ドリーム小説
食材と酒を補充しに街へと降りて来たは、同じく水鏡の元で学ぶ門下生に呼び止められて立ち話をしていた。
話しと言えば当然、先日の新野で劉備を守る為に繰り広げられた徐庶の働きな訳だが、身内からしてみれば、諸葛亮が劉備の元に軍師として入った事の方が話の種である。もっぱら重心はそちらに傾いていた。
は鼻に皺を寄せると頷く。
「徐庶の奴、本当に諸葛亮を押して立ち去ったんだ。信じられないよ」
「まぁまぁ、徐庶らしいっちゃあらしい話だが。いやしかし、あの孔明が劉備軍の軍師とはな。驚きと言うか、世も末と言うか」
「いや。あれで諸葛亮は出来る奴だからね。畑さえ与えられれば、あとはせっせと種をまいて花を咲かせるよ」
「相変わらず面白くなさそうな顔をするなぁ、は」
苦笑されて、ふんと鼻を鳴らした。
「気に入らないのは徐庶だよ。何のために命を張ったのか、さっぱり分からない」
まあ良くも悪くも、他人の為に己を賭ける事も良い所の一つなのかも知れないが、いかんせん認識している己が矮小故に、見返りを求めなさ過ぎる。
思い出すとまた腹立たしくなったが顔を険しくすると、その姿を見た友人は笑い飛ばした。
「いやいや、お前のそれは徐庶を気に入ってるよ」
言われて、は頭を掻きむしる。
気に入っている自覚はあるが、それを他者に指摘されるのは恥ずかしいもので、尻のすわり心地が悪くなったは、誤魔化すように息を吐いた。
「とにかく、ぼくは徐庶にちょっと手を貸しただけだからね。詳しい話は徐庶から聞いてよ」
「そうするか。じゃあ今晩飲もうぜ、」
「何でぼくまで」
「お前が来ないと、徐庶誘っても来ないからだよ」
「それは君たちが無理やり飲ませるからだろう。あの男は酒に弱いんだから。軽く飲ませればコロッと喋るだろうし、ぼくはいらないって」
「まぁそう言わずに、な?」
腕を引っ張られて、は心底嫌そうな顔をする。
まあ飲み事は嫌いじゃないし、彼らと呑むのも嫌いではない。
だが、大抵こういう門下生と言うのは働いている訳でもないから、小汚いか、どこかの坊ちゃまかの二択だし、
楽しいのは最初の内だけで、酔いが回るにつれて語るは、天下夢想の事やら、どこかに士官してちょっと出世した同じ門下生を羨んだり愚痴ったりばかりになる。
早めに切り上げていいのなら、と言おうとしたは、友人の視線がついと上を行くと同時に、腕を強く引かれて驚いた。
「わ!?」
見上げると、知らない男が立って居る。
の腕を取っていた。
状況が読めないの後ろで、男は不愉快気な顔で友人を見下ろす。
「おい、お前…。どういうつもりだ?」
「どういうつもりだ、って」
お兄さんこそ誰よ、と言う話だ。
が目を瞬かせていると、友人は口を開いたまま、訊ねる。
「お前の知り合いか? 」
「いや。全然知らない人。お兄さんこそ、人間違いしてない?」
訊ね返したに、男は呆気に取られたような顔をした。ついで顔を渋くすると、呟く。
「マジかよ。五年経ってるとはいえ、俺はすぐに分かったんですけどね。ひめ――」
五年の言葉に身体を浮かせたは、男の口を押えに掛かった。むぐ、と言葉を呑む男に、冷や汗を流しながら友人に首を巡らせる。
「し、知ってる人みたいだ」
「へぇ、お前、育ちが良い知り合いがいるんだな。ちょっと意外」
「まあね。悪い、今日の夜はやっぱり無理っぽい」
「しゃあないか。また今度な」
「うん、今度な」
引き攣った顔で手を振ったは、その姿が見えなくなると、ようやく呼吸を思い出したように息を吐いた。手を離すと、男を見上げる。
「で、誰」
「誰って、分かって無かったんですか。俺ですよ、子上。司馬子上です、姫さ」
「その呼び方止めて」
「じゃあなんてお呼びすれば?」
「」
「様」
「様もいらない。でいい」
「、ね。すんませんね、友達と一緒の所を邪魔して。どうにも柄が悪そうだったんで、絡まれてると思ったんだが」
「悪いのは見た目だけよ。中身はたいした事ないわ」
溜息と共に言って、はついと司馬昭を見上げた。見れば見る程知らない男で、は感心したような声を上げる。
「男の子の五年ってすごいのね。全然分からなかったわ、子上」
「まあそりゃぁ、五年も経ってますからね」
「それで? どうして荊州に? わたしが言うのもナンだけれど、危ないわよ」
「そりゃもちろん、ひめさ…じゃなかった、がここに居るらしいって話を聞きましてね。探し出したって訳です」
「先生と師匠から話が行った訳だ。あー、もしかして、何か色の白い男? こう、髪を後ろになでつけた。何日かちょろちょろしてたものね」
「気付いてたんですか」
「まーね。何して来る訳でもないから、様子見てたんだけど」
「あれ、賈充ですよ」
「マジで!? 全然分からなかった!」
目を剥いて驚くと、司馬昭は笑った。
「つー訳で、一端姫さ…じゃなかった、の家に戻りませんか? 馬を繋いでるんです」
「げ。目立つから止めてよ。ちょっと待って、戻る前に二三買いたいものがあるの」
「食糧だってなら、持って来ましたぜ。どうにもちんまいから、食べてねぇんじゃねぇかって、郭嘉殿たちからたんまり預けられました」
「たちって」
「そりゃ、郭嘉殿、夏候惇殿、夏侯淵殿ですよ」
「だよね。そっかぁ、じゃあ酒だけ買って帰ろう」
「……姫さんが、酒ですか?」
「だからそれ止めろ。次呼んだら、グーパンすっぞ」
シュッと右手を突き出すと、司馬昭は二三歩後退さった。両手を突き出して、そりゃ勘弁、と首を横に振る。
「ちんまいって言ったって、そりゃ師匠とか先生基準なだけでしょうに。一般的な大きさよ」
「ですね。まあ、足りない所は色々とありそうです…が!?」
躊躇わずに殴ると、司馬昭は腹を抑えたまま身体を折った。唸る司馬昭が、声を震わせる。
「…手が速いのは……、お変わりないようで」
「おかげさまでね。アンタの周りを基準にしちゃ、そりゃ足りなく見えるかも知れないけれど、一般的よ一般的」
言って、はツンとそっぽを向くと酒屋へ向かった。当然のように後ろをついて来る司馬昭は、が買った酒瓶を持ってくれる。
物珍しそうに辺りを物色しながら、へぇ、と相槌を打った。
「臥龍が劉備軍に入ったってのは本当だったんスね。ここにくりゃ、一目位は見れるモンかと思ってましたけど」
「臥龍?」
「何でも良く当たる易者だそうで。せっかくだから、俺でも占ってもらおうと思ってたんですが」
「女難の相が出てるわよ」
「は?」
「子上が言ってる、易者の臥龍ならわたしだもの。良かったわね、一目会えて」
「臥龍ってのは、諸葛亮では?」
「そうよ、諸葛亮。泳がしてる名前を勝手に使って遊んでたの。だから、名前を聞かれて臥龍と名乗った事はあっても、諸葛亮だと言った事は一度もないわ」
「そう言うの、屁理屈って言うんですよ、ひ…」
「屁理屈も理屈よ」
「だから性質が悪いって話でしょうに。全く、逃げて何やってんのかと思いきや、易者の真似事とは…理解出来ません。あそこにいりゃ、飯も服もあったってのに」
「ま、根っからのお坊ちゃま気質の貴方には理解出来ないでしょうね」
家につくと、繋いである馬は重そうな袋を四個下げていた。これで洛陽から来たのかと思うと、ちょっと馬を哀れに思う。
司馬昭は荷物を降ろすと、シレっとの家へ入って来た。
「こっちが食糧で、えーっとこっちが服だったけな?」
「服はいらない。悪いけど、持って帰って」
「ちょっと見ましたが、なかなかいいモンでしたよ」
「だからいらないの。この暮らしで高価な服着てる方がおかしいでしょ。それに、女物の服でしょ、どーせ」
「…と、言うかですね、姫さ…あ、いや、すみません。その髪、一体どうしたらそんなになるんですか」
「簡単よ。こう引っ張って、こう」
一直線にの手が髪をよぎるのを見て、司馬昭は顔を青くした。
「思い切り良すぎるでしょう」
「あとは、見かねた友達が切りそろえてくれるのよ」
意外と器用な徐庶は、毎度辟易しながらも髪を切り揃えてくれる。
が言うと、司馬昭は歯にものが挟まったような顔をした。
「それって、例の徐庶とか言う男じゃないでしょうね」
「そうだけど。何、そんな情報まで出回ってるの?」
「俺たち五人の間ですがね。姫さ…、が逃げる時に上手く俺らを使ってかく乱してくれたおかげで、世間話をする程度の間柄なんですよ」
「へえ、世間話ねぇ」
どんな世間話かは聞かない。
嫌そうな顔をしたが湯を沸かす後ろ姿を見ながら、司馬昭は背を壁に預けた。
「それで、その徐庶とか言う男をわざわざ助けに出て来たそうですが、まさか恋人って言うんじゃないでしょうね」
「恋人って言ったらどうすんの」
「どうするってそりゃぁ…」
司馬昭は一度口を噤む。何かを考えるような仕草で宙を見て、苦笑した。
「俺の立場からすれば、遠ざけるのが当然でしょうね。嫁入り前に男が付いたとなれば、曹操様に顔向けできません。めんどくさいが、俺は一応、アンタのお目付け役ですしね」
「義理とはいえ、自分の娘も見て分かんないような男が、今更怒ったりしないわよ」
「いやいや。その風貌で分かれと言う方が無理でしょう」
「そう? 先生だって、子上だって気付いたじゃない」
「郭嘉殿はさすがですよ。俺はまあ…色々あるんです。色々」
「ふぅん」
茶を煮たは、雑な手つきで湯呑みに注ぐと、司馬昭の前に押し出す。
「日頃飲んでる茶よりは間違いなくマズイと思うけど、どーぞ」
「確実にマズイでしょうが、いただきます」
司馬昭は湯呑みに口付けると、舌を出した。
「思った以上にマズイ」
「残していいわよ」
「いえいえ。ちゃんと頂きます」
律儀に飲んでは不味そうな顔をする司馬昭を見ながら、も湯呑みに口をつける。日頃酒と白湯ばかり飲んでいるので、茶など淹れたのは久し振りだ。確かにマズイ。
余計な事は言わないでおこうと、茶と共に飲み込むを、司馬昭は横眼で見た。
「そうなるってわかってて、助けに来るくらいの仲って事ですか」
「…まだその話?」
「そりゃそうなりますよ。こんだけ上手い事隠れて置きながら、わざわざ殿の前に出て来るなんて、アンタらしくもない」
「ご想像にお任せするわ」
ずず、と茶を啜る。
まああの場に郭嘉が居て、男装を見破られた時点である程度こうなる事は覚悟していたが、それでもこの場を離れなかっただ。
自分でも常々どうかしていると思う。司馬昭がそこら辺を指している事も分かっているので、は椅子に腰かけると、机に肘をついて、頬杖をついた。
「一応言っておきますが、俺と一緒に戻る気はありますか?」
「ある訳ないでしょ」
「戻っておいた方がいいと思いますけどね」
司馬昭は言いながら、後ろ頭を掻いた。
「少なくとも、徐庶とか言う男を突けば姫さんが出て来る事はバレた訳だ。俺がここで素直に帰ったとしても、第二第三の手が出て来ると思いますよ。下手すりゃ、もう動き出してる可能性がある」
「例えわたしが娘だと知らされたとしても、お父様がそこまで固執するとは思えないけど」
「そっちのお父様はね。俺が話してるのは、三人の父親の事ですよ。久しぶりに話をしたが、アンタの事となるとまるで馬鹿親だ」
曹操の気まぐれで養女になったは、城に入ったら満足されたのか、見向きもされなくなった。
その為好きに城中を歩き回り、郭嘉を勉学の師に、夏候惇と夏侯淵を武術の師として学ばせて貰ったのだが、確かに目に入れても痛くない勢いで可愛がられていた自覚はある。
三人の父親と言うのもあながち間違った言葉ではないので、は首を傾げた。
「まあそりゃあそうかも知れないけれど。今更姫様が見つかってもねぇ」
しかも、野で生活していたような姫だ。姫としての商品価値はことごとく低い。
むしろそのまま居なくなっていてくれと言う、城の重鎮たちの声が聞こえて来るようだ。そもそもが、居場所など無かったのだから。
「それくらいで済めばいいんですけどね」
しみじみと言ったに対して、司馬昭の言葉にはどこか含みがある。訝しげな顔で見ていると、司馬昭は机に湯呑みを置いた。
真剣な瞳に射抜かれて、はたじろぐ。
「な、何?」
「姫さんがそのままとして生活されるってなら、俺にも考えがあります」
「考え?」
「姫様じゃさすがに手は出せなかったが、一個人ってなるなら話は別だ。俺は、アンタを嫁として魏に連れ帰る」
「はぁ!?」
「そうしたら、郭嘉殿たちも満足する。一石二鳥じゃないですか」
「どこが一石二鳥よ、わたしの意志なんてどこにもないじゃない! わたしはね、見どころのある男に嫁いで、出世の手伝いをするのが夢なの! 親が地位を持ってる男になんて、興味ないわ」
「へぇ、なら得意の易で見て下さいよ。俺が七光りに埋もれる男ってなら、考えます」
普段はのらりくらりとしている癖に、時折こうして妙に自信家になる所は変わらない。あの父親と兄と同じ血が流れていると思わざる得ない。
は唇を噛む。
悔しいが、この男はまだ未知数とはいえ、何か大きな物を持っている。下手すりゃ、天下すら動かしかねない何かを。
鼻たれ小僧の面を見ていた頃からは想像もしなかった人相に、は繕えばいいのに、繕う言葉すら出て来なかった。
にんまりと笑った司馬昭が、ずいと顔を近づけて来る。
「欲しかったアンタが手に入るってなら、俺は本気を出してもいい。出世だろうが何だろうが、してやりますよ」
「オモチャは親にねだりなさい」
「オモチャでおさまるような器なら苦労してませんって。今までどんだけ探し回ったと思ってるんですか」
あからさまにため息をついた司馬昭は、やれやれと言わんばかりに首を振った。面を食らったは、ぽかんと口を開く。
「探してたの? わたしを」
「そりゃ探すでしょ。俺はアンタのお目付け役ですし…それに、初恋の人だ」
「初恋!?」
「ま、アンタの初恋相手は郭嘉殿ですがね」
よく御存じで、とは言えない。
積もり積もった想いを、訊かれてもないのに延々と聞かせ続けたのはだ。
賈充はそこら辺が上手で毎度雲隠れしていたが、馬鹿正直な司馬昭はいつも付き合って聞いてくれていた。
思い返すように瞳を遠くしたは、我に返って司馬昭を見る。
「まかり間違ってそうだとしても。次男とはいえ、司馬家の者よ? それなりの娘がそのうち来るわ。後ろ暗い過去しかない女なんて、絶対駄目よ。駄目」
とにかく駄目。
そう言ったを、司馬昭は半眼で見下ろした。
「どうしても?」
「どうしても」
「なら、既成事実ってのはどうです? ガキでも作れば、アンタを囲う理由にはなる。第二婦人を貰わなきゃ、正式は無理だとしてもアンタが妻だ。それくらいなら俺にも出来る」
「ふ、ざ、け、ん、な!」
司馬昭の伸ばして来た手を、は掴んだ。机越しに押し問答になる。
何故手を出さないのかと徐庶には腹を立てたが、手を出そうとされればされたで腹立たしいものである。
は奥歯を噛むと、ありったけの力で押し返したが、相手は幼馴染から野郎に成長していた。あの頃なら軽々と弾けたのに、それが出来ない。
段々と押し負けて、は最終手段に討って出た。頭を引くと、思い切り頭突きする。
「いって!」
「わたしを嫁になんて百年早いのよ!」
高らかに笑うと同時に、玄関の扉が開いた。
常に鍵をかけていない事を知っている事を知っているのは徐庶だけである。
驚いたの目に、開いた扉の先に居る徐庶はもっと驚いた顔をした。
「徐庶!?」
「あ、嫌…君の友達が尋ねて来たと聞いたから、心配で来たんだけれど…、いらない心配だった…かな」
「これの何処を見たらいらない心配だと思う訳!? さっさとこの狼を追い出して!」
「え、いや、」
言うが早い。は徐庶の手助けを待つ間もなく、椅子の上に乗ると、司馬昭の顔面目掛けて蹴りかかった。
「うわ!? 足まで出るようになったんですか!?」
「そうよ! これに懲りたら、二度と手を出そうなんて思わない事ね!」
「分かりました、分かりましたから! 落ち着きましょう、ひめ…」
「だっつってんだろ!」
「分かった、、とりあえず落ち着け!」
馬を宥めるように手を動かされて、はようやく止まった。投げようとしていた湯呑みを置いて、低く唸る。
「……とりあえず、今日の所は帰ります」
「もう来なくていい」
「そう言う訳には行きません」
「だとしても家には入れない」
「それまあ、ある意味賢いかもしれませんが」
いけしゃぁしゃぁと言って、司馬昭は抵抗しない事を表明するように両手を挙げたまま、玄関へとにじり寄っていく。
そうして玄関先に居る徐庶と目が合うと、へぇ、と言いながら目を細くした。
「アンタが徐庶、ね」
「君は…えっと」
「司馬子上」
「わ、こら、馬鹿子上!」
「忘れて貰って構わないが、アンタの為には覚えておいた方がいいかも、な」
そのままするりと徐庶の脇を抜けて、司馬昭は木に繋いでいた馬を解くと、軽やかに跨る。
は服の入った袋を持って追いかけた。
「ちょ、これ持って帰ってってば!」
「持って帰ったら俺が怒られますって。着ろとまでは言いませんが、取っといて下さいよ」
「もう!」
鞭を打った馬が地を蹴って走り出す。
小さくなっていく背中を睨んだは、地団駄を踏むと、徐庶を見上げた。
「どこから聞いた?」
「えっと、嫁に貰うのは百年早い辺りから…かな」
「なら良いわ。お茶淹れてるけど、呑む?」
憮然とした態のまま聞いたに、徐庶は瞬いた。そうしてゆっくりと首を振る。
「嫌、君の淹れたお茶は怖いから、白湯を貰うよ」
「…なんかムカつく」