ドリーム小説
庭先に鍋と酒の肴が並べられ、ビニールシートが無造作に敷かれている。
てんやわんやと騒ぐ刀たちを見渡せる位置の、縁側に座している女審神者は、冷や酒をゆっくりと口に含んだ。
「幸せの味がする」
「はい、主。それから、跡部さんも」
「ありがとー、青江ー」
小皿に取り分けた鍋を二人に渡した青江は、跡部の隣に座った。いただきます、と三人続けて声を上げる。
時期外れの鍋。
ほかほかと湯気が上がる白菜を口に入れた女審神者は、カッと目を見開いた。親指を立てる。
「光忠! ポン酢!」
「うん。年末に貰った橙をね、カラちゃんと二人でポン酢にしたんだ。春先の鍋はこういう所にお得感を感じるよね」
「最高! 大倶利伽羅もありがとう!!」
大手を振った女審神者を横眼で見た大倶利伽羅は、何を言う訳でもなく視線を戻した。酒を呑む。
それを満足気に見届けて、再び日本酒に戻った女審神者を見ていた跡部は、ふと口元を緩めるようにして笑った。
「何?」
「嫌、こうして酒を呑む日が来るとはな」
「…そうだね。跡部くんと酒を呑む事になるとは思ってもみなかったかも」
「まさかこんな酒飲みになってるとは、思いもしなかったぜ」
「そう?」
「あの頃は――なんつぅか、てめぇは…」
跡部が遠くを見て瞳を細める。
女審神者も釣られるようにして視線を向けた宙には、半月がぶら下がっていた。今日は星がよく見える。
「あんまり存在感が無かったな」
付け足すように言った跡部に、
「存在感の塊みたいな跡部くんに言われてもね」
ふ、と女審神者は自嘲の笑みを返す。
「へぇ。主の若い頃か。興味があるね」
そんな二人を見ながら、目を細めて笑う青江は、続けて尋ねた。
「どんな風だったのかな」
「えー。たいした話は無いけれど…」
そう言いかけた女審神者の言葉を、青江は遮る。視線はいつの間にか斜めへ。
「――そうなのか。それは面白いね」
「ちょっと待って青江。誰と話してるの?」
跡部と女審神者の上辺りを見ている青江は、談笑するそぶりで笑った。
夏にはまだ早い。
ぶるりと悪寒が走る。
青江の視線の先を追う勇気の無い女審神者は、両手で空を切った。
「青江、見えない人から話を聞くのは禁止。情報を選ぶ権利はわたし自身にあります!」
「冗談だよ」
「本当か嘘か分からない冗談を言うのは止めて下さい!!」
女審神者が切実な声を上げると、
兼定の袖を引っ張って来た堀川が声を上げた。
「でも、ぼくも気になるなぁ」
「…国広まで」
「だって、主さんの幼い頃でしょう? 可愛かったんだろうなって事くらいしか分からないよ。ね、兼さん」
「今もガキみたいなもんだろ」
女審神者の横に腰かけた兼定は、からかうように口端を持ち上げる。愛用の羽織を肩から下げて、足を組むと猪口に口をつけた。
小洒落た態で酒を呑む兼定。
そんな彼を横眼で見た女審神者は、にやにやと笑った。
「なにそれ兼定。それは今なおわたしは可愛いって言う意味としてとらえてもいいのかな?」
「はぁ!? どこをどうとればそうなるんだよ」
「兼定をからかう事前提に取ればこうなるのよ」
「っくそ、ぜんっぜん可愛くねぇ」
「どうもありがとう」
兼定の猪口に猪口を近づけると、堀川も寄せて来た。三人で乾杯する。
酒を舐めながら、
「可愛いねぇ」
女審神者は呟いた。
「学生時代に国広が居たら、そう言って貰えたんだ。損したなあ」
「えー、主さん言われた事ないの?」
「無いよ。って言うかね。国広は褒め上手だから、あの手この手を使って褒めてくれるけれど、
普通はそうなかなか褒められる機会なんてないのよ。だから、国広がすごいの。ヨ!褒め上手!」
女審神者が手を叩く。
堀川は呆気に取られたような態で瞬くと、へぇ、と相槌を打った。
「………主さんの周りに居た人は、見る目が無かったんだね」
さらりと言う堀川。
跡部が横眼で見る。
視線に気付いて、にっこりと笑みを返してくる彼に他意はあるのかないのか。
見合っていると、横から伸びてきた兼定の手が、身を乗り出している堀川をさりげなくを押し込めた。
「んで? 跡部さんから見てどうだったんだい?」
「あぁん?」
「学生時代のコイツ」
親指で示された女審神者は瞬き二回。兼定の脇腹を突いた。
「もういいじゃん、その話は」
「なんでぇ。今日の肴の一つだろ?」
「えー、聞いたって楽しい事ないと思うけれど」
「それは俺達が決めるんだって」
「だね、兼さん」
「うん。是非とも聞いてみたいね」
「国広と青江まで」
女審神者は居心地悪そうに尻を動かす。諦めて跡部に首を巡らせた。
「跡部くん、良い話を選んでね」
「良い話って言われてもな」
「ほら、生徒会の中で一番ホッチキスが上手だったとか」
「なんだ、それ」
「えー、自分では思ってたんだけれどな。こう、ピシッと角と角を揃えて」
「その分遅いんだよ。上手ってのは、速さと正確さを兼ね備えて初めて使える言葉だろーが」
「……耳に痛い」
両手で耳を閉じる。聞か猿。
渋い顔をした女審神者を笑って、跡部は酒を呑んだ。
「まあ、確かに…綺麗やら可愛いやらってのとは、少し違ったかもな」
眉間に皺を寄せる。
「氷帝っつーのは…ああ、俺と…コイツが通ってた学校なんだが。良家の子息子女が多かったんだよ。
その分見てくれが派手なのは多かったからな。ま、普通はまずそっちに目が行くよな」
「跡部くんが代表ね。生徒会会長兼、テニス部の部長」
「てにす? って、なんですか? 主様」
「五虎ちゃん」
首を巡らせると、小首を傾げた五虎退と目があう。
何と説明するのが良いか言葉を探している女審神者の隣で、腰を浮かせた跡部は「ちょっと待ってろ」と立ち上がった。
ややって、ラケットとテニスボールを手に戻って来る。
「さすが跡部くん。ここにまで持って来てたの」
「当たり前だろうが。あーん」
「これ、なんですか?」
見慣れないラケットとテニスボールを前にして、くるくるとした目で五虎退が尋ねた。
辺りを見渡す跡部。
女審神者は意図を察すると、少し離れた場所を指差した。
「あの辺りは? この本丸の壁、結構頑丈みたいだから、大丈夫だと思うけれど」
「五虎退…だったか」
「はい。五虎退です」
跡部のあとを、頷きながら五虎退がついていく。
「このボールを、投げる」
「こう、ですか?」
「ああ。それで、ちょうど落ちて来る辺りで打つ」
「わ!」
当たらなかった五虎退のラケットは、盛大に宙を斬った。
跡部はボールとラケットを受け取ると、手本は、とボールを投げる。上へあがっていく黄色いボールを見る跡部の瞳が細くなる。
「こう、だな」
弓なりに背を反って、跡部が打った球は直線を描いて壁に当たった。返って来た球を、打つ。そうして再び戻って来たボールを掴んで、跡部は五虎退を見下ろした。
「これを続ける。相手がいるなら、お互いのコート…ああ、陣地、みたいなモンかな。それに入って、なおかつ相手が打ち返せなきゃ、点数が入る」
「点数、ですか」
「先に必要点数を取った方が勝ちだ」
「へぇ」
ラケットを握った五虎退は、見よう見まねでもう一度振ってみた。
今度は拙いながらもボールが打てて、緩く飛んでいくボールに目を輝かせる。
「打てました!」
「ああ。やるじゃねぇか。なら次は、返って来たボールを」
「う、打つんですね」
腰を引くな、とか、もっと腕を振れ、とか、
跡部の説明でだんだんと良くなっていく五虎退のフォームを見ながら、女審神者は豆腐を口に入れた。
「さすが跡部くん。面倒見がいいよね」
「五虎退が楽しそうですな」
にこにこと笑う一期一振。
長兄が楽しそうに見る中で、五虎退は返って来たボールを壁に打ち返した。
「主は――」
「ん?」
青江の言葉に呼び戻されて、女審神者は瞬く。
「どうして跡部さんにチョコを渡さなかったんだい?」
「……へ?」
「ああ。燭台切に聞いたんだ」
「………あぁー…」
突拍子もない問いが、初めて跡部に会った時の会話を示していると気付いた女審神者は唇をひん曲げた。
「そもそも…うぅん…。
中学から何回か、同じクラスになった事があって…高校では生徒会も一緒だったから、まあ良くは話してたんだけれど」
一端言葉を区切る。
ややあって、僅かに頬を朱に染めた女審神者は俯いた。
「跡部くん、良く目立ってたし…ファンも多くて、その…子ども心に好きとか嫌い…とかとはまたちょっと違ったのかも知れないんだけれど。
何というか、憧れては居たんだと思うの」
「へぇ」
「国広。目が笑ってねぇぞ」
ぼそぼそと喋る声は、赤面していく女審神者には届いてない。
「軽い口約束で、チョコを上げるって言っちゃったんだけれど。土壇場になると恥ずかしくなっちゃって。
下駄箱に入れる程殊勝な気持ちを込めたチョコって訳でもないし、好きって伝えるのを必死で考えている女の子とか前にしたら、なんだか気が重くなったんだよね。
それで結局、わたしの胃の中に。
まあまあ良くある渡せなかったあるあるだと思うんだけれど。
正直未だに跡部くんが根に持ってるとは思わなかった。
あの日跡部くん、樺地くんと一緒に紙袋四つ五つ位抱えて帰ってたのにね」
女審神者が遠い昔を思い出すように、宙を仰ぐ。
「まあ、今思えば――軽く渡せば良かったんだけれどさ。青い憧れってのは性質が悪いよ。渡せないばかりか、今でもこうやって鮮明に思い返せるもの。
夕方にさ、渡せなかったチョコを鞄に生徒会室を出て…」
女審神者はふと眉間に皺を寄せた。
「時間遡行軍?」
「――どうした?」
兼定の問いに、女審神者は答えない。
しばらく口を噤んだ女審神者の身体が、突然ぐらりと傾いだ。手に握られた皿が、中身ごと地面に落ちる。
「主さ――!」
堀川の声に、刀達が一斉に首を巡らせた。
「主さま、あ、あとべさん!」
「…ッ」
突然跡部が右腕を抑えてしゃがみこむ。
「なん、だ…この痛みは…」
シャツを捲った跡部の腕には、大きな傷跡。
それを見た五虎退は、小さく呟いた。
「か、刀傷です…」
「刀傷? どうしてこんな所にそんなもんが…」
険しい顔をした跡部は、ふと、零した。
「何だ…今の記憶は………?」
跡部が女審神者を振り返る。そうして、縁側に倒れている彼女を見て、瞳を見開いた。
頭痛が走る。記憶が入り乱れる。
今までとは違う記憶が流れ込んで来て、混乱する頭を抱えた跡部は、しゃがみ込んだ。
「あの時…そうだ。生徒会室に、が来て…なかなかチョコを出さねぇまま出て行った挙句、下駄箱にも無くて…を探したがもう見当たらなかったんだよな? …いや、帰って…なかったか?
踊り場で見つけたんだったか。
何だこの記憶は、覚えがねぇぞ。
どっかから出て来た妙なのが、刀を…持ってたのか? …そうか、この傷は…あの時俺の腕が斬られて…が…が…」
固まった跡部は、息を呑んだ。
「が、斬られたんだ」