「主、お茶をお持ちしました」
「ありがとう、一期一振」
湯気の立つほうじ茶がそっと机に置かれ、女審神者は書き途中の書類から顔を上げた。


「ご苦労様」
「お心遣い、感謝いたします」

本丸に顕現されてからと言うもの、一期一振の活躍は目を見張るものがある。
いち早く顕現された弟たちと並び戦線に立ちたい。
その思いからか、戦慣れした面子に加わり、随分と戦績を重ねて来た。
近頃では近侍にも加わるようになり、一期一振を顕現させようと粟田口の短刀らと必死に鍛刀していた事など、少し前の事なのに、随分と昔の事のようである。
「――今日のお八つは何かしら」
「よもぎ餅だそうです」
「よもぎ餅…火でちょっと炙って焦がすと美味しいのよねぇ」
「燭台切殿のことですから」
「炙って出て来るでしょうね。早く時間にならないかな」
「炙ると言えば、加州殿たちが、秋に溜めた落ち葉で焼き芋をする算段をしておりましたよ」
「焼き芋! いいなあ。あと、ぜんざい食べたい」
「ぜんざい、ですか」
「そうか。一期一振はまだ食べた事ないんだよね。
あずきの出汁にお餅を入れて煮た食べ物なんだけど…甘くて美味しいの。
今度、ぜんざいパーティしましょ。庭に机並べて、カセットコンロでぐつぐつ煮ながら食べるの。寒空がまた乙だよ」
栗とか入れても美味しいんだよ。
身振り手振りで説明すると、
「おいしそうですな」
ほっこりと目を細めて一期一振が笑う。
彼が食べ物に目が無いのは、一番初めに発覚したことであった。
顕現された日の夕食、一口口に入れるなり、背後にぶわっと桜が舞って、隣に座っていた秋田を大層驚かせていたのは記憶に新しい。
同じく食に貪欲な主と食べ物談義で盛り上がるようになるのもそう日はいらず、今では顔を合わせるたびに、これが美味しい、と会話に花が咲くようになった。

「冬といえば、あとはみかんといちごかな」
「いちごはまだ、食べた事がありませんな」
「練乳一杯かけてね! 今度、現世から買って帰ってこようね」
「楽しみにしております」

談笑していると、襖を控えめに叩く音が聞こえて、僅かに開いた襖の隙間から桃色の髪が覗き込む。
「主」
「宗三。どうしたの?」
「兄上を知りませんか?」
「江雪兄さん?」
「ええ。探すのですが、見当たりませんので」
「江雪兄さんなら、さっき畑に向かうの見たよ。麦藁帽子被ってたから、作業してるんじゃないかな」
女審神者が答えると、
宗三は単調な声音で「そうですか」と呟いた。


「探し回るより、主に聞いた方が早いですね」
「任せてよ」
「褒めてませんよ」
「ですよね。そうかなと思った」
「一期一振、見張っていないと、何時まで経っても終わりませんよ」
「承知しております」
「一期一振まで!」
「では、ぼくはこれで」

すす、と襖が閉じていく。
影が通り過ぎていくのに向かって、いー、と歯をむき出しにしていると、
ふと、一期一振が零すように呟いた。
「主は…」
「ん?」
「あ、いえ、何でもありません」
「途中で止められるとすごく気になるんだけれど…」
「いえただ…江雪殿の事を、江雪兄さんと呼ぶのですね」
「そうそう。江雪兄さんが顕現される前にね、
ずっと小夜ちゃんや宗三から話しを聞いていたの。それで初対面であの威圧感でしょ?
それでつい緊張して、江雪兄さんって呼んじゃって。そしたら真顔で、貴方の兄ではありませんって一刀両断されたものだから、それから味をしめちゃって」
江雪の口調を真似、両手の人差し指で瞼を持ち上げる。
そうして、ふふふと悪戯な笑みを浮かべた。

「なかなか口を開いてくれないのに、あれだけは律儀に返してくれるから、嬉しいんだよね」
「ははは。主らしいですな」
「左文字兄弟は、見ていてほっこりとする仲の良さだけれど、
粟田口はその点、いつも全力で仲がいいというか、見ていて痛快なぐらいパワフルというか」
怪我人が出るのではないかと思う勢いのおしくらまんじゅうが脳裏を過ぎって、女審神者はずずっとほうじ茶を啜った。
あの時、さすがに混ぜてと言う勇気は持てなかった。
「弟たちが多いですからな」
「一期一振の懐の大きさは尊敬に値するよ」
のんびりと言うと、
いつもなら律儀に言葉を返してくる一期一振が押し黙っている事に気付く。
ふと不思議に思って首を巡らせると、深く考え込む素振りの彼が瞳に映った。

「一期一振?」
「……主」
「ん?」
「無礼は承知なのですが…」

神妙な声音だ。
精悍な顔の眉間を寄せて、一期一振は瞳を揺らす。

「どうしたの?」
突然のただならぬ雰囲気。
他愛ない会話の続きとは思えない空気に、女審神者は不安に駆られる。

そんな彼女の前で、ややあって、彼は薄い唇を僅かに開いた。
「いち兄と」
「……?」
「いち兄と呼んでいただけませんか?」
「は?」
女審神者は真顔で瞬いた。
拍子抜けしたようにぽかんと口を開いた女審神者に対して、 一期一振はぎゅっと拳を握ると、真摯な面構えのまま面を上げる。
「是非にとも」
「いや、ぜひに、といわれても…」

「お願い申し上げる」

あれ、ちょっと前の正統派王子様はいずこへ?
女審神者はいささかベクトルがズレ始めたように伺える一期一振を静かに眺めていた。
そんな彼女の視線を一身に受けて、彼の眉尻がわずかに下がる。
「我侭を、言ってしまいましたな」
「い、嫌!? わがままとまでは言ってないよ!?」
なぜだろう。悪い事をしたような気持ちになるのは。
真っ直ぐ故の性質の悪さを見せつけられたように感じて、女審神者はたじろいだ。


「それぐらいなら、全然」
「本当ですか?」
「うん。えーっと、いちご…じゃなかった。…い、いち兄」

ぶわ、と桜が舞った。
その咲き乱れる桜に、女審神者は驚いて息を呑む。
「ありがとうございます」
正座をして頭を下げられると、こちらも恐縮して同じく深く礼を返してしまった。
「どういたしまして」
突然の事で驚いてしまったが、よくよく考えてみると、暖かな気持ちになってくる。
「いやはや、いち兄呼びもなかなかいいね。
なんだか、粟田口の子たちの特権みたいで今まで考えもしなかったけれど、兄妹になったみたいで楽しいし」
「…」
「どうしたの?」
「……兄妹、ですか」
「うん」
一期一振は、畳に視線を走らせる。
顎に手を添えて、思慮深く考えた一期一振は、つぃと女審神者を見据えた。

「主、やはり一期一振に致しましょう」
「え? なんで?」
女審神者が尋ねると、
「いや、わたしもよくは分からないのですが」
何ともいえない表情のまま、一期一振は首を捻る。

「やはりいち兄は、辞めておきましょう」
「そう? ならえーっと、一期一振は愛称が欲しいのよね?」
「愛称、とは?」
「なんというか、親しい間の呼び方、みたいな感じ」
「そうなのでしょうか?」
「いや、わたしに聞かれても……でもまあ、欲しいなら…えっと、一期一振だから…一期、とかどう?」
「一期、ですか。先ほど冬に美味しいといわれてましたな」
「そうそう。さっき話してたから。安直かな?」
「いえ、とても気に入りました」
「なら今日から一期で」
「よろしくお願い申し上げる」

背後に桜は現れない。
気に喰わなかったのかな、と女審神者は一抹の不安に駆られたが、
ふわりと花がほころぶように微笑む一期一振に、自然と笑みが零れる。


穏やか笑みは、心に灯を灯して温かい。


二人してにこにこ笑っていると、
「主?」
と言う声掛けと共に、襖が開いた。
お八つのよもぎ餅を持った長谷部が立っている。

彼は至極丁寧に頭を下げると、首を傾げた。
「お八つをお持ちいたしました。書類は終わられましたか?」


「「あ」」

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一期一振は長谷部に叱られました。