ドリーム小説

「こんにちわ。先輩いますか?」
聞き覚えのある声に首を巡らせると、お隣さんの鳳長太郎がの弁当袋を手に立って居た。
腰を上げたは思い出したように「あ」と声を上げると、鞄を上から押える。無い。慌てて駆け寄ったは、頭を下げた。
「ごめんね、長太郎君」
「うん。今日は朝練無くてまだ家に居たから、良かったよ」
「そっか。そうなったら、お昼ごはん食べそこなってたんだね、わたし」
言ってるだけでゾッとした。
美味しそうな香り漂う教室で、ただ座ってるだけなんて拷問に近い。
想像しただけで震えが走るを見て、長太郎は首を傾げた。
「それにしても、相変わらずどこか抜けてるよね。ちゃんは。自分で作ったお弁当、忘れて出掛けるなんて」
「今日の授業で当たる所、予習してないの思い出しちゃって…早い所学校行かなきゃって慌ててたら、つい」
苦笑する
そんな彼女をにこにこと笑って見下ろす長太郎の後ろに掛かった影が、低く声を上げた。
「何やってんだ、鳳。こんな所で」
「あ、跡部部長」
振り返った長太郎が、銀色の髪を揺らしながら、「おはようございます」と丁寧に腰を折る。
ちょっと前までランドセルを背負って一緒に帰っていた彼からは想像がつかない挨拶だ。
さすが体育会系、とぼんやりと場を眺めていたは、そのまま流れて来た跡部の視線に、入り口を塞いでいた事を遅れて思いだすと、そそくさと退いた。
さりげなく鳳の後ろに隠れる。
教室に入るのかと思いきや、跡部は眉間に皺を寄せたまま、長太郎に視線を持ち上げた。
「――知り合いか?」
「はい。家が隣で」
「そうか。なら、ちょうどいいな」
「丁度いい、ですか?」
「ああ。おい、
長太郎の脇から顔を覗かせた跡部と目が合う。
一年からクラスが同じとはいえ、話した事など数える程しかないは驚きに息を呑んだ。
「は、はい…何でしょうか」
「テニス部のマネージャーしろ」
「はぁ!?」
思わず出た声が思いのほか大きくて、は両手で口を押えた。風を斬るような速さで首を横に振る。
「嫌ですよ。無理ですよ。なんでわたしが」
「そこら辺の女は練習中にわーきゃーうるせぇんだよ。その点、鳳の知り合いならそんな心配もねぇだろ」
「どういう理屈やねん、それ」
胸の内で思った事が聞こえて来て、はてっきり声が漏れたのかと肝が冷えた。
「忍足さん」と言う長太郎の声に向けた視線の先には、気だるげな欠伸をする忍足が居る。
話した事も無い男子が割って入って来た事に動揺した
彼は眼鏡の奥の瞳に滲んだ涙を拭うと、気の抜けた笑みを浮かべた。
「わーきゃー言われるのが好きな癖して、よう言うわ」
「あぁん?」
「それに…鳳の知り合いや言うても、きゃぁきゃぁ言わん確証はどこにもないし、下手な言い訳せんと、素直に誘えばええやん」
言いながら、忍足の視線がを捕える。
悪戯に微笑む視線は、跡部とはまた違った意味で緊張を覚えて、は一二歩と後退さった。

忍足くんに、跡部くんよ。一年の鳳くんも居る。

途端に浮き足立つ教室から、黄色い悲鳴が聞こえた。
出来る事ならこの場でぎゃあと悲鳴の一つでも挙げて立ち去りたい所だが、
学校をやたらと仕切っているこの跡部景吾をはじめとするテニス部連中と波風を立てるのは、健全な学校生活を送る上であまりよろしくない。
加えて変な波風を立てようものなら、立つフラグは折る勢いで突進してくる女生徒達の的になりかねない。

そうですね、それでは。 これが適切だなと判断したは、多少白々しくとも逃げようと口を開きかけた。その時。

「ここ、通るぜ」
第三者の声が遮って、は顔を上げた。
弁当箱を持っているのは和泉守兼定と言う三年生。
同じクラスで隣の席の堀川国広と仲が良い彼は、毎日昼休みになると、弁当を引っ提げてこのクラスを尋ねて来る。
「ごめんね」
その傍らに歩いている堀川国広は、忍足、跡部、長太郎の脇を通って教室に入ると、に目を止めた。
「早く食べないと、お昼終わっちゃうよ」
ふわりと笑う堀川。
瞬いたは、思い出したように長太郎へ手を伸ばした。
「長太郎くん、ありがとう。お弁当」
「え、あ、うん」
お弁当を貰って、は自分の席へと戻る。
まだ何か言い足りなさそうな跡部の視線は見えない見ないと決め込んで、弁当だけを見ながら蓋を開いたに、堀川は隣から身を乗り出して声を掛けた。
「美味しそうだね」
「ありがとう」
「自分で作ってンのか?」
見た目の割に、律儀にいただきますと手を合わせた和泉守に尋ねられて、は頷く。
「うん。そう。堀川くんと、和泉守先輩は…」
「ぼくたち? ぼくたちは、うぅん」
堀川は宙を仰ぐ。
女の子に見えなくもない彼は、瞳を伏せると、微笑んだ。
「兄みたいなもの、かな」
「…ま、ものすごーく平たく言うと、だけどな」
ものすごく平たく言うと兄弟。
どういう兄弟なのか、興味があるような、触れたくないような。
は胸の内で思いながら、ご飯を口に入れた。
「そうなんだ。でも、男の人が作るお弁当にしては…すごく手が込んでるね」
色とりどりの華やかな弁当は、学生のお弁当と言うより、愛妻弁当。
くるくるとした瞳で見ていると、堀川は弁当箱を差し出した。

「一つ交換しよう?」
「え、いいの?」
「うん、その方が彼も喜ぶと思うし…ね、兼さん」
「泣くんじゃねぇか?」
「泣く!?」

お弁当を分けたと聞いて、泣く程喜ぶと言うのはどういう男の人なのか。
想像つかないは、卵焼きに箸を伸ばした。すると、堀川が「あ」と声を上げる。
「え? あ、卵焼きは拙かった?」
「嫌、そうじゃないんだけど…卵焼きは同じ味かも知れないなぁ…なんて…」
「同じ味?」
「えっと、これとかどう? 好きだと思うよ」
誤魔化された気がしなくもないが、示された団子を貰うと、一口食べたは目を見開いた。ぐ、と親指を立てる。
「何これ、おいし!」
「だよね。主さん、好きだもんね。これ」
「あるじ?」
「何でもないよ」
「そう? えっと、じゃあお礼にわたしのも一つどうぞ」
弁当箱を差し出すと、堀川はパッと表情を明るくした。和泉守を見て、を見る。
「じゃあ、これいいかな?」
「どうぞどうぞ」
「わあ。兼さん、半分づつしよう」
「そ、そんな分け合って食べる程大したもんじゃないよ?」
わたわたと手を振ると、口を動かしながら、和泉守はニヤリと笑った。
「歯ぎしりして羨ましがるだろうな、アイツら」
「歯ぎしり!?」
どういう状況なのかがさっぱりわからない。
まるまると目を見開くを見ながら、堀川は鈴の音が鳴るように微笑んだ。
「まあ、歯ぎしりするのは、加州清光たちだけじゃなさそうだけれど」
付け加えるようにそう言って、堀川はの渡したおかずを口に入れた。ゆっくりと噛んで、飲み込む。
そんなに大事に食べて貰えるのなら、今回一番時間を使ったアスパラの肉巻きをあげればよかったかしらと眺めていると、堀川は首を傾いで微笑んだ。

「美味しい。料理が上手だね」
「いや、そんな褒められたものじゃないんだけれど」
率直に褒められると、なんだか気恥ずかしくて照れてしまう。
が頬を赤くして俯くと、その仕草を見た堀川は更に笑みを深くした。頬を朱に染めて笑う彼は、目を奪われる程美しい。

「本当に可愛いね」
「かわ!?」
「ねぇ、兼さん」
「……俺に振るんじゃねぇよ」
「えー、可愛いのに。ねぇ?」
そんな尋ねられて、うんそうかな、なんて言う度胸はさらさらない。
言葉に詰まったが震えているのを見て、和泉守は息を吐いた。

「それ位にしとけよ、国広」
「はーい」

(な、何なんだ、一体…)



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「にしても、燭台切は末期だな。アイツの好物ばかりじゃねぇか、この弁当」
「そのうち肉一色になりそうだね、兼さん」