ドリーム小説



彼の諭すような
それでいて穏やかな声が好きだった。

ほんと恥ずかしい。
聞き耳をたてていただけなのに、今だって、すぐ傍で聞いていたように思えてしまう。
常に正しくあろうとする、彼の言葉のひとつひとつ。数えながらわたしは分かるような顔を繕っていた。

彼が好きだった。
だから私も彼の真似をして、正しい事がしたかったのだろうと思う。






「本当にそれでいいのか? 
「話を持って来たのは夜蛾先生じゃないですか。……でも正直、呪術師やるよりは向いてるかなーなんて」

引き止めて貰えると期待していたわけではないけれど、想像通りの反応過ぎてつい不機嫌な声になってしまう。

呪術師の才能があるなんて言われて、夢を見れたのは一瞬だけ。
入学すればすぐに、自分は一般ピープルにちょっと毛が生えている位だと自覚した。
って言うか他三人が才能マン過ぎた。

「そうか」

だから自分の能力が呪霊を払うよりも巫女向きで、政府直々に審神者なる職業へのスカウトが来ていると聞いた時、どこか息がしやすくなったのを覚えている。

当時の私は、どちらかと言うと好きな人に会えなくなる事に頭を悩ませた青春野郎だった。

だけど青春野郎だったが故に、例え何十年会えなくても、彼の事を好きでいられるような気がしていたのである。
むしろ彼に見合う努力が出来る自分を誇らしくも思えた。
そんな恋という熱に浮かされた、なんの根拠もない自信をたったひとつだけ持って――呪術高専を休学したのがおおよそ百年くらい前。




想像していたよりもずっと長い時間を審神者として過ごして力を使い果たした今。

青春時代へと出戻って来たは、青臭かった頃の自分に常に銃口を突き付けられているような気分である。


「……硝子。何かな? この手は」
「熱でもあるのかなーって」
「…至って元気ですけど…。…いや皆まで言わないで!! 大丈夫!! 自分で分かってるから!!」

以前のは好きな人を見るだけで動機息切れ眩暈をおこし、挨拶はおろか、目を合わせる事すらできなかった。
その癖すれ違ったあとに振り返って、ぼんやりと後ろ姿を眺めるしまつ――恋とは病。

(どちらかと言うと硝子は「え? 夏油が好きなの? ウケる。目の病気?」ってノリだったけど)

そんなだってさすがに百年も生きていれば大人になる。それなりに死地を潜り抜けて、ポーカーフェイスだって覚えたりもする。

つまりは
「おはよう。五条くん、夏油くん」
くらい言えるようになるのだ。

驚愕の目をしていた五条と夏油を思い返して、

(いやいやいやいやあれ絶対わたしが夏油くんの事好きなのバレてるよね。めちゃくちゃ恥ずかしんですけどっっっ!!!)

は絶望した。

(みんな…やっぱりこの時間に戻って来たのは間違いだったかもしれない)

審神者を百年続けた人間は数えるほどしかいない。
そんな賞賛を受けながら引退せざる得なかったがこの時間に戻ってくる事は、政府内からも反対意見が上がった。が、それ以上に刀たちが反対した。
昔のならともかく、今のにとってこの場所にいるのは危険すぎる。
とは言え他に帰る場所もなく。




高専からは出ないと約束をさせられて、政府からの多大なる支援を受けた第二の人生は、過去に悩まされながらもおおむね順調だ。
「硝子、自販機行って来るけど何かいる?」
「珈琲」
「ブラックな、了解」

「私も行こうかな」


どこか様子のおかしい夏油を除いては。


「いいよ。いるものあるなら、ついでにわたしが買ってくるよ」
「じゃあ俺、いちごオレ。お前の奢りな」
「お、おう? ……まあいいけど」

「悟。女の子を使いっぱしりにするもんじゃないよ」

いや、この際使いっぱしりのほうがまだマシだ、
とも言えず、どうしたらいいか分からないまま歩くを、ニコニコ顔の夏油が眺めるという不思議な構図が出来上がる。

以前は一日一回会話が出来ればラッキーだったのに、一体何が起こっているのか。

「あのさ、夏油くん」
「ん? 何だい」

あまりの気まずさに口を開いたあとで、言葉を探す事になってしまった。

「女の子扱いして貰えるのは嬉しいけど…その、女の子以前に数少ない同級生なんだし、あんまり気を使ってくれなくて大丈夫だよ。使いっ走りくらいできるし、実際、一番下っ端みたいなものだし」
言って、ギョッとした。
なんだか絵にかいたように悲しそうな顔をされている。

「あんまり自分を卑下しない方がいい」
「いや、卑下というか事実というか………」

(夏油くんって、こんな人だったかな)

ごにょごにょ言い淀んだあと、あの頃、幾度となく感じていた言葉を思い出した。
「ありがとう。優しいね、夏油くんは」
思い切って付け加えてみると、彼は鳩が豆鉄砲を食ったようにパチパチ目を動かす。


心配を通り越したみたいに怪訝な顔をした。


、大丈夫かい? やっぱりどこか具合でも悪いんじゃ」
「なんで?」
「ちょっと前の君は…何て言うか私を前にすると、すごく緊張していたように見えたから」
「………」
「……………それもちょっと前というか、数日前というか」
夏油が言葉を選んでいる。割といつも自信満々な人がこんなに言い淀むなんて。

(そうだよなあ)

夏油や五条、硝子がたった一晩過ごす間に、は百年近くの時間を過ごしてしまった。そうかな、で片づけるにはあまりに長い時間だ。
想像していたよりもずっと楽しくて、穏やかで、幸せで。


「ごめんね、今まで。気を遣わせてたよね」
思い出すだけで心が温かくなる時間。
夏油を前にしているとは思えないくらい穏やかに笑っている自分に、自分で驚いた。
「でもこれからは大丈夫、普通に過ごすから。夏油くんも…その……気付いてくれていたことは、一端忘れてもらえると有難いです」

にとって恋とは、ショーウインドーで洋服を見ているようなものだった。
けれど案外歳を取るにつれて、眺めているだけも楽しいと知ってしまう。
こういう物は手にとってしまったら、次はきっと、自分に似合うのかどうかで不安になるのだ。



「夏油くんは何を飲む? わたしはね、最近出たミルクティーの無糖を探してるんだけど、なかなか自販機に入らなくて」
あからさまだけど、不自然じゃない程度に話題を変えて、は自販機へ向かう足を早めた。
けれど夏油は黙ったまま。
付いて来ているような足音もなくて、振り返ってしまう。


その時の夏油の顔を、なんと表したらいいのだろう。
とにかく見た事もないような熱が、彼の瞳から向けられていた。


「忘れるのは勿体ない」
「え?」
「君からの視線がなくなってしまうのは、寂しい」

なんだかいつもと雰囲気が違う。カラカラに喉が乾いているところに水を差し出されたような。何日もご飯を食べていない所にごちそうがならんだような。
そんな恍惚とした熱が、の頭の上からつま先までを走っていく。

「…夏油くん?」
「それに君からは……すごく甘い匂いがする」

大きな手が伸びてくる。
視線が絡みついたみたいに、足が動かない。

状況に理解が追いつかないまま、だんだん近づいてくる夏油の指先が優しく頬を掠めたとき、バチンと静電気が流れるような痛みが走った。
びっくりしたと、虚を突かれたような夏油が顔を見合わせる。

ほぼ同時に右の太ももがカッと熱を持つのが分かって、遅れて何が起こったのか理解したはつい、口から滑り出てしまった――「薬研?」


「え?」
首を傾げた夏油は、いつもの見知った人。
反射的にはぶんぶん首を横に振る。


「みんな飲み物待ってるだろうし、早く戻ろう!!」


ちょっと躊躇したけれど、思い切って夏油の袖を摘まんでみた。引っ張るようにして歩き出す。
大きな図体をしている割に意外とすんなり付いてくる夏油だが、振り返ったら、熱っぽい表情に戻っているんじゃないかと思うと怖くて。


(今のは、一体…)


最後まで夏油を振り返れないまま。
は自販機まで、足だけを黙々と動かしたのであった。