ドリーム小説

黄色いボールが、ぽーんと青空に弧を描く。
は思った。
(何がどうしてこうなった)

普段ならば部屋に籠って、山積みの書類をせっせとまとめている時間だというのに、
照りつける太陽の下で帽子被ってテニスコートを眺めているなんて絶対におかしい。
(やっぱり、五虎退と秋田には悪いけど帰ることにしよう。そうしよう)
踵を返した
すると、
ちゃん!」
大手を振って駆けて来る青年の姿が目に入って、は大きく眼を開いた。


「長太郎くん! え、やだ長太郎くんだよね。めっちゃ久し振りだね」
「久し振り。元気だった?」
「元気、元気! 長太郎くんは?」
「俺も元気。跡部さんにちゃんが来るって聞いて、びっくりしたよ」
「そうだよね。いや、わたしも正直、全然来るつもりはなかったんだけれど」

五虎退の期待に満ちた目を前にして、行かないとは言えなかったである。

視線を巡らせながら、は感嘆の声を上げた。
「それにしてもすごい人だね」
貸し切るから安全だと言われて出向いたものの、まさかこんなに規模が大きいとは。
色とりどりのテニスウェアを来た人たちが、試合をしたり談笑したりと見渡すだけでも大変だ。
「長太郎くんの知ってる人も結構いるの?」
「俺は皆知ってるよ」
「皆知り合いなの!?」
「うん。中学からね。ほら、あそこら辺に居るのは青学」
「手塚くん?」
「そうそう」
「跡部くんに聞いた事ある」
「他にも六角とか、あの賑やかな一体は四天宝寺かな。ルドルフや山吹、不動峯に、比嘉もいるよ。あとは…」
「立海大」
穏やかな声が割入って来て、首を巡らせると、ふわりと笑う青年と目があった。

「はじめまして。俺は立海大テニス部出身の、幸村精市。君は?」
「始めまして。あの、わたしは…氷帝で。その、お邪魔してます」
「構わないよ。そうか、じゃあ君はさしずめ主役の片割れって所だね」
「幸村さん」
鳳が渋い顔をする。
「ふふっ。悪いね、鳳」
幸村はのらりくらりと謝って、テニスコートを眺める目を細めた。
「主役って?」
「社会人になっても、テニスは止められなくてね。理由を作ってはこうして皆で集まってるんだ。前回は何だったかな?」
「六角の葵くんです」
「ああ、彼女が出来たお祝いだったね。その前は…赤也が昇進試験に落ちたから、だったか。いくつになっても俺たちにテニスは必要なんだろうな」
くすくすと鈴が鳴るように幸村が笑う。
その美しい横顔に呆けていると、「おい幸村」と中から無愛想な声が響いた。

「回りくどい事してんじゃねぇよ」
「バレたか」
「コート入れ」
またねと笑う幸村に手を振り返せば、不機嫌そうな横眼を跡部に向けられた。理不尽な。
「相変わらずそう言う所は子どもみたいやねんなあ。まあ長い事探しても会えへんかったからな、しゃあないっちゃあしゃあないんやろうけど」

「あの、ある…、さん」
「見て下さい、この花! 初めて見ます!」

「五虎ちゃん。秋田!」
たったと駆けて来る二振りを抱き留めれば、可愛い花を差し出されて和んでしまう。
「ホント可愛いねー」

「せやかて驚いたわ。ちゃんがまさか子持ちになっとるなんて」
「子も…」
いや、言われるであろう覚悟はしていたけれども。
確かに当たらずしも遠からずなんだけれども。
口に出されると複雑な胸中で、は口端を引き攣らせた。


「にしてもと再会してたのには驚きだな。どうりで跡部の奴、ここの所機嫌が良いと思ったぜ」
「この間の飯、美味かったよな」
「なんか約束してたらしいけど、覚えねぇんだよな。向日、覚えあるか?」
「いや? 助かったって言われたけど、なんだったんだろうな」
それはたぶん、遡行軍の一件で世話をかけたことに対しての礼だろう。
斬られた過去自体無くなったのに、律儀な人だなあとは思う。本当なら、御礼をしなくちゃいけないのはの方なのに。

コートを見ると、嬉々としてラケットを振っている跡部。
(昔も、近くで試合がある時はこっそり見に行ったなあ)

「なんか懐かしいよねー」
芥川がぽやんと宙を仰ぐ。
ちゃんが試合見に来てた時ってさ、跡部すっごくはりきっちゃって」
「ジロー先輩」
「それ、跡部さんは気付かれてないつもりなんですから、あんまり大きな声で言わないで下さい」
にやっと笑う日吉に、鳳が更に苦笑を零した。

試合を観に行くとか、話した覚えはないのだけれど。

こうして氷帝レギュラー陣と会話したのは数える程しかなかったはずなのに、まるでがその場にいたかのように錯覚しそうだ。

「なあ」
向日が首を巡らせて、はびくりと身体を揺らした。
「えっ」
「跡部がン家住んでるって、マジ?」
「跡部さんが公務員って本当ですか?」
身を乗り出すように日吉に尋ねられて、はおっかなびっくり頷く。

「アイツ、普通の生活なんて出来んの?」
「風呂上りはバスローブだろ?」
「え、いや、着てないけど」
「何買ってもカードじゃねぇの?」
「カード使ってる所見たことないよ」


丸々と開いた目が並んでいる。
「せやから言うたやろ。跡部は本気やって」
ちょっと笑った忍足の後ろで、ガシャンとフェンスが鳴った。
食い込んだテニスボールが煙をあげて、唸るようにして跡部が吠える。
「おいテメーら、ごちゃごちゃうるせぇんだよ!」
「うわ、やっべ」
蜘蛛の子を散らすように駆けて行くメンバー。
その場に残った忍足は、腰を下ろすと五虎退と秋田に目線を合わせた。
「ほな、次のコートは四天宝寺辺りにしよか。コートに居ながら、漫才見れるで」
「まんざい、ですか?」
「生き物ですか? 見たいです!」
キラキラと秋田の瞳が輝く。
忍足はその視線をついとに持ち上げると、眼鏡の奥にある瞳を細めた。


「本気やからこそ大変なんや。ちゃんも、その覚悟が追い付いた時は惚れたってや。色々規格外な所はあるけど、なかなかええ男やで、跡部は」
「…忍足くん」
「ガス抜きならここにおる全員、いつでも付きおうたる」

笑いながらそう言って、忍足は五虎退と秋田の手を握る。
は跡部に目を向けた。

(そうだよね。跡部くんもいつかは財閥に戻らなくちゃいけないんだろうし。それなりなお嬢様と結婚、したりもして。…現実的に釣り合わないんだよなあ)
それは忍足で言う、覚悟が追い付いていないと言う事なのか。

(審神者を続けるなら、十中八九跡部くんとは一緒にいられない、だろうし)
それとも。昔と今で、変わってしまった事に対する寂しさなのか。

チリッと焼け付くように走った痛みは、恋か、ファン心理なのか。

 ――学生時代の憧れ、尾を引く奴!

境目をつけずにぼかして来た感情に、今更線を引くのがおそろしいような気持ちもある。


(でもなあ)
黄色いテニスボールが弧を描く。
ぐっと伸ばした腕が、力強くボールを叩いて。

(跡部くんはやっぱり変わらないよ)
バスローブを着なくなっても。
カード支払いをしなくなっても。
の生活に、合わせようとしてくれていても。

楽しげにコートを走るその姿は、あの頃となにひとつ変わっていない。
嗚呼、とは切なさに蓋をするように瞳を伏せた。


(跡部くんがいい男だってことは、中学生の頃から知ってるよ。忍足くん)