「面倒臭い」
呟いた女審神者は机に額を乗せたまま、先ほどから一ミリも動く気配を見せない。
その後ろで、同じく座したまま動かない長谷部は、「心中お察しします」と労いの言葉を掛けた。
「行きたくない」
「主」
「どうせ小言言われるだけなのに。
どこの誰とかは結婚したとか、孫が出来たとか、そんなんばっかり。
ほんっとにメンドクサイ」
ぶちぶちと愚痴る女審神者を、長谷部の気の毒そうな視線が見つめている。
定期的にかかって来る女審神者の母親からの電話は、
基本的に穏やかで前向きな彼女を、一遍してガラリと変えてしまう。
今回も項垂れて影を背負っている女審神者は、零すように呟いた。
「そもそも何の仕事してるのって聞かれても困るし」
「何処に住んでるか聞かれても困るし」
そうして最後を、深いため息で締める。
「食べ物で釣ろうとするからなぁ…」
大抵電話の内容は、野菜が手に入ったから取りに来ないか、だ。
特に女審神者が箱入りの野菜を喜ぶと知ってからは、電話口で撒き餌のように野菜の鮮度を強調する。
そうして取りに出向くと、野菜の話はどこへやら、執拗に審神者の身辺の話を探って来くから性質が悪い。
政府お抱えの審神者。
本丸と言う住居も与えられ、何不自由ない暮らしをしている女審神者だが、
非公式の職の為、親にすらいえない。
ぼんやりとした説明はしているものの、
わが娘がどのように生活しているのか分からない親の不安も、まあまあ分かると言うもので。
年齢と共に結婚が加わって来た近年、餌に釣られて実家に帰るたび、
女審神者はメンタルを大幅に削られていくのを感じる。
「長谷部」
「何でしょう」
「……嫌、何でもない」
長谷部が代わりに行って、なんて軽々しくは言えない。
主命とあらば、と遠征宜しく出かけて行きそうな彼に、女審神者は出掛った泣きごとを呑みこんだ。
ややあって後ろに控えている長谷部は、神妙な声を上げる。
「……主のご両親も一度本丸に来ていただければ、安心するやもしれませんが」
それが出来ないから、難しいんですよね。
皆まで言わずとも呑みこんだ長谷部を、女審神者は風を斬るようにして振り返った。
先ほどから動く気の見えなかった彼女が突然弾けて動いた事に、少なからずとも動揺した長谷部は、少し仰け反る。
「ダメだよ!絶対ダメ!
こんな男所帯に女一人でいる所なんて見られたら、何を言われるか…!」
その顔は、怖れしかない。
「刀剣男子なんて難しい説明してもさっぱりなくせに、口だけ達者なもんだから。
やれどの子と恋仲だのの話にとどまればいいけれど、
不潔だわだの、そんな子に育てた覚えはないだの、言われ出したらもぅ…っ」
死ぬほどめんどくせぇ!
どん、と机を手のひらで弾いた女審神者は、わ、と両手で顔を覆った。
「しょうがないじゃん!一般常識とはかけ離れた所で生きてるんだから!」
誰に向かっての言い訳なのか。
腹の底から叫んだ女審神者は、軽く息をつくと、両手を下ろした。
「ああ。ちょっとスッキリした。長谷部、聞いてくれてありがとう」
「いえ…」
結果聞いていただけで、長谷部がいなくても、女審神者は一人で喋っていたのではないかと思う。
おずおずと長谷部が頷くと、審神者は太ももを両手で弾いた。
「さて…支度を、するか…」
長谷部が深く腰を折って退室すると、
本日近侍でないはずの清光が、縁側に腰を下ろして座っていた。
ちらりと長谷部を見上げた彼は、ぶらぶらと足を揺らしながら口を開く。
「主の準備、終わったぁ?」
「嫌、今からだが。それにしても加州、何故お前がここに?」
「俺だけじゃないよ? ほら」
清光が指で示した先には、庭で遊ぶ粟田口と今剣。
それに、何故か大根を持ったままの燭台切までいる。
不自然なまでに主の部屋前に集合している輩に、長谷部は怪訝な瞳を向けた。
「何事だ?」
「長谷部は鈍感だからねぇ〜」
のんびりとそう言った清光を、長谷部は睨みつける。
「要領を得ないが」
「主が現世に戻る時はホラ、いつもと感じが違うだろう?」
と、燭台切。
「…そうか?」
「いっつも芋ジャージな主がぁ、可愛い服来てー、ばっちりメイクを見られる唯一の機会だもーん」
清光の言葉に、燭台切が笑顔で頷く。
そういわれれば、現世に戻る際の主はいつもと雰囲気が違う気がする。
ぼんやりと宙を仰いでその事を考えていた長谷部は、やがて襖が開くと共に、「皆、何してんの?」と尋ねて来た声に首を巡らせた。
「ある…」
「主――!何それ、めっちゃ可愛いじゃん!」
「清光、ありがとう。でも可愛いは清光にあげる」
「俺も主も可愛いにしよう!」
「ありがと」
そう言った女審神者は、なるほど言われてみると、少しばかり違う気がした。
今までは服装くらいしか変化に気付かなかった長谷部が興味津々に審神者を見ていると、その視線に気付いた彼女は瞬く。
「…もしかして、ちょっと厚塗りしすぎた?」
「そんなことない。似合っているよ」
「ありがとう。光忠」
「あるじさま、にあってますよ!」
「いまつるちゃんもありがとう」
「あるじさま、かわいい、です」
「五虎退ちゃん、嬉しいよ」
「いい感じだな!大将」
「薬研まで。いやはや、ありがとう」
にこにこと笑った女審神者は、「で?」と首を傾げた。
「内番の人もそろって、何をしているのかな?」
主の晴れ姿を見物に来たなどと、口が裂けても言えない面々は、互いに顔を見合わせるとぴゅぅっと風が吹くように離散した。
女審神者にとってはまったく気が乗らない現世行きも、刀たちにとっては重要なイベントの一つらしい。
ようやくそれを理解した長谷部に、女審神者は苦笑を向けた。
「見に来るようなものでもないんだけれどね」
「皆、主の姿を楽しみにしていたようです」
「いっつも芋ジャーだしね。新鮮みたい。軽く恒例行事ね」
自覚はあるらしい。
女審神者は手に持っていた靴を庭先に下すと、
つい今しがたまで清光が座っていた場所に腰を下ろして、靴を履いた。
近侍として、現世の入り口まで送るのは長谷部の役目。
草履を引っ掻けた彼が立っていると、靴を履き終えて立ち上がった女審神者は「あ」と口を開いた。
「財布忘れた」
くるりと踵を返した彼女は、縁側の淵に脛をぶつける。
痛いと声を上げる間もなく身体が傾いて、伸ばした手が縁側に付くかつかないかの所で、
「主―!」
と言う、まるで生きるか死ぬかのような声を上げた長谷部に抱き留められた。
「びっくりしたあ」
「大丈夫ですか。主」
「うん。長谷部の声にも驚いた」
「主に危険が迫っておりましたので」
「…いや、脛打ったくらいなんだけれどね」
泣き所の痛みも忘れるくらい、長谷部の鬼気迫った面に女審神者は噴き出した。
「まったく、長谷部は大げさなんだから」
そう言って、長谷部と目が合う。
すると彼は一瞬だけ大きく瞳を見開いた。
サッと走るように頬に赤みが掛かって、
審神者がどうしたのと尋ねるより先に、何に動揺したか分からぬまま、長谷部は弾けるように彼女から距離を取る。
何故か両手を挙げて。
「あ」
「主!」
長谷部の支えを失くした審神者が、ぐらりと縁側に倒れ込んだ。
今度は誰の手もなく、
バターンと派手な音を立てて縁側に倒れ込んだ女審神者に、
しっぽを巻いて逃げ出していた刀たちが駆け戻って来る。
大丈夫ですかと口ぐちに訊く短刀たちを見ながら、
言いようもない表情で口を噤んでいる長谷部に、清光は歩み寄って来た。
彼はちらりと長谷部の横顔を仰ぎ見て、あからさまにため息を吐く。
「…ほんっと、長谷部って気付くの遅いよね」
「………」
「ま、主はいつも可愛いしなぁ」
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それから現世行きの時は、長谷部もイベントに絶対参加。何故かラジオ体操してます。