「一期、本当にごめんね」
「いえ、主。あまり御気になさらず…」
暗い影を背負ってひたすら謝る女審神者の隣で、
一期一振は眉尻を下げたまま、首を横に振った。
「お詫びならもう頂いておりますし」
「嫌々。主のわたしが気付かなかったなんて、本当に申し訳なくて。ごめんなさい」
「主」
困ったように一期一振が微笑む。
女審神者は頭痛の種を抑えるようにこめかみに手を添えた。
「いや、本当はね、今までこういう事あったかなあ? と、ちょっとは疑問に思ってたんだよ」
「ははは」
「まさか」
震える女審神者に、一期一振はのんびりと相槌を打つ。
「連結に失敗してるとは思わなかったですからな」
「ごめんねぇぇええええ!」
女審神者は一期一振に向き直ると、縁側から俊敏に足を持ち上げ、文字通り土下座した。どす、と床に額を打ち付ける音が響く。
「主、今痛そうな音が…」
「感情をさらけ出させられていた一期の苦行に比べたら…! なんの、これしきの痛み…修行でござる…」
「いえいえ。困るような事もありませんでしたし」
「それでもやっぱ、本当にごめん!!」
一期一振が喜ぶと、彼の背中に桜が咲き乱れたのは、どうやら連結が上手く出来ていなかった為らしい。
数日前。
女審神者が現世から買って来た苺を口に入れた瞬間、一期一振に桜が舞って、
見慣れていた女審神者とは対照的に、虚を突かれたような顔をした薬研が、首を傾げた事から発覚した。
――大将、なんか、いち兄おかしくねぇか?
そう言われて改めて考えてみると、他の子たちの背後に桜が舞うのを見た記憶はあまりない。
慌てて政府に問い合わせてみたところ、顕現されてすぐは、まだ存在が現世に上手く馴染まないのもあって時折起こる現象だそうだが、
もう顕現されて日が経った一期一振に未だその現象が起こるのはおかしいとの返答が返って来て、これまた彼女は飛ぶようにおどろいた。
手入れ部屋に篭って隅々まで見たところ、連結が上手く出来ていなかった事が分かり、今に至るのだが。
経緯を思い出すと自己嫌悪で吐き気が込み上げて来た女審神者に、一期一振は穏やかな笑みを向けた。
「おかげでぜんざいとやらも頂けましたし、役得ですな」
「…次からは気を付ける」
「これからもよろしくお願い申し上げる」
「こちらこそ」
いくら謝っても謝りきれない女審神者が、一期一振に何かお詫びをしたいと申し出たところ、
先日話をしていたぜんざいを食べてみたいといわれ、今日は庭にてぜんざいパーティが行われている。
賑やかな外野を他所に、しょぼくれている女審神者は冷めたぜんざいにようやく箸をつけた。お餅が冷めて伸びない。
「ぜんざい、好きだった?」
「とても」
「なら良かった」
「弟たちも嬉しそうで、主のおかげです」
「一期…」
女審神者は感無量で一期一振りを見上げる。
なんていい人なんだろう。ちょっとベクトルがずれたようにも思えたが、やはり王子に変わりは無い。
王冠とマントが見える気がする、と、女審神者は瞳を細めた。神々しい。
一期一振は、何杯目か知れないぜんざいを飲み干したあと、宙を見上げた。
「ですが、私自身も様子がおかしい事にまったく気付きませんでしたな」
「違和感、本当になかったの?」
「はい。花が舞っている事にも気付いておりませんでした」
「後ろ背だもんね。わたしは、見慣れてしまって違和感を覚えなくなってたよ」
「その話なのですが、皆に聞いて回ったところ、顕現された日の夕食以来気付かなかったと申しておりました」
「二三回見たよ?」
「主だけのようで」
「そっかぁ、じゃあやっぱりわたしが真っ先に気付かないといけなかったんだね」
「落ち込まないで下さい、主」
「うぅ」
「ぜんざい、温かいのを入れてまいりましょう」
「いいよ。まだ残ってるし」
「わたしが食べます。寒いですし、主は温かいものを」
そういうと、一期一振は立ち上がった。
颯爽と歩く背中をぼんやりと見ていた女審神者の後ろに、二つ影がかかる。
首を巡らせると、清光と光忠がそれぞれ器と箸を持って立っていた。清光はどこか不機嫌そうだ。
「長谷部も大概だけど、一期一振もなかなかだよね」
「まあ加州くん、そう言わず」
「燭台切も思わない?」
「どちらかと言うと、気付かない方が都合はいいんだけれどね」
「まぁねー」
「あれ? 今、ぼくちょっとかっこ悪い事言った?」
「そこにかっこよさ求める必要はないんじゃない?」
「だよね」
「このままぼんやりしててくれるといいけど」
そう言った清光は、女審神者と目を合わせる。
そうして猫目を細めるようにして見据えると、口先を尖らせた。
「主のバカ」
「え!? なんでいきなり!?」
「どうせ連結失敗するなら、俺が良かったのに!」
「……清光、酔ってる?」
「ははは。向こうで小狐丸たちと、ちょっとね」
「こんなの全然酔ったうちに入らないし。主と一緒に手入れ部屋入りたかったー!」
「いつも入ってるじゃん」
「連結失敗の一番、欲しかったの、俺は! それに、どこが失敗してるか分からないんだよ? じぃっと俺を見る主、見たかったぁ」
「さっきからずっとこの調子でね。大和守くんがお手上げしたから、つれて来たんだ」
「それはまあ…」
女審神者は苦笑を浮かべる。
言われてみれば、奥が騒がしい。
次郎と太郎辺りが飲んでいるのは想像していたが、ちらりと見ると、大和守も猪口を傾けていた。ほんのりと頬が朱に染まっている。
すると、獣の勘か。彼の横に居た小狐丸がぴくりと動いた。首を巡らせると、こちらへ向けて大手を振ってくる。
女審神者がそれに応えて手を振っていると、燭台切は肩をすぼめた。
「ホント、これ以上増えるのは避けたいんだけれどね」
「右に同じ」
「……清光も光忠も、何の話がそうなってるの?」
「もちろん。一期一振の連結失敗だよ」
「だから、それの」
「気が付かないの? 一期一振に桜が舞ってる所なんて、主しか見てないの」
「うん?」
「だーかーら。主だけが、見てるの」
「つまりは。桜が舞う程喜んだのが、主の前でだけだったって事だよ」
「今回はたまたま薬研と三人で居たから発覚しただけで、薬研が居なかったら、まだしばらく気付かれなかったんじゃない?」
変わる変わる言う光忠と清光を、女審神者は怪訝な顔で見つめる。
「――それは単純に、主としては嬉しいけれど。ようはわたしに素直に向き合ってくれてるって事だよね?」
「…」
「……」
清光と光忠が二人して顔を見合わせる。
ややあって深いため息をついた二人は、腰を下ろすと、目線を女審神者に合わせた。
その瞳がやけに怖くて、女審神者は僅かに逃げ腰になる。
「な、何?」
「ぼく達も、だいぶ素直だと思うけど?」
「そーそ。嬉しいんだ。主は」
「顔。顔近い…! 酔ってる。これは清光だけじゃなくて、光忠もなかなか酔ってる。安定――! 回収お願いします!!」
「えー」
遠くから安定の声が聞こえる。
「めんどくさい」
「めんどくさいじゃありません! すぐに回収をお願いしますッ。――って、わ」
女審神者は不意に後ろに腰を引かれて、驚いた声をあげた。
「加州殿、燭台切殿。少々お戯れが過ぎますぞ」
一期一振だ。
彼は眉間に皺を寄せて清光と光忠を見据えていた。
が、「あ」と言う間の抜けた声をあげて、慌てて女審神者から距離を取る。
「申し訳ありません、その」
「いやいや。だいじょうぶ」
女審神者が言うより先に、自分の腕をおもむろに見た一期一振の頬にサッと熱が走った。赤は耳までも染め上げ、彼は金魚さながら、ぱくぱくと口を開く。
「も、申し訳ありません」
「うん? いや、だから…」
「あ――もう! まどろっこしいなぁあああ!」
ドカンと爆発するように声をあげた清光は立ち上がると、だん、と床を足ではじいた。その勢いで、一期一振に人差し指を突きつける。
「一期一振は、乱お勧めの少女マンガを読むこと! これ絶対!!」
「少女、マンガ、ですか?」
「ちょ、清光、何言ってるの?」
「そういう無自覚が、一番性質が悪いからね」
「そー言う事。それからそれが何か分かったら、俺と燭台切の所に酒飲みに来ること! これも絶対な!」
「ぼく達先輩が色々教えないとだね」
「…光忠まで」
「あ、それ、俺っちも参加な」
薬研の声がおもわぬ近くから聞こえて来て、女審神者が振り向くと、安定が薬研と小狐丸、そして鳴狐を引き連れて来ていた。
平然と手を挙げる薬研に、鳴狐が頷く。
「いろはを教えるのですな! 鳴狐!」
「……うん」
「もちろん小狐も参加致します。遅れを取るわけにはいきませんからな」
着々と進んでいく話は、何故だろう。あまりいい方向に進む気がしない。女審神者は逃げるように安定を見ると、懇願した。
「……安定、助けて」
「ぼくは無理」
「一刀両断!?」
「傍から見てると面白いよ? 主」
「…巻き込まれていると、そんなに楽しくないよ? 安定」
「頑張れ、主」
「応援してくれてるはずの安定の眼が死んでるのはなんで!?」
「ま、あんま気を揉んでもこればっかりは仕方がねぇぜ、大将」
のんびりとそう言った薬研は、
いまだ頬の赤い一期一振を瞳に映して、ゆっくりと微笑んだ。
「桜が咲くと、春は来るもんだからな」
*+*+*+*+*+*+
一期一振は真面目に熟読しました。
「少女マンガとは、面白いものですな」
「ちがーーーーう! そういうことを言ってんじゃないの!」
「加州くん。これじゃあ、ぼくたちがあえて気付かせる事になるんじゃないかい?」
「やげーん! お前ン所の兄貴、もうちょっとどーにかなんないの!?」
「こればっかりはな」
「ここまで来ると、逆に脅威だよね」
「……俺っちはずっとそう思ってた。刺客は腕がたつぜ? 加州の旦那も、燭台切の旦那も、せいぜい気を付けるんだな」
「薬研もね」
「はは。確かに俺っちも、言えてるな」