ドリーム小説

「あるじさま」
敵陣の偵察へ出向いていた今剣と、薬研、小夜が戻ってくる。三振りは屋根から地面へと着地すると、西の空を仰ぎ見た。
「てきのかずは、おおよそにひゃく」
「陣形は鶴翼陣だな」
「…審神者の姿もあったよ」
「なるほど。向こうも本気で潰しにかかってきるらしい」
呟いた審神者は、輪郭をなぞるように顎を擦る。
「鶴翼の陣。ならこっちは魚鱗の陣か」
「魚鱗陣ね。確かに悪くはないけれど…」
相槌を打った燭台切は金色の瞳を細めると、考え込む素振りで俯いた。
「いっそここは思い切って、鋒矢の陣で攻め入るのはどうかな」
「鋒矢の陣?」
「普段はあまり使わないけれど。ようは、良くも悪くも魚麟陣を特化させた陣形かな。正面突破には有効的だけど、包囲されると絶望的に弱い。なにぶん小回りが効かないからね」
燭台切はそう言うと、畳に指を走らせる。
「前方に鶴翼陣を敷いた敵兵がいるとするだろう。だとしたらぼくたちはこうなる」
敵軍を頭にしてやじるしを描いた燭台切に、男審神者は二度三度と頷いた。納得したように唸る。
「なるほど」
「こっちとしては、兵力の差も大きい事だし、長期戦は避けたい所だからね。いっそ短期戦に持っていって審神者を落とすべきじゃないかな」
「なら、それで行こう。前方に一軍三軍、そこから一直線に練度が低い刀、四軍二軍と並べて行く。いざとなったら、練度の低い刀たちを真ん中に置いて、一軍から四軍までが輪を作る。ま、これは最悪の事態だけれどな」
「ちょっと待ってください、主」
口を挟んだ一期一振は、丹精な眉根を寄せた。
「本丸に護りを置かない訳には参りません。もしも陣を突破されるような事があれば、主を護る刀がおりません」
「大丈夫だよ、一期。俺も行くから」
のんびりと笑った審神者に、庭に並ぶ刀たちはギョッと目を見開いた。
「主、一体何を!?」
「主人、何言っとーと!?」
「主はここで留守番に決まってるじゃん!」
今にも掴みかかって来る勢いの刀たちを宥めすかして、審神者は困ったように頭をかく。
「いや、俺と言うか、俺じゃないと言うか」
説明がなあ、と唸った審神者は、まあ見るのが速いかと手を打った。
そのまま襖を開くと、中から長方形の箱を取り出す。古い木箱は今にも壊れそうで、慎重に抱えて膝上に置いた審神者は埃まみれのそれを丁寧に開いた。きらりと朝日を浴びたそれに、一期一振は言葉を飲む。
「主、それは…」
開いた中には、刀が一振。見るも美しい刀を前にして青江は、ようやく納得がいったような声を上げた。
「なるほど。全ての原因は…そもそも君だった訳か」
「まあな」
「じゃあなに、つまり…一度折れた刀を、主は修復したって訳? それで、三日月は…」
加州の言葉に、審神者は何ともいえない顔で頷く。
「そう言うことだ。多分、折れた三日月宗近を俺が中途半端に修復したせいで、今の三日月は在るんだ」
「主は全部知っていたということか。三日月宗近が、本丸に未だいる訳を」
「ああ。ずっと…言えなかっただけだ」
審神者が抱えると、朝の光に反射して刀が鈍く光った。
「なあ、三日月」
語りかけるような審神者の口調に、ふわりと室内に風が吹き込む。審神者が見上げる先に、三日月宗近が居るのか。一期一振の目には見えないが、審神者は酷く悲しげな顔をした。
「お前は、俺を恨んでいるか? 結果として、お前を中途半端に本丸に縛り付けた俺を」
審神者の視線の先に居る三日月は、他愛ない冗談を聞いたような顔で微笑む。
『ならば主よ、俺を恨んでいるか? 俺が力を分け与えねば、もうとっくに…家族に会えていただろう』
「俺は……お前を恨んだ事なんて、一度もないよ」
『俺も同じだ。主を恨む理由などどこにもない』
三日月はそう言うと、審神者を覗き込むような仕草をした。
『良い顔をしているな。主。この二百年…いや、数年で見違えた。二百年はどうだった』
審神者は苦笑する。
「悪くなかったよ。お前のおかげかな」
『そう言う事にしておくかぁ』
くつくつと笑った三日月は、何かを考えるような仕草で下を向くと、面を上げて微笑んだ。
『なに、俺もこの二百年。思わぬ事で手にしたものだったが、なかなか面白かったぞ』
「そうか」
影を落としたまま笑う審神者を見下ろす三日月は、気付かぬ振りをするようにのんびりと続ける。
『しかしまあ、そろそろ潮時だな。俺も、三日月宗近の輪に戻る時が来たと言う事だ』
「…ああ」
『そんな顔をするな、主。俺は嬉しい。もう一度俺を振る事が出来るのだからな。それも主を護る為に、だ』
「お前は強いな。三日月」
泣くたびに、俺が護ると三日月は繰り返した。
護る為に折れた刀はなお、主を護る為に戦えてうれしいと言う。
泣きそうな顔をした審神者に手を伸ばした三日月は、その指が触れない事に、初めて少し寂しげな顔をした。
『お主の刀だからなあ』
嘆くよな、納得するような口調でそう零して、ふわりと微笑む。三日月の青い袖が踊るように宙を舞った。
『ならば主。………最後にもう一度、月を咲かせてみるとするか』
「そうだな。三日月」
三日月の笑い声がすぐ耳元を掠める。風が審神者を包み込むように髪や服を靡かせて、瞼を開いた審神者の瞳には、くっきりと三日月がぶら下がっていた。す、と刀を握ったまま立ち上がる所作はいつになく美しい。
「敵陣の様子はどうだ?」
紛れもない三日月宗近の口調に、びくりと身体を震わせた小夜が答えた。
「鶴翼…陣」
「鶴翼陣か。それで? 俺たちはどう向かう」
「えっと、鋒矢の陣でどうかなと思ってるんだけど…その…三日月さん、で、間違ってないよね?」
おそるおそると訊く燭台切に、審神者は妖艶な笑みを返す。
「三日月で構わんと、いつも言っているだろう。燭台切」
笑うしかない。
驚きと、喜びが混ざったような顔で笑う燭台切の傍らで、呆然としたまま鶴丸が口を開いた。
「…本当に、三日月なのか…?」
「ああ。鶴よ。そして一期一振」
緩やかに顔を向けた審神者は、腰の紐に刀を差す。
「今の俺は戦いに向いているとは思えん。悪いが、敵陣まで護って貰えるか」
寝癖頭を後ろになでつけ、審神者は刀を抜いた。ついと流れるように視線を向ける仕草は三日月そのもので、構えた刀に、鶴丸も慌てて己を抜く。
「ああ。もちろんだ。任せろ」
「お任せ下さい」
次々と刀を抜いた男子たちは、揃って西を仰ぎ見る。
審神者は草履を履くとゆっくりと歩を進め、刀たちの先頭に立った。そうして呑気な声とは裏腹に、鋭い視線を向ける。
「さて、やるか」
じりっと草履が砂を噛む。
「審神者様、来ます…!」
こんのすけの声が響き渡り、遠くで何かが割れる音がした。審神者が張った結界か。無駄に広い庭でよかったなと、薬研が呟いた。
次々と地を蹴った刀たちは、押し寄せるような黒波に向かって駆けていく。
「あまり深く相手をするな。一撃で伸せ。一気に抜けるぞ! こいつらが本丸に辿り着くまでに片付ける!」
鶴丸の掛け声に、刀たちは鬨の声をあげた。前方に立つ一軍と三軍がまず、遡行軍にぶち当たる。 審神者目掛けて振り下ろされる大太刀を、一期一振が受け止めた。同時に鶴丸の白刃が切り捨てる。
短刀と当たった薬研がその腹を蹴り飛ばした。風が唸る。
「頭を下げな! 薬研!」
「おっと」
二刀三刀と楽に切り捨てた次郎太刀は、不満気に声を上げた。
「もう、野暮だねぇ。景気づけの酒を呑む暇もくれないなんて」
するとどこからか、「同感だな!」と日本号の声がする。集中しろと長谷部の怒声が追って聞こえて、博多が軽快に笑う声が響いた。
「緊張感もなかとね!」
「てめぇもな! 博多!」
「お前もだろう、博多藤四郎!」
「黒田組は賑やかだなあ」
審神者が笑う奥で、
「秋田! 危ない!」
響いた骨喰の声に、素早く今剣が後ろを振り返った。振り返る合間にも、小さな身体は動いている。
「太郎太刀! かたなをかりますよ!」
軽やかに飛び跳ねた今剣は、振り下ろされている最中の太郎太刀の刀に飛び乗ると、勢いをつけて宙へと舞った。秋田に迫りくる敵を切り捨て、にんまりと笑う。
「けがはないですか?」
「だ、大丈夫です」
「今剣くん、戻って来れる!?」
「はいはーい、すぐもどりますよぉ」
戻る最中も敵を斬って、今剣が先頭へ戻ると、審神者が穏やかな顔で口を開いた。
「強くなったな。今剣」
「そうですよ。三日月。あなたにまもられていただけのぼくたちではないんです」
「…うん」
頷いた小夜は、太刀の懐に潜り込むと短刀を突き刺した。煙を巻くようにして消える遡行軍に、瞳を暗く輝かせる。
「ぼくは、あなたの刀を届ける事が出来るよ、三日月宗近」
その言葉に、審神者はからりと笑った。
「なるほど、それは頼もしい」
刹那、審神者の目の前に立ち塞がった槍の動きが速い。あっという間に振り切った槍が一直線に突き進んで来て、鶴丸と一期一振が息を呑む目の前を、黒い影が駆け抜けた。
「オラァアァアアアア!」
庇って前に出た大和守の頬を槍が斬る。大和守は身を引く素振りもなく刀を振り上げると、下ろした。真っ二つに折れた槍に、大和守は高らかと声を上げる。
「行くぞ、清光!」
「ちょ、おま…! 後から自己嫌悪って言うなら、その変わりようどうにかなんないの!?」
血気盛んに槍に突っ込んで行く大和守の背中を加州が追いかけて行って、二振りの刀が槍の腹を突き抜けた。
掻き消えた槍の後ろには大太刀。目を見開く二人を、堀川の声が追いかけて来る。
「はいはーい、行くよ!」
跳び上がった堀川は、大太刀の刀を薙いだ。
そのまま宙で回転すると、顔面に斬りかかる。避けようと動く大太刀の足を大和守と加州が斬り、済し崩しに斬られた大太刀は掻き消えた。堀川は闇の先に見えて来た姿を、しっかりと瞳に映す。
「三日月さん…! あっちの審神者が見えて来たよ!」
「よし来た、堀川」
審神者が駆ける。
ぴったりとくっ付く鶴丸と一期一振が襲いくる敵を薙ぎ払って、審神者は堀川を追い越すと、足を速めた。刀を握る手に力を込める。
見えて来た姿に、審神者の心臓が高鳴った。
刀を握る手に汗が滲む。
緊張しているらしい体に、審神者は口端だけを持ち上げて笑った。
「なるほど。人の身とは…こういう感触であったな」
目指して駆ける先に居る少年が、手を翳す。その瞬間、目の前に太刀が現れた。審神者の目が間合いを読むように細くなる。
「三日月!」
「三日月殿!」
鶴丸と一期一振の声を背に、審神者は刀を下から振り上げた。刀が太刀の身体に食い込む瞬間、ヒビが入る。小さな欠片が舞うのを構わず、三日月は振り切った。太刀が真っ二つに裂け、刀身にヒビが走っていく。
「…っ」
審神者の顔が僅かに歪んだ。
握る三日月宗近が宙で崩れていく。
折れた刀の分だけ、僅かに距離が届かない。
三日月が奥歯を食いしばる。
壊れる鉄に、声にならない悲鳴を誰かがあげ、たまらないような今剣の声が響いた。
「三日月! とどけ――!」
「旦那!」
「三日月宗近…!」
もつれるようにして駆けて来た三振りが、審神者の背中を押した。
短くなった刀の分だけ前に出た審神者は、思い切り刀を振り下ろす。刀の柄が容赦なく少年の首を打ち付け、白目を向いて倒れる少年を抱えた鶴丸は、その喉元に刀を寄せると、叫んだ。
「お前たちの総大将は俺たちが抑えた! 動くな!」
闇が動きを止める。
収縮するようにして消えだした遡行軍に、「おい」と鶴丸が慌てたような声を上げると、審神者は笑った。
「放っておけ、鶴。主を抑えられれば奴らは何も出来ん。あとは本丸を押さえれば問題ない」
「みかづ…!」
「振り返ってくれるなよ、鶴」
首を巡らせようとした鶴丸は、制されて固まった。
やきもきしている背中に重みを感じる。温い体温が伝わって来て、無性に泣きたくなった鶴丸は下唇を噛んだ。絞り出される声は審神者のものだが、背中に身を寄せているのは三日月のような錯覚を覚える。小さく震えていることまでわかって、鶴丸は涙を飲んだ。
「お前の話は、いつも驚きとは程遠かったが…楽しかった」
「…聞いてくれていたのか、君は」
「当たり前だ。お前と俺の呑み事であろう。おかげで、二百年もそう長く感じなかった」
呻く審神者に、鶴丸はもう一度振り返ろうと試みる。
伸びて来た審神者の手が鶴丸の両肩を握り、力づくで押しとどめた。
「なあ、鶴よ」
審神者の声が小さくなる。
「……俺も、一期一振が羨ましかった」
ぽつりと落とすように呟いて、崩れ落ちるような音が聞こえた。
鶴丸が振り返ると、審神者が倒れている。
意識を失っている彼の手に握られている三日月宗近は、折れてもなお美しかった。瞳に映った三日月宗近を揺らして、ぼろりと鶴丸は涙を零す。
「…君も羨ましかったのか。それでそんな夢を見せていたと言うのなら、君は分かりにくいにも程があるんじゃないか」
涙を拭っても拭っても足りない。次から次とあふれ出てくる涙を力任せに拭って、すぐに赤くなった目元を歪めながら、鶴丸は笑った。
「それに俺の話を聞いているのなら、先に言ってくれ。そしたら…驚きの話より、楽しい話を用意した」
膝をつけて、手を伸ばす。
降れた指先には冷たい鉄の感触。
抱きかかえた鶴丸は瞳を伏せた。
「全く君は、見かけによらず…不器用な刀だな」
でも、と続けた声が涙で滲む。鶴丸は泣きながら、くしゃりと笑った。
「君は…俺がこの千年余りで見た月の中で、間違いなく一番綺麗だった。………ゆっくり休んでくれ。三日月」