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ドリーム小説
教室のドアをスライドさせると、朝の賑やかな声が溢れて来る。
ひよりは鞄を持ち直すと、群れをなすクラスメイトを避けて席へと向かった。
「おはよ」
椅子を引こうとすると、隣の席の男子に声をかけられる。
首を巡らすと、机に肘をついてこちらを見ている男子は、眼鏡の奥の瞳を細めて笑っていた。開けた窓を背にして黒髪が、さらさらと風に靡いて揺れている。
「おはよう、薬研くん」
「いい朝だな」
「そうだね」
相槌を打って、ひおりは愛想笑いを返した。
つい先日転校してきたこの少年は「薬研藤四郎」と言う名前で、
揃って転校して来た二人の少年もどういう訳か「厚藤四朗」と「乱藤四朗」と言う名前の兄妹らしい。
苗字は同じ事はあっても、名前が同じと言うのは初耳。
傍から見ても仲睦まじく学校生活を過ごす三人は、何故だかひおりにやたらと親しげに話掛けて来る。
男子とあまり面識のないひおりとしては、こうして挨拶を返すのが精一杯。器用に会話が続くはずもない。
ひおりは気恥ずかしさから赤くなった頬を隠すように下を向くと、鞄から教科書を取り出しはじめた。
「あ、跡部くん!」
「おはよー、跡部」
ざわついた教室に釣られて顔を上げる。
クラスメイトの大半に声を掛けられ、挨拶を返す跡部景吾は、かの有名な跡部財閥の御曹司で、
中学一年にして生徒会長を務めるだけでなく、
入部早々テニス部の上級生を全員伸して部長になったなどと言う噂もある。
とにかく話題に事欠かない人物で、地味に学校生活を送っているひおりのようなタイプはあまり関わる事のない人種だ。
とは言え、聞くだけあって華がある。
ぼんやりと跡部を見ていたひおりは、横からかかった「なあ」と言う声に身体を揺らした。
「うわ、はい」
「うわって」
目を開いた薬研は、吹き出すように笑って口を押えた。
「わりぃ、驚かせたな」
「お気遣いなく」
「今日の1限体育だろ?」
「そう…ですね」
声が低くなる。
学校に入って、運動はそう得意ではないと自覚した身としては、あまり好きな教科ではない。
方やこの「藤四郎」兄弟は運動が得意なようで、
転校初日に厚藤四郎が短距離走で見せた速さは尋常では無かった。
跡部を差し置いてぶっちぎりで一位になった厚は、体育の先生が唖然としたままストップウォッチを止め忘れるようなスピードで、
褒められる間もなく、薬研と乱に盛大に後ろ頭を叩かれていた。
まるで女の子のような見目をしている乱と、見た目は優等生そのものの薬研も、厚までとはいかなくても余裕綽々とゴールテープを切り、それ以来体育の時はどことなく楽しそうに伺える。
「コケんなよ」
穏やかな声でそう言われて、ひおりは瞬いた。
「へ?」
「周りに合わせて動こうとする癖があるからな」
付け足された言葉は、まるで古い知り合いのような口ぶりだ。
ひおりが呆気に取られていると、薬研の前に座っている乱が首を巡らせる。
「だねー、自分の体力考えないまま、頑張っちゃう所があるもんね」
「人一倍体力ねぇのにな」
カラリと笑うのは、ひおりの前に座っている厚。
しばしの間呆けていたひおりは、「あの」と声を上げた。
「どこかで会った事あるんですかね? わたしたち」
名前が同じ兄弟なんて、一度あったら絶対に忘れなさそうだけれど。
ひおりが記憶を辿っていると、乱は首を捻りながら宙を仰いだ。
「会ってるって言えば、会ってるんだけれどねぇ」
説明がなぁ。
ぶつぶつと言う乱は、腕を組んでさらに頭を斜めにする。
そんな乱を横眼で見た薬研は、小さく笑うと瞳を伏せた。
「こうして話してたのが、随分昔の事みたいに思うよ」
乱が苦笑する。
「…だな」
頷いた厚は、ひおりの瞳を覗き込むように身を乗り出して、
近づいた距離に驚いて仰け反ると、にぃ、と歯を見せて笑った。
「早く元気になってくれよな。大将」
「た…いしょう?」
「厚ったら!」
「あ、やべ」
すぐさま乱が手を伸ばす。
口を押えた厚は軽やかに乱の手を避けた。
空を切った手のひらを握った乱はもう、と頬を膨らます。
「ホンットに不用心なんだから」
「どうも気が緩むっつーか…」
「…ま、分からなくもないけどさ」
ちらりと乱がひおりを見る。
一瞬向けられた縋るような瞳は、濡れた子犬を彷彿とさせた。
何故だか込み上げた罪悪感がチクリと胸を刺す。
眉間に皺を寄せたひおりの顔を見て、心中を察したように笑った乱は、打って変わって明るい口調で声を上げた。
「まぁとにかくさ」
パンと手を打つと、首を傾げながら微笑む。
「元気が一番なんだから、怪我しちゃ駄目だよ?」
気圧されて頷いたのが一時間ほど前。
盛大にすっ転んだ足を抱えて思い返したひおりは、ぐ、と唇を噛んだ。
尋常じゃなく痛い。
ズキズキと熱を帯びた足首を抑えていると、体育教師が駆けて来るよりも先に、薬研藤四郎が走って来た。
ひおりの足首を覗きこみ、触って腫れを確かめる。
「捻挫だな」
「捻挫…分かるの?」
「まあな。こう見えて、割と詳しいんだよ。得にアンタがしそうな怪我はな」
そう言って、遅れて走って来た体育教師に保健室へ連れて行く事を告げた薬研は、教師が頷くや否や、「よし」と声を上げた。
「ぃ……!?」
背中と膝下に手を回されたかと思うと、持ち上げられる。
いわゆるお姫様なんちゃらと言う衝撃に、舌を噛みそうになったひおりは目を回した。
「こ、こま、困ります! 歩けます! 目立つから、歩きます!!」
風を斬るように首を横に振る。
ぶんぶんと音が鳴るひおりを見下ろす薬研は、得意気な声を上げた。
「だから言っただろ。コケんなってな。せっかく目論見だけで済ませてやろうと思ったのによ」
「も、目論見?」
周りの視線が怖い。
咄嗟にひおりは顔を覆った。
もごもごと口ごもるひおり。
薬研はそんな彼女に、見るも鮮やかな笑みを浮かべた。
「担ぐなんて、こんな時じゃねぇとさせて貰えなさそうだからな。せいぜいしっかりしがみ付いてくれよ。大将」
*+*+*+*
「…薬研って、そう言う所あるよね」
「そう言う所ってのはどういう所だ?」
「主さんが元気になったら、真っ先に報告してあげるから」
「そン時は、薬研の奴、始終ご機嫌でしたって付け足しといてくれよな、乱」
「……乱、厚」
「ぼく、アイスが食べたいなぁ」
「俺は大将ン家の近くのうどん屋!」
「…………しゃぁねぇ。奢る」
「「やったー!」」