した。


「って訳だからさ。ほら、準備が終わったら行く行く。ちゃんと印貰ってね」
「加州殿…!」
「大将を頼むぜ、いち兄」
「あっと驚く話を期待してるぜ!」

定例会に付き添うと言う話を、アッと言う話に変えられるのは鶴丸くらいなものである。
先ほど聞いた話を思い返しながら、女審神者の部屋の障子を叩くと、控え目な声で「はい」と帰って来た。
開くと、余所行きの袴を着、目元を隠した女審神者が一期一振を見上げている。
「今日はよろしくね、一期」
「はい。よろしく申し上げる」
頭を下げた一期一振は、言うか言わぬか迷った。
考え込む一期一振を見ていた女審神者は「ああ」と苦笑する。

「その様子だと、聞いたのね」
「先ほど鶴丸殿と加州殿に…その」
「印でしょう。もう、だから今回は知らなさそうな一期一振に頼んだのになあ」
それで定例会に付き添う事になったらしい。
経緯を聞いた一期一振を、女審神者は手招く。


「清光とか光忠に頼んだら、必要以上に気を使わせちゃいそうでしょう?
そう思って、鶴丸に付き添い頼んだらこれだもの」
女審神者はそう言って、眉尻を下げた。
「おかげで妙な事が流行っちゃって……宗三の耳に入らなきゃいいけれど…」
一人呟く女審神者。
どうやら考えた事は同じらしい。
前の主に印を掘られた事を嘆く宗三が聞いて、決して気持ちの良い話ではないだろう。


女審神者は目元を隠している布を持ち上げると、首を傾げた。
「何がいいかな」
じぃと、一期一振の顔を覗き込む。
その瞳が自身を映している事に、尻の座り具合が悪くなった一期一振が身じろいでいると、
彼女は「あ」と声を上げて首を後ろへ巡らせた。
手を伸ばして、髪留めを取る。
「こういうの、どう?」
身を乗り出した彼女は、一期一振の前髪を一房上に持ち上げると、ピンで留めた。
ふわりと髪から匂いが漂う。
それほど近くに女審神者が居るのだと分かった瞬間、一期一振の心臓がひっくり返った。
「ぁ」
「?、どうしたの? 一期」
突然声を詰まらせた一期一振を、女審神者は見下ろす。
頬を朱に染めた一期一振と目があった。
「一期?」
「いえ、あの、その…」
「気に入らなかった? 外す?」
「いえ! このままで!」
存外言葉が強く出て、女審神者は驚いた様子だ。
そう、と言うと、腰を下ろす。
「――ありがとう、ございます」


言いながら、一期一振の脳内に浮かんだのは、乱に見せて貰った少女漫画。
あの中の女子は、意中の男を見て、同じような事を体験していなかったか。

 加州くん。これじゃあ、ぼくたちがあえて気付かせる事になるんじゃないかい?

光忠の声が過る。

「まさか」
言うと、一期一振は片手で唇を覆った。
「いや、そんな…」
「何、どうしたの一期」
女審神者と目が合う。
常日頃から、物腰が好きだと思う。
真っ直ぐに務めようとする生き方も好感を得る。
短刀相手にも全力だから、しょっちゅう筋肉痛だの腰痛だの言って居るのも、ほほえましいと思う。
この女が主で良かったと、一期一振は思う事が多い。

一期一振は戸惑って女審神者を見ていた視線を、畳に落とした。
「何でもありません」
「そう? 定例会、行けそう?」
「問題ありません」
「なら、いいけど」
立ち上がった女審神者が、羽織を取って障子を開ける。
その後ろで腰を持ち上げながら、一期一振は頭の上に留まったピンを撫ぜた。


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(とりあえず、戻ったら加州殿と燭台切殿の所へ酒を呑みに行こう)
言われた事は、真面目に守る一期一振。