「にっかり青江」
「あ、青江くん」
廊下を歩いていた青江は、前と後ろ両方から声を掛けられて足を止めた。
くるりと首を巡らせると、傾いで微笑む。
「膝丸に燭台切。どうしたんだい」
「主を知らないか?」
「主を探してるんだけれど…」
「なんだ、同じ用件なのか」
のんびりと言う青江に、膝丸は二度ほど瞬いた。サッと羞恥に頬を染めると、吠えるように言い返す。
「俺は兄者を探しているんだ!」
「ああ。なるほど」
ポンと手を打つ青江。
分かっているだろうのに、さも気付いた態で頷く彼に、光忠は苦笑した。
兄である髭切が顕現し、あとを追うように顕現した膝丸は、のらりくらりとしている兄とは対照的に感情が表に出やすい。
その為ちょっとした事でからかわれているのだが、膝丸本人はからかわれている事にも気づいていないように伺える。腕を組むと、ふんと息を吐いた。
「兄者の事だ。おそらく主を追いかけているに違いない」
「飽きないねぇ」
「鬼気迫って逃げる主を見た時はどうなる事かと思ったけれど、あれはあれで、案外上手くやっているのかな」
源氏の重宝、髭切、膝丸。
本丸に顕現して間もなく始まった追いかけっこの引き金を引いたのは女審神者で、
うっかり飲んでいる最中に、

『なんか、髭切って笑ってても目が怖いんだよね』

と、零した次の日から、決死の形相で本丸を駆け回る女審神者が所々で目撃される事となった。
どうやら、
怖いのはよくないな。僕は君の刀なんだから。そうだ、慣れるまで一緒に居てあげよう。
なんて言った髭切が隙あらば女審神者の行く手に現れるらしく、その脈略の無さと、奔放さがますます女審神者に恐怖を与えたらしい。
今となっては何で逃げているかも良く分からないが、とりあえず髭切の気配がすると腰を上げると言う女審神者に、逃げる獲物を追う髭切の足音で本丸は賑やかだ。
事の次第を思い出した光忠は苦笑した。
「いっそ、一度捕まっちゃえば落ち着く騒動なんだろうけれどね」
「変に勘がいいからね、主は。まあおかげで、髭切と膝丸の初陣も何とかなった訳なんだし、返って良かったんじゃないかい?」
「大阪城ね。……主が行くって言いだした時はどうなる事かと思ったけど」
渋い顔をした光忠は、腕を組む。
「ああいう時の主は、思い切りが良いと言うか、男らしいと言うか。よくもまあ、勘を頼りにみつけてみせたよね」
「髭切の気配なら分かるなんて言い出した時はさすがにね。はぐれた髭切を引っ張って帰って来た時は、いっそ清々しく見えたよ」
「…あれ以来なのだ。兄者が、主を探す遊びに熱を入れ始めたのは」
悔しそうに呟く膝丸。
青江はからかうような声を上げた。
「見つけて捕まえるつもりが、先に見つけられたのが悔しかったんじゃないのかい?」
くすくすと、鈴が鳴るように青江は笑う。
髭切を揶揄されたと思ったらしい膝丸が、不満気な顔で口を開くより先に、光忠は飽きれた態で肩をすくめた。
「主も、それくらい思い切りよく捕まればいいのにね」
「逃げるのを優先して、ここのところ、随分と書類作業がはかどっていないようだからね」
「そうだ。青江くん、僕もそれで今主を探してるんだよね。…お茶を用意している間に部屋から出たみたいなんだけれど…」
「なるほど。やはり行き着く先は同じ用件のようだね。主なら、ちょっと前に居間で見たよ」
青江が、自分の直ぐ後ろの襖を指差す。
すぐさま膝丸がスパンと音を立てて襖を開くと、せんべいを齧っている髭切と目があった。
「兄者!」
「ありゃ。見つかってしまったね」
どうやら外の声は聞こえていたらしい。
何食わぬ顔でそう言いながら、ぼりぼりとせんべいをかみ砕く髭切に、光忠は声を低くした。
「髭切くん、そのせんべいは?」
「主のものだよ。置いて逃げたから、いただいたんだ」
押し黙る光忠の肩に、青江はいたわるように手を乗せる。
「…どうやら、主は故意に部屋を逃げ出したらしいね。燭台切」
「せんべいのカロリーは高いよって、僕あれほど言ったのに!」
「だから隠れて食べてるんじゃないのかい?」
にこにこと髭切が笑う。
食べ終わって次のせんべいに手を伸ばす髭切に、「兄者。馬当番は――!」と膝丸が声をあげると、彼ははたと瞬いた。思い出したように手を叩く。
「馬当番。そうだったね」
「夕餉の前には終わらせないと」
「そうだった、そうだった。じゃあ、後一枚食べてから…」
「あ、兄者…!」
わたわたと慌てる膝丸の横で、静かに怒る光忠。
間に挟まれた青江と、悪びれない髭切が微笑んでいると、廊下の奥からパタパタと足音が響いて来た。
「あの! にっかりさん、燭台切さん」
「どうしたんだい、五虎退。そんなに慌てて」
「主様を見ませんでしたか?」
「主を? 君も探しているのかい?」
「あの、虎さんを一緒に探して貰ってたんです。そしたら、姿が見えなくて…」
「虎を?」
「…いつの間に今度は虎を探していたんだ、主は」
低く膝丸が声を上げる。
そんな膝丸に五虎退は泣きそうな顔になって、きょろきょろと青江と燭台切を交互に見た。
「虎を探していたら、居間から慌てて出て来た主様にあって、一緒に探してくれる事になったんです」
「それで、姿が見えないのかい?」
「はい。屋敷の中は全部探したのですが…」
「ちなみに虎は?」
「それが…一匹いなくて…」
「それは困ったね」
青江が宙を仰ぐ。
継いで青江が声をあげようとした時、髭切が音も無く立ち上がった。そのままスタスタと、大股で膝丸の傍らを通り過ぎて行く。
「兄者、どこに…!」
「馬小屋だよ。その前に、厠に寄って行くけどね」
「なら俺も」
「厠まで付いて来る気かい? 馬小屋で待っててくれて構わないよ」
「そうか。なら…」
にっこりと笑った髭切が居間を後にする。
その後ろ姿を見送った膝丸が、馬鹿正直に馬小屋へ行こうとするのを、燭台切は肩を掴んで引き留めた。
「ん? どうした。燭台切」
「いや、君のそう言う素直な所こそ宝だとは思うけれどね。馬小屋に行くのは、もう少し後にしたらどうだい?」
「何故だ?」
「…髭切、さんは…主様を探しに行ったんじゃ…?」
五虎退の言葉に、膝丸は呆気に取られた顔をする。
そのまま呆けている膝丸に、青江と燭台切が頷くと、わなわなと身体を震わせた膝丸は、噴火するように声を上げた。
「兄者! それならそうと、言ってくれれば付いて行ったのに!」
「うーん。付いて来られたくないから言わなかったと言う発想は無いんだね」
「まあ、膝丸くんは置いておくとして」
「とりあえず、動ける刀を総動員して、主を探そうか。五虎退」
「はい! 声を…掛けて来ます!」





「…弱ったな」
抱きかかえた虎の毛並みを撫ぜながら、女審神者はポツリと呟いた。
「そう言えば、最近野生の動物に畑が荒らされるって、長谷部が言ってたもんね」
座り込んでいる女審神者の足首には太い綱。
野生動物対策で仕掛けた罠にものの見事に嵌った女審神者は、木に結ばれている縄を試しに引っ張ってみるが、まったく切れる気配が無いそれに肩をすくめた。
空を仰ぐと、オレンジ色の夕日が沈んでいくのが映る。
ちょっとサボってせんべいを食べるつもりが、思いのほか遅くなった。
これではまた皆が寝静まった夜に、せっせと書類を片付けなければならなくなる。
机の上に連なった書類を思い返すと気が滅入ってしまって、女審神者は少しでも気を紛らわそうと、努めて明るい声をあげた。
「虎が罠に引っかからなかったのは、不幸中の幸いだな。それにしても、そろそろ誰かが見つけてくれても良さそうなものだけれど…」
姿が見えない事は五虎退がすぐに気が付くであろうし、皆が探してくれるのも時間の問題だ。
「…帰ったら、薬研に消毒して貰わないとな」
うっ血した足首。
時間を追う事にヒリヒリと痛む足首に、女審神者はげんなりと声を上げた。
「こんな不調の足首抱えて、髭切から逃げきれる自信もないし…。いっそ、また太郎に抱えて貰うか? 嫌、太郎の機動じゃあ、髭切にはすぐに追いつかれるか…」
女審神者だって、まともに逃げたらすぐに追いつかれるだろう。
そのため、前もって前もって逃げる事を心掛けているのだ。
「もういっそ、いさぎよく捕まるかなあ。一度捕まれば、気も済むだろうし。…でも、なぁ…」
どうも苦手なのだ。
あの瞳が。
こちらを見透かすようであって、また、かどわかすような瞳。
事実、審神者の中には髭切に魅入られた者も居ると聞く。
他の髭切と、髭切が同じと決めつける訳でもないが、髭切が髭切であるのも事実なのだ。
そう思うと、どうも隙をみせるのが怖くて、つい身構えてしまう。
こうして大人気ない鬼ごっこはズルズルと長引いていて、書類を溜める羽目になるのだと分かってはいるのだけれど、踏ん切りがつかない。
「捕まるのが、ちょっと怖いんだよな」
「へぇ」
思いもしない相槌が返って来て、女審神者は身体を浮かせた。
振り返ると、草の合間から髭切が顔を覗かせている。
驚いた女審神者が息を呑むと、立ち上がった髭切は、ガサガサと草をかき分けて出て来た。
「それにしても。人の子は、怖いものが多いんだねぇ。僕なんか、大抵の事はどうでもいいんだけれど」
「髭切、こんな所まで…」
女審神者が身構えるのを、にこにこと笑いながら見下ろす髭切。
彼女は両腕でタイムのポーズを取ると、声を上げた。
「今は緊急時だから、追いかけっこはタイムだからね」
「分かっているよ」
身をかがめた髭切が、女審神者の足首に手を伸ばす。固く結ばれた縄を力任せに解こうとする髭切に、女審神者は慌てた。
「ちょ…! 一度本丸に戻って、何か切るものもってきてよ!」
「面白い事を言うね、君は。ぼくが刀なのにかい?」
「そりゃ髭切は刀だけれど、今は人の身に近い訳であって……アァ…」
ちょっとせぬ間に血だらけの親指と人差し指。
女審神者は髭切の手に目を落とすと、頭を抱えた。
「痛くないの?」
「確かにこれは痛いけれど、初陣に比べれば大した事ないかなぁ」
「…あの時は、髭切無茶し過ぎ」
「いやぁ。戦になると、つい熱くなってしまうよ」
「熱くなるのもいいけれど、自分の身は顧みて戦ってよね」
「だけど折れなければ、君が手入れをしてくれたら直るのだろう?」
女審神者は瞬くと、緩く息を吐いた。
顕現したての刀には、慣れぬ人の身に良くある事だが、どうしてかこの髭切と言う刀は、他の刀に比べて無邪気過ぎる節があるように思う。
女審神者は幼子に言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「……あのねぇ、髭切。そりゃ手当をすれば直るけれど、本丸に戻って道具を取ってくれば、そもそもしなくていい怪我な訳なんだし…」
「君の怪我は、手入れをすれば直るのかい?」
「治らないけれど」
「へぇ。人の身は不便だねぇ」
のんびりと言いながら、動く血まみれの手。
ヒヤヒヤしながら見ていると、ようやく縄がほどけた。髭切の血で赤く染まっている縄を見て震えた女審神者は、スクッと立ち上がる。
「と、とにかく本丸に戻って手入れしなきゃ…! って、わ!」
痛んだ足に気を取られて身体が傾ぐ。
虎を持っているだけに手も出せず、なすがままに倒れる身体を髭切が支えた。
「あ、ありがとう、髭切」
「うん。タイム…? だったかな。まあ、なんでもいいけれど。とにかくそれは終了と言う事で…」
「え!? 何勝手に終了させてるの!?」
「だって、動けない君を捕まえるのは詰まらないじゃないか」
「いつの間に髭切の都合に合わせた話しになってたのかな!?」
「まあまあ、そんなことどうでもいいよ」
「どうでもよく無いよ! 怖いよ! 助けてェェエエェ!」
「ははは。賑やかだねぇ、主は」
笑いながら髭切は、ひょぃと女審神者を抱えた。
「ちょ、ひげ、な、だ…!」
「捕まえた褒美だよ。太…なんだっけ? さっき君が言ってた刀の名前…」
「太郎?」
「そう、太郎太刀には抱えて貰ったそうだから」
「待って髭切。突っ込みどころが多すぎる。そもそも褒美は与える方が考えるものであって、それから、わたしの独り言を聞いてたなこのヤロウ! いつから近くにいたの!」
「あと一歩で手が届く時に、何故だか急に眠たくなってねぇ」
「さらりと嘘ついた!」
ふふ、と髭切が笑う。
肩の上で揺れるクリーム色の髪。
穏やかに笑うこの刀が、見た目通りであればどれほど麗しい事か。
一癖も二癖もある刀の腕の中で、女審神者はイーッと歯を剥き出しにした。
「もう!」
「追いかけられるのが嫌なら…ぼくを近侍に置くといいよ」
「絶対嫌だ! わたしが忙しいのに、一人で菓子食べてそうだもの、髭切!」
「ああ、そうだ。君のせんべいもとても美味しかったよ」
にっこりと髭切が笑う。
女審神者は震えると、腹の底から声をあげた。


「ホラ――! もう、そう言う所!!」



*+*+*+*+*
大阪城でさ、嫌だなぁと思う方向に進んで行ったら髭切が居る気がしたんだよね(審神者談)
良い匂いがする方に歩いていくと、主が居るんだよねぇ(髭切談)
ハッ、また兄者の姿が無い…!(膝丸談)

結局追いかけっこは髭切が飽きるまで続いた。