襖を開けた女審神者は、お目当ての段ボール箱の中身が心許ない事に目を見開いた。驚愕に打ち震える。
「ストックが…少ない、だと…?」


彼女が言う所の非常食入れは、スナック菓子やらカップラーメンやら、歌仙と光忠が見ればそれだけで卒倒するようなジャンクフードで溢れ返っている。
いつもならより取り見取りの宝箱は、もはやほぼ空箱。
何と寂しい事、と女審神者はわが身を嘆くように目を細める。

思い返せばここの所、大阪城の調査や戦力拡充のお達しで、連日連夜出陣続き。
報告書と手が足りぬ内番、傷ついた刀達の手入れで買い出しの暇などまるでなかった。
そんな合間合間に手が伸びていた非常食の減りはいつに無く早く、
ふと、下半身に目をやった女審神者はぽつりと呟いた。
「そう言えば…しばらく体重計に乗ってないな」
体調管理だ大将、と、嬉々として突撃して来る薬研も、最近は出陣と手入れ部屋の往復ばかり。健康管理にうるさい光忠もしかり。
口うるさい二振りが大人しい事と忙しさに甘えて、自己管理など二の次三の次だった日々が脳裏を過る。
次に浮かぶのは菓子。

「食べようと思った時に無い事程辛い事はないな…」

女審神者は段ボール箱としばしの間見つめ合うと、踵を返した。
箪笥の中から財布を取り出すと、上着のポケットに押し込む。
「いざ、万屋へ出陣だ!」
食に気を付けるのは明日から。
否、やっぱり戦力拡充計画が終わってから。
今日のわたしが何より大事なのである。

その為にはまず――屋敷を抜け出さなくては。

女審神者はそろりと障子を開けると、ひょいと首だけ出した。辺りの様子を伺う。
すぐ目に留まったのは、縁側で庭を向いて転がっている明石国行。
「げげ。やっぱり明石が居る…でもあの様子は…寝てる?」
声を潜めて、じぃと明石を観察する。
最近は随分と春らしい気温になって来たからか、部屋で引き籠ってばかりだった明石の顔を見る事も増えてきた。
まあ彼の場合、部屋から出て来たと言った所でやる事は変わらない。丸太のように右へ左へと転がるだけ。そうして時折、菓子を摘まむ。蛍丸を愛でる。

一日のほぼ全ての時間がこの三つで構成されている明石。
その大部分を締める丸太ゴッコは大抵自室か、女審神者の部屋の前にある縁側で行われる。

明石いわく、この本丸で一番心地よい日当たりがこの縁側らしい。

女審神者は僅かに開いた障子の隙間から、滑るようにして部屋を出た。
そろりと足を踏み出す。
決して足音を立てぬよう、慎重に一歩一歩と歩を進め、
横になっている明石を上から覗き見た。

寝てる。

ぐ、と女審神者は小さくガッツポーズをする。
再び足を持ち上げ、脇を通り抜けようとした時、
「何してはるんです、主はん」
気だるげな声が下から掛かって、女審神者は錆びついたロボットのように顔を向けた。
「あ、明石」
「何や、お出かけですか?」
「何で…?」
「何でって、上着来てはりますやん」
明石が指をさしたパーカーのポケットは、明らかに不自然に膨らんでいる。何でと言う方が白々しい。
女審神者はぎこちなく頷いた。
「うん、まあ」
「はあ。こないな時にお出かけですか?」
「こないな時って、寝てる君が言いますか?」
「寝てまへん。ちょっと瞑想してたんと違いますか、たぶんですけど」
「瞑想って」
この男にこれほど似合わぬ言葉が他にあろうか。他人事のような口ぶりで言った明石は、ほわほわと猫のように欠伸を零した。

女審神者はそんな明石を見下ろしたあと、うん、と頷く。
「ちょっと買い物にね。パックを。忙しい時ほど、自分を大切にしたいじゃん?」
「パックですか」
「この間の豆まきで、全部使っちゃったからね」

咄嗟についたにしては良い言い訳だと、女審神者は内心自分を褒めた。
二月三日の豆まき。
去年までは女審神者を含めた何振りかが、鬼の面を被って短刀を追いかけ、短刀たちが豆を投げるのを見守ると言うイベントだったのだが、
こと今年は今剣の一言で、大きく変わった。


 ――あまり、おにってこわくないんですよね


よくよく考えてみれば、逸話や伝説から生まれた憑喪神たち。
日々歴史改変主義者と戦う彼らに、鬼から逃げて豆をまけと言うのはどうにもしっくり来ないらしい。
じゃあ鬼に変わる何かを考えてみようぜ、と言う愛染の提案の元、首を捻った短刀たちだったが、
それまで静かに座していた小夜が口を開いた言葉に、女審神者は耳を疑った。


 ――ぱっく。
 ――パック?

 ――なるほど。確かにぱっくですね。
 ――ぱっくですか…。
 ――何? 前田、五虎退ちゃんまでそんな頷いて。

 ――なるほど。主さんのぱっく姿、だな!
 ――はぁ?


風呂上りにパックをして自室に戻る事は良くある。
良くあるが、それを鬼より怖いと言われるとは正直思っても見なくて、女審神者は目を見開いた。

 ――大将、顔真っ白だもんな。
 ――そう言うものなのよ、薬研。
 ――確かに俺も、一度夜中に見た時ビビったな。俺達をビビらせるってのは、すげぇ事じゃねぇか、大将?
 ――あ、厚まで…っ!

 ――えぇぇええ、パック? じゃあ、ぼくも鬼が良い!


と、嬉々とした乱が手を挙げ、
今年の豆まきは女審神者、次郎、清光、乱がパックをして短刀たちを追いかけると言う謎のイベントとなった。
つらつらとその折の事を思いだした女審神者は、もう一度明石に強く頷く。
「パックを買いに行くの」
ふぅん、と明石は気の無い相槌を一つ。
「菓子買に行くかと思いましたわ」
そう言った彼に、女審神者は怪訝な瞳を向けた。

「何でお菓子が無い事知ってるの?」
「そりゃぁ――共犯するなら、自分かなと思いまして」
「…明石」
「自分的、この本丸で一番いい場所ですやん。御礼の一つでもせんとかなと。ほら、日当たりもええし、お菓子はあるし」
「ああああああ! 勝手に食べたな!」
女審神者が指をさすと、明石はのらりくらりと笑った。
「そりゃ、いくらなんでも主はん一人で食べたにしては、減り方が早いやろ」
「そうだよ! 早いと思ったよ! 全部身になった覚悟だったのに!!」
歯ぎしりする勢いの女審神者。
明石はどこ吹く風で、ゆるりと女審神者の腹に目を向けた。
「それは…身になってはるんと違います?」
「うるさい! 下から見るな! 泥棒!」
「泥棒って、そないに言わんでも。優しさやないですか、身になる前に貰いますよって」
「もっともらしい事を…!」
「あんまり大きな声出したら、皆さん来はるんちゃいますか?」
わなわなと震える女審神者は、明石の言葉に己を取り戻した。
大きく深呼吸すると、息を吐く。
「共犯? 上等よ。明石、今からわたしが買いに行くのは?」
「パックですね」
「それで許したげる」

ふん、と鼻から息を吐いた女審神者は、やる気なく伸びている明石から視線を外した。
そのまま歩き出す。
すると、しゃあないですわ、なんて声を上げた明石が衣擦れの音を立てて立ち上がった。女審神者の横を歩き出す。背伸びを一つ。
「何してるの、明石」
「共犯よろしく、付いて行こうかと」
「珍しいじゃない。いつもはめんどくさいの一点張りなのに」
女審神者が言うと、明石ははあ、と相槌を打った。
「まあ、面倒は面倒ですね」
「別にいてもいいよ? 万屋だし。すぐ帰って来るし」
「せやかて、主はん一人で行かせたとなれば、それはそれで面倒になるのは見えてますし。どっちかって言うと、小うるさい方が面倒ですやん」
「それはまあ…そうかもね」
長谷部に知られれば、特に口煩く言われるに違いない。
明石は考えるように宙へ視線を向けると、一人呟くように落とした。

「それに、蛍丸に土産買うてもらえるかもやし」
「――自分で買えよ」
「いや、そこは自分のお金や無い所がええですやん。蛍丸からのお礼がタダで貰える言う事ですやろ」
「その場合、明石から蛍丸へのお土産じゃなくて、わたしから蛍丸へのお土産になるからね。お礼言われるのはわたし」
「せやったらその時は自分も隣に居ますわ」
明石は瞳を細めた。
「どちらも一緒ですよって」

その横顔を仰ぎ見た女審神者は、眉間に皺を寄せる。
どうにもこの一振りは、風に流れる柳のように掴みどころがないくせに、時折計り知れない威圧感を出す――気がしなくもない。
そう思わせる何かが、
時折こうして明石が言う他愛ない一言にも奥を探らせて、額面通りに受け取れなくさせる。
まあ、探るにしても限界があるし、そう言う気質の刀だと思うしかしょうがないのだが。
思いながら女審神者は、何事もなかったかのように視線を逸らした。
「愛染にも買うなら、いいよ」
「国俊にもですか? 主はんはほんま太っ腹で」
「何処見て行ってんの?」
「バレました?」
「一点見つめてる人間が何を言う」
腕を小突くと、妙に大げさな素振り。
そんな明石を尻目に、女審神者は言葉を続けた。
「まあ、着いて来て貰うしね。明石にもお菓子一つ勝手あげる」


言うと、明石は瞬く。
ひらりと手を横に振った。
「自分はええですよ」
「そんな事言って。またわたしの非常食盗み食いするつもりでしょう!」
「まあ、それはしませんと約束は出来ませんけど」
明石が斜めに見下ろす。
その視線とかち合って、女審神者は何、と首を傾げた。


「約束は出来まへんなあ」
「二回言った! 肯定しましたよこの子!」
「こんな美味しいモン、他の刀に取られるのも癪ですやろ?」
「他の刀はわたしのお菓子盗み食いしたりはしません」

横眼で睨む女審神者。
彼女の厳しい視線を受けて、明石は恐縮する所か笑った。
はは、と珍しく声を上げて笑うと、緩やかに微笑む。

「はあ。まあ、若干言うてる意味違いますけど、面倒やし、それでええですわ」