ドリーム小説
「薬研」
襖を開くと、女審神者の隣で頬杖をついていた薬研はふと目を開いた。長谷部を見上げると、欠伸を一つ。眼鏡の奥で涙を拭った。
「悪い。ちょっと寝てた」
「気にするな。お前も現世に行ったっきり、主に付きっきりだろう」
「時折背中撫でてやらなきゃよ。起きてすぐに、腰が痛いとか言いそうだろう。大将は」
薬研が笑うと、釣られたようにして長谷部が微笑した。
普段はどんな激務をこなそうと、清々しい顔で居る癖に、長谷部の顔には疲労が濃い。
目元の隈を横眼で見た薬研は、皆似たり寄ったりな顔をしている事に肩をすくめると、一人安らかな顔で眠り続ける女審神者に目を戻した。
「ま、この状況で安眠出来る奴なんて…大将くらいのもんだな」
薬研の冗談に、長谷部が笑う気配はない。
それどころか彼は声を低くすると、背筋を伸ばした。
「…それも、今日までだ」
「……政府から連絡が入ったのか」
「ああ。主が車道に突き飛ばされたと言う話があっただろう」
「太郎と次郎が付いていたあの時か」
「短刀たちが追って見た女が、あの日、デパートに居た事が確認された」
「なら――」
「ああ。歴史を元に戻す。主を……ようやく助けられる」
「そっか」
落とすように呟いた声は、まるで自分の声ではないよう。
思わず出た言葉に遅れて感情が追い付いて、瞳に映る彼女が熱く揺れる。
薬研はくしゃりと笑うと、額を抑えた。
「ようやく帰って来れるな。大将」
「あー、やっちゃった…」
鞄の中のチョコレートに目も当てられず、は逃げるように視線を窓の外へと向けた。
オレンジ色の夕日が溶けるように町並みを照らしている。
継いで生徒会室を見上げたは、部屋に居た跡部の姿を思い返すと、重い息を吐いた。
「この時間まで粘っては見たけれど…渡せなかったかぁ」
軽い口約束を真に受けて、用意してみたのはいいものの。どの面下げて渡せばいいのかがまるで分からない。
最終手段の『下駄箱に突っ込む』は、跡部とカードの下げられた下駄箱を開くなり、雪崩れて落ちて来たチョコの数々を見て早々に諦めた。
顔の一つでも見れば、また売り言葉に買い言葉で渡せる気がしていたが、
生徒会室に居た跡部は嫌味のようにチョコの話題に一切触れず。
切り出す勇気もないが生徒会室を後にしたのが数分前。
「帰るかなぁ…それとも」
跡部ももう帰ると言っていたし、この意気地のないバレンタインデー。
跡部の後ろ背でも見送って終わるもの悪くはないかも知れない。
それなら教室にでも行くか、と、踵を返したの瞳に、見た事も無い何かが映った。
笠を被った男。
黒い霧を纏った男は、手に刀を持っている。
状況を理解するよりも先に刀の切っ先がに向けられて、ぞわりと背筋が泡立った。
全身の血液が逆流するように、心臓がひっくり返る。
恐怖で逃げ腰になったが後退さった背に、誰かがぶつかった。身体が緊張に強張る。
「大丈夫かい?」
降って来たのは、場に不釣り合いな程穏やかな声。
顔を上げると、眼帯をした男と目があう。
泡を食ったように慌てるが、
「い、今そこに刀を持った男が…」
指で示した先に、黒い男の姿は無かった。
「へ?」
煙のように掻き消えている姿。
笠を被った男が居た場所には、別の男が立っている。
緑色の長い髪をまとめた男は、刀を鞘へと納めると、を見る片目を細めた。
「怪我はないかな」
「…は、はい」
「良かった。燭台切、この時間に降りた遡行軍は全部片付けたようだよ」
「オーケー。なら、帰ろうか」
の傍らを過ぎて歩く男は、黒いスーツに身を包んでいる。
真っ直ぐと歩くその背に、は思わず声を上げた。
「あ、あの!」
「どうかした?」
「いえ、あの…貴方たちは…」
「僕たちかい?」
くるりと首だけで振り返る男。
緑色の長い髪を揺らして笑う男。
二人は揃ってを目に映すと、至極優しく微笑んだ。
「君の…家族、かな」
「そうだね。家族になる予定のものだよ」
「か、家族?」
「だからね、主」
踵を返した男は、歩みよると腰をかがめた。
の視線に合わせると、伸びてきた大きな手が髪を撫ぜる。
「早く目を覚まさなきゃ、夕飯食べそこねちゃうよ」
「――ッ!」
弾けるように目を覚ました女審神者の周りを囲んでいた刀たちが、わ、と声を上げるまであと数秒。