ドリーム小説

ぽつりと一期一振は畳に正座していた。
目の先には、審神者が庶務をする机があるが、持ち主の姿はそこに無い。
首を巡らせた一期一振は、そうか、主は出かけているのだったか、と思い出した。
立ち上がり障子を開くと、秋口の冷やかな風が流れ込んでくる。
途端に足先が冷たくなって、障子を閉めようとした一期一振に、足早に駆けて来た長谷部が声を掛けた。
「一期一振。主からの連絡は?」
「ありません」
と口にして、胸の内で手を叩く。
そうだった、朝早くに出かけた主が帰って来ないのだ。
毎年この日に決まって出掛けるらしい主は、昼前には戻って来ると言う。
昼過ぎくらいからそわそわし始めた本丸は、今や落ち着きが無くなっていて、あちこちで主を心配する声が上がっていた。長谷部は蒼白のまま、頭を抑える。
「まさか何かあった…か?」
「そんな、長谷部殿。縁起でもない」
「だがしかし…今までこんなに遅くなった事は無いのだが…」
「長谷部殿。主は何をしに現世へ?」
一期一振が訊ねると、長谷部は眉を潜めた。少し詰まったあと、言いにくそうに口を動かす。
「……主のご家族の、墓参りだ。今日が命日でな」
「そうなのですか」
「少し現世を見て回って帰って来るのも確かだが、それにしても遅い」
「政府に連絡を取ってはいかがですか?」
「そう、だな。状況によっては、何振りかを現世に送る許可を貰わねばなるまい」
「長谷部くん!」
そうと決まれば連絡を、と踵を返した長谷部の背に掛かる声。
一期一振と長谷部が振り返れば、血相を変えた燭台切が足早に駆けて来た。
「あ、主が…! 主が帰って来たんだけれど…っ」
「主が?」
「帰って来たのか!」
「そう、そうなんだけど。政府の人が付いて来てて…その」
燭台切は一度言葉を区切る。
「なんていうんだったのかな…けいさ、つ? 良く分からないんだけれど、新撰組みたいな所に主が捕まっていたらしくて」
「捕ま…っ」
新撰組と言えば、捕物。
何故そんな所に捕まっていたのか。
泡を食ったような長谷部が機敏に駆け出していく。一方、状況が良く飲み込めない一期一振。立っている彼に目を向けた燭台切は、困った顔のまま頬を掻いた。
「えーっと、一期一振くんも、行った方が良いかも知れない」
そう言って、苦い顔のまま笑った。
「どうもその原因が、包丁くんみたいなんだよね」
一期一振が長谷部の背を追うように玄関へ向かうと、泣いている包丁と審神者が居た。
政府の人間二人に挟まれた審神者は、男泣きしている。おおう、と野太い声をあげた審神者に、厚が呟いた。
「…男泣き」
「ごめんよ、主ぃ! 俺、全然知らなくて…っ」
「ただいま、包丁――! この野郎め、帰って来れないかと思ったぞぉおお」
「良かったよぉぉ」
抱き合う二人を、呆れたような顔で見ている厚に声を掛ければ、ため息と一緒に状況を説明してくれた。
「包丁はどうも…人妻に飢えてたらしくてさ」
「…」
「大将が現世に行くって聞いて、…大将の鞄に…本体をだな。入れたらしい」
「本体…だと!?」
長谷部が驚愕の声を上げる。
まだよく分からない一期一振に、厚は噛み砕いた説明を始めた。
「現世にはじゅうとうほうなんとかって言う、ようは廃刀令みたいな決まりがあるらしいんだ。んで、歩いてた大将が…何だったか」
「職質」
さめざめと泣きながら、審神者が答える。
「しょくしつ?」
首を傾げる一期一振。
すると審神者は泣き顔のまま、親の仇を見るように憎々しい顔をした。
「そこの貴方、ちょっと怪しいけれど、仕事は何をしていますか、と訊かれたんだ」
「…はあ」
怪しい。
一期一振はまじまじと審神者を見る。
現世に未だ行った事のない一期一振は、現世の人間がどういう装いで生活しているのかは知らない。少なくとも、彼が見て来た時代の中では、着物に髷が一般的だった。
それに比べて目の前の審神者は、着物を着てはいるが、常にどこかだらしなく着崩したようにも見えて、髪は寝乱れている。髭は手入れをしているのだろうが無精だし、なるほど不審と言えば不審に見える。
「…いち兄、顔に出てる」
ぽそりと言いながら、厚に脇腹を突かれて、一期一振は思わず背筋を伸ばした。
憎しみに囚われている審神者は、そんな一期一振に気付いていないようすで、身体を震わせている。
「審神者です、なんて言ってもわかんねぇだろうなぁ、と思って考えてたら、荷物見せて下さいって言われてよ。それで鞄開いたら…」
「俺が居た…んだよねぇ」
あはは、と包丁が笑う。
廃刀令のご時世に、鞄に刀。
怪しいと訝しんでいる人間からしてみれば、的を射ったような気持ちだっただろう。
一期一振は地を這うようなため息を吐いた。
「………包丁…」
「知らなかったんだよぅ。ちょぉっと人妻と同じ空気が吸いたかっただけで…」
「おかげで、行ったのは墓地だけだよ」
「えー! じゃあ人妻は!?」
「死んだ人妻ならたくさんいたんじゃないか?」
「死んだ人妻、お菓子くれないじゃん!」
ぶぅぶぅと包丁が口先を尖らせる。
抗議の声をあげる包丁に、無言で歩み寄った一期一振は、その小さな薄茶色の頭を押し下げた。
「申し訳ありません! 主!」
「ああ、いいんだよ、一期一振。お前が謝らなくても。まあ、この羽根っ返りたちの面倒見て貰いたくて、必死に鍛刀してたのも事実なんだが」
「包丁にはよく言って聞かせますので!」
「ああ、頼む」
一期一振の手から離れた包丁は、地に足を付け忘れたように、ふらふらと交差した。
「人妻に…会えなかった……。怒られ損かよぉ…」
「お前のたくましさに感心する。ホラ、行くぜ、包丁。いち兄の正座の前に、俺と薬研からの説教だ」
「えぇぇえええぇええ」
問答無用で腕を掴まれた包丁が厚に引き摺られて行く。
悲しみの声がだんだんと遠くなっていくのを後ろ背に聞いていた一期一振は、改めて頭を下げた。
「本当に申し訳ありません、主」
「いいっていいって。まあ、場所が場所だったのもあって、警察に保護されたようなもんだから」
「保護、ですか?」
「…それで死ねりゃあ安いんだけどな」
「主」
「冗談だよ、長谷部。なんとか政府に連絡が取れてよかった。世話になったな」
頭を下げて、政府が出て行く。
それを見送った審神者は、気を取り直したように歩き出し、その背に続いた長谷部をまた追おうとして、一期一振は立ち止まった。
「……あれは」
審神者の行く先に、青い着物が揺れている。
見るも美しい男は笑っていて、三日月の浮かぶ瞳が猫のように細くなった。
「……みか、づきどの?」



目が覚めた一期一振は、古い天井を見上げたまま、しばらく呆けていた。
二度目とも来れば、これが三日月によって見せられた夢なのだと理解出来る。夢とは違う、まるで――過去を体験しているような時間。
身を起こした一期一振は、額に手を当てると、重く呟いた。
「…そうか。あの時の主は……」
もしかしたら、けいさつとやらの目には死にそうに見えたのかもしれない。
審神者の言葉の意味も、長谷部の苦言も。ようやく理解が追い付いて、一期一振は自嘲する。
「本当に…わたしは何も知らないな」
皆よりずいぶんと遅れて顕現しているので、仕方ないと言えば仕方ないのかも知れないが、どうにも歯痒い。
苛立たしさを振り切るように顔を上げると、部屋に居る弟たちは数振り。
いつもなら行儀よく縦に並んでいる布団も、横に斜めにと自由に敷かれている。腹を出して寝ている秋田に、自然と頬が緩んだ。
「薬研や厚たちは…まだ戻って居ないのか」
時間遡行軍の襲撃を乗り切った昨日の夜は、大祝賀会となった。
いつもは揃っている弟たちも、この日ばかりは一期一振の手を離れて、元居た主が同じ刀や、仲のいい刀たちとの酒を楽しんでいて、あまり酒に強くない一期一振は、同じく酔ってふらふらな弟数振りを連れて早めにお暇し寝たのだが、それでもまだ帰って来ていないとなると、飲んでいるのか潰れているのか。
長兄としてはそろそろ回収したい所。
立ち上がって、寝ている弟たちに足を取られないように障子を開くと、朝の薄靄が庭に降りていた。
冷やかな風が足元を冷たくする。
先ほどの夢が思い出された一期一振は、ああ、と合点がいった。
「今日が…命日か」
三年前の光景を思い出した一期一振は、弟たちを迎えに行こうとしていた足を止めて、部屋の中へと戻った。
手早く内番の服へ着替えると、玄関へと急ぐ。
薄暗闇の中靴を履いていた影は、後ろから聞こえて来た一期一振の足音に首を巡らせると、ため息を吐いた。
「一期だろ」
「主」
「三日月はよほど、俺を一人で現世にやりたくないと見えるな」
「今日だから、ではないですか?」
「…」
歩み寄ると、暗闇にぼやけていた輪郭が徐々に見え始めた。
庭に咲いているものだろう。彼岸花がまとめてバケツに入れられている。同じく無造作に突っ込まれている線香に蝋燭、マッチ。
おそらく同じ夢を見たのであろう彼は、今日は丁寧に髪を撫でつけ、髭を当たっている。着物ではなく、現世のものと思われる服を着ている審神者はよほど懲りているように見えるが、今となっては単に怪しいから声を掛けられた訳ではないのだろうと思っている一期一振には、単なる悪あがきのようにしか見えない。
審神者は一期一振のジャージ姿を見て、少し笑った。
「その恰好で行く気か? 一期」
「出陣の服よりは…現世に馴染むと思ったのですが」
「それもそうだな。ま、お前の場合は顔がフォローしてくれるだろう」
軽く言って、審神者は玄関の扉を開く。
慌てて靴を履いてそのあとに続くと、いつもとは違う景色が広がっていた。
「…ここは…」
万屋へ続く道も、近所の本丸へ向かう道もそこにはなく、ましてやそこは朝でも無かった。煌々と照りつける太陽に目が痛み、一期一振は下を向く。
「行くぞ、一期」
「はっ」
玄関扉を閉めると、そこは小さな建物だった。本屋、と書いてある。一期一振が閉めた扉がすぐに開き、見た事も無い人が出て来たので驚いた彼は、審神者の背中を追った。
「あんまりキョロキョロすんなよ、はぐれるぞ」
「承知いたしました」
口では言っても、気になるものばかりだ。
走る鉄の塊に、高い建物。溢れるばかりの人人人。
忙しなく辺りを見ては審神者に目を戻す一期一振に、審神者は笑った。
「長兄って言っても、鍛刀の順ではお前が一番最後だからな」
「弟たちも、ここへ?」
「数えるくらいだけどな」
「それは……興味深かったでしょうね」
「まぁな。あっちへこっちへ行くもんだから、その日は何をしに現世に行ったのか忘れて引っ張り回された」
想像がつくその姿に、思わず一期一振は「申し訳ありません」と謝った。
その渋い顔を横眼で見た審神者は、思い出したように口を開く。
「なあ、一期」
「何でしょう」
「やっぱり可愛いか? 弟たちは」
「それは…当然ですが…」
訊かれた言葉の真意を測りかねる。
視線を泳がせた一期一振を、審神者は笑い飛ばした。
「悪い悪い。深い意味は無いんだ。ただ俺には…一緒に過ごした時間がそこにある訳でもないのに、あたり前に兄弟をやっているお前らが時々不思議に見えるんだよ」
「そう言うものでしょうか?」
一期一振からしてみれば、言われた意味の方が難しく思える。
審神者の後ろを付かず離れず追いかけながら、首を捻った。
「わたしは…人の身の事は良く分かりませんが、弟たちとの事を考えた時に、同じ粟田口吉光の手により造られ…同じ主を護る。それだけで、兄弟と呼ぶには十分かと思います」
それに、と一期一振はたまらず微笑んだ。
「弟たちに囲まれていると、何よりわたしは幸せです」
くすりと笑う一期一振。
ふと、前を歩いていた審神者は足を止めた。
「幸せ?」
「幸せ――ですな。これは多分、そう言う感情ではないかと」
審神者は何か言いたそうに唇を開いた。そのまま固まる。やがて、思いとどまったように結ばれた唇で、審神者は踵を返した。
「まずは花屋に行くからな。もうしばらく歩くぞ」
「分かりました」
それからは無言で足を進めた。
花屋に行き、カトレアが中心の花束を用意して貰うと、人の少ない方へと向かって歩いて行く。
通り過ぎて行く人もまばらになり、あぜ道へと入ると、そう時間が掛からず目的に場所が見えてきた。
「あそこだ」
審神者の家族が眠っていると言う墓場は、昼間だと言うのに薄暗い。生い茂った木が影をつくり、土がしっとりと濡れているようにも感じる。
立ち止まった審神者は、首だけで一期一振を仰ぎ見た。
「ここで待っててくれ」
「いえ、お供致します」
「供はここまででいい」
「お供致します」
言い切った一期一振に、審神者はくしゃりと顔を歪めた。
「構われたくない時は、遠くから見ていてくれるんじゃなかったのか?」
「そのつもりでした」
が、と一期一振は目を細める。
抱える気はありますか、と単調に訊いて来た太郎太刀の声が脳裏を過った。
手を伸ばしたい刀はたくさんいるんだ。
薬研の少し寂しそうな顔が継いで浮かぶ。
「…今のわたしは、出来れば主に手の届く位置に居たいと…思っております」
必要ないと言わそうで、頼りなく萎んで行く語尾。言い淀む一期一振を見つめている審神者の瞳は、何を考えているか分からないまま、伏せられた。
「そうか」
短く言って、歩き出す。
是とも否とも言わなかった背中を追いかけると、やがて彼は一つの墓の前で足を止めた。
墓石に名前は三つ。
その前に立つ審神者は、片方に花束を、片方に彼岸花を挿した。燃えるように赤い彼岸花の中に、一つだけ、真っ白な彼岸花が混じっている。
「一期、そこに水道があるんだ。このバケツに、水を入れて来てくれるか」
「分かりました」
一期一振が汲んで来た水を、両の花瓶にいれた。残りの水を墓石にかけて、マッチを灯すと、蝋燭と線香に火をつける。手を合わせる審神者に習って、見よう見真似で一期一振も手を合わせた。
「彼岸花の花言葉、知ってるか?」
「いえ」
「色々あるんだけれどな。再会やら、転生やら、また会う日を楽しみに…やら、俺には無縁の言葉がずらりと並んでる」
「…主」
「彼岸花。彼岸の花、悲願の花。俺は、この彼岸花なんだよ、一期」
指を指したのは、風に揺れる白い彼岸花。
目を合わせるようにしゃがみこんだ審神者は、独り言のように呟いた。
「…幸せ…なぁ」
先ほどの、一期一振の言葉を指している事は間違いない。
その後ろ背を見ていると、彼はううん、と唸り声をあげる。
「刀剣男子に、俺の心を分けてるのなら。一期一振が感じてる幸せって言うのも、元は俺の中にあった感情…って訳だよな」
「そうなりますな」
「包丁の人妻好きも?」
「それは……主しか知らぬ事かと思いますが」
馬鹿正直に返すと、審神者は笑った。どうやら冗談だったらしい。こっそりと胸の内を撫でる一期一振に、審神者はぼんやりと宙を仰いだ。
「幸せって、どんなだったかなあ」
「上手く言葉には出来ませんな。ですが…在れてよかった、と思う気が致します」
「在れてよかった、ね。だから俺には分かんないのか」
寂しそうなその一言に、一期一振は言葉を探す。探して、探して、全ての箪笥を引っくり返すように探して出た言葉は、実に陳腐なものだった。
「主は、お酒を呑んでいる時に幸せそうに見えます。食事も好きかと思います。それから、昼寝をしたあとは、とても幸せそうですな」
他は何かないか。
必死に思案する一期一振を横眼で見た審神者は、からりと笑った。
「小さい幸せだなあ。俺のは」
「わたしたち刀剣が、主の知らぬ心を持ち合わせているはずがない。胸を温かくするような、時にたまらなく苦しくなるようなこの感情は、全て主より貰ったもの」
「一期」
「それだけは、確かな事です。主が、幸せを見失ったと言うのなら、わたしが…主の幸せそうな顔を見つけます。幸い、わたしは良く主を見ておりますので」
のんびりと笑った一期一振に、審神者は不意を突かれたような顔をした。
あー、とか、うう、とか言うと、頬を掻く。
「ありがとう」
「御礼を言われる程の事では」
真面目と言うのは性質が悪い。
真摯に返って来た言葉に居心地悪くなった審神者は、顔を戻した。目の前には、白い彼岸花が揺れている。
その目が少し遠くなった。
「嫁さんが、好きだったんだ。彼岸花。毎年持っては来るが、見るたびに、無縁の花言葉に気が滅入ってな。一期一振、そんな時、お前さんならどうする?」
「わたし、ですか? そうですね。新しい花言葉を作る、と言うのはどうでしょうか」
「新しい花言葉、ね。幸せを見つけてくれる次に斬新だな。なら一期一振、お前はこの…白い彼岸花に、なんて花言葉を付けるんだ?」
少し意地の悪い質問だと言う事を自覚している審神者が見ていると、一期一振は首を捻った。瞳を伏せる。
「そう…ですな」
空色の髪が風に靡いて、長いまつげに彩られた瞳が開くと、琥珀色の瞳が審神者をひたと映した。
「貴方だけを想う」
「…」
「どれだけ悲願の果てに居ても、貴方だけを想う。美しい花ですな」
あっけらかんと笑う一期一振に、面を食らったような審神者。
じわじわと耳朶が赤くなるのを感じて、恥ずかしさに居ても立ってもいられなくなった審神者は思わず目を逸らした。
「…どうかされましたか?」
「気づかないふりをするのもバカらしくなるなと思ってな」
「気づく?」
「ああもういい。帰るぞ、一期」
ぷいとそっぽを向くようにして歩き出した審神者。バケツを持った一期一振がその後ろに続く最中、ふと耳元を風が過った。
振り返るように首を巡らせると、赤く燃ゆる彼岸花の中に、無垢な白がひとつ。
一期一振の瞳には、やはりその白い花が1番美しく見えた。