ドリーム小説
「副長オオオ!」
野太い声が襖の奥から聞こえて来て、は洗濯物を持って歩いていた足を止めた。
大抵賑やかな屯所だが、今日は一段と輪をかけて賑やかだ。
好奇心に負けてつい聞き耳を立ててしまった事を、はすぐに後悔する事となる。
「局長が女に振られたうえ、女を賭けた戦いで汚い手を使われ負けたってホントかァァア!」
「女にフラれるのはいつもの事だが、喧嘩に負けたって信じられねーよ!」
「銀髪の侍ってのは何者なんだよ!」
の心臓がとくんと音を立てた。
近藤相手に勝ってみせる銀髪の侍など、1人しか居ない。
ましてや堂々と卑怯な手を使う銀髪男など、ニヤついた奴の顔しか浮かばなかった。
ごちゃごちゃと騒いでいる室内に、何かが弾け飛ぶ音が聞こえる。
動くことを忘れて呆けていると、後ろから明るく声を掛けられた。
「よオー、ちゃん」
首を巡らせたは、しらずしらずの間に表情が強張る。
困った顔をしたいのか、笑ってしまいたいのか、その湿布を貼った頬を前にして自分でも分からない。
話の渦中にいる近藤は、そんな話とは露とも知らず、能天気にも襖を開いた。
「よーし、じゃあみんな、今日も元気に市中見回りに行こうか」
室内が静かになる。
代わりに時間を取り戻したが動こうとする前に、部屋の中に居た沖田と目があった。
わちゃわちゃとした部屋の中で、沖田だけが近藤の背後に居るに気がついている。
目が合う。
途端に背筋がヒヤリとして、は足早に一歩を踏み出した。早く引き上げるに限る。一目さに歩を進めていると、
「なんでェ」
後ろから聞きたくない声が追いかけてきた。
「酷い顔でさァ。昔の男でも思い出したのかィ」
「セクハラですか、沖田さん。訴えたら勝てますよ」
「へェ、そりゃあ楽しみでさァ」
余裕綽々な声を睨むと、存外全く楽しそうでは無い沖田と目があった。
虚を突かれる。
「…」
「……あの、沖田さん」
思い返したくはないけれど、思い返せば先日の再会劇でうっかり銀時の名前を呼びそうになったの声をかき消したのは沖田のバズーカ音。
あれがなければが銀時の知り合いだという事以上に、下手すれば桂と顔見知りな事も露見していた可能性がある。
まさかとは思うが、飲んでうっかり素性を話していたりしまいか。
訝しんだ瞳を向けられた沖田は、へらりと人の悪い笑みを浮かべた。
「今日はそうごくんじゃ無いんですかィ?」
「うあああ!」
真選組は規律に厳しい。
毎回泥酔状態で会っているとはいえ、一番隊隊長、沖田総悟と飲み友達だなんて事がバレれば、痛くもない腹を探られて、尻尾切りにあうのは間違いなく女中のである。
分かっているくせにそれを言う沖田に、全身全霊で悲鳴をあげると、部屋の中から土方が顔を覗かせた。
「何してやがる、総悟」
「何でもねェでさァ。ゴキブリが出たって騒いでたんでェ」
プィとそっぽを向いて沖田が去っていく。
その後ろ背を見送ったは、なんとも調子の出ない一日を送る羽目となった。
頭の片隅には、銀時が近藤と争ったという女の見えない影がちらつくし、沖田に攘夷浪士であったことがバレているかもしれないと思うと気が気でない。
仕事が手につかなくなって、切れた副長のマヨネーズを買い足しに出たものの、財布を忘れていると来たものだ。戻るのも情けなくて辺りを散歩していると、頭上から瓦が割れるような激しい音がした。
見上げると、見慣れた銀髪が肩を抑えている。
ポカンとなったは、呼ばなきゃいいのに、うっかり小声で名前を呼んでしまった。
「…銀時?」
しまった、と口を抑える。
そのまま抜き足差し足と、横歩きでその場を去ろうとしたは、風を切るような速さで首を巡らせた銀時と面を付き合わせた。
「ゲッ!」
「おま…っ!」
逃げるに限る。
猛ダッシュのスタートを切ろうとしたの背に、銀時の慌てた声が掛かった。
「待て…、ひ…じゃねぇ! ああもう、まどろっこしいな!なんつー面倒なところで働いてるんだ、テメェはよォオ!」
「わたしの勝手でしょ…! って、アンタまさか…!」
の名前を呼べない相手が近くにいるという事を咄嗟に悟ったは、逃げ腰になる。その姿に、届きもしないのに銀時は手を伸ばした。
痛みに顔を歪める。
その肩に一文字の傷が見えて、がたじろいでいると、ダメ元と言わんばかりに銀時は念を押した。
「待てって! ああもう! いいか、そこ動くなよ!」
背中を向けた銀時が見えなくなる。
今の内に逃げるかどうかを悩んでいると、
「うらァァア!」
聞き慣れた土方の声に、刀と刀がぶつかり合う音。
「おい、ハゲェ!俺ちょっと病院行ってくるわ!」
銀時の大声が聞こえてくる。
銀時が屋根から顔を覗かせた。
満足そうな顔をすると、梯子をつたっておりてくる。隣に立つなり乱暴にの髪を撫ぜた銀時はニヤニヤと笑った。
「…何よ」
「いやあ? 今度は感心に逃げなかったなと思ってな」
「逃げる間がなかったのよ」
「逃げ上手な女の台詞とは思えねーな」
「逃げられ上手な男の負け惜しみにしか聞こえないわ」
「ホント、可愛くねー奴」
「どうもありがとう」
じゃあ、と切り出した腕を掴まれる。眉間に皺を寄せたは、心底嫌そうな顔で銀時を見た。
「まだ何かある?」
「オメーの上司にやられたんだ。病院くらい付き合えよ」
「やーよ。別にわたしの上司なわけじゃないし、って、こら、腕を引っ張らないでよ。それが肩切られた男の力かっての! 元気じゃん!」
「これのどこが元気そうに見えるんだよ。身体も心もボロボロだっつーの。誰かさんのおかげでな」
「そのまま朽ちとけ」
悪態つく間にも病院へ引きづられて行ったは、診察室まで付き合わされ、まるで家族のような顔をして銀時の傷の具合を聞く羽目になった。
いざ会計になると、銀時の待ち合わせじゃ足りないわ、どうやらあてにしていたらしいは財布を持ってないわで、揉めに揉めてようやく後日払いまでこぎつけた。
無駄な体力を使わされたは、疲れているのをいい事に有無を言わさず万屋へと連れていかされ、すっからかんの冷蔵庫にある、なけなしの食材で料理を作らされている。
フライパンを振りながら、は静かに尋ねた。
「何であたしが、仕事でもないのに料理作らなくちゃならないのよ」
台所に腰掛けた銀時が邪魔で仕方がない。
八つ当たりで蹴飛ばしてもビクともしない男は、相変わらず気だるげに口を動かす。
「逆にお前、いつからあり物の食材で料理なんて作れるようになった訳? これで何処ぞの男たちの胃袋掴んでるかと思ったら、銀さん正気の沙汰じゃないんだけど。そんな計算高い子に育てた覚えないんだけど」
「奇遇ね。わたしもアンタに育てられた覚えなんてない」
口をつぐむと、無言が落ちる。
仕方なくと言った態で、ややあっては続けた。
「最初に勤めたのが、料理屋の接客だったのよ。それで、空いた時間に料理を教えてくれるって言うから習ってみたら、意外と楽しくてさ。家事全般教えてくれたのは、その女将さんなの。…まあ、もうこの世にはいないんだけど」
火を止めて皿に盛る。
「人を殺めてばかりだったわたしが、料理を作って人に振る舞うなんてことに笑えたって言うのもあるけれど、
なんていうか、ほら、人殺しのわたしだって、お腹は空いて御飯は食べるし。
食って凄いなと思ったのよ。どんな人間だって、食べなきゃ生きていけないんだもの。食を掴むは、生を掌握するってね」
「ようするに胃袋掴んでる訳か」
「平たく言うとね」
エプロンを外したは、投げて銀時の頭に乗せると、お役御免と手をあげた。
百歩譲って、土方に負わされた傷を哀れんだとは言え、どこまでも付き合う謂れはない。
去ろうとしたの手を後ろから取った銀時に、うんざりとした目を向けると、エプロンの間から覗く瞳は真っ直ぐとを見ていた。
動揺してしまったのを悟られぬように、平然を努める。
「もう充分でしょ」
「なあ、」
「だから何よ」
「こんまんま、うちに住まねぇ?」
「家政婦は高いわよ。アンタにそんな甲斐性があるとは思えないけど」
「なら、こう言えばいいんですかァ? よぉ、そこの姉ちゃん、俺と既成事実作らないかい?」
「…サイッテイな誘い文句ね」
「そうまでして欲しいっていや、抱かせてくれんの? お前」
睨んだの冷たい視線から、銀時がついと目を逸らす。
床に目を落とす男が何を思っているのか、考えると情が湧きそうでやめた。
は息を吸うと、ゆっくりと吐く。
「…男って、ホントに馬鹿よね。アンタに抱かれたって、アンタの物になんかならないっつーの。あたしの中に入れた所で、アンタの居場所は所詮十数センチよ」
「バカやろー。20センチ以上はあるね」
「馬鹿はお前だ」
気が抜けて笑ったは、これ以上取り合うつもりはない事がわかるよう、手を振った。
「お大事に」
ガラガラと、扉が閉まる音が聞こえる。
暖かな料理の匂いが鼻腔をくすぐって、エプロンをどける気力もないまま、銀時は額を抑えた。
「お前こそ、その数十センチでもいいから入りたい男心がわかんねーのかね。ったく」