ドリーム小説
ぱちぱち、と火花が散る。
焚火に片手をあてつつ、もう片方の手で器用に本を読んでいるは、無造作に地面の上に置いた猪口を持ち上げると、くいと酒を呑んだ。
「そろそろかな」
転がしている木の枝を、焚火の中に突っ込む。
ごそごそと動かすと、焦げた芋が転がり出て来た。
「お、いい焼け具合。そんな所で突っ立ってないで、こっち来て一緒食べようよ、徐庶」
首を巡らせると、少し先で様子を見るように立って居た徐庶が身体を浮かした。
「えっと、いつから気付いてたんだい?」
「十分くらい前?」
「気付かない振りが長いな」
「嫌々、黙って見てる時間が長すぎでしょ」
徐庶じゃなければ叫ぶか逃げるかしてるわ、と言うと、徐庶は苦笑した。
しゃがんだ徐庶の前に芋を転がすと、は再び焚火の中で眠っている芋を探し出す。
黙々と木の枝を動かすを見る徐庶が、何を言う気も無さそうな事を悟ると、横眼で見たは眉間に皺を寄せた。
「それで?」
「え?」
「何、さよならでも言いに来た訳?」
ぶっきらぼうに言うと、徐庶は面を食らったような顔をする。
二度三度と瞬いた徐庶に、は重く息を吐いた。
「どーせ、新野に逃げた劉備を助けに行くつもりなんでしょ」
「…さすがに耳が速いな、臥龍は」
「龍姫じゃなかったの?」
「龍姫は気に入らなかったんだろう」
「うん」
頷き、芋を発掘したは、枝を投げ捨てると猪口を取った。舐めるように酒を呑むと、ページを捲る。
「気に入ってはない」
「まあ、酒を飲みながら本を読む姿は…確かに姫とは程遠いかも知れないな」
「程遠いからいいのよ」
笑ったは、文を追うように目線を上下させながら、言葉を続けた。
「それで、魏軍はどう展開してるの?」
「八門金鎖の陣」
「率いてるのは?」
「曹仁」
「曹仁ねぇー」
言って、は肩を竦める。
「確かに八門金鎖は守りとしては鉄壁だけど…、曹仁に扱えるとは思えないな。ま、だとしても、知略に乏しい劉備軍が八門金鎖を抜け出る方が難しいでしょうね」
「ああ。劉備殿は、亡くすには惜しい男だ」
「八門金鎖を抜け出る手腕を見せて、軍師で雇ってもらうとか?」
期待を込めた瞳を向けたは、徐庶が力なく笑うのを見て、スッと表情を消した。ふーんと、低く相槌を打つ。
「そのまま諸葛亮のトコに案内する気な訳ね。どこまでお人よしなんだか」
芋に手を伸ばすと、まだ熱かった。引っ込めた手を振りながら、は下唇を突き出す。
「中途半端に手ぇ出すと、ロクな事にならないわよ。きっと」
「だからって見ぬ振りは出来ないよ」
「このご時世、曹操に手ぇ出して、無事で済むと思ってんの? 曹魏に勝てるなんて思ってる馬鹿は、諸葛亮だけで十分だっての」
奇人変人が服を着て歩いている男、諸葛孔明は、日々天下を取る妄想にせっせと勤しんでいた。
今は所帯を持った事だし、少しは落ち着いてくれているようだが、この奇人変人にはそれに見合うだけの才もあり知もある。
いざ劉備の元で軍師となったならば、本当に曹魏を相手にして見せるだろう。
つらつらとが考えている傍らで、徐庶はうん、と頷いた。
「劉備殿を天下に導けるのは、孔明だけだ」
「曹魏を相手に出来るのと、天下を取れるのは別の話よ、徐庶」
「君には適わないな。だけれど、俺なんかよりはずっと…孔明の方が、見合う才がある」
「ふぅん」
鼻を鳴らすように言ったは、付け加えた。
「その弱気が、空回りしない事を祈るわ」
本を閉じたは、徐庶を見る。男にしては長いまつげ。丹精な顔立ちをしている割に、どこか気の弱さを伺わせる面構え。眺めるように見たは、息を吐いた。
「好きにすれば。別に、わたしにお伺いを立てに来た訳じゃないんでしょう?」
それに、と皮肉気に口端を持ち上げる。
「ついて来て欲しい、なんて殊勝な事言いに来たって顔でもないしね」
徐庶は僅かに目を見張った。その頬がほんのりと朱に染まり、逃げるように視線を降ろす。
「ついて来て欲しいなんて、言えないよ。君を巻き込む訳にはいかない。俺なんかじゃ、劉備殿を守るのにだって十分出来るかどうか」
「はいはい。ご挨拶をごちそうさま」
手を打ったは、徐庶の前に転がる芋を掴むと、半ば強引に押し付けた。
「餞別。喰うに困った時にでもどうぞ」
「ありがとう。その、…」
「何」
「……いや、なんでもない。君の願いと言うか…野望が叶う事を祈ってるよ」
立ち上がった徐庶は、いささかスッキリした面持ちでを見た。それじゃあ、と背を向けて去って行く。
その背を恨みがましい目で見たは、芋を握ると、真っ二つに折った。
「マジでムカつくわ。そもそもなんで戦に出る前から弱気なんだっつの」
大口を開けて噛む。熱さに涙目になりながら、それでも顎を動かした。
「だいたい、さよならの一つでも言おうと思う位殊勝な仲だって言うなら、手の一つや二つでも出しとけっつーに!」
そこが徐庶。そこが徐庶なのだ。分かっているけれど、腹立たしい。
どれだけ自分を卑下すれば気が済むのか。
そりゃ諸葛亮には及ばないかも知れないが、彼にだって才はある。
ましてや、ついて来て欲しいの一言を言ってくれれば、の才だって足して、諸葛亮を目指す事だって出来るのに。
はイーッと歯を剥き出しにした。
「ああもう、ムカつく。あんな男忘れてやる。別に徐庶は顔が好みだっただけで、探せば他に男はザッと見積もっても35億は居る訳だし!?」
居るか知らないけど。
梅干しのような顔をしたは、むしゃくしゃと動かしていた手を止めた。
肩を落とす。
「いや、何を考えているの。絶対駄目だよ、そんな事。徐庶は忘れて次に行く、それが一番な訳だし」
関わると、徐庶以上にロクな事にならない気がする。
そう分かっていながらも、頭は別の事を考えていた。
「曹仁が八門金鎖の陣を退いて、劉備を討とうとしている。そこに徐庶が手を貸して、八門金鎖の陣を破ろうする。
曹操にとって劉備がどれくらいの男かによっては、追撃部隊が来る可能性は十分にあるわね」
追撃部隊。
呟いたは、枝を握ると、ぐるぐると地面に丸を描いた。
「誰が援軍に来るのかしら。それによっちゃあ、いくら徐庶が居て八門金鎖を破れたとしても、劉備軍が武勇には優れているとは言っても、厳しいんじゃあ…」
徐庶が斬られたりして。
そう思ったは、ついと家の中を見た。
その目をすぐに焚火に戻し、首を振る。
「いやいやいやいや、ないないない。徐庶の為に危ない橋を渡る謂れは全くない! わたしが助けに動いたとしても、あの弱気じゃあたかが知れてる訳だし…!」
そう、もうちょっと意気地があってくれればこちらも張り合いがあるのだけれど。
「はぁ――――ぁ」
長くため息をついたは、力なく首を横に振った。
「あれから五年かあ…。連れ戻されたら、結婚させられんのかなあ。諦めて好きにさせてくれたりは…しないよね」
枝で地面を突く。
「まあもうアレだな。結婚しろって言われたら、先生に嫁がせて貰おう。あの頃は相手にされなかったけれど、わたしももう妙齢だし、押したらイケる気がする。先生なら、あの親父も頷くかも知れないし」
もう一つため息。
は立ち上がると、枝を焚火に投げ入れた。
「くそ、徐庶め。挨拶なんて来なきゃ、どこで討たれようと知ったこっちゃなかったのに」
悪態つきながら、は家の中へ入って行く。
挨拶に来なきゃ来ないで怒り狂って追いかけていたような気がしなくもないが、それはそれと棚に上げて、は立てかけている弓を背負って剣を取った。
どうぞ、どうか、と宙に向かって声をあげる。
「徐庶が思ったより粘ってて、わたしの手なんて必要ありませんように!」
後ろ手に縛られた徐庶は、喉元に突き付けられた剣が興味を失くしたように逸れるのを、呆然と見ている。
「せいぜい小役人程度、か」
開きかけた口から、言葉が出て来ない。
ふざけるな、そう言ってやりたいのに、詰まったまま出て来ない自分が腹立たしくて、両手が使えるのなら自分自身殴ってやりたいと思った。
もしも彼女がここに居たならば、徐庶を殴ってくれたかもしれない。
どうしてそう弱気な事ばかり並べる事が出来るのだと、まるで自分のように腹を立てたかもしれない。
思い返すと、なんだかこんな時だと言うのに笑えて来て、徐庶は口端を緩めた。
(やっぱり、付いて来て貰うべきだったかも知れないな)
なんて思ったと知れば、絶対に怒り狂った事だろうけれど。
徐庶が目を伏せた時、「孟徳!」と言う、切羽詰まった夏候惇の声が聞こえた。甲高い音が響く。
瞼を開くと、曹操の手から剣が零れ落ちていた。その傍には矢が転がっていて、夏候惇たちが睨む先をつられて見た徐庶は、目を見開く。
「」
「勝手に諦めないでくれる!?」
燃えるような目で睨まれて、徐庶は息を呑んだ。
「アンタの価値はわた…じゃなかった。ぼくが決めたんだ。自分の価値も正しく見いだせない君が、勝手に決めないでくれ」
唸る様に言ったの矢尻は、真っ直ぐと曹操と眉間に定められており、じりじりと徐庶に向かってにじり寄ってはいるが、手元は全くぶれていない。
「その男の縄を解いて。じゃなきゃ、射るよ」
「…お前は…」
曹操が声を上げる。
緊張している面持ちのが固唾を呑んで、曹操は笑った。
「蜀の兵では無さそうだな。童、この男を助けに来たか」
ひと時の間。
は呆気に取られたような顔をして、真顔になると、口端を針で引っかけるようにして笑った。その笑みは、彼女を良く知る徐庶ですら、本当に機嫌が悪い時に一二度見たくらいのものである。
「そう言う事です。徐庶を離して貰えますかね」
声を低くするに、曹仁、夏候惇、賈ク、張コウが獲物を手に間合いを詰めた。
緊迫した空気の中、郭嘉がのんびりと声を上げる。
「曹操殿、そう殺気立たずとも」
つい、とを見る瞳が、悪戯子のように細くなった。
「元気そうだね」
「せんせ…じゃなかった。郭嘉殿も、息災で何よりです」
「郭嘉、知り合いか?」
「知り合いかも何も、夏候惇殿、貴方だってよく…」
「うああああああ! そこから先は出来れば止めて下さいぃぃぃ!」
悲鳴のような声をあげて、がおののく。
その隙に飛び出した賈クが獲物を振り上げるのを見て、あ、と郭嘉は声を上げた。
「賈ク殿、止めた方が…」
間合いを詰めた賈ク。その武器がに振り降ろされるよりも先に、弾け飛んだ。の矢だ。的確に賈クの獲物を弾いたのち、懐から抜き取った剣が、賈クの喉元で光る。
「ほう」
「だから止した方が良いと言ったのに」
呆れたように笑う郭嘉の隣で、夏候惇が地を蹴った。剣を構える。の剣と夏候惇の剣が交差して、圧倒的に力の差があるは、流れるように夏候惇の剣を払った。その動きに夏候惇が目を見張る。
「お前、その動きは…」
何かを言おうとした夏候惇の口を、懐に潜り込んだは抑えた。
「勘弁してください。師匠」
小さい声でそう言って、はするりと懐から抜け出す。そのまま全力ダッシュで徐庶の元へ駆けると、縄を引っ張った。
「ホラ、さっさと立つ!」
「わ、ちょ、…!」
「伝令! 劉備軍が八門金鎖の陣に再び侵入! 動いている様子です!」
「殿、奴らこの陣を手中で動かすつもりかと」
曹仁の声に、曹操は頷いた。
「だな。この陣が動きだしては我らが籠の鳥となる。一度退くか」
そうと決めた曹操は早い。サッとマントを翻すと、手近な門を潜って走り出す。そのあとに曹仁、張コウ、賈クと続き、何か言いたげな夏候惇が去ると、最後に残った郭嘉がひらりと手を振った。
思わず手を振りかえしたは、その姿が見えなくなると、腹の底から息を吐く。
「最悪だ」
そのあと、ぽつりと付け足す。
「先生は相変わらず麗しかったけど」
「、君は一体…」
「聞かないでくれると有り難い」
言うと、徐庶は押し黙った。しばしのあと、頷く。
「分かったよ」
「…んもう! だから何でそこで引き下がるかなぁ!?」
理不尽とは思いつつ、徐庶の背中を叩いて、は憮然とした態で徐庶の縄を解きにかかった。
「君が聞くなって言ったんだろう」
「挨拶みたいなものでしょ。女はね、それでも聞きたいの一言が欲しいのよ」
「善処するよ。ところで、八門金鎖の陣が動き出したって言うのは…」
「もちろん諸葛亮よ。劉備でも曹操でもなく、結局わたしが尻蹴っ飛ばして屋敷から出してやったわ」
「…全く、君と言う人は…」
驚きを通り越して笑い出した徐庶は、苦笑したまま呟いた。
「適わないよ、本当に」
「そう思うなら、もうちょっと張り合いを持ってくれる!? 危険を承知で助けに来たって言うのに、小役人なんて言われて黙ってないでよね」
縄を解くと、はおまけと言わんばかりにもう一度徐庶の背中を叩いた。
「妥当な評価だと思うけれどな」
「言ってろ」
投げやるように言ったが、弓を背負う。ふんとそっぽを向いて歩き出したの背に、徐庶は声を掛けた。
「」
「何!?」
「君に見える俺の価値は…どんなかな」
問うた途端に、言わなければ良かったと徐庶は思った。
俯いた徐庶を、は横眼で見る。そうしてニヤリと笑った。
「内緒。ま、助けに来るくらいの価値はあるんじゃない」
勝手に価値を決めるなと叫んだの顔が過って、徐庶は口元を覆うと、手の中で、唇を緩めるようにして笑う。
「そうか」
そうして、憤った背中に聞こえないような声で呟いた。
「君が居てくれて、良かったよ。」