窓の外を仰ぎ見ると、橙色の空に薄闇がかかっているのが見えて、陸遜は筆を置いた。
疲れた目頭を押さえる。
「今日はここまでにしますか」
思った以上に世渡りが上手いらしい司馬昭は、孫権を上手く立てながら、彼が築いた地盤を利用しながら、日々着実に晋と言う国を定着させていっている。

戦が無くなった今、陸遜がする事と言えば処務ばかり。
ここに彼女が居たならばすぐにでも音をあげていただろう――と考えて、知らず知らずのうちに緩んだ口元を覆い隠した。
「いけませんね」
何がいけないのかと聞かれたら、分からない。
分からないけれど、こうして何かについて彼女を思い出しては、必要以上に心を弾ませたり、沈ませたりする自分がいていけない。
いっそ記憶に蓋でもしてしまおうと思えない自分が、いけない。

陸遜は机に手をかけた。
開くと二通の手紙。
一通目を手に取り広げると、愛を歌うように繊細な文字が。
二通目は武骨な文字と似顔絵が。

馬岱に描いて貰ったと言う似顔絵を、自分ひとり持っているのは忍びないので送る、と言う文字が添えられている。
「似て…いるのでしょうけれどね」
輪郭も、鼻の高さも、目の大きさも。
似てはいるのだろうと思うけれど、穴が開くほど見つめた所で、この絵に描かれた女は笑わない。
酒も飲まないし、あっと驚くような無茶もしない。清く正しく枠に収まっている時点でやはり彼女には似ていないなあ、なんて思ってしまう。

そう考えたのは送ってきた本人も同じらしく、
随分殊勝な顔だな、と馬岱に言った所、似せて描いたら虎と一緒に突っ込んで言っちゃうよーと言われたそうだ。
確かにそうかもしれないな。
生真面目な文字に目を走らせて、陸遜も一人頷く。

「確かに、そうかもしれませんね。趙雲殿」

趙雲殿に絵を頂いたのだけれどね。
そう切り出された手紙は、まるで笑っているのが目に浮かぶようだった。

以前、写真と言うものの話を聞いたんだ。なんでも、その時の情景をそのまま絵に残しておけるものらしい。
まるで馬岱殿の絵は写真だね。
もっとも、記憶の中の彼女を出来るだけそのまま残しておきたいからね。あまり見ないようにしているけれど。

そう結ばれた文字に、陸遜は瞳を揺らす。

「ええ…。本当ですね、郭嘉殿」

頷いて、陸遜は筆を執る。
趙雲に宛て、郭嘉に宛てた手紙をしたためた。
出来上がった手紙を見下ろすこと、数秒。

陸遜は子どものような顔で笑うと最後に一文付け加える。


「陸遜殿、郭嘉殿。此度ばかりは抜け駆けはしないで頂きたい。会いに行く事が出来た際は、是が非にでも方法をお伝えくだされ」
「陸遜殿、趙雲殿。抜け駆けはいけないからね。愛しい彼女には、三人揃って会わないと。愛をささやくのはその後。ゆめゆめお忘れなきよう」

「趙雲殿、郭嘉殿。お二人とも、抜け駆けは絶対に禁止です。いいですね?」

いつからか、合言葉のようになったこのセリフ。
趙雲も郭嘉もどういう顔で書いているのだろうか、想像して、陸遜は微笑みながら空を見上げた。


「抜け駆けしても、逢いに行きますよ。     」


*+*+*+*+
無双×刀剣乱舞で、主人公が居なくなった間のやりとりを想像したらたまらなかった…。







「大丈夫? 長谷部」
「…主」

目が覚めると手入れ部屋だった。
つい庇うように身を起こして、もう傷はないのかと他人事のように考える。考えてから、ハッと目を見開いた長谷部は審神者へと向き直った。
「主、その!」
「なに」
ぶっきらぼうな声で背中が答えて、長谷部は慌てて次の言葉を探す。
「すいません。傷を負ってたのが俺だったので、そのまま!」
「…」
無言。沈黙が落ちる手入れ部屋に、居ても立ってもいられなくなった長谷部は思わず審神者の腕を取った。
「ちょ」
抗議の声が上がる。てっきり睨めつけられると思っていた長谷部は、りんごのように真っ赤な審神者と目があって拍子抜けした。
「あ、あるじ?」
「わたしは怒っている! いいか、わたしは怒っている!」
二回言って、審神者は長谷部の胸に拳を振り上げる。
「無茶な進軍はしなくていいって言ったよね!? 長谷部だろうと、他の子だろうと、無茶な――っ」
言いかけた唇が半開きのまま固まる。
長谷部を映した瞳が逃げるように逸れて、審神者はゆっくりとした動きで唇を覆うと、俯いた。
「っつって、怒ろうと思ってるのに……なんっつーもん持ってンのよ、長谷部」
「え?」
「胸元!」
「え、あ、これですか?」
取り出されたのは紙一枚。
開こうとする長谷部を審神者は全力で止めた。

「いい、もう見たから」
「主が俺に字を教えてくれた時の紙です」


あ、い、う
お世辞にも自分でも上手いとは思えない文字が羅列してあるだけの紙を後生大事に持って出陣しているなんて、怒る気も失せる。
おまけにこのへし切長谷部と言う刀。大概無自覚の、無自覚テロリストである。
なんだかこっちが恥ずかしくなって、見えないように暗闇にいたと言うのに、真っ赤な顔を電灯の下にさらされて審神者はぽつりと落とすようにつぶやいた。

「……どうりで長谷部の字、わたしの字と見分けがつかないはずだわ」



*+*+*+*
長谷部はこういう(無自覚な)口説き方が出来る刀だったら嬉しいなという希望を込めて。







「っ、くそ、こっちに逃げたくないのに…!」
藤原家は目と鼻の先だ。
追ってくるあやかしを一瞥して、恐怖に背中を押されるようにして足を速ていると、
「おや?」
知らぬ家の門から、ひょっこり男が顔を出した。
すれ違い様に瞳が合う。
「逃げ…っ」
て下さい、と言っていいのか悪いのか一瞬迷う。口ごもる夏目の前で、男はあやかしの顔面を掴むと穏やかに微笑んだ。

「おやおや、若い男の子の後ろを狙うとは…随分と気が早いねぇ」

ぴゅうと脱兎のように逃げていったあやかし。
夏目が呆気にとられていると、男は長い緑の髪を耳にかけた。
「君は…ご近所さんか」
「えっ」
「得体のしれない、大きな猫を飼っているだろう? ふふふ、触ってみたいよねぇ」
どう返事していいのかがわからない。
返事に詰まっていると、玄関扉が開いて中から女が顔を出した。
「なに、青江、どうしたの? あれ、君、藤原さん家の男の子?」
「あやかしに追われていたんだよ」
当たり前のように答えた男に、夏目と女はぎょっと目を見開く。
引っ掛けたスリッパに躓きながら女は家を出て来ると、夏目を覗き込んだ。

「え、大丈夫? けがしてない?」
「怪我は、その」
「してるねぇ」
してないです、と答えるより先に、庇ってた腕をひょいと持ち上げられる。離れた手の下にある一文字の傷を見て、女はギャッと悲鳴染みた声を上げた。
「ダメじゃん、直接触っちゃ! 手はばい菌がたくさんあるんだよ! ちょっと待って、今日は薬研が非番で居るから。薬研ー!」
「何だ、大将。怪我でもしたか。だから庭掃除は俺っちたちに任せろって…」
声につられて顔を出したのは少年だ。
「怪我だけど、わたしじゃなくて」
「薬研。石切丸も呼んでくれるかい?」

のんびり言って、男の瞳がからかうように細くなる。

「君、その傷あやかしものにつけられただろう? それを追って戻って来られても面倒だしね、ついでに祓ってもらうといいよ」
「え、ちょ、あの…!」
「おい、青江。祓ってやるのはいいが…、素も知らん奴を招きいれて大丈夫か?」
口を挟んだ少年は夏目を見上げる。
見上げて、その薄紫色の目を細くすると、あっけらかんと頷いた。
「大丈夫そうだな。よし、入れよ。手当してやる」
「え、ちょっと待ってよ、青江に薬研。家の中に入れるのはさすがにまずいんじゃあ」
「だからと言って、石切丸に外で祈祷させる訳にもいかないだろう?」
「それは、まあ、そうだけど。いくらご近所さんとは言え怖いよねぇ? ウチ神域寄りだし…」
「神域?」

引っかかる言葉を繰り返した夏目は、半ば強引に押し込まれた玄関で目を見開いた。
なんだこの神々しい空気は。おまけに外観から見た室内と全然違う。二階建ての古い家屋のはずが、続く廊下に、遠目には中庭。
呆気にとられる夏目に、青江と呼ばれた男は手を引きながら首を巡らせた。
「驚くよねぇ。君は敏い子のようだから」
「あの、貴方は、その」
「安心するといい。僕たちは置いておいたとして、彼女は君と同じ人だから」
青江の視線が斜めしたを向く。釣られてみると、後を小走りでついてくる女が頬をかいた。
「自己紹介が遅くなってごめんね、貴志くん。塔子さんとは時々お話するんだけれど…貴志くんと話すのは初めてだもんね。      って言います」

   、   。
そういえば藤原家の食卓に並ぶ野菜。
ご近所の   さんにおすそ分けしてもらったものだと何度か聞いた事がある。

記憶と結びつくと途端に安心して、気づかれないようにほっと息を吐いた夏目。気づかれないように吐いたはずなのに、女は同じくらい安堵した顔をすると胸を撫ぜた。
「あ、貴志くんを送りがてら、ついでに野菜持って行こうかな。今日の畑当番誰だっけ?」
「大倶利伽羅と蜻蛉切じゃなかったか?」
「いい野菜見繕ってもらおーっと」
少年に手当してもらい、石切丸と名乗った男が祈祷してくれるまで、いったい何人見ただろう。
家の規模と住んでいる人間の数がどうかんがえても絶対におかしいご近所さんは、夏目を門前送り届けると、微笑んだ。

「貴志くん、帰り道困った事があったら、うちに駆け込んでいいからね。周知しとくから」
周知するくらいまでいるのか。
最初の頃に抱いていた警戒もだいぶ解けて来て、野菜を受け取った夏目は頭を下げた。

「あの、ありがとうございました」
「いやいや。返って遅くまで引き止めちゃってごめんね。人がわたし以外いないから、みんな喜んじゃって」

ぐるりと囲まれた子どもたちに、あれよあれよと世話を焼かれたのを思い出す。

けがしてるんですか?
あやかしに襲われたんだって。
マジか! 
大丈夫?

おかしくなって少し笑うと、女は照れたように笑った。

「改めて、ご近所同士、よろしくね。貴志くん」
「よろしくお願いします」

謎の多いご近所さん。
ちょっとよく分からない事は多いけれど。

次の日帰りながら見上げた古い二階建ての家。
何故か平屋だった室内を思い出している夏目の瞳にステッカーが映った。
昨日までなかったステッカー。覗き込むと子どもの字で、たかしくんひゃくとうばん! と書いてある。
「百当番って」
思わず笑った夏目は、こみあげてきた温かい気持ちに瞳を伏せる。

ご近所さんはちょっと変わっているけれど、悪い人たちではないらしい。


*+*+*
最近は的場さんの元許嫁審神者が書きたい気持ちです。


たくさんの拍手、ありがとうございました。
〜2018.8