「主」
江戸城の調査書類をまとめていた女審神者は、障子が叩かれるなり聞こえて来た青江の声に顔を上げた。
す、と開いた障子の外から顔を覗かせた青江は苦笑する。
「大丈夫かい? 随分と煮詰まっているようだけれど」
「え? そんな感じだった?」
「その様子じゃ、来客があった事にも気づいてないだろう」
「お客さん? 嫌、全然気づかなかった」
首を振ると、青江は肩をすくめた。
「やっぱりね。まあ、頭が固くなっている君には丁度いいかも知れない」
青江の声と同時に、元気よく廊下を駆けて来る足音。青江が身を引いたのをいいことに、滑り込むようにして現れた小さな影は、障子をすぱーんと景気よく開いた。
「ねーちゃん!」
「トリックオアトリート!」
まず元気よく現れたのはてつし。そのあとに良次。最後に椎名が歩いて来る。
狼男に扮したてつしと、魔女の恰好をした良次。そして白い着物に青い帯を巻いて、長い黒髪を揺らしながら現れた椎名を見た女審神者は、面を食らったような顔をした。
「…何事?」
「何って、ハロウィンに決まってンだろ」
「ハロウィン?」
「ハロウィン」
おうむ返しに尋ねると、三人が頷く。
「十月三十一日!そうか。そうだよね。江戸城へのゲートが閉まる事ばっかり考えてたけれど、そっか。今日ハロウィンなんだ」
現世に居た頃はそれなりに意識していたものだけれど、刀剣男子たちと暮らすようになって、ハロウィンイベントなどすっかりご無沙汰だった。
突風のようにハロウィンを届けに来た三人を見て、女審神者はほのぼのと笑う。
「えー、やだ。めっちゃ可愛いー。写真撮らせて、写真」
記念に一枚。
すぐさまポーズを決めた三人は、催促するように手を伸ばした。
「トリックオアトリート!」
「おねーさん、お菓子頂戴」
「くれなきゃ悪戯するよ」
「はいはい、ちょっと待ってね。せっかく上院から来てくれたんだもの。おねーさん、奮発しよう」
ふっふっふと笑いながら襖を開けると、女審神者は段ボール箱を取り出す。
「買いだめ前で量少ないからね。出血大サービス、全部もってけ泥棒!」
「全部いいの!?」
「ねーちゃん太っ腹!」
「友達みんなで食べるといいよー」
目を輝かせて段ボールに駆け寄るてつしと良次を見ていると、あまりの微笑ましさにほっぺが落ちそうになる。
にまにま笑っている審神者に、てつしと良次は満面の笑みを向けた。
「ありがと! ねーちゃん!」
「よし、リョーチン! 次ぎは蒼龍の番な!」
段ボールをひょいと抱えて、てつしと良次は手を振ったと思いきや駆けて行く。
俊足の二人は煙を巻くように見えなくなって、笑っていた女審神者は一人立って居る椎名を見た。
「椎名くん、置いて行かれてるよ」
「知ってる」
頷いた椎名は、二人が走って消えた廊下の先ではなく、おもむろに審神者の部屋へと入って来る。
足袋を履いているせいか、足音がしない椎名は、見目の冷やかな美しさと相まって、まるで本物の幽霊のようだ。
座っている女審神者を見下ろす椎名の黒目に、たじろぐ審神者が映っている。
「えーっと、椎名くん?」
「…」
「その恰好は、雪女かな? 可愛いね」
見るからに話題を取り繕おうと四苦八苦している女審神者に、椎名は着物の裾を整えながら膝立ちになると、視線を合わせた。そうして、頷く。
「そう」
「そっか! 椎名くんに良く似合ってると思うよ! ところでてつしくんと良二くんはもう行っちゃったけど、椎名くんは…!」
追いかけなくていいのかな!?
思いつく傍から言葉を並べていた女審神者は、ずいと突き出された椎名の手に、出掛った言葉を飲み込んだ。
「へ?」
「トリックオアトリート」
「…いや、今お菓子上げたし」
「貰ったのは、てっちゃんとリョーチン。俺はまだ」
なんと小狡い!
女審神者は可愛らしい雪女から、逃げるように目を逸らす。
「いや、まあ、そう言われましても、お菓子は全部あげちゃいましたし…」
「じゃあ、悪戯ね」
単調に言った椎名の顔が近づいて来て、女審神者の頬に何かが触れた。それが椎名の唇だと気付いた審神者は、頭のてっぺんからつま先まで、一気に体温が上昇する。
「んな…っ!」
「ごちそうさま」
立ち上がった椎名は、じゃ、と言わんばかりに手を挙げて去って行く。相変わらずのマイペース。涼やかな顔は、一ミリも変化しないままだ。
その小さな背中が見えなくなるなり、女審神者は頬を抑えたまま、畳に額を打ち付けた。
「…雪女が熱くしてどうすんのよ」
☆
「わ!」
「ぎゃ!」
突然背後から大きな声を掛けられた女審神者は跳び上がるようにして驚くと、思い当たる節が一人しか居ない鶴丸を、恨めしそうに睨みつける。
「……鶴丸…」
「まあそう怒らないでくれ。今日は驚かせても良い日なんだろう?」
まあまあと馬を宥めるように鶴丸が手を動かす。
女審神者は半眼で睨み据えたまま、低い声をあげた。
「驚かしても良い日な訳じゃなくて、お菓子をくれなきゃ悪戯しちゃうぞって言う理不尽がまかり通る日なの! 鶴丸のは、悪戯じゃなくて驚きでしょ!」
「そうなのか」
鶴丸は瞬き二回。そうして、つらつらと繰り返した。
「なら、お菓子をくれなきゃ、君に悪戯と言う名の驚きを与えよう」
「……なんか鶴丸が言うと色々変な気がするけど…」
首を傾げながら、女審神者は懐から飴を取り出す。
そうして鶴丸の手を取ると、レモン味の飴を転がした。
「はい、お菓子」
「君は狡いな。お菓子を用意してたのか」
「短刀達が朝から盛り上がってるからね。…と、言うか、先に驚かして来た鶴丸に狡いも何も言われたくないんだけど…」
不満気な面をする鶴丸に、女審神者は手を出す。
「トリックオアトリート」
「ん?」
「お菓子くれなきゃ悪戯しちゃうぞ」
「…これは驚きだ」
「ふふふ。鶴丸に悪戯出来る大義名分を手に入れる事が出来る日を、そうやすやすと逃がしてたまるものですか!」
完全に悪役の顔で笑いながら、女審神者は詰め寄るようにお菓子を催促する。
「ほれ、ほれ、無いのだろう!? ふはは! 今日一日楽しみにしていろよ、鶴丸!」
ひゃっほうと小躍りするように踵を返した女審神者の腕を、鶴丸は後ろから取った。慌てた様子で声が掛かる。
「いや、待て。菓子ならある」
「ええー」
「君に貰った飴だ!」
「いやいや、わたしからあげたものは駄目でしょう。鶴丸からのお菓子じゃなきゃ」
「ようは俺からの菓子であれば言い訳だろう?」
得意気に言う鶴丸に、ちょっと興味をそそられた女審神者はうっかり後ろを振り返ってしまった。パッと表情を明るくした鶴丸は、審神者に貰った飴を開けると、黄色の飴を口の中に放り込む。
「これでこの飴は俺のものになった訳だ」
その瞬間、審神者は嫌な予感がした。
ゾッと背筋を駆け抜けた悪寒に背中を押されて、ダッシュで逃げようとする。
「おっと」
そんな審神者をあっという間に捕まえて、鶴丸は壁へと追い詰めた。背中と鶴丸に挟まれた審神者は、逃げ場がないように塞がれた白くて細い両腕を唸りながら見下ろす。
「リアルにこれをされる日が来るとは思わなかった」
こうなれば逃げる方法は一つしかない。
叫ぶのみ!
「ぎゃ…っ!」
ああと叫ぼうとした顎を掴まれる。問答無用で押し付けられた口から黄色い飴が転がり入って来て、審神者は目を見開いた。
「んぅ!?」
思わず振り上げた右手が、容赦なく鶴丸の頭を叩き落とす。
「――!」
痛みに蹲った鶴丸は、涙目で審神者を見上げた。
「酷いな、君」
「お前の方が酷いわ!」
馬鹿、アホ、と子どものような暴言を並べたてて、審神者は猛ダッシュのまま消えていく。
その背を見送った鶴丸はしばしその場で蹲っていたのだったが、偶然通りかかった今剣に右手を出されて、ようやく立ち上がった。
「鶴丸さん、とりっくおあとりーと! おかしをくれなきゃ、いたずらしますよ!」
「よう、今剣。俺は今すごく機嫌がいいからな」
満面の笑みでそう言った鶴丸は、懐からビニール袋に入れたさまざまなお菓子を取り出した。
「特別に選ばせてやろう。どれでも好きなのを取っていいぜ」
「やったー! じゃあこのおおきなあめだま、もらってもいいですか!?」
「いいともいいとも。俺もとっておきの飴をたった今舐めた所だからな」
☆
「はろうぃん、ですか?」
「そう、ハロウィン」
夜も更けた頃。
孫権に所用があって帰るのが遅くなった彼女が歩いていると、陸遜の執務室に未だ灯りが付いていた。
扉を叩くと、出て来た陸遜はまだ到底終わらないと言う。
うっかり手伝おうかなんて声を掛けてしまったのだが、
「貴方が手伝えるかどうかは分かりませんが…」
と、部屋に通され見た書類に即目が潰れた彼女に、じゃあ暇つぶしに話し相手にでもなってくださいと陸遜は椅子を用意してくれた。
話し相手と言っても、そんなに話題の引出を持っていない彼女は、丁度元居た世界で今頃あっているのであろうイベントの話題を持ち出す事となった。
「そう、ハロウィンって言うのはね。なんか起源は良く分からないけれど、仮装するのよ。日本では宗教行事って言うより、もはや遊びだよね」
「仮装、ですか」
「そうそう、カボチャ被ったり、吸血鬼の恰好したり、最近は流行ってる物の恰好したりする人も多いみたい。元は、悪い精霊とか魔女とかから身を護る為に変装するみたいだけれど。ま、そう言う意味で考えても、やっぱり遊びだよねー」
「吸血鬼?」
「吸血鬼って言うのはねぇー、血を吸うの」
「血を?」
陸遜が顔をあげる。
こういう話題に食いつくのは珍しいと思いながら、持ってる知識を総動員して並べてみた。
「吸血鬼は不老不死でね。吸血鬼に血を吸われた人間も吸血鬼になって、不老不死になるんだよ。それから、日の光が苦手で、あと十字架とか、にんにくとか」
「へぇ」
単調な相槌を打った陸遜は、首を傾げた。
「貴方の世界の吸血鬼は、随分と軟弱なんですね」
「え、この世界にも居るの!? 吸血鬼」
「吸血鬼と言う呼び方をする訳ではありませんが、不老不死で、血を食事とする一族はいますよ。血を吸われた人間がそうなると言う点も同じですね。ですが、日光が苦手な訳ではありませんし、見た目は普通の人間とそう変わりませんよ。普通の食事もとりますし」
「へぇー」
しみじみと頷く彼女に、陸遜は次いで尋ねる。
「それで、そのはろうぃんと言うのは、他に何をするんですか?」
「お菓子くれなきゃ悪戯するぞって言うの。その名の通り、お菓子をくれなきゃ悪戯をするんです」
「へぇ」
途端にどうでも良さそうな反応になる。
陸遜は書類に目を戻して、つらつらと筆を走らせていたが、突然何かを思い立ったように顔をあげた。
立ち上がると、ひおりの元へと足を運ぶ。
そうしてにっこり笑いながら手を出した。
「では、お菓子をくれなきゃ悪戯しましょう」
「お!?」
興味なさそうな陸遜はいずこへ。突然の事に、まったく予想してなかったひおりは目を剥いた。
「お、お菓子…!? 後日じゃ…」
「駄目です」
「ですよね。えー、やだ、陸遜の悪戯とか超怖いんですけど」
「そうですか? ちょっと血を頂くくらいなものですよ」
あっさりと言う陸遜に彼女はまたもや驚かされた。吸血鬼と言う設定らしい。さすが頭の良い軍師様は飲みこみ使うまでが速い物だと感心する彼女に、陸遜は花が綻ぶような笑みを浮かべた。
「………まあ、いずれはしようと思っていた事ですし、少し早くなった所で問題ありませんからね」
しゃがんだ陸遜が、何やら小声でつぶやきながら喉元に手を添える。
ひやりと冷たい陸遜の指先が首筋を撫でて、その臨場感に震えあがった。
「え、ちょ、待って陸遜、やっぱりなんか怖い! 他の悪戯を希望します!」
「怖くありませんよ。少し痛むくらいで」
「痛むの!? なんでそんな現実味いらな…!」
「貴方。ずっと甘い香りがしてたんですよ。知ってました?」
耳元で陸遜の声が聞こえた彼女は、思わず身を固くする。それと同時に首筋に痛みが走って、奥歯を噛みしめた。
「いぃ…!?」
首筋に血が伝う感触がする。
目を見開いた彼女の脳がフル回転するより先に、陸遜は唇に滲んだ血を手で拭いながら、微笑んだ。
「お菓子よりもずっと美味しいですよ」
押し黙る事数秒。
先ほど陸遜が話していた吸血鬼云々の話が駆け巡っていく。
今になって考えてみれば、妙に近しい人の話をするような口調だったような。
パカッと口を開けた彼女は、腹の底から驚きの声を上げた。
「ええええぇぇえええええええええええええええぇええええええええええ!!!!!??????」
*+*+*
「まあ、多少順番が違いますが問題ないですよね」
やっぱり陸遜の悪戯が一番怖いver
もはや悪戯じゃないver(言い直す)
陸遜吸血鬼、なにそれ素敵。KOWAI。わたし書きたい。どうせならハロウィン吸血鬼じゃなく、マジ者で、と浮かんだらたまらなくなったゆえの拍手たちでした。
お粗末様でした
2017.10-2018.02 拍手頂きありがとうございました。