「主?」
障子戸を叩いた光忠が部屋を覗き込むと、女審神者は何やら熱心にテレビを見ていた。
「その声は光忠?」
食い入るように画面を見ている彼女は、こちらを見向きもしない。
他の刀ならともかく、ようやく想いが通じ合った光忠に対してその態はいかがなものか。
一瞬不安やら不満やら、言いようもない感情に胸を駆られた光忠だったが、
慌てて思い直すと、ざわついた心臓を宥めるように、胸を撫ぜた。

積年の想いが叶ったのは光忠の方で、
当の女審神者はと言えば、すったもんだでようやく彼の思いの丈を受け止めただけに過ぎない。

言い訳にも似た言葉で自身を慰めて、光忠は女審神者の背中に声を投げかけた。

「何を見てるんだい?」
「ん?」
女審神者がかすかに首をめぐらせる。
すぐに画面へと視線を戻した女審神者は「ごめん」と言葉を続けた。

「今いっぱいいっぱいなの」
「随分熱心だね」
「うん。昔めちゃくちゃ好きだったアニメの再放送でね」

言いかけて、口を噤む。
ああ、とか、うわ、とかうわ言のような言葉を並べて、
女審神者は両手で口元を覆うと、声にならない悲鳴を上げた。

「やっぱりカッコいい――!! ああもう、たまらん」

カッコいい、の言葉にぴくりと反応してしまうのは、
カッコよさを追及する自身の性か、単なる嫉妬か。
光忠はさりげなく部屋へと入ると、
今にも画面に掴みかかるのではないかと思われるほど近くに寄っている女審神者の後ろに腰を下ろした。

畳の擦れる音で、光忠が後ろに座った事に気づいたのだろう。
女審神者が無邪気に明るい声をあげる。
「あのね、このキャラ! このキャラなんだけれどね」
「うん」
「わたしが初めて好きになったキャラクターなの。まだ小さかったなあ」
いつになく高揚した声をあげる女審神者は背後で光忠がどんな顔をしているかなど、考えてもいないよう。
苦いものを噛んだような顔をしている光忠に、女審神者はうふふ、と笑った。

「いわば、わたしの初恋ってヤツだよねぇ」



「主」
「ん? 何? 見えない?」
「なにか食べたいものはないかい?」
「へ?」
「おやつでも、ごはんでも」
「いや、こんな中途半端な時間だし…」
「何でも作るよ。一緒に食べよう」

食い下がる光忠を、ようやく女審神者は振り返った。
困ったような顔をして、視線が画面と光忠を行ったり来たりする。
「えーっと」
「食べたいもの、なんでも作るよ」
「ええぇぇ」
何故今なのか。
女審神者は困惑しているらしい。
しかし、食の誘惑に彼女が弱い事は誰より知っている光忠は、めげずに声を上げ続けた。

「何が食べたい!?」

「じゃ、じゃあ…う、うどん? 鍋焼き、うどん」
「うん、わかった!」
颯爽と立ち上がった光忠が、部屋を後にする。
再び訪れた静寂に、女審神者は首をかしげたまま画面に向き直った。

だが。

「できたよ!」
ものの十分ほどで鍋焼きうどんを手にして現れた光忠。
「早!?」
驚きに首を巡らせた女審神者は、アツアツの鍋焼きうどんから昇る湯気を見て、あっけにとられ目を瞬かせる。
「なんっちゅう早さ…」
「もちろん、麺は手打ちだよ!」
「どっから出てくるのそれ!?」
「明日の昼ごはんにするつもりだったんだ!」
「ホントかなぁ、それ」

女審神者は笑うと、ゆっくりとテレビのリモコンに手を伸ばした。
真っ暗になった画面に、嬉しそうな顔を隠しきれていない光忠が映っている。
彼女はよいしょ、と立ち上がると、机を真ん中に持ってきながら、小さく笑った。

「テレビに焼き餅やかなくてもいいのに」
「……ばれるよね」
「うん」
「今ぼく、顔赤い?」
「うん」
「湯気にあたったからなんだけれどね!」
「はいはい。可愛い言い訳ごちそうさま。ほら、鍋焼きうどんはここね。わーい、いただきまーす」
「…可愛いって…」



(録画はバッチリ)


*+*+*
花丸のうどんがカオス過ぎたので





「ぬしさま?」
「ん?」

想いを通わせてからというもの、小狐丸は障子戸を叩くことなく開く。
女審神者もそのことに対して小言を言って来たことはないので、
今日も今日とて彼は勝手知ったる風を装い障子を開いたのだが、
いつもと違い、女審神者はのんびりと笑みを向けて来る事なく、何やら至極熱心にテレビを見ていた。

「何をなさっているのですか、ぬしさま」
「昔好きだったアニメの再放送があっててね」
女審神者はおお、と声を上げると、無邪気な顔を小狐丸に向ける。

「これ! このキャラが好きだったの!」
瞳は爛々。
指をさした彼女は、小狐丸を数秒とみる事なく、画面に視線を戻した。
「初恋は忘れられないって言うけれど、対アニメキャラでこそ効力を発揮する言葉だわ、それ」

「――そうですか」
「どうかしたの? 小狐丸」
「毛並を整えて頂こうかと思いまして」
「これ見ながらでよかったらいいよ〜。ここ、座って」
女審神者はぽんぽん、と片手で畳を叩く。
しかしながら、いつもなら小躍りする勢いで来る小狐丸が動く気配を見せないので、
いぶかしく思った彼女は首を巡らせた。

「小狐ま……」
呼びかけた名前が続かない。
それもそのはず、今女審神者の目の前にいるのは、当の小狐丸ではなく、画面の中の君の姿で。
女審神者は丸々と見開いた目を瞬かせると、低く声を上げた。
「何してるの、小狐丸」
「化けてみました」
「いや、それはわかるけれど」
「どうせ愛でるなら、画面の中ではなく本物がよろしいでしょう、ぬしさまも」
「いやいや。本物じゃないからね? 小狐丸だからね?」
「細かい事はお気になさらず」
「どこも細かくないよ」
女審神者が真顔で首を横に振る間にも、小狐丸が化けたキャラクターが一歩二歩と近づいてくる。

「どうぞぬしさま。撫でるなり、舐めるなりお好きにどうぞ」
「撫でないし、舐めないよ! 何その恥ずかしすぎる絵面」
「よいではないですか」
「よくないよ。小狐丸こそよくないでしょう!? 誰ぞしらぬ男を撫でるわたしの姿は!」
「中身が小狐でしたら、外見など大した事はありません」
女審神者が逃げるように後退さる。
獲物を追いつめる獣のように、瞳が怪しく輝く君が近づいてくる。
「ちょ、ま、ホントに待って! わたしが小狐丸を希望しますッ!!」

両手を突き出すと、君は立ち止った。
「そうですか」
興がさめたような声をあげて、煙と共に小狐丸の姿へと戻る。
真っ青な顔をした女審神者は重低音のように響く心臓を抑えると、細く長く息を吐いた。


「小狐丸…」
「何でしょう、ぬしさま」
「本当に外見はどうでもいいの?」

女審神者が問う。
小狐丸は目を細めると、にんまりと唇に弧を描いた。

「どうでもとでも構いませんよ。
ぬしさまが、画面ではなくこの小狐を見て下さるのなら」


*+*+*
一番性質の悪い邪魔





「何をしているんだい?」
障子戸を鳴らすと同時にスライドさせた青江は、
女審神者がいつになく真剣にテレビ画面を見つめていることに、問うた。
ちらりと青江の方へ首を巡らせた彼女は、すぐにテレビへと視線を戻す。

「どうかした?」
「用はないよ。ただ君に会いに来ただけで」
近侍でもない青江が、審神者に用など早々ない。
ただ、男女の仲である男が女に会いに来るのは、用が無くとも有り得る事で、
女審神者は青江の言葉に、ゆるやかな笑みを返した。

「そっか。じゃあ、一緒に見ようよ」
「それは?」
「昔好きだったアニメ。再放送があってるの」
「へぇ」

言うと、青江はするりと障子を閉めて女審神者の隣に腰を下ろした。
こぶし一つ分の距離。
こんなに近くに座れるのは、大勢居る刀の中でも青江だけ。
そう思うと、心が陽だまりの中にいるように感じるこれを、幸せと呼ぶのか。

(幸せ、ね)

いたく自然に浮かんで来た言葉に思わず自嘲して、
傍らでキラキラと瞳を輝かせながらアニメを見る女審神者に、穏やかな瞳を青江は向けた。
そんな彼の心情など知る由もない女審神者は、高揚した頬を青江に見せる。
「あのね、このキャラ」
「ん?」
「このキャラが好きだったの! まだ小さい頃だったんだけれどね、一丁前に。初恋ってヤツかなぁ」
「君はこういう男が好みなのかい?」
「物心ついてすぐ位だからねぇー、そうなのかもね」
悪戯な青江の言葉に、女審神者もまた、意地の悪い笑みを返す。

にやにやと微笑みあうこと数秒。
青江はふ、と力が抜けるように笑うと、女審神者から視線を逸らしてテレビに向けた。
「意地が悪いね、君も」
「青江が意地悪な事言うからでしょう」
「冗談さ」
「知ってる」
「どういう物語なんだい?」
「えっとね」

常日頃から、あまり説明の上手な方ではない彼女。
加えて画面を見ながらの説明は、気もそぞろで、ますます要領を得ない。
それでもこれがこういうキャラクターで、このキャラがこのキャラをね、など、
子どもに戻ったように両手を叩いて説明する彼女の話を聞くのは、なかなか有意義な時間であった。


エンドロールが流れ出す。


「終わったぁ!」
「お疲れ様」
「面白かったね」
「なかなかね」
のんびりと相槌を打った青江は、
満足そうな面持ちで余韻を噛みしめている女審神者を横目で見た。

「君の初恋の人とやらとの対面が、この世のものでなくてよかったよ」
「ん?」
どこまでも穏やかな青江の言葉に、女審神者は首を傾げる。
「どういう意味?」
深く緑の長い髪。
す、と背筋を伸ばして座る彼は、数存在する刀剣男子の中でも、少し違う美しさを持っている一振りだ。

儚く、繊細な美。
長い睫に彩られた瞳が弧を描くように微笑む。

「ぼくは刀の付喪神だからね。
君と初恋の縁が結んであろうものなら――迷わず斬ったんじゃないかな」
「青江」

そんな大げさな、なんて軽口は叩けない。
感情の機微をあまり見せないこの一振りが、
穏やかで優しい愛情を女審神者に一心に向けていた事を知ったのは、随分と後の事であった。
それくらい、彼は己の感情を鎮める事に対して長けている。
そんな彼がつらつらと単調に言う言葉の熱が、そのままの熱量ではないことを、
今の女審神者は十分に理解しているからこそ、
彼女は一度飲み込んだ言葉を、ゆっくりと大切に紡いだ。

「いいんじゃない? 斬っても」
「無遠慮だね。そんな事を言うなんて」
「失礼な。ちゃんと考えて喋ってるよ」
「そうかい? なら、これから先の君と誰かの縁を、ぼくがすべて斬ってしまっても構わないと?」

青江の瞳が、さらに細くなっていく。
女審神者は息を吐くと、片方の唇を針に引っ掛けるようにして持ち上げ、笑った。
「随分意地悪ね、青江は。斬ればいいじゃない。構わないわ」
青江に負けじと、姿勢を正す。


「半端な気持ちで、青江を想う事を決めた訳じゃない」


そんな挑戦的な女審神者の視線を受けた青江は、困った様子で肩をすくめた。
「君には敵わないな」
「百年早い」
「百歳以上も年下な君に言われても、ね」
ふいに青江が身を乗り出す。
ただでさえ近くに居た彼が、息の触れるほど近くに来て、女審神者の心臓は飛び跳ねた。

「あの、あおえ」
「ぼくは神だから、人のように君と縁を結ぶ事は出来ないけれど」
「ちょ、ちか…近いって」
青江の手が伸びてくる。
避けることも出来ずに硬直する女審神者の後頭部に手が添えられて、手繰るように寄せられた。
「あ、あお、あおえさん」

触れるか触れないかの先にある唇。
いやに静かに言葉を紡いで、壊れたスピーカーのように羅列をつなげる女審神者に覆いかぶさる寸前。
唇は見るも鮮やかな笑みを浮かべた。

「きゃ」
「君と、結べる糸を紡ごうか」


*+*+*+*+*
青江さんえろい
2017.01-2017.06 拍手頂きありがとうございました。