ドリーム小説


「三年の二学期?」
跡部は襖に掛けた手を止め、眉間に皺を寄せた。

「あ? ああ、聞こえてる。悪い。……それ以外は全部集まったんだな?」
あれから一日。
忍足から大方のノートが集まった旨を聞いた跡部は緩く息を吐いた。
「三年の二学期なら、アテがある。ああ、昼前には取りに行く。助かった」
電話を切って胸ポケットへ。
改めて襖を開くと、眠る女審神者に付き添っていた薬研が顔を上げた。片手を挙げる。
「よぅ、跡部の旦那。その電話の様子じゃ、首尾は上々みたいだな」
「まあな。そっちは…相変わらずか」
跡部の視線を追うように、薬研は女審神者を斜めに見ると、静かに笑った。
「だな。相変わらずだ。政府は歴史改変主義者を割り出すのに手間取ってるし、大将はこの通り、寝返りも打たないまま沈んでるよ」
畳を踏んだ跡部は、布団の傍らに座す前に部屋を見渡す。机に箪笥。テレビに本棚。そうして女審神者へ目を戻すと、小さく呟いた。
「死んでないだけマシと思えって話だな」
「そうかもな」
手を伸ばした跡部は、女審神者の前髪を横に流した。
表情一つ変えないまま、微かに呼吸を繰り返す彼女。
跡部は痛みを堪えるような顔をすると、深いため息と共に己の目元を抑えた。首を横に振る。

「…」
「大将に会った事、後悔してんのか?」

薬研は尋ねる。
掠れた声で跡部がまあな、と答えると、薬研は女審神者の手を取った。
ぐったりと力の無いそれを頬に寄せる。
「後悔してやるなよ」
「あぁ?」
「その箪笥の中は、大将の宝物入れでな。常備食がたんまり入ってる訳なんだが。他にも俺っちが遠征で持って帰って来たお土産やら、他の刀達との思い出やら何やらを後生大事に仕舞ってある中に…。
アンタから届いた手紙も入ってるぜ」
跡部は微かに目を見張った。
薬研はその様子を見て喉で笑う。
「やっぱりな。俺っちが捨てた話を聞いたんだろ」
「…景気よく捨てたってな」
「封筒をしんみり捨てる奴の方が珍しいだろ」
胡坐で座る薬研は、外見だけで言えば小学校高学年。もしくは中学一年生。
とにもかくにも跡部の半分は年下に見える訳である。
そんな彼がひとたび喋り、動く様は跡部よりも随分年上に見えて、そのちぐはぐさに未だに慣れない。
跡部が何も答えない事をどう受け取ったのか、薬研は眼鏡の奥にある瞳を細めた。

「加州の旦那と、燭台切の旦那の気持ちもまあまあ分からなくは無いんでな。シラをきって言うつもりは無かったんだが…兄弟たちが世話になってるみたいだからな」

兄弟、と言うと、いわゆる粟田口の刀たちである。
跡部がテニスを教えた五虎退を始めとして、乱、厚、前田、鯰尾などなど。
この本丸に居る数々の刀を思い返す跡部に、薬研は言葉を続けた。
「大将の仕事だけでなく、内番やらも手伝ってくれてるそうだな」
「…ああ。その話か。身体動かしてなきゃ、余計な事考えてばかりだしな。お互い様だろ」

ノートが集まらない今。
跡部の記憶だけが、時間遡行軍の奇襲を知る手立てである。
始めたばかりの政府の仕事も休んで、この本丸に縫い付けられる事となった跡部は、審神者の仕事である資材管理や内番の割り振り。資金管理や書類整理の類などを引き受けた。
元々器用な跡部。
ここに来てもその要領の良さはいかんなく発揮され、内番の手伝いまで卒なくこなし、
エリザベートが居るからな、と馬の世話までこなしてみせた折、鯰尾は感服したよう。この数日で一気に距離が縮んでいる。
前田や秋田にしてもしかり。
短刀が苦手な力仕事を、どこからともなく現れた跡部が変わってくれるとか。
そんな跡部に長谷部は思う所がある様子で、最近では良く付いて回ってその手腕を観察しているようだし、初めて跡部がこの本丸に来た時からは考えもつかない程馴染んでしまった。


そんな跡部の原動力の中心には女審神者が居る。
垣間見える切実さが薬研に重い口を割らせる気になったのだろう。

薬研は自嘲するように息を吐いた。

「大将が…一度だけアンタの話をした事がある。初めて招待状とやらを持って帰って来た日だな。
二百人束ねるのにコツの類があったのかしらって。
次々顕現していく刀を前に思う所があったんだろうな」

 ――まあ、跡部くんのカリスマ性なんて真似しようと思って真似できる事じゃないけれどね。

最終的には憂いを笑い飛ばしていたが、
女審神者がこの本丸で多くの刀達と過ごしていく中で、どこかでその跡部くんとやらを描いて追っているのではないかと薬研は時折思った事がある。
景気よく捨てているように見えたのは、もしかしたら根底に燻った思いがあるからかも知れない。
清光と光忠の顔が浮かんだ薬研は、内心苦笑した。


「生きてるか死んでるか位連絡しろ」
「…」
「手紙に書いてあるって、その時大将が笑ってた」
薬研が横から覗き込んだ時。
女審神者を心配しているのか、怒っているのか分からない文章が羅列してある最後を、その一文が締めていた。
その時の女審神者の顔を、薬研は今でも鮮明に覚えている。
嬉しそうな、悲しそうな、静かな笑み。
唇を歪ませながら笑って、女審神者は瞳を伏せた。

「……死んだ時くらいは、連絡したいけれどねって言ってな。
だから俺っちは。
大将が生きてる内に旦那に会えたのは、良かった事だと思ってる。

だから、会わなきゃ良かったなんて、思ってやらないで欲しい」

女審神者の指先は一寸も動かない。
この穏やかで優しい手が、薬研に伸びて来る事も無い。
それでも。
だからこそ。
「最後は笑おうぜ、大将」
薬研は女審神者に向けてそう言った。
頬を撫ぜる。
陶器のように白い肌はまるで生気を感じない。ただ生きてる。そんな彼女を前に、薬研は穏やかに微笑む。


「博多に奮発させるからよ。肉でも買って、パーッと飲もうぜ。大将好きだろ、そう言うの。
大変だったなって言って笑えるように、俺っち達が頑張るからさ」

だから、と薬研は縋る様な声を出した。

「笑える思い出にしようぜ、大将」









「清光、はい」
頭の上に置かれた紙の束を握ると、安定は隣に腰を下ろした。
「何これ?」
「ノートのコピー。ぼくたちは中学三年生だって。政府の許可が下りたからって、さっき跡部さんに貰った」
「ふぅん」
清光の紅に染まった爪先がゆっくりと紙の束をめくる。机に肘をついて顎を乗せると、清光は軽く息を吐いた。
「全然分かんない」
「だね。分からないのは当然として、どうやって過ごしていくかなんだけど。
跡部さんが、学生には予習って言う便利な言葉があるんだよって言ってた。
ぼくたちはある程度先までのーとって言う帳面にこの中身を写して持っていく事になるんだって。
歴史改変主義者が誰だかわかって、主が斬られる過去を消せたら、無くなる時間だからあんまり気負う必要はないって跡部さん言ってたんだけれど」
安定はそう言って、笑った。

「長谷部の話じゃ、跡部さん。
歴史の本筋にされちゃ困るのはそっちもだろう!
抜かった仕事してンじゃねぇ! さっさと歴史改変主義者を割り出せ! って政府に言ったんだって。それがすごい剣幕で、跡部さんにどうも頭が上がらない政府の人は、平謝りしながら頷いてたって」

跡部のマネをしているつもりなのか。
いつもより低い声をあげた安定は、両の人差し指を眉根にあてるとギュッと縮めて皺をつくった。

その面のまま、清光の顔を覗き込む。

「ねぇ、清光」
「何だよ」
「主、助けられるよね?」
「……当たり前だろ」

ぽつりと清光は落とす。
紙に並ぶ意味不明な文字の羅列。
彼女の居ない本丸。
数えれば数える程胸の穴はぽっかりと大きくなっていく気がする。

清光は瞳を揺らすと、動揺を悟られぬように瞳を伏せた。

「助けるんだ。あの人を」
「手が届かなかったあの頃とは違う…か」
安定は天井に向けて手を伸ばす。

「届くかな?」
「違う。届けるの」
「――そうだね」


頷いて、安定は微笑んだ。
「今行くからね。主」