ドリーム小説
目が覚めると、知らない天井。
走った鈍い痛みには腹部を抑えた。
「ここ…どこ? 蜀軍の城、かしら」
その割には嫌に静かだ。ちちちとさえずる鳥の声には眉を潜める。
「……まさか織田軍の城? にしては待遇が良すぎる、わよね」
逃げるべきか様子を見るべきか。
悩んでいると、扉が開いた。思わず身を固くしただったが、外から顔を覗かせた思わぬ人物に拍子抜けして、瞬く。
「尚香様」
「目が覚めたのね! 」
「どう、して尚香様がここに…」
「あら、ここはお父様の城よ。連れて来られたのはの方なんだから」
一瞬、言葉の意味が分からなかった。
呆けたはおずおずと口を開く。
「お父様と言うことは…その、孫堅さまの城、という事で?」
「ええ」
「………何でわたしが孫堅様の城に…っ」
漠然と、そう言う世界なのだと理解していたつもりだが、孫堅と聞くと途端に現実味を帯びてくる。泡食って右往左往したは、とりあえず寝癖がついているだろう髪を撫でつけた。
「織田軍の城に連れていくより、こっちの方が安心するだろうからって司馬昭殿が置いて行ったのよ」
「司馬昭が?」
顔をしかめると、尚香は首を傾いだ。
「もしかして何も聞いてないの?」
「いえ、まったく。それどころか気絶させられて連れて来られたので、何が何やらさっぱりです」
「…ふぅん、なるほどね。貴方は権兄様たちと劉備軍についたって聞いていたから、おかしいなとは思ったんだけれど」
「わたしのほうこそ、尚香様は劉備軍にいらっしゃると思っていたのでびっくりしました」
ぱちりと尚香は瞬いた。
「劉備軍? どうして?」
「どうしてって…」
「そりゃあ劉備様は素敵だけれど、だからといってそれだけで組したりしないわよ」
からころと笑う尚香に、は目を見開く。
(つまり尚香様はまだ劉備殿に嫁いでいない、ってこと?)
なるほど、数多の武将が集まっている世界である。ここに居る尚香が、と同じ時間軸から来たと言う訳ではないらしい。
(これは迂闊な事を喋らない方が良さそうね)
合点がいくとなんだか急に寂しくなって、尚香を見ていたはふと司馬昭が過った。
「――う? 」
「え、何ですか? 尚香様」
「だからこの際、織田軍に降ったらどう? って聞いたの」
「織田軍にですか!?」
は目を剥く。
そりゃあ捕虜として捕らわれたのだから、そう言う選択肢が突きつけられたりするのかなとは思ったけれど、こんなに軽く誘われるとは思ってもみなかった。
ちょっとコンビニでもどう?
と聞かれた気分になって、うっかり頷きそうになる。
「大まかに言うと織田軍だけれど、お父様の軍だもの。貴方も安心じゃない?」
「それはまあ、そうですけれど。でも…」
「練師は権兄様と一緒なんでしょう? を貰っても罰は当たらないと思うの」
「だからどういう理屈なんですか、それ」
毎度のごとくちっとも悪びれがない。
とはいえ変わらず接してくれている事が身に染みて、は唇が緩んだ。
口を開こうとすると、横槍が入る。
「尚香殿。……抜け駆けは困ります」
「あら、司馬昭。思ったより早かったのね」
「こうなりそうな気がしたんですよ」
くたびれた顔を見せた司馬昭は片手を挙げた。手には、酒。まるまる開いた目に酒を映して、は唾を飲み込む。
「そっちこそ抜け駆けじゃない」
「まあそう言わないで下さいよ。を口説き落とせたら、俺も貴方も万々歳って事で」
「………利害は一致するって訳ね。まあいいわ、あたしはの目が覚めた事お父様に報告しなくちゃだし…」
どことなく不満気な尚香が部屋を出て行こうとするので、
え、ちょっと待って二人にしないで、と伸ばしかけた手には猪口を握らされた。景気よく酒の栓を抜いて、司馬昭は傾ける。
「わたし、もしかして貴方とお酒を呑んだり…したんですかね」
なみなみ注がれた酒を凝視していると、司馬昭はさらり答えた。
「毎日、な」
「毎日!?」
「じゃなきゃ好みの酒なんて知らないだろ」
口を浸すとなるほど好きな味。とは言え何をしたら毎夜酒を呑む事になるのか、考えて考えて、はぽつりと零した。
「捕虜になった、とか」
「…」
「……あ、でも捕虜は酒は飲めないか」
「………お前な、まず婚姻したとかあるだろう」
「婚姻!? いやいやいやいや」
一端口を噤んで、は首を横に降った。
「いやいやいやいや」
「いやもういいだろ」
夏候覇ばりのいやいやが気に障ったらしい。つんとそっぽを向いた司馬昭の横顔を眺めて、は酒を舐めた。
(いやしかし、まじで何が起こって司馬昭と酒を飲むようになるんだ?)
聞きたいような、聞きたくないような。
もどかしい気持ちがせめぎあう。難しい顔で黙りこくると酒が進むものだから、そんなを横眼で見た司馬昭は頬を緩めた。
「なんっつーか、変わんねぇもんなんだな」
「ん?」
「俺の事知らないってなると、まあちょっとばかり怖かったりもしたんだが…。お前はお前で安心した」
「それは……確かに、分かるかも」
揺れる酒を眺める。
「ここで劉備殿と居てくれたら…嬉しかっただろうけれど、辛い、だろうから。
尚香様は劉備殿と結婚したことを知らなくてどこかでホッとしちゃった。…そんな勝手なわたしにも、尚香様は変わらず優しいんだなあって」
「ふぅん」
「…ごめんなさい、何でこんなことまで話してるんだろ」
「気にすんな。…俺の方こそお前には話を聞かせてばかりだったからな」
「そうなの?」
「ああ。お前ときたら訳知り顔で頷いてたぜ」
「そう」
「そうそう、ンな顔でな」
指を指されて面くらう。虚を突かれたは噴き出した。何だか友人だったかしらと思わせる、不思議な男である。
「ねぇ、甘寧と凌統、知らない?」
「甘寧と凌統? いや…そんな名前は聞いてないな」
「そっか。こっちに来てずっと探してるんだけれど、まだ見つからなくて」
「そのうち来るだろ。何か聞いたら教えてやるよ」
「ありがと、助かる」
俯いて、は顔を上げた。
「なら織田につく」
言って、怪訝な顔になる。
「…なに、その顔。それが目当てで来たんだと思ったんだけど」
「いや、正直つくとは思ってなかったというか」
「何それ。甘寧と凌統が現れたら孫堅様の軍に入る可能性だって高いし、ここには尚香様もいるし、それに…」
「それに?」
(まただ、織田についたら何か分かるかも、なんてそんな確証ないのに)
「………嫌な感じなの」
「嫌な感じ、か。ま、有り得ない話だからな、そう思うのも無理はないだろ」
「それもそうなんだけれど、ここを知っているような気がするの。でも、全然知らない気もする。とにかく一刻も早く戻りたい」
するりと落ちた言葉に、は唇を抑えた。
「そう、わたし…一刻も早く戻りたい。じゃなきゃ」
どくんと心臓が跳ねた。
思わず司馬昭を見ると、驚いている彼と目が合う。
「じゃなきゃ? なんだってんだ?」
その顔に見た事もない司馬昭の顔が重なって、
――ようやく…っ、助けられた…!
ぶれて、歪む。
「っ」
「、おい!?」
胃がひっくり返るような気持ち悪さだった。飲んだ酒を吐き出しそうになって、たまらず身体を曲げる。
「じゃなきゃわたしは」
先を知っているから、
「きっと、まず狙われて、殺され…」