ドリーム小説
「バカめが! なぜわたしが幽霊退治になど…っ」
憤然としながら夜の庭は突き進んで行く司馬懿は、下唇を噛みしめると、ことの始まりである酔狂な主を思い出した。

 ――桜を肴に酒を呑む幽霊、か。なかなか風流ではないか。司馬懿、見て参れ。

司馬懿の腸が煮えくり返る。
平然と酒を呑んでいる夏候惇辺りに言えばいいものを、わざわざ司馬懿を指名したのは、普段から青っ白い顔を土気色にしていたからに違いない。

何が出て来てもいいよう、自身を扇で仰いでいた司馬懿はここにきてふと気がついた――そもそも。幽霊と言うのは倒せるのか?
通常攻撃は当たらないだろう。
ビームも無駄な気がする。
ならば無双乱舞も駄目だろう。

頬を引き攣らせた司馬懿だったが、ぎこちないながらも仰ぐ手を再開させた。
「それを何とかするのが軍師の仕事、か」
そう思うと持ち前のプライドが顔を覗かせて、さてどうしてやろうかと薄い唇を持ち上げる。そんな司馬懿の肩が、

「司馬懿殿?」

不意叩かれた。
司馬懿の手から扇が零れ落ちる。
寸での所で受け止めて、扇を落としかけたなどと思われたくない司馬懿が半ば睨むようにして振り返ると、首を傾げていると目があった。

何という絶妙な――否、嫌味なタイミングで声を掛けて来る女なのか。
睨み据える手には熱燗。おまけに、おそらく寝巻であろう薄布一枚。
司馬懿の怪訝な視線を上から下へと受けて、遅ればせながらは「ああ」と相槌を打った。

「花見です」
「花見?」
「最近、夜桜で一杯して寝るのが日課なもので」

それがどうかしましたか
とでも言いたげな顔を前に、司馬懿は扇を叩き折りたい衝動に駆られる。それがどうかしたんだよ!
とても縁起が良いとは言えない桜の木の下で、毎夜寝巻で酒を呑んで居れば、見かけた誰かが幽霊だと勘違いする事もあるだろう。
思い返せば、曹操が突然思いついた現場もこの女は所用で席を外していた。

嫌味なタイミングの女、からタイミングの悪い女へと格下げされた事を知りもせず、涼しい顔で司馬懿を見上げて来る二つの眼。
見返していると、なんだか身体の奥が疼いて司馬懿はふんと鼻を鳴らした。

「桜を肴に酒を呑むとは、酔狂にも程がある」

暗闇にぼうと浮かぶ桜を背にして、司馬懿はぞぞっと背筋を震わせた。
「もしかして司馬懿殿」
「何だ」
「怖いんですか?」
きょとんと瞬く辺り、無自覚なのが手に取るように分かる。
痛い所を突かれた司馬懿はサッと頬に朱を走らせた。

「な、何を言う、バカめが! 桜で酒を呑むなど縁起が悪いと言っているのだ!」
声がひっくり返った。
コホンと咳払いで誤魔化す司馬懿を知ってか知らずか、はへぇ、と間の抜けた声をあげる。
「あ、司馬懿殿もどうです?」
「…貴様、人の話しを聞いているのか?」
「聞いてますけど。桜が別に縁起が悪いとも思いませんし。司馬懿殿、御存じですか?」
そう言って、は唇に微笑を浮かべた。

「桜を肴にするばかりでは申し訳ないので、酒をかけたら、桜は喜び酔っぱらって桃色に染まったそうですよ」
「…何をそんな…」
「世迷言でも、嘘でも、何だか楽しくなる話じゃありません?」

くすくすとが笑う。
見慣れぬ笑顔に心臓がどくりと音を立てた。
つま先から温かくなってくる。

段々と血色がよくなって行く司馬懿を見上げて、は何の気なしにと尋ねて来た。
「司馬懿殿、顔色良いですけど、体調でも悪いんですか?」
失礼極まりない。
司馬懿は不機嫌な面のまま、の手にある熱燗を奪い取った。ぐぃと飲み干すと突っぱねる。
「酒に酔っただけだ」

「なかなか乙でしょう?」

その時、ふわりと後ろから風が吹いて来て彼女の柔らかそうな髪を撫ぜあげた。
飛んで来た桜の花びらが、まるで髪飾りのように彼女の笑顔に色を添える。
「司馬懿殿?」
追って名前を呼ばれて、魅入っていた司馬懿はうっかりあっさり頷いてしまった。
「あ、ああ。…まあ…悪くはない」
「でしょう?」
ふふっと声をあげてが笑う。

その後、桜の木の下で男女の幽霊が酒を酌み交わしていると言う噂に変わり、また一人武将が物見遊山に駆り出されては霊が増え、
夜な夜な武将たちの宴会が桜の下で行われる事になるのはもう少し先の話である。