ドリーム小説
「永四郎に会いに行ってみろよ。しにウケるぞー」

平古場の言葉に釣られてクラスを訪ねると、プリントと睨みあっている木手が居た。
「…木手?」
あまり見ない光景に思わず声を掛けてしまう。
すると、
「うわ」
プリントを下した木手の顔を見て、思わず後退さった。

「…」

眉間の皺はいつもの三倍。
鋭い眼光は獲物を狙うタカのよう。
その原因は
「木手、眼鏡は?」

眼鏡がないせいだ。

「…甲斐クンと田仁志クンですよ」
ぶっきら棒に答えた木手は目が疲れたのか、瞼に手を置くと緩く頭を振る。
「俺が眼鏡を置いていた机にふざけていた甲斐クンがぶつかりましてね。落ちた眼鏡を田仁志クンが踏んだ。それだけの事です」
「甲斐と、田仁志…」

そう言えば朝からボロボロだった。あれは木手の眼鏡を壊したからだったのか。
胸に溢れた同情はもちろん甲斐と田仁志に対してだったのだが、絶対に敵に回したくない相手に永遠と君臨し続ける木手も、今回に至っては珍しくも弱って見えた。
「その状態で一日過ごすの?」
「家に戻れば予備の眼鏡がありますからね。放課後練習までの辛抱です」
「ふぅん」
「…ところで。君は、…誰ですかね?」


親の仇を見るような目を向けられて、が名乗ると、木手は納得したような顔で「ああ」と頷く。
「ホントに見えてないのね」
「その距離じゃ人と言う事くらいしか分かりませんよ」
「――木手、眼鏡は大事にした方がいいと思うよ」
「善処しますよ」
当然ながら不本意そうだ。飛び火する予感を覚えたはスタコラサッサとその場をあとにした。のだが。


「…」
「なあにボーっとしてるさあ」
「うわあ!?」
突然目の前に小麦色の肌がニョキッと生えて、驚くと、甲斐もまた驚いた顔で心臓を抑えた。
「ぬーやが」
「あ、いや、ごめん。考え事してたからさ」
「やー、ただでさえ抜けてるんだからよう」
「いや、甲斐にだけは言われたくないから、それ」

真顔で言うと、甲斐は「酷いやさ」とふてくされる。
そのまま席をあとにするかと思われたのに、甲斐はご丁寧に前の椅子を引くと、腰かけた。
「やー、まだ木手に告白してねぇの?」
あけすけな問いに呼吸が止まる。
が言葉にならない悲鳴を上げると、甲斐は目元を浮かせた。
「まだか」
「う、うるさい! わたしは甲斐をそんな可愛げのない子に育てた覚えはありませんよ!」
「やーに育てられた覚えはない」
「……いやさ、告白ってアレだよね。木手の事が好きなの、とか小恥ずかしい事を頬染めながら言うんだよね?」
「まーな」
「と、鳥肌が…」

怖気で背筋が震える。
甲斐はにんまりと頬を持ち上げると、「ならよ」と言って顔を寄せて来た。

「ちゅー(今日)なんてどうだ?」
「何がよ」
「だって木手のヤロー、眼鏡ねぇとほとんど顔も見えてないんだぜ? 遠くから言や、やーの真っ赤な顔なんて見えねぇさ」
「…」
「……だろ?」
「………まぁね」


甲斐にしては珍しくまともな意見だ。
告白なんてもうしなくていいかと放棄していた気持ちが少し揺れる。
「…木手、眼鏡ないの放課後までだっけ?」
「おー」
「ふぅん」


とはいえ。


「告白、か」
暮れかかった廊下を歩きつつ、は唸った。
見えないとはいえ、どの面下げて「木手が好きなの!」と言うのか。
一年、二年とクラスが一緒だった平古場に連れられて木手やテニス部と関わるようになり、
海に行くぞとなれば誘われ、試合となればなぜかマネージャー業で呼び出され、笑って、喧嘩して、どれくらいの時間を一緒に過ごしたか知れない。

まるで部員みたいだねぇ。
そう言ったに「あっても君なら補欠でしょ」と水をさされたのはいつだったか。

 ――いやいや、テニスの仕方も知らない補欠はないでしょぉ。

あっけらかんと笑って茶化すと、木手は口端を緩めるようにして笑った。

 ――テニスの仕方なんか知らなくていいですよ。君は、応援の仕方さえ知っていれば十分です。


ドアの先に広がる教室。
オレンジ色の光が差し込む中木手は机に向かっていて、はその姿に「ねぇ」と声を掛けた。

「木手…くん」
気難しい木手を呼び捨てにする人間は少ない。
くん、とつけた瞬間一気に不特定多数になれた気がして、は自分でも驚くほど素直に顔を綻ばせた。
「あの、さ。大会お疲れ様」
恥ずかしくて言えなかった事。
「高校行ってもテニス続けるんでしょう? 頑張ってね」

心臓が破裂しそうだ。
耳も頬も燃えるように熱くて、夕方を選んで良かったとは思う。


だから、

もう一言だけ

「あたしさ、木手くんの事…」

もうひとことだけ。

「………ずっと、応援してるから」


一番言いたかった事はやっぱり言えなくて、苦笑を零したが踵を返すと、存外穏やかな声が返って来た。
「ええ」
驚いて振り返ると、これまた今度は、度胆を抜くくらい優しく笑っている木手が居る。
彼はオレンジ色の光を背に、形の良い唇に弧を描いた。
「応援してくださいよ」


意外とサービス精神満載だったな。
思わぬ一面に感心するやら悔しいやら気持ちを持て余していると、後ろから駆けて来る足音と共にドンと背中に誰かがぶつかって来た。
首を巡らせると膨れ面をした平古場が立っている。

「何、どうしたの。平古場」
「木手の奴さー! あぬひゃあ、目が見えてないっつーの嘘だったあんに!」
「は?」
「甲斐の奴も田仁志のデブも知ってたさー! わんだけじゃねぇよな!? やーも知らねかっただろ!?」
「うそ」
「…?」
「………………嘘ォォオオォオオオ!!!!?????」


ボンッと爆発するように煙を吹いたはしゃがみこんだ。
と言う事は何か、あの顔もこの顔も――全部見られていたと言う事か。

「そう言う事ですよ」

鈴が鳴るような笑い声に揃って振り返れば、得意気な顔をしている木手が居た。地団駄を踏んだ平古場は、ビシッと音を立てるようにして木手を指差す。
「どういうつもりさー!?」
「どうもこうもありませんよ。甲斐クンと田仁志クンに眼鏡を割られたんで、仕方なくコンタクトにしているんです。おかげで目がゴロゴロしてますよ」
「ンな事聞いてねぇっつーの! なんでわんとにだけ言わなかったんばあ!」
「単純に、平古場クンがあまりにはしゃいでいるから、教えてあげるのを止めようかなと思っただけです」
「はあ?」
「まあ彼女に言わなかったのは故意ですがね。罰ついでに甲斐クンに一役買って貰ったんですよ。仕向けてもらったんです、俺の所に来るように」


平古場が斜めに見下ろす。
この世の終わりに等しいは今にも窒息死しそうで、
事情を察したような顔をした平古場は「あー」と気まずそうな声を上げると、一歩、二歩と後ろにさがった。

「まー、そう言う事なら、わんはもうそろそろ」
「ちょ、平古場待って…!」
「じゃあな! 骨は拾ってやるからよ!」

脱兎のごとく駆けて行く平古場の背中を見送るしかない。
罰の悪さが半端じゃなくて、おそるおそる木手を見上げたは、頬を朱に染めたまま、唇をへの字にひん曲げた。

「何考えてンのさ」
「石橋は叩いてから渡る主義なんですよ」
「はあ?」
「…君の気持ちが少しでも知りたかったって言えば、わかりますかね?」
「だからってこんな回りくどい事…!」

「一向に言って来なかった君にも非はありますよ。強硬手段に映らざる得なくしたのは君です」


つまりが木手を好きな事はとっくの昔にバレていて、こともあろうか甲斐に騙された挙句、木手の手の内で転がされたと言う事か。

憤っていいのか悲しいのか分からない顔をするを見下ろして、木手はあっさり口にした。
「君が好きですよ」
「…へ?」
「本当はさっき言うつもりだったんですがね。あまりに真っ赤な君が面白くて、近くて見たいなと思ったんですよ」

歩み寄って来た木手が腰を下ろす。
と目線を合わせた彼は、真っ赤な顔をすぐ近くで見て、噛み殺すような笑い声をあげた。

相変わらず性格は悪いし、
目付きも悪いし、
意地も悪いし。

キリが無い悪口を並べながら、は頬を押さえる。


「…あたしも好き」