ドリーム小説
「ちょっと司馬昭! どういう事よ」
後ろ袖を引っ張ると、首を巡らせた司馬昭は寝耳に水な顔をしていた。
「嫌、俺にとっても予想外と言うか…」
「何が予想外なのかしら、子上」
「いえいえ母上、何も!」
慌てて繕う司馬昭の眼前には、司馬懿に春華、許嫁であろう少女に――まるでこの家の主のような顔をして座っている曹丕。
気弱にも両手を挙げた司馬昭を後ろから小突けば、彼はぎこちない動きで手を下した。
「えーっと、その、父上に母上、どうして殿下がここに?」
お伺いを立てるような声で問えば、誰より先に曹丕が答える。
「仲達からお前が嫁を取ると聞いて、な」
「ッ」
絶対バレてる。
は身体を硬くした。
ドクドクと心臓が激しく脈打っているのが分かる。深呼吸して宥めすかすと、は司馬昭の影から一歩踏み出した。両手を合わせて、恭しく頭を下げる。
「お初にお目にかかります」
言葉が詰まったのを悟られぬようにして、微笑んだ。
「龍姫、と申します」
まさか徐庶が付けた二番煎じネームが役に立つとは。
背中の汗で、じっとりと服が張り付いている。
が躍り出るとは思っていなかったのだろう司馬昭が、うっかり「姫さ」と呼びかけたので斜めに睨み上げ、朗らかな弧を描いて誤魔化した。
「もう! 殿下やご両親の前で姫なんて呼ばないで下さいまし。恥ずかしい」
頬を朱に染めて俯いてみせる。
言ってて自分でも具合が悪かったのに、司馬昭はうっかり変な物を食べてしまったような顔をした。
よし、あとで殴る。
心に決めて、は春華を見、そして許嫁の少女へと目を移す。
透き通るような肌に大きな眼。絹のような金色の髪。まだあどけなさを残した美しさはどこか危うげな物さえ感じさせる。
感情を伺わせずに、されど真っ直ぐと見つめて来る二つの眼を見つめ返して、は薄ら笑いそうになる唇を袖口で覆い隠した。
(なるほど。大した御嬢さんね)
「この度はこのような大事な場にお邪魔致しました事、本当に申し訳なく思っております」
ここで殊勝に涙の一粒でも流せたら大業なのだが。
せめて精一杯悲しみに声を滲ませて、は瞳を揺らした。
「それでも。……どうか今ひと時、子上殿を想う猶予を頂けませんでしょうか」
しゃらしゃら鈴を鳴らして気を引く努力をするのにはとっくの昔に飽いてしまった。
目いっぱい背筋を伸ばして春華を見る。
その瞳は笑っているよう。
ならばも――儚げに微笑んでみせた。
(女は度胸。ハッタリは…通したもの勝ち!)
「わたしもいつかは嫁に行かねばなりません。どうか、どうかもう少し時間を下さいませ」
僅かに目を開いた春華。
彼女は二度ほど瞬くと、ふっと零すような笑みを浮かべる。
「まあいいわ。当面の間、元姫は子上のお目付け役にしましょう。それで構わないわね?」
ついと視線を向けられた司馬昭。
何度も頷く彼を見て、は思わず苦笑した。
(こりゃまるっとお見通しって奴ね)
ならばいつまでも恋人ごっこに付き合う謂れはない。は挨拶を済ませると、さっさと退散する事にした。こんな息が詰まる部屋からは一刻も早くお暇したい。
(安請け合いしちゃったわ。赤壁くらいじゃ安かったわね)
「俺、屋敷まで送ってきま」
司馬昭の声が追いかけて来る。
「殿下!?」
その声には驚いて振り返った。
後ろに立っているのは司馬昭ではなく、曹丕。
息を呑んだの身体を半ば強引に部屋から押し出した曹丕が後ろ背に扉を閉める。
司馬昭の声が遠くなって、
「な――ッ」
んですか。
の瞳に映る曹丕が徐々に近くなっていく。
手繰り寄せられるよう顎を持ち上げられ、
ひやりと冷たい感触が唇に重なった。
「!?」
突き飛ばそうとしても動かない。
咄嗟には髪飾りを抜き取った。曹丕目掛けて振り下ろす。
切っ先が曹丕の頬を掠めて、ようやく離れた男が唇を舐める仕草に、はカッと血が昇ってしまった。体よく返す事も忘れて睨みつける。
「…何の真似?」
「興が冷めた」
「はぁ!?」
「端から子上にくれてやるつもりはない。来い」
「どこによ!」
掴もうと伸びて来る手を避け、髪飾りを構える姿を曹丕は嘲笑った。
「やはりお前はそうでないと、面白みに欠けるな」
「わたしは…アンタの退屈を紛らわすおもちゃじゃない。次こんなふざけた真似してみなさい。その首、掻っ切ってやるから」
言うなりは駆け出す。
脱兎のように小さくなっていく背中を眺め、曹丕はその丹精な唇の形をなぞるように親指を這わせた。
なぞった親指に視線を落とす。
ふんと笑って、至極愉快気な声を上げた。
「ほぅ。私の首を切って見せる…か。殊勝に惚れたと説く姿を見るよりは、罪人として捕える方が良いかもしれんな」