ドリーム小説
寝ぼけ眼で家を出て歩いていると、赤信号に足を止めた。
夜中のアニメを見るのに一生懸命過ぎたな。
出そうになる欠伸を堪えている。
ふとその時。
人ごみの中から背中を押された。
突然の事に驚く間もなく身体が傾いで、車道に足を踏み出す。車のブレーキ音と、クラクションが耳を劈いて、息を呑んだの瞳に、周りの景色がスローモーションになる。
「あ――ぶない!」
後ろから腰を引かれて、目と鼻の先を猛スピードで通り過ぎていく車。
心臓が早鐘のように鳴り響いた。
声が出ない。
力が抜けたまま呆けているに、
「大丈夫かい?」
と、上から声がかかる。
おそるおそる顔をあげると、とても綺麗な人と目があった。艶やかな黒髪に、赤い紅。長いまつげに彩られた瞳に、真っ青なが映っている。
「だ…い、じょうぶです…」
「なら良かった。立てる?」
頷くと、震える足で立ち上がる。
何が起きたか分からなかったのは周りも同じようで、ちらりとを見ながら、再び動き出した時に飲まれるように足を速めて行く人々。
その中で未だ呆然としていると、次郎、と涼やかな声がかかった。
「兄貴。追えそうかい?」
「ええ。今、秋田と前田が追っています」
「これで、足の一つでも掴めればいいんだけれどね」
「それにしても…なりふり構っていられないのは、あちらも同じ様子」
「…あながち、ただ審神者だって言う理由だけじゃないのかもしれないね」
低い声。次郎。ようやく目の前の人が男だ気付く。
くるくるとした目で見られている事に気付いた次郎は、に視線を戻すと笑った。赤い唇が綺麗に弧を描く。
「なんて顔してンだい」
ポンと背中を叩かれた。
一見すると女に見紛うが、よくよく見ればどうみても体躯は男だ。背も高い。
次郎と声をかけた男は更に背が高く、高い位置で結われた髪は腰の下まで伸びていて、切れ長な瞳がついとを捉えた。
「…怪我はありませんか」
単調に訊かれて、が慌てて頷くと、男は微かに微笑む。どちらも目を奪われる程美しい。
「アタシ、次郎って言うの。こっちは兄貴の太郎」
「…次郎さんに、太郎さんですか」
ただ、見目と名前があまりにそぐわないな、と思いつつ、は丁重に頭を下げた。
「ありがとうございました」
「あーやだやだ。礼なんて言いっこなし」
「え、嫌、でも…」
ひかれていたら、死んでいたかも知れない。
改めて考えると背筋がゾッとして、は身体を強張らせる。
その仕草を見て、次郎は苦笑すると、おもむろに手を伸ばした。の髪を撫ぜる。その手つきは優しくて、撫でられると何故かくすぐったかった。
「アタシ達の眼が黒い内は何があっても守るから。次郎さんと太郎さんに任せなさい」
教室に入ると、朝の出来事などまるでなかったように騒々しい。
席につくと、隣の席の男の子が声を掛けて来た。
「おはよう。さん」
「お、おはよう。加州くん」
加州清光の席は教室の中でも群を抜いて賑やかだ。いつも女子で溢れている。
その話の内容は、やれこのネイルの色は可愛いだの、どこそこの甘味は美味しいだの、一聞すると男子が混じっているとは思えない会話で、
同じ人種とは思えない華やかな一団の傍らで息を潜めていると、清光はに雑誌を向けて来た。
「ねー、さん」
「な、何でしょうか」
「この色とこの色、どっちが好き?」
「え!?」
雑誌を見ると、似たような赤いネイルが二つ。
化粧のけ、の字も興味が無いからしてみればどっちも同じに見えて、答えに困っていると、げんなりとした声が割入って来る。
「どっちも同じって言った方がいいよ」
「大和守くん」
「お前には聞いてないの」
頬を膨らませる清光を一瞥した安定は、ため息を一つ零した。
「まったく。何しに来たんだよ、お前」
「はぁ?」
「主の趣味を調査しに来た訳じゃないだろ」
「……それはそうだけど」
何故だろう。を挟んで剣呑な空気が漂いはじめる。
右の清光。左の安定を交互に見たは、咄嗟に口を開いた。
「わ、わたしはこっちの色が好きです」
「ホント? じゃあ次はこの色にしようかなぁ」
パッと機嫌が直る清光。
胸を撫でおろしていると、清光は猫目を細めるようにして微笑んだ。
「ありがと。さん」
「…ど、どういたしまして」
この顔にどうにも弱い。
隣の席になってからと言うもの、さん、さん、と話しかけられ、戸惑いながらもつい答えてしまうのは、
一重にこの花が咲くような笑顔に胸をキュンと打たれてしまうからだろう。
ドキドキと鳴る心臓を抑えていると、安定は息を吐いた。
「ホント、清光に弱いよね」
「羨ましいなら、素直にそう言えばー?」
「はぁ?」
再び垂れ込める険悪な空気。
どうしていいのかも分からず、睨みあう二人の間で背筋を伸ばしていると、おもむろに近寄って来た跡部が口を開いた。
「何の騒ぎだ。あーん?」
「跡部くん」
鴨がネギを背負って来るように、だいたいトラブルを背負って来る跡部が珍しく救いの神に見える。
ホッとするを見た跡部は、脇に抱えたノートの束を机に置いた。
「助かった」
「それなら良かった」
「礼は今度する」
「い、いらない。いらない。跡部くんのお礼、なんか怖いから」
「あーん? 怖いってのは、どういう意味だ」
「言葉のままだよ。跡部くんも怖いし、周りも怖い!」
今だって、女子の視線が刺さっている。
どういう訳だか跡部景吾は、をテニス部マネージャーに誘っただけでなく、時折来ては他愛もない話をして去っていく。
そのせいか、氷帝学園テニス部レギュラー陣とも顔見知りと言う珍妙な事が起こってしまった。
全国大会の合間のノートだって、頼めばいくらでもしっぽを振ってしてくれそうな女子がいるのに、わざわざに頼みに来るし、
断れないまま渡したノートを受け取ったは、机の中に直しながら、思い出したように口を開いた。
「あ、そうだ。跡部くん」
「どうした」
「全国大会お疲れ様」
「…」
返事が返ってこない。
不思議に思って顔をあげると、世にも珍しい顔をした跡部と目があった。
大きく目を見開いた跡部が、唇を一文字に結んでいる。僅かに朱に染まった頬を隠すようにそっぽを向いた跡部は、小さく呟いた。
「」
「何?」
「話があ――」
「ねー、清光。売店に新しいパンが入ったって知ってた?」
跡部が口を噤む。
先ほどまでの一種触発な空気はどこへやら。安定に話しかけられた清光は、清々しい程明るい声と共に立ち上がった。
「知らない。何それ。俺ちょー食べたいんだけど。行こう、安定。あ、さんも一緒にどう?」
「え? あ、嫌でも今跡部くんが何か…何言おうとしたの?」
「ッ、なんでもねぇ…!」
「そう?」
まぁ皆まで言わずともいい話だったんだろう。
あれよあれよと席を立った二人が、の脇に立って急かす。
「行こうよ。絶対好きだよ。ね、清光」
「うん、絶対好きだよ、さん」
「え? 加州くん、知らないんじゃなかったっけ? まあでも、そんなにおすすめしてもらえるなら…」
「ほらほら、早く早く」
「ちょ、加州くん。そんなに押さないで…!」
「清光。財布忘れるなよ」
「分かってる」
「あ、わたしもお財布…」
「僕が奢るよ」
「安定ズルい!」
「たまにはいいだろ」
ぐいぐいとの背中を押しながら、首を巡らせた安定と清光は、不機嫌そうな跡部と目が合うと、揃ってニヤリと笑ったのであった。
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肝心な所で息ぴったりな沖田組。
皆は名前で呼ぶのをためらう所を、清光だけはあえて呼んでそう。
三年の二学期のノートは審神者のノートを全部コピーして取っていた跡部。