ドリーム小説
夜更けの本丸は煌々と明かりが灯り、そこかしこから賑やかな声が漏れ聞こえて来る。
時の政府に呼び出された審神者が、髭切、膝丸を共につけ、一泊二日で留守にしているのをいいことに、刀たちは早々と内番を片付け酒を呑む約束を取り付けていた。
夕飯の片付けまで終われば静かになる台所にも、今日はまだ灯りが燈っている。
顔を覗かせた一期一振は、丁度皿の盛り付けが終わったらしい燭台切と目があった。
「やあ、一期くん」
「燭台切殿。何か手伝いはいりますかな?」
「助かるよ。この皿、持ってくれるかい?」
二人合わせて大皿四つを抱えた燭台切は、フライパンを振っている歌仙に首を巡らせる。
「歌仙くん。じゃあぼくはこれで」
「お疲れ、燭台切。そこは相変わらず一番の大所帯みたいだな。見ているだけで、準備が大変そうだ」
「まあね。歌仙くんも、たまにはどうだい?」
「僕かい?」
燭台切の誘いが思ってもみなかったような顔をした歌仙は、苦笑すると、緩く頭を振った。
「遠慮しておくよ。古参の刀たちに囲まれて飲むのは、窮屈そうだからね」
「それは残念」
ひょいと肩を竦めて歩く燭台切の後ろに続くと、しばらく歩いた所で宙を仰ぎながら、心外そうな声を上げる。
「窮屈かな」
「まあ…そうですな」
「一期くんも?」
ますます不満そうな燭台切の声音に、一期一振は笑った。
「敷居が高いと言う話ですな。わたしも、薬研に声を掛けられた時は正直迷いました」
大抵こういう時の呑み事は、個々に分かれる事が多い。
刀種だとか、元仕えた主が同じだったりだとか、兄弟だとか、気が合う刀同士だとか。一期一振は大抵、あまり酒に強くない兄弟刀と共に夜を過ごす事が多いのだが、今回は思いもよらず、薬研に誘われた。
薬研と言えば、初期刀の加州清光を筆頭に、古くから審神者に仕えている刀たちと呑んでいる。
そこに来ないかと誘われて頷くまでに尻ごみをしていた顔は、おそらく先ほどの歌仙にそっくりであっただろう。
一期一振が笑っていると、燭台切はそうか、と呟いた。
「ぼくは早めに顕現したクチだからね。そう言う気持ちには疎いのかもしれないな」
「そう言われてみれば…燭台切殿を筆頭にして…初期刀の顔ぶれは豪華ですな」
「ああ。それね。いつも主がぼやいてるんだ。俺は、鍛刀運を最初に使いすぎたんだって」
燭台切が笑う。
「初期鍛刀が、何と言っても三日月さんだからね。主は」
「そうなのですか?」
「その後が、ぼくに鶴さん、太郎さん、宗三くんでしょう。その後に次郎さんが来て……初期に来やすいらしい短刀はそのあとだったんだよ。薬研くんに、今剣くんに、次ぎが小夜くんか」
「…」
一期一振は思わず聞き入る。
顕現した頃は、本丸初期の話に興味を持っていたが、薬研を筆頭に皆口が重く、いつ頃からか触れない癖がついてしまっていた。
相槌を打つ事も忘れて聞いている一期一振を見た燭台切は、困ったような笑みを浮かべる。
「そっか。そう言う所もあって敷居が高いんだろうね。…確かに、あまり昔の事は話したくないからな、ぼくら」
審神者が不死になる原因となった、時間遡行軍の急襲。
それを知っている一握りの刀と、それ以降に顕現した刀にはどうしても距離感がある。
その事を改めて理解した様子の燭台切は、気を取り直すように明るい声を上げた。
「まあ、そんなに気を張らなくても大丈夫なんじゃないかな。今日は、にっかりくんと石切丸さんも居るみたいだし」
「そうですな」
「それに…どうしても今日はその話になるだろうしね」
ぽつりと呟いた燭台切は、一期一振が尋ね返すより先に部屋へと入っていく。後を追うなり、薬研を見下ろしていた燭台切はもう、と立腹していた。
「薬研くん、またそんなおっさんみたいなツマミで呑んで!」
「ん? いや、これがなかなか酒に合うんだ」
「ぼくのツマミじゃ不満だって言うのかい」
胡坐をかいて猪口を片手に、薬研はスルメを齧っている。山盛りスルメの傍らには、マヨネーズに一味。喋りながらも口を動かす薬研を、燭台切は睨み据えた。そのジト目を受けて、薬研は噛んでいたスルメを横に振る。
「まあそう怒るって、燭台切。お前さんの作るツマミが一番、スルメは二番だ」
「……ならいいけど」
渋々と云った態で頷く燭台切に、宗三は呆れたような目を向けた。
「どこの番ですか、貴方たちは」
「番って…!」
「そうだぜ、宗三。燭台切はそうだな…どちらかと言うと、母親だな」
「母…!? せめてそこは父親にしようよ、薬研くん」
「父親ね。まあ居たためしも無いから正直どっちでも構わないんだが…。父親か」
釈然としない顔で呟く薬研。彼のスルメに伸びて来た手を持つ青江は、笑いながら一期一振を見上げた。
「やあ、一期一振。首は大丈夫かな?」
「こんばんわ、青江殿。もう痛くはありません。薬研の湿布のおかげですな」
「ったく、青江に太郎太刀も。言ってくれりゃぁ、睡眠薬でもなんでも用意したって言うのによ」
「そうも話に上がったんだけれどね。時間が惜しかったんだ。ねえ、太郎太刀」
「そうですね」
太郎が静かに頷く。
シャンと背筋を伸ばす太郎太刀は、一口で猪口の中の酒を呑みほした。誰より大きな大太刀は、その背にそぐわず、一つ一つが優美な仕草で肴を摘まんでいる。それがスルメに見えないのが不思議だ。
その所作を見ながら一期一振は、頭の片隅で、そう言えば薬研がどうのとも話に上がっていたなと思う。
結果実力行使を選んだとは思えない程、涼やかな顔で笑う青江は、スルメを噛みながら酒を呑んだ。
「あー! にっかりくんに太郎さんまで。もう、ツマミ作らないよ」
「そう言うなって燭台切」
薬研がポンポンと床を叩く。仏頂面で燭台切が皿を置くと、後ろから「あれ?」と加州清光の声が聞こえた。
「次郎太刀は?」
「もうすぐ来ると思いますよ」
「うわぁ、石切丸。おいしそうなつまみがたくさんありますよ!」
「本当だね。今剣」
ぴょこんと飛び跳ねた今剣が、石切丸の手を引いて入って来る。次いで登場したのは先に話に上がった次郎太刀で、赤い頬で酒瓶を小脇に、彼は元気よく手を挙げた。
「じゃじゃーん。次郎さんの登場でぇっす」
「なに、次郎太刀。もう酔ってんの?」
「一杯引っかけたくらいじゃ、次郎さんは酔いませーん」
「また。で? 何処に行って来た訳?」
「日本号とー、長谷部とー」
「絶対一杯じゃない面子じゃん、それ!」
加州のツッコミに、次郎はしゃっくりで返事をする。
その後ろに隠れて見えなかった小夜が、無言で入って来た。皆を見渡したあと障子を閉める。
はいどうぞ、と言いながら青江が皆に猪口を配って、宗三が慣れた手つきで酒を注ぐと、集まった面々の顔を見た一期一振は首を傾げた。
「…鶴丸殿は?」
「鶴さんは、この飲み会の時は欠席なんだ」
「欠席、ですか?」
「ううん。欠席って言うと語弊があるんだけど」
「まあいち兄。その話は後にしておいて、とりあえず乾杯しようぜ」
「すでに飲んでる人間が言うなっての」
「まあそう言うなって加州の旦那。揃いが遅かったからな、先に乾杯の練習をしておいたんだ」
「おかげで音頭は完璧です」
宗三がスと猪口を上げる。
「今日もお小夜が可愛い事に。乾杯」
かんぱーいと皆が続いた。
小夜も慣れた様子で、何を言う訳でもなく猪口を傾けている。
「それで鶴さんなんだけど」
持って来た紙皿に取り分けたつまみを薬研の前に置きながら、燭台切は微笑した。
「古参の飲み会って言うと、もう一振いるからね」
先ほど燭台切が並べた名前と面々を比べて、一期一振は驚いたような声をあげる。
「三日月殿、ですか?」
「うん。鶴さんは三日月さんと仲が良かったからね。こうして古株で顔を合わせる時は、必ず二人分の猪口と酒とツマミを持って消えちゃうんだ」
「そう…なのですか」
驚きをこよなく愛する男は、だいたいいつも本丸のどこかで笑っている。そんな姿からは想像つかない話に、面食らった一期一振の前にもツマミを置いた燭台切は、全員に行きわたって満足したのか、ようやく酒を呑みだした。
「一度見た事あるよ、俺」
壁に背を預け、酒に唇を濡らしながら加州は笑う。
「屋根の上でさ。持って来たもの広げて、鶴丸さん、やけに楽しそうに話してた。こんなことがあったんだ、驚きだろって。返事が無くても楽しそうな鶴丸さん見てたら、俺、声かけれなくてさ」
「僕は…声を掛けた事があるよ」
ぽつりと言った小夜は、吊り上った大きな瞳に猪口を映したまま、言葉を続ける。
「一人でいたから、声をかけたんだ。そしたら鶴丸さん、すごく驚いた顔してた。顔を赤くして、たまには三人で呑まないか小夜坊って言うから…」
「…」
「……」
「どうしたんですか? お小夜」
思い出すように目を細めた小夜が黙って、隣に座っていた宗三が続きを促すと、ややあって、ようやく小夜は唇を解いた。
「飲んだよ。楽しかった」
あっけらかんと小夜が続ける。
他の刀から見ればどうとも無い仕草でも、兄にはただひたすら可愛く見える事がある。
今小夜の隣に居る宗三がまさにそれで、頬を緩める宗三に、日頃の自分が重なって見えてこそばゆい。
込み上げて来た恥ずかしさを紛らわすように酒を呑んだ一期一振の奥で、加州は口先を尖らせた。
「えー、そんな話なら、俺も声かければよかったなあ」
「つぎはこえをかければいいんですよ。あーあ。ぼくも石切丸のように、三日月がみえたらいいんですけど」
頬を膨らます今剣。
青江は出汁巻き卵を飲み込むと、目を細めた。
「なるほど。どうやらぼくは、ただ三日月宗近が視えていただけなのかもしれないね」
「どういう意味だ? にっかり青江」
「うん。この本丸に顕現して、初めて三日月宗近を見た時…正直ぼくは、少し警戒したんだよ。世にも美しい幽霊ほど危ないと…相場で決まっている事からね」
「幽霊を斬った男が言うと、なるほど現実味がありますね」
宗三が少し笑う。
「なぜ三日月が居るのかと言う話かな? 確かに……半神となった審神者の話も珍しいが、付喪神が霊になる…と言う話は聞いた事もないね」
石切丸が続いて、太郎太刀は手酌で酒を注ぎながら、単調に口を開いた。
「そもそも、あれは霊なのですか?」
「霊じゃないってなら、なんなのさ、兄貴」
「何か…と言われれば分かりませんが。そもそも、我らが折れた時はどうなるのでしょう?」
太郎の言葉に、加州は首を捻る。
「本体に還る、とか?」
「そうでしょうね。わたしもおそらく、そうだと思っています。我らは人ではありません。折れて行く先は天国でもなければ地獄でもない。そんな輪からあぶれた付喪神が、果たして霊になるのでしょうか」
「あのさ」
輪郭をなぞるように顎に手を添えていた燭台切が、おもむろに唸る。
「ぼく、ずっと思ってたんだけれど…。三日月さんと主って、何か隠してたよね?」
「なにかって、燭台切。なにをですか?」
「何をって訊かれても困るんだけれど…」
「あ、それ俺も思う」
手を挙げた加州は、身を乗り出した。
「主の家族が亡くなった後からさ、三日月と主が時々、夜一緒に居るようになったじゃん? 俺らは…てっきり同衾してると思った訳だけどさ、それって本当にそうだったのかなあって、今になって思うんだよね」
「どう言う事です? 加州清光」
「確かに三日月は、主を好きだった…」
加州は一人呟くように言うと、難しい顔で畳を睨む。
「主もそれを知ってた。あの時主は家族を亡くして酷く落ち込んでたから、三日月が放っておけなかったのも、主がそれに縋ったのも、筋が通るっちゃあ通るんだけど」
そのままついと上がった猫目の上にある眉間に、皺を寄せた。
「ならなんで、あの時三日月は…主に力を分け与えたのか。俺、ずっとそれが不思議だったんだよね」
「うん。ぼくも加州くんと似たような事を考えていたんだ。あの時主は見ているこっちが辛くなるほど…今よりもずっと、ここを離れたがっていた。誰よりも主の傍に居た三日月さんが、それを知らない訳がないのに、どうしてなんだろうってね」
「三日月殿は…」
一期一振が口を開くと、皆の目が集まる。
どうやら一期一振が三日月と話したと言うのは、古参の刀たちの間では周知の事実らしい。
それで呼ばれたのだと、青江、石切丸と見て理解した一期一振は言葉を続けた。
「三日月殿は、一瞬で堕ちたのだと言っていました。泣いてる主を見て、堕ちたのだと」
「前例のない事だ。三日月も、力を分け与えて主がどうなると分かっていたとは思えない。ましてや、寿命が長くなるなんて事、思ってもみなかっただろうね」
「うん。ぼくもずっとそう思ってた。主と三日月さんは通じ合っていて、三日月さんは思わず主に力を渡して、半神と化したんだろうって。でも、そもそもなんで思わず力を上げたんだろうって思うと、色んな事がおかしいんだ」
「いろんな事? 燭台切の旦那、まだ何かあるのか?」
燭台切と加州が目を合わせる。
「この間、主が遡行軍の一期一振を身に入れた時の話を、にっかりくんと太郎さんに聞いたんだ。ごめんね、一期くん」
前もって謝られて、一期一振は思わず背筋を伸ばした。
「その一期一振が言ってたんだよね? 折れた弟たちの事」
「はい…、そうですな。博多と、乱。薬研に信濃。そして、鯰尾」
「…薬研くん、本丸を襲撃して来た刀を覚えてるかい?」
「………短刀四本に、脇差一本」
「確かにあの時…五振りの編制だった」
小夜が呟く。
「偶然では? 我々と違って、あちらの刀はどれも同じで見分けはつきませんし」
「偶然かもしれない。でも今日、主が政府に顔を出す予定なんて、元々無かったよね? 出不精な主がわざわざ足を運ぶくらいだ。ぼくたちが気づいていないだけで、何か相応の事があったとも考えられる」
「…」
「……そう言う風に考えていくと、そこはそこで繋がるんだ。その一期一振を博多くんが拾って来たのは偶然だとしても、この本丸とは…もしかすれば、縁があったのかも知れない」
「………必然、と言うやつですか」
太郎太刀の言葉に、燭台切が固く頷く。
「考え過ぎなのは分かってる。でも、そこが線で繋がるとするのなら、こういう事も考えられるよね?」
「もしも」
燭台切の言葉を引き継いで口を開いた加州は、慎重に言葉を選ぶようにして続けた。
「もしも、俺たちの本丸を襲って来た時間遡行軍が、たまたまこの本丸だった訳じゃなくて、そもそもこの本丸を狙っていたとしたら」
「――っ」
誰かが息を呑む声が響く。
一期一振の心臓が駆け足で鳴って、酒を持つ手が震えた。
「三日月が、主に思わず力を上げた事にも、なんとなく合点が行くんだよね。恋仲だって言うよりも、ずっと」
「主と三日月さんは何かを隠していた。もしかしたら、三日月さんは…遡行軍が来るかも知れない、と思っていたのかもしれない」
「…たしかにあるじさまのかぞくがなくなってから、三日月はほかのかたなのれんどをあげるためと、ほんまるにいるようになりましたね」
「そこに遡行軍が来て、三日月が重傷を負ったとするなら」
加州は瞳を揺らす。
「あの時主は、まだ審神者になって日がそう経ってなかった。三日月は、主を生かそうとしたんじゃなくて…主に、遡行軍に対抗できる力をあげたかったんじゃないかな」
「だとすればそれは…」
ほろ酔いはどこへ行ったのか。神妙な声を上げた次郎太刀は、男らしい仕草で髪を掻いた。
「アタシたちが今まで思って来た話と、全然変わってくるんじゃないかい?」
「分からねぇ話でもないな」
薬研は頷く。
「他所の本丸でも、刀と審神者が惚れただの腫れただのの話は聞くもんだ。だが、折れてなお本丸に居座ってるのは、うちの三日月の旦那くらいな訳だ。恋だのなんだのよりはずっと俺っちにしてみればしっくりくるね」
「そうかい? ぼくは惚れたり腫れたりの方が興奮するけど」
くすりと青江は笑った。
「それにしても、燭台切に加州、どうして今日その話をしようと思ったんだい? 主が政府に向かったからかな?」
「いや。ぼくも実際、加州くんと話すまでは…何と言うか、自分の中でも半信半疑だったんだ」
「俺も。当たってるかも分からない答え合わせくらいのつもりだったんだけど」
加州の紅に彩られた指が、猪口に回る。酒を呑んだ加州は猫瞳を細くした。
「今は、話してよかったかも知れないって思ってる」
「良かった、ですか?」
「もし俺と燭台切が考えたように、三日月が遡行軍が来る事をなんとなく予想していたとするなら…、その前には、そう思わせる何かしらがあったって事じゃん?」
「なるほど。本丸を急襲した遡行軍と関係があるかもしれない、一期一振ですか」
太郎太刀は声を低くする。
「杞憂で終わればいいんだけど。警戒するに越した事はないかもね」
「そう言う可能性があると…頭に止めて置く必要がある、と言う事ですね」
宗三は小夜の髪を撫ぜながら、そっと息を吐いた。
「三日月も、そうならそうと言えば良かったんですよ」
「まあ、あの二人が何を隠しているのかは分からず仕舞だからね。よっぽど言えない事だったのかも知れないし」
次郎太刀がのんびりと付け加える。
「主に惚れてたのは確かだしねぇ」
「…惚れたねぇ、俺は雅な事は全く分からんからな」
薬研が首を傾げる傍らで、緊張の糸が切れたのか、あっという間に酔っ払いに戻った次郎太刀は、一期一振に膝立ちでにじり寄って来た。
「ねぇねぇ、一期一振。所で、勝算はあるのかい?」
「勝算? 何の話ですか? 次郎殿」
「まったまたぁ! 分かり切った事じゃないか。主と恋仲になる勝算だよぉ」
「こ、恋仲!?」
一期一振は目を剥くと、泡を食ったように後退さった。
「わたしは…恋仲、までとは…」
「えー、じゃあ何仲までになるつもりなのさ」
「何仲、とは、その…」
言葉に詰まって、一期一振は辺りを見渡す。
加州に燭台切から始まって、一周回って次郎太刀に目を戻すと、頬を朱に染めた。正座をして、背筋を伸ばす。
「わたしは刀ですから。主をお守り出来れば、それで…」
「アタシだってそうよ。でも、アタシとアンタの間には、明らかに違う線があるじゃない? ようは、それが何かって話なのよ」
「ああ、そう言う話ですか」
迫られて腰が引けている一期一振とは対照的に、宗三は相槌を打った。
「確かにそれは気になりますね」
「宗三殿まで! からかわないで頂きたい」
「からかっている訳ではありませんよ。
刀でありながら人の身を得たわたしたちです。刀として主を護ると言う一線から、人のように主を想うその一線。鳥籠に捕らわれた鳥がどうして空を乞うのでしょう。鳥籠しか、知りもしないのに」
「おいおい宗三、それじゃあまるで、焦がれるのは愚かみてぇじゃねぇか」
薬研が不満気な横槍を入れると、宗三はゆるりと肩を竦めた。桃色の髪が、肩から滑り落ちる。
「愚かまでとは言いませんが、籠を出た所で、広い空です。道を見つけられるとは思えません」
「おやおや。宗三殿は随分と手厳しいね」
穏やかに笑った青江は首を横に振った。
「羽根を得たんだ。いつまでも籠の中ばかりじゃ飽いてしまうからね。いっそ、外に出てみるのもいいと思ってしまうんじゃないかい? ねえ、一期一振」
「そこなんですよ。ぼくは籠の中の鳥ですから。どうしてそこで外に出ようとするのかが分からないんです。どうです? 一期一振」
二振りに見据えられて、一期一振はたじろいだ。
「せっかく人の身を得たんだ。恋をしたり、どこかを腫らしたりしたいよねぇ?」
からかうように青江が笑う。
虚を突かれた一期一振は、反射的に耳まで熱くなってしまった。
ある事ない事想像したのが手に取るようにバレたのが、青江と宗三の顔を見ていて分かる。
一期一振は照れているのか羞恥でなのか分からないまま頬を朱に染めると、片手で口を覆った。思わずそっぽを向いて、口籠る。
「…そ、それは思わなくもありませんが」
変に言い逃れしても追及されそうなので、正直に言う。
言ったものの、やっぱり恥ずかしくなって両手で顔を覆った。
そのまま数秒。面を上げた一期一振は、赤らんだ顔のまま、きゅっと唇を一文字に結ぶ。
「ですが、やはりわたしは刀ですから。主を護る事が本分です」
「…まじめですねぇ」
しみじみと言ったのは、今剣。畳に俯せで寝転がって、頬杖をついた今剣は顔を右に左にと揺らした。
「ですが一期一振。そういうことは、ぼくたちにまかせていいんですよ」
「今剣殿?」
「一期一振は、ぼくたちができないひとのみの、たのしさを、いっぱいみせてくれればいいんです。あるじさまをまえにして、あおくなったりあかくなったり、たいへんそうな一期一振がぼくはすきですよ」
あっさりとそう言った今剣を見ていた一期一振は、はたと考えた。
思えば最初から、皆一期一振が審神者に人のような想いを寄せていることを、公然の事実のような口調で話していた。
事実だったから、たいして気にも留めてはいなかったのだが。
薬研よりも見目が幼い短刀にあっさりと言われた一期一振は、背中に火を付けられたような顔で立ち上がった。
「厠へ行って来ます!」
いつになく大股で歩く一期一振を、一同は見送る。
ピシャリと障子が閉まって、沈黙が下りたあと、今剣は首を横にした。
「ぼく、なにかまずいこといいましたか?」
「僕は今の言葉、いいと思う」
「ほんとうですか、小夜ちゃん!」
ならまあいいかと言わんばかりの今剣を苦笑しながら見ていた薬研に、宗三は落とすようにして口を開いた。
「ぼくは。鳥籠から出て空を飛びたい鳥も理解出来ませんが…。鳥籠の扉を開けて置きながら、外に出る気がない鳥もどうかと思いますよ」
「ん?」
首を巡らせた薬研は、瞳を細めるようにして笑った。
「誰の話してんだ? 宗三」
宗三はそんな薬研を流れるような横眼で見る。
そうしてあからさまに息を吐くと、猪口に手を伸ばした。
「本当に貴方と言う人は、雅じゃありませんね」
「そりゃ最高の褒め言葉だな」
薬研は膝を立てたままスルメを酒に浸す。そうして柔く解けたそれを奥歯で噛みながら、あっけらかんと笑った。
「俺っちはいいんだよ。空は晴れでも雨でも曇りでも綺麗なのが、一番だからな」