ドリーム小説
「小夜、今すぐ政府に連絡を。出陣の許可を取って来て下さい」
宗三の嫌に静かな言葉を皮切りに、刀達の時は動き出した。
「分かった」
小夜が駆ける。
ぐったりと動かない女審神者を抱えている兼定は、半ば睨むようにして安定と清光に目を向けると、怒鳴った。
「安定! 清光!」
「「――ッ」」
女審神者を凝視したまま、息を詰まらせている二振りが身体を揺らす。
「和泉守…主は…」
やっとの事紡ぎ出した声は渇き掠れていて、色を無くしている安定。
真っ青な清光を順に見た兼定は、しっかりしろ、と激を飛ばした。
「コイツはまだ生きてる。俺達は、死にゆく所をただ見ているだけしか出来なかったあの頃とは違うんだ。何があっても助ける。そうだろ」
「…そうだね。さすが、兼さん」
吐息混じりにそう言ったのは堀川。彼は胸を撫でると、立ち上がった。小走りに跡部に駆け寄る。
「跡部さん、主さんは」
「ああ。生きてる。あの時は――そうだ、もう一人女子生徒が来たんだったな。そいつに気を取られた一瞬に、俺はアイツを連れて…」
「なるほど。時間遡行軍は、誰が審神者かまでは分かってないんだね。ともすれば、深追いされる危険性はない…のかな」
「だけど、何で二月十四日なんだろう?」
乱の言葉に、一期一振は首を傾げる。
「跡部殿が腕を斬られただけだと言うのも気になりますな」
「奴らなら、斬り伏せた方が早いだろうにね」
青江がゆっくりと宙を見上げる。
しばしの間をあけて、彼は瞳を細くした。
「跡部さんに近寄って来る人間…が、ターゲットだとするのなら。的である跡部さんには生きていてもらわないと困るよね」
「――デパート…」
安定の傍らに座る清光が、紫色になった唇で、ぽつりと零した。
「そうか。デパートだ!」
光忠が目を見開く。
「あの時跡部さんに呼び止められて、確か主は、中学高校の同級生だと言ったからね。バレンタインデーにチョコを渡した渡さないの話もしていた」
五虎退に支えられている跡部が舌打ちする。
精悍な顔を歪めて、反吐でも吐きそうな面のまま自嘲した。
「本当にコイツに関しては、いつだって邪魔な看板だな。跡部景吾っつぅのは」
薬研は顎を擦る。
「跡部さんの顔が割れてるのが……災いした訳か。と、なると。跡部さんが大将を連れて逃げてる限り、追われるだろうな」
「あの場に歴史改変主義者が居たとはね、ぼく達が迂闊だったよ」
険しい顔の光忠が、拳を握る。
その時小走りに駆ける足音が近づいて来て、視線は一斉に小夜へと集まった。
「出撃の許可、下りたよ」
「…行きますか」
宗三が着物の袖を捲る。
「着替える暇もありませんね」
「大切な人を守れないんじゃ…カッコつける資格もないからね」
光忠、青江、三日月、一期一振。
立ち上がった面々を眺めた薬研は、乱で視線を止めた。
「乱、行けるか?」
「うん、もちろん。薬研はどうするの?」
「俺っちは、この間に現状を整理しとくよ。打てる手を全部打たねぇとな。考えておく」
「……ならば俺は、政府に改めて連絡を。向こうの出方を見てこよう」
「頼む。長谷部」
「――ああ」
立ち上がった長谷部が背を向けて歩き出す。
その背中を見ながら、跡部は口を開いた。
「俺も行く」
「あ、あとべさんが行くのはマズイんじゃ…」
わたわたと五虎退が首を横に振る。
その小さな身体に寄りかかっていた跡部は身を起こした。古傷が痛む腕を抑える。
「俺が行くのが早い」
そうして記憶をたどるように、瞳を揺らした。
「逃げ込んだのはテニス部の部室だ。案内する」
◇
「なんなんだ」
部室の壁に身を寄せて、跡部は腕の中の少女を抱く手に力を込めた。
「…跡部くん」
「。無事か」
「無事…とは言えないけれど」
はそう言って、少し笑った。
突然現れた何かが斬りつけた背中は、痛みと熱で感覚が無い。
同じく血に濡れる跡部の腕を横眼に見たは、テニス、と呟いた。
「あぁん?」
「テニス。出来なくなっちゃう」
「…この現状で言う台詞かよ」
「この現状が、イマイチピンと来ないんだもの」
あまりにも非日常過ぎる。
の言葉に、跡部は苦笑した。
「だな」
「ただのバレンタインデーだったのにね」
「たたの、じゃねぇよ。てめぇのせいで、糞つまんねぇバレンタインだぜ」
「なんで、わたしのせいなの」
口約束を思い出したのか。頬が染まった。
血の気が無い頬に朱が映える。それがどういう状態か分かった跡部の心臓は、早鐘のように鳴った。動揺に視線を逸らす。
「言ってろ。ったく」
かろうじて逃げて来た部室に部員が残って無かったのは唯一の幸いだ。
下校時間も過ぎている事だし、
校舎に残っているのはバレンタインデーに後ろ髪を引かれている女子生徒幾ばくかであろう。それもおそらく、跡部を探している生徒に違いあるまい。
もしこの扉が開いて、跡部を斬りつけた奴が立って居るのも怖いが、うっかり跡部を探して部室を見に来た女生徒が来たとしたら、それもそれでマズイ状況になる。
頭の中を駆け巡るさまざまな事態に、跡部はち、と舌打ちをして終止符を打った。
「考えても仕方ねぇ。今はどうするかだ」
警察は呼んだ。
救急車も呼んだ。
あとはそれらが来るまで、見つからぬよう息を潜めて隠れるだけ。
「――、しっかりしろ」
「……うん」
返事は小さい。
見ると、彼女は瞼を伏せていた。
跡部が身体を揺らすと、僅かに瞳が開く。
「テニス」
「…まだテニスの話か」
「うん。跡部くんが球を打つフォームって、綺麗だよね。思い出してた」
「思い出さなくても、見ればいいだろうが」
「うん」
返事がか細い。
見下ろす跡部の腕の中で、呼吸が小さくなっていく。
再び声を掛けようとした跡部の耳に、扉のノブが回る音が聞こえる。心臓が跳ねた。
開いていくドアの奥に人影が見える。
「――ッ」
目を凝らした跡部は、その先に居るのが先ほどの男だと言う事に戦慄が走った。
時代錯誤の笠を被ったその男は、夕焼けに暮れる室内に跡部が居る事を目ざとく見つけるなり、弾けるようにして扉を開く。
「くそ」
少女の身体を抱きしめる。
刀を振り上げる男がスローモーションのようにして瞳に映った時、突然黒い男は煙にまかれたようにして掻き消えた。
「大丈夫か?」
見上げると、男が一人立って居る。 黄色いバンダナを頭に巻き、甚平を着ていた。やたらと瞳が綺麗な男だ。
彼もまた持っていた日本刀の、銀色の刃を鞘にしまいながら、跡部の腕の中に居る少女に視線を落とした。眉を潜める。
「なるほど…。心中穏やかではないとはこういう事を言うのだな」
そう言った男は、ゆっくりと歩いて来るとしゃがみこんだ。
警戒した跡部が少女を抱え込む。
手を伸ばした男は、少女の後ろ髪を梳いた。
「跡部とやら」
「な…んで、名前を知ってやがる」
「その娘は、我が家の家宝でな。くれぐれもよろしく頼む」
「…」
瞳の中の三日月が細くなる。
人間離れした美しさを称えるその男は、あまりにも不釣り合いな甚平を揺らして立ち上がった。
踵を返して歩きはじめる。
遠く救急車の音が聞こえて来て、跡部は腕の痛みを思い出した。息が詰まる。
「お主の事も、加えて護ろう」
扉に手をかけた男は、僅かに後ろを振り返った。唇に弧を描く。
「五虎退に、てにすとやらの続きを教えて貰わねばならぬからな」