ドリーム小説
「何をやってるんだろうなあ、僕は」
ぼやきながらも時計を見ると、時刻は七時五十八分。

(約束まであと二分、か)

正直な所、約束の主が現れるとは思えない。そもそも『ホグワーツ』なんて学校がイギリスに存在しない事は確認済みだし、彼女の口から『アルバス・ダンブルドア』などと言う恩師の名前を聞いた覚えは一度もない――まあ思い返せば、恩師どころか友人の名前すら聞いた記憶はないのだが。

さざ波のように寄せては返していく疑心暗鬼。
なんだか狐に化かされているような気持ちのまま、それでも席を立つ事が出来ないのは。

『今夜八時に』
Hと記された紫色の蝋にまじまじと目を落とす。

今まで仕事を理由に、幾度彼女との予定をキャンセルしてきただろう。

だと言うのに、エメラルドグリーンのインクでしたためられた一言で、まさか仕事が手につかなくなるとは思わなかった。いや、そもそも彼女が行方不明になるなんて思ってもみなかった。
もっと言うならば長年婚約者として過ごして来た彼女の部屋に、『レオしか見えない部屋』が隠されているなんて、想像もしなかった。


全くもって理解の出来ない部屋だ。

壁に貼り付けられた写真が、まるでビデオのように動いている。
箒が踊っているかのようすで床を掃き、ブラシは勝手に服の毛玉を取っていた。雑に床に置かれた本はひとりでに開いたり閉じたりをくり返している。

挙句の果てに。
机にある紙切を覗き込むと、まるで向こうにいる誰かが話しかけて来るように文字が浮かび上がった――

人の意志とは関係なしに、目まぐるしいく動く部屋。本がレオに噛みつく傍ら、スティーブンの瞳が映していたのは、くるくる動く写真の中で、屈託のない笑顔を浮かべる婚約者の姿だ。


(って、子ども時代の話じゃないか。…僕だって、あれ位の笑顔は浮かべていたさ)


チカ、と電気が消えて、灯った。もう一度。
(停電か…?)
どんよりと靄の掛かった脳みそから目を逸らすように首を動かしたスティーブンは、今まさに玄関ドアをくぐっている老人の姿を目にして、突然正気に戻った。

「こんばんわ」

思わず身構えたスティーブンを見ても、老人の声は凪のように穏やかだ。


「貴方が…アルバス・ダンブルドア?」
「いかにも。わしがアルバス・ダンブルドアじゃ。スターフェイズさん」

全身すっぽり覆い隠されたローブ。背も高いが髭も長い。歳を重ねた風格を感じさせる物腰に、まるで不釣り合いな瞳がビー玉みたいに輝いている。その瞳で老人は薄暗い部屋を眺めた。
「それで、は見つからないままですかな?」
「……ええ」
「わしの手紙はどこから」
「こっちです」

つい案内しそうになって、踏みとどまる。

「失礼ですが、貴方はの恩師と言う事で間違いないでしょうか」

方々に手を尽くしても空振りで、半ば家探しのような真似をしてようやく手に入れた知り合いとのツテだ。が、事件に巻き込まれている可能性だってゼロじゃない。老人が関わっている可能性だってゼロじゃなかった。

「ペンフレンドと付け加えてくれても構わんよ」


そんなスティーブンの警戒を右から左に、老人はパチンとウインク付きだ。
ダンブルドアは杖のようにひょろ長い身体を曲げて、案内された部屋へと入った。相変わらず好き勝手に物が動き回る部屋に驚く風もなく、掛けられた写真を一枚一枚手に取っては懐かしそうに笑っている。
「彼女の机から出て来たのは、貴方からの手紙と、もう一つ。ただこっちは、送り主どころか文面すらなかったもので」
「ほぉ」

花だったり、風景だったり。
まるで購入した絵葉書をそのままポストに入れているような手紙が何通も何通も、箱に入れて大切そうに保管してあった。

「――ところでスターフェイズさん。シリウス・ブラックと言う名に心当たりは?」
「心当たりも何も、HLは連日連夜、その名前で持ち切りですよ。ただイマイチ内容がないと言うか、ふわっとしていると言うか」
危険人物だと言いながらも、どうにも危機感に欠けるニュースだと思う。
他の都市ならいざしれず、常に危険と事件に溢れているHLでは一度流れれば十分なそのニュース見て、彼女が酷く動揺していたのを思い出した。
どうした、と聞くと、何でもないと笑っていたが。

「まさか彼女の失踪にシリウス・ブラックが関わっているとでも? ………止してくれ、彼女は一般人だぞ。僕の婚約者じゃなければHLにだって住んでなかった。街中で偶然肩がぶつかったって言うならともかく」

「スターフェイズさん」

口を挟まれて初めて、スティーブンは自分がただ口を動かしていた事に気がついた。じっとりと嫌な汗をかいている。
何だろう、嫌な事が起こる前の胸騒ぎのような。

「まず最初に、わしは貴方が望む答え……の居場所について、何も知らないと言う事を伝えておかねばならん。そして今日、わしがここに来たのは――貴方がこの部屋で何を見、わしと話したか、その全てを忘れる事をオススメする、と、言う事を伝える為じゃ。


さもなくばこの部屋どころかその主………の事まで忘れなければならなくなる」


「――どういう意味か聞いても?」
「言葉のままなのじゃ、スターフェイズさん。おぬしの許嫁であるには、どんなに大切に想っていようと明かせぬ秘密を持っていた。どうやって貴方がこの部屋の存在に気付いたのかわしには分からんが…はおそらく、一生掛けても知られるつもりはなかったじゃろう」


そしてこれは余計なお節介じゃが、
と、老人、アルバス・ダンブルドアは前置きした。


「おぬしも今まで、知るつもりはなかった。……違うかね?」


咄嗟に言葉を返せなかった。
それどころか、妙にしっくりさえ来る気がした。

彼女が行方不明にならなければ、レオにあの部屋が見えなければ。ダンブルドアの言う通り、彼女の秘密に興味など持たなかったかもしれない。


親が連れて来た婚約者はずっと、ただ傍にいた。

聞けば頷いて、一緒にHLに来たものの、結婚を急かして来る訳でもなく。仕事があると言えば頷き、都合上女と会っている時に遭遇した時でさえ、いっそ感心するほどのスルースキルを発揮した。
(そう、確かに僕は、恩師どころか友人の話すら聞いてみた事がない)


「なるほど。僕は貴方以上に彼女の事を知らないって訳か」
皮肉っぽいニュアンスが混じった自覚はあった。
ダンブルドアは黙ったまま。

その沈黙が返って有難かった。
張りつめていた緊張の糸がほどけるように、口からゆるゆるとため息が零れた。思わずネクタイに手が伸びる。ちょっと躊躇したものの、緩めたい衝動には勝てなかった。

「参った」

女性だけでなく、人間と言う生き物を割とよく見る方だと思う。
職業柄も相まって、色んな者を疑って生きて来た。
「驚いた」
だからこれは、これ以上ないほど素直な感想だった。


「ミスター・ダンブルドア。話せる範囲で構いません……彼女は、はどういった生徒でした?」
「友達思いの子じゃったよ」
「友達思い、ね」

K.Kとは気が合うようで、遊んでいるのは知っている。それもあってか、ただでさえスティーブンに対して風当りの強いK.Kが、婚約者であるという事に対して輪をかけた暴風雨を噴き荒らす事もある。

写真の一枚に目が向いた。本を手にした女の子と二人、笑いながら映っている。その隣には古いハガキが挿してあった。写真に映っている子と同一人物なのだろうか、女性が男と手を取りくるくる踊っている。
その下には一文が添えられていた。


、結婚って幸せよ。今度ハリーに会いに来てちょうだい!



ふと、この部屋にいたのであろう彼女は、学生時代の写真の数々を、この古びたハガキを、どんな顔をして眺めていたのだろうと過った。
「ちなみに。に会う方法に、何か心当たりは?」
「伝えた通り、わしには分からん。じゃが、ひとつ言える事がある。彼女に会いたいのならば、忘れるべきじゃ。今すぐこの部屋を後にして、寝る前に蜂蜜たっぷりのミルクを飲むこと。朝日が登れば、わしに会った事も夢だと思うくらい、ぐっすり寝る事がおすすめじゃ」

別れの合図をするように、ローブの裾を持ち上げたダンブルドアは茶目っ気たっぷりに片目を閉じた。何だか空気が抜けるような気がする。食えないというかなんというか、とにかく勝てる気がしない。こんな気分になったのは――クラウスに会った時以来だろうか。
「良い夢を、ミスター・ダンブルドア」
笑いをひとつ返して、あとは振り返る気もおきなかった。


迷いなく閉まった玄関ドアの音を背に、ふむ、とダンブルドアは頷く。


 ――ダンブルドア先生、わたし、結婚してみようかと思うんです。塞ぎ込んでいるのを見かねて、親が持って来た縁談なんですけど……マグルの人なんです。だからわたし、もう魔法使いとしても生きられない。


シリウス・ブラックが捕まった時、彼女はただ一人、犯人がシリウス・ブラックのはずがないと叫び続けた。何か裏があるに決まっている、彼がポッターを裏切れる訳がないのだと声を枯らした。

彼女は一夜にして最愛の親友を亡くし、友人を亡くし、同士が捕まり、最後には恋人とも別れてしまった。


 ――リリーがね、言ってたんです。結婚は幸せだって。だから、私は私の戦いをしてみようかなって思ったんです……幸せになる為の。


先生、そうしたらいつか、リリーが幸せだった事が分かるかしら。


その呟きを残してアメリカへと渡った彼女は、時折ダンブルドアに何のことない手紙を送って来るようになった。


穏やかに微笑んで、ダンブルドアは杖を取る。


。思う存分、君は君の戦いを続ければ良いのじゃ」

彼女が部屋と一緒に隠してしまった心の奥から、ダンブルドアはそっと退出した。誰にも見られる事がないよう、もう一度人避けの魔法をかける。
「幸あらん事を」

そう願うダンブルドアの言葉に返事をするように、
カチリ、と。
鍵の閉まる音がした。